ライフライン ~いのちのでんわ~

賢者テラ

短編

「ウチはラーメン屋じゃありませんっ」

 鼻息も荒く、紺野ゆかりは受話器を叩きつけるように置いた。

 これで、今日だけで3件目の間違い電話——。



『いのちのでんわ』は、悩んで人生に行き詰ったり、自殺を考えたりするような人の話を聞いてあげて、一緒に問題について考え、最終的にはその命を救うことを目的としている。

 各都道府県の様々な社会福祉法人にそのような機関があり、日夜悩める現代人のために活動を続けている。

 ゆかりの勤める相談センターは、本当に小さな所だ。

 規模の大きなところなら、24時間いつでも対応できるシフトが組める。しかし、ゆかりの勤めるところは朝の9時から夜の9時まで。しかも職員は4人しかいない。

 当然交代制なので、その4人が同時に顔を合わせて仕事をすることはない。

 ちなみに夜の7時である今は、事務所にはゆかり一人である。

 なぜなら、本来は来るはずのもうひとりが急病で欠勤、との連絡が入ったのだ。

 補充要員は、ない。

 ゆかりが一人で、9時までの二時間を守りぬかねばならない。



 事務所から100メートルと離れていない場所にあるラーメン屋 『太極軒』と、電話番号が最後の一桁以外まったく同じなので、しょっちゅう 『出前お願いします』『チャ-シュー麺3つと天津飯ね!』などという電話がかかってくる。

 ゆかりたちは、そのような電話がかかる度に脱力する。こっちはせっかく、命を救うためにヨシッ、と気合を入れて受話器を上げているというのに!

 ゆかりは上司に電話番号を変えてください、と直訴したことがあった。

 でも、ラーメン屋と間違えられるというだけの理由で上を動かすのは難しい、と難色を示された。



 ……このお役所仕事め!



 内心でそう悪態をついたが、世の仕組みの前では、ゆかりはあまりにも無力であった。



 プルルルルル……



 電話のコール音。

 今度こそ、きちんとした相談でありますように!

「もしもし、いのちのでんわ・相談員紺野です」

 しばらくの沈黙の後、か細い声がした。

「……あのう、お話聞いて欲しいんですけど——」

 17歳の女子高生だった。

 彼女が気にしたのは、話に時間制限があるのか、ということだった。

 ゆかりの感触では、彼女は結構話したそうだった。

「そうねぇ。私はいくらでも付き合うけど、もし他に電話がかかってきたら、内容にもよるけどちょっと待ってもらうことがあるかもしれないけど、いいかな?」

 女子高生はうん、いくらでも待つよと返答した。



 相談者 : 夏子 (仮名) 女性

 年齢 : 17歳

 相談内容 : 死にたい。生きているのがつらい

 キーワード : 劣等感。いじめ・家庭内不和

 方向性 : 本当は死にたくない、分かってくれる人がひとりでもいるなら、何かの解決のヒントが与えられるなら思いとどまりたい、と考えている感触を得る。あせらず、じっくり数度のアポを取ってカウンセリングしていけば、きっと良い方向へ向かうものと思われる。



 ゆかりはフンフンと話を聞き取りながら、クライアントシートにペンを走らせ、情報を書き付けた。

 


 ……あきらめないで根気よく聞けば、この子は立ち直る。



 久々の手ごたえに、ゆかりは相談に全身全霊を傾けた。

 しかし、そういう時に得てして、別の電話がかかってくるものである。

 会話中に、プルプルというキャッチホンの異音が混じった。

「……ごめんね。別の電話がかかってきたみたい。今、ここにわたし一人しかいないから、とりあえず電話に出させてね。いたずらとか間違いとかもあるから、その時はまたすぐに戻ってくるから」

「うん。じゃ、電話切らずにおくね。もし長くなりそうだったら、教えて。それならいったん切ってまたかけ直すから」

「オッケイ。じゃあちょっと待っててね——」

 ゆかりは1番の回線を一度保留にして、二番の回線に出ることにした。



 この相談所の電話設備は、古い。

 しかも、たった4人で回している相談所なのに回線が幾つもある。

 昔は、もっと繁盛していたのか!?

「もうっ、ややこしい!」

 普通の家庭電話ならキャッチホンの操作で済むものを、旧式なためにまるで昔の電話交換士並の作業をしなければならない。

 ようやく、別回線につながった。

「はいっ、いのちので——」

「太極軒でっか? 出前たのんま——」

「ウチはラーメン屋じゃありませんっ!」

 まずは、ハズレ。

 もう一件、かかっている。



 カウンセラー歴の長いゆかりでも、出前攻撃が続けばイライラがつのる。

 サンドバッグでもあれば、思いっきりどつきたいところだ。

 三番の回線をオンラインにした。

「もしもし」

「……ゆかりか?」



 エッ!?

