夕紅とレモン味

御子柴 流歌

切り分けた果実

 諸々の身支度を済ませた部活終わりの疲れた身体に、夕焼けの眩しさが沁みる。

 それは、体育館の時間の割り当ての都合上、たとえ1時間ちょっとしか使えなくても、だ。


 正門からは少し離れたところのあまり人目にはつかない辺りにも、夕日の手は伸びてきている。

 まだまだ新しい校舎の壁やガラスに反射する光も、こちらの方まで届いてきている。

 少しだけスポットライトを浴びた気になって、気分が高揚しそうだった。


 いや。


 テンションが上がっている理由はそれだけではない。


 むしろ、それがイチバンの理由ではない。


 最大の理由は、間違いなくコレ。




 ――ううん。ダメだ、ダメだ。


 そんな言い方、『コレ』なんて言い方は失礼だ。


 やり直し。




 最大の理由は、間違いなくこの


 僕の腕の中にいる、この夕焼けくらいに明るい色をしたエアリーショートが特徴的な、欧州系のハーフと見紛うほどに目鼻立ちのくっきりとした、贔屓目に見なくたって美人な女の子だ。


 しばらく抱きしめて、一度少しだけ体を離す。

 ともすれば無表情にも見えてしまうかもしれない、精密に作り上げられたような雰囲気さえあるその顔は、夕陽色に染められていた。


 思わず、見とれてしまう。


 小学2年のときに家庭の都合で海外に行き、再び帰ってきたのは中1。


 はじめて『好き』を自覚したのは中2の冬。


 付き合うようになってからは3週間くらい。


 今でも、夢なのではないかと思ったりする。


 ああ、これがいい雰囲気と言われるモノか。


 そんなことを考えているうちに、どれくらい見つめてしまっただろうか。


 傍らには、互いのラケットケース。


 校舎の陰に、ふたりだけ。


 全然そんなことはないはずなのに、何だか悪いことをしている気になってしまう。


 ふと気がつけば、彼女は静かに微笑んで顔を、唇を、こちらに近づけてきた。



 ――これは、つまり。そういうことでいいんだよな。


 いい雰囲気だと思ってくれたのは僕だけではなかったらしい。


 ――あ、まずい。僕はどうすればいいのだろう。


 自然と、意図せずに、目を閉じてしまう。


 頭を真っ白にしているうちに、柔らかな感触。


 風の音と、息遣い。


 それしか聞こえなくなったような感覚。


 周り? ――そんなの、もうどうだっていいや。






 何秒くらい経ったのだろうか。


 離れていく、甘い香り。


 僕はどうだろう。制汗スプレーとかはしっかりとしたはずだけど。


 頭の片隅ではきっちりと余韻に浸っているのに、背後では冷静に自分を見下ろしている自分がいるようだった。

 もっと全力で浸れよ、とセルフツッコミをしてしまう。


 またしばらく見つめ合っていると、彼女は微笑んで。



「……ね」



 よく見れば微笑みというよりもほのかな苦笑いのような笑みで、小さく呟いた。


 一瞬何のことかわからなかったが、思い当たる節がないわけではない。

 短髪をかきながら告げてみる。



「レモンミントのタブレット食べてたから……かな」



 何かエチケット的な問題を指摘されたらどうしようかと思っていたが、ひとまずは大丈夫なのだろうか。心配事は尽きない。悲しい性。



「んー、まぁ、そういうことにしておくね」



 すると彼女は何となく呆れたようにため息をついて、少し意味ありげな言い方をする。そういうことじゃなかったのだろうか。でも、それ以外に考えられることはなかった。


 とはいえ、無反応でいるのはよくないだろう。僕が頷くとすぐに微笑んだ。絵になる娘だ。



「でも、嬉しかったから。それだけは勘違いしないでね」


「んー……うん」


「なるほどね」



 どういうことかよくわからないのを、あまりにも丸出しにしたような反応に、彼女も気がついたらしい。小走りで僕の前に出ると、人差し指で僕の口をおさえた。



「よく調べておいて」



 少しばかり挑戦的な顔を見せながら、ひらりと制服のスカートを風に泳がせる。


 そのまま先へと進んでいこうとする彼女を、僕は急ぎ足で追った。








               ◇






 