 た、確かに私は『ゆかり』……だけど?

「は、はい」

 そう言いながら、ゆかりは頭をフル回転させた。

 私がここで勤めていることを知っていて、なおかつあつかましくもここの番号に電話をかけてくるような非常識なヤツ、知り合いでいたっけか?

「オレは、もうダメだ——」



 ……な、何が?



 ゆかりはとにもかくにも、電話の内容をクライアントシートに書き込んだ。

 その時は必死で分からなかったが、我に返ってみるとその内容たるや、悪い冗談としか思えなかった。



 相談者 : 道雄 (たぶん偽名) 男性

 年齢 : 推定20歳前後 (言いたがらない)

 相談内容 : オレは多分殺される。大した考えもなく関わった運び屋(麻薬?)の組織が、実は海外をまたにかける大きな犯罪組織(マフィア)だった。抜けたいと言ったら即座に監禁されてしまった。今、隠し持っていたケータイで何とか連絡を取っている。



「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。あんた、誰に電話かけてるの!?」

「……お前、ゆかりなんだろ?」

「そうですけど——」

 ここでゆかりは、重大なことに気付いた。

「もしかしたら、『ゆかり』違いじゃない? ここは 『いのちのでんわ』っていう、電話相談のサービスよ。私は相談員の紺野ゆかり」

「ええっ!?」

 電話の主は、絶句して黙ってしまった。

「友人のゆかりと間違えた。警察に連絡する前に、どうしても世話になったゆかりに電話しておこうと思って。しっかし、こういう偶然ってあるんだなぁ——」

 早い話が、たまたま間違い電話をかけた相手が、本来話したかった相手と下の名前が同じだった、というわけだ。



「……まずい」

 電話の向こうの男は、声を低くした。

「電話をかけていたのが、バレたっ」

 急に、何やら人と人がもみ合うような音が聞こえる。

 そして、静寂。

 ゆかりは、何か尋常ではないことに巻き込まれたと直感した。

 身を硬くして受話器を握りしめる。

「……お前、誰だ」

 別の男が、電話に出た。

「まぁ、誰でもいい。こちらのことを知られたからには、無関係なやつとはいえど消えてもらう。幸い、逆探知させてもらったらかなり近い場所だ。もうウチの者がそちらへ着く頃だ。あばよ——」

「そ、それってどういうこと?」

 


 いやな気配を感じたゆかりは、窓の外を見た。

 廊下に面した窓に浮かぶ、男の上半身のシルエット。



 ……ウソよ!



 ゆかりは、とっさに事務机の下にかがんだ。



 パシュン!



 部屋の端のソファーに穴が空き、羽毛のような中身が宙に散る。

 恐らく、サイレンサー付きの拳銃だ。

 口封じのために、ゆかりを始末に来たのだ。



 ……もうダメ。



 誰も、助けてくれる者はいない。

 今更、電話で助けを求める時間も余裕もない。

 数秒後には、私は死ぬ。



 電話を待ってくれている女の子に、申し訳ない。

 ごめんね。

 あなたを、助けてあげられなかった——



 その時、肉を叩くような鈍い音がした。

 ドスン! と人の倒れこむ音。

「太極軒の、オヤジさん!」

 何と、助けに来てくれたのは、間違い電話で困らされているラーメン屋・太極軒の主人だった。オヤジの一撃で、刺客は廊下にばったりと倒れ込んで伸びていた。

「見たか! 心意六合・八卦双憧掌」

 驚いたことに店の名前だけでなく、オヤジは本当に太極拳の使い手らしい。

「たっ、助かりました!」

 地獄に仏とは、このことである。

 ゆかりは思わず男前でもないオヤジに駆け寄って、感謝のハグをした。

「いやね、いのちのでんわですか、ってうちに間違い電話をかけてきた人がいてね。そちらの番号をご案内したんですよ。でもその人が言うには 『ヘンですねぇ。その番号にかけましたらね、誰も出ないんですよ』 って。

 そちらさんがこの時間に誰も出ないなんておかしいな、と思って念のために見に寄ったんだが……よかったよかった」



 しかし。

 悪夢の夜は、簡単には終わってくれなかった。

 この一瞬、二人に油断が生じていた。

 倒して気絶させたとばかり思い込んでいた刺客が、ゆっくりと立ち上がって銃口をこちらに向けてきたのだ!

「ひいいっ」

 ゆかりと太極軒のオヤジは、手を挙げた。

「ありゃ。完全にノックアウトしたと思ったのに。わしももう歳かのう?」

 この状況で、まったくのん気なオヤジである。

 二人は、降参のバンザイをしながらヒソヒソ会話を交わした。



 ……ほら、ジャッキー・チェンとかドニー・イェンみたいにさ——

 アチョーッって拳銃のひとつも蹴り飛ばせないわけ!?


 ……ムチャ言うな。アレは映画じゃ。

 さっきのは、不意打ちだったからいけたんじゃ。手を出す前に銃撃たれたらおしまいじゃ!



 何のための拳法なのだろうか?

 しかし。運命の女神は最後には、二人に味方した。

 刺客は、二人を撃ち殺すことなく、がっくりと膝をついた。

 なぜなら——

 窓の外には、数台のパトカー。

 どうやら警官隊が、相談センターのあるビルを包囲しているらしい。

「犯人に告ぐっ。君は、すでに包囲されているっ。ムダな抵抗はやめて、出てきなさい! お前の飼われている組織は、すでに警察が踏み込んで幹部をみな逮捕した。もう未来はないんだっ」

 刺客は、警官に連行されていった。

 時間にして、一時間半。

「ゆかり間違い」の電話を受けてから、たったそれだけの時間しか経過していなかったが、ゆかりは何十時間も労働したかのような疲労感を覚えた。

 三年分くらいは、寿命が縮まったような気がするのであった。



 その後。

 ゆかりは、なぜギリギリのところで警察が来てくれたのかを知った。

 最初に、電話を受けて保留にしていたあの女子高生。

 間違い電話でプリプリ腹を立て気味だったゆかりが配線をつなぐ場所を間違え、結果どこぞの「ゆかり」と間違い電話をかけてきた男・その後に出た犯罪組織の男との会話が、彼女に筒抜けだったのだ。

「あなたがしゃべったらこちらで気付けるように、音をスピーカーに切り替えていたの。そしたら、何だか普通じゃない会話が始まったでしょ? これは警察に知らせておいたほうがいいかと思って——」

 途中からは、警察もこの会話を傍受して聞いていたらしい。

 組織の本拠地に急行するチーム・そしてゆかりの身の安全を確保するためのチームに分かれて、早い時期から警官隊が動いていたというのだ。

「本当によかった」

 警察でゆかりと対面した命の恩人である少女は、そう言って喜んだ。

 少女は、もう自殺なんか考えていない、という。

「私でも、人の役に立てるって分かった。そして人の役に立つことがどんなにうれしいことなのかも分かったから、私もっと生きてみるね」



 ゆかりは太極軒のオヤジとも仲良くなり、よく出前を頼むようになった。

 不思議なもので、あれ以来間違い電話がきても腹が立たなくなった。

 それどころか、代わりに注文と住所を聞いておいて、それをオヤジに伝える、ということまでやってのけた。

「はいはい。ラーメンふたつにギョーザね。二丁目の佐藤さん、っと。いつも間違い電話あり……じゃないや、毎度ありがとうございます~」

 ゆかりは、そう言って受話器を置く。



 ゆかり違いで電話をかけてきた男とも面会した。

 道雄、と言っていたが、偽名ではなく本当の名前らしい。彼は改心はしていたが、実際に犯罪に手を貸した経緯があるため、一応身柄は拘束された。

 よって、彼との会話は面会室の透明な壁一枚隔てて行われた。

「間違い電話をして、迷惑かけたな」

 例え裁判の結果がどうなっても、刑務所に入ることになっても、必ずまっとうな人間になる——

 道雄は、そう約束してくれた。

 悩み相談を仕事としているゆかりには、本当にうれしいひと時であった。



 道雄との別れ際、ゆかりはちょっとした出来心からこう言ってみた。

「あなたの知り合いだという、本当のゆかりさんに一度会ってみたいわぁ」

 道雄は、事もなげに言った。

「何だったら、会ってみる? 僕の恩人だと言えば、きっと会ってくれるよ。でも、スケジュールのかなり忙しい人だからなぁ。約束取るなら急がないと」



 二日後。

 待ち合わせの場所の、中央公園の入り口。

「ごめんなさい~、待ちました? 初めましてっ」

 その人物は、つけていたサングラスを一瞬だけゆかりの前で外した。

「!!!!?????」

 ゆかりは、喉から心臓が出るほど驚いた。



 ……そ、その「ゆかり」さんだったとは!



 緊張してしまって、何を話そうか頭が真っ白になった。

 来たのは、藍田由香里。

 藍田由香里とは、日本では知らぬ者とてない、彗星のように現れた実力派シンガーである。もともとアイドル路線で売っていたが、歌唱力に力を入れて、本格的に『音楽性重視』に方向性を転向。

 それが大当たりとなった。

 まだ海外での実績はないが、これまで国内トップを走って来た宇多谷ヒカリに肉薄するアルバム売り上げを叩き出していて、今や国民的スターと言ってもよい。

 由香里はだいぶ手の込んだ変装をしてきていたので、とりあえずはバレないだろう。こんな宝くじみたいな『大当たりの偶然』ってあるんだな、とこの時ゆかりは思った。



 二人の『ゆかり』は、その後楽しい一日を過ごした。

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