 一週間後の部活終わり。今日は丁度、付き合い始めて一ヶ月だった。


 この前と同じように夕陽色に染まった校舎は、少し幻想的な雰囲気もあった。


 今度はきっと大丈夫。今こそ、リベンジの時。


 ――その前にとりあえず、ミントをひとつ。



「お待たせっ」



 そんなことを思っていると、丁度よく彼女がやってきた。

 小走りに近付いてくる姿が嬉しい。


 一旦荷物を置くように手振りだけで伝えると、少し怪訝な顔をしながらも言うことを聞いてくれる。

 正面に来たタイミングに合わせて腕を広げて、そのまま彼女を抱き留めた。



「あっ……」



 小さく声が漏れる。

 ちょっと強すぎただろうか。



「……痛かった?」


「ちょっと、びっくりしただけだから」


「そう?」


「今までそんなことしてくれたことなかったじゃない?」


「だって、ほら。……今日で一ヶ月だし」


「……記念日にしか、してくれないってこと?」


「そんなことないよっ」


「……よかった」



 微笑み合う。


 見つめ合う。


 徐々に、吐息が絡み合う。


 距離が縮まって、0ラブになる。


 お互いに目は閉じているはずだけど、見つめ合っているような気分になる。


 一点で触れ合っているはずだけど、全身で感じ合うような雰囲気になる。


 前回よりも、間違いなく濃密な時間だったはずだ。


 身体を離して見た彼女の瞳は、少し潤んでいる様に見えた。


 そのまま彼女は僕の胸に身体を預けてきて、僕はそっと抱きしめることで応えた。

 片方の腕は背中に、もう片方は腰あたりに。彼女の両腕も僕の腰に回った。



「しっかり、調べてきたよ。言われたとおり」


「……そう」



 くぐもった声に聞こえたのは、顔を押しつけているからなのだろうか。



「どう、だったかな」


「それを言わせるつもり?」


「……ごめん」



 意地悪というよりも、何だか道徳的にどうかと思う。


 が、彼女は顔を押しつけたまま首を横に振った。



「少なくとも不充分レモンではなかった、とだけ」


「……ありがとう」


「こちらこそ、ありがとう」



 気遣いの出来る娘だけれど、割とクールに振る舞うことも多い彼女。


 そんな彼女の甘えたような声は今までに聞いたことがない声で、ものすごく心臓が高鳴った。



「でも、こなれてきすぎるのも寂しいかも」


「それ、どういう意味さ」


「なんでもない、忘れて」



 そう言って恥ずかしそうにほのかに笑う。



「キミ以外にキスする相手なんていないけど」


「……ばか」



 腰に回された腕に力がこもった。



「でも、レモンじゃなくなってよかった」


「うん」


「僕は、キミのでありたいから」



 ハッとした顔をして、少しだけ離れて僕を見上げる。



「レモンに掛けたのね」


「調べてたら出てきたんだ。スペインのことわざなんだってね」


「それも一ヶ月記念だから?」


「……そういうことにしておいてよ」


「随分情熱的なのね」


「うん、まぁ……その」



 マズい。

 勢いで言ってしまったものの、ものすごく恥ずかしくなってきた。


 もちろん、その気持ちはあるけれど。



「その……、返事は、いつでもいいから」



 ――って。この言い方じゃ、プロポーズの返事待ち以外の何物でもないじゃないか。


 耐えられない。恥ずかしい。これは、ヤツだ。


 彼女の横をすりぬけるようにして前を歩こうとする。



「……!」



 が、その瞬間。左手をがっちりと握られて、思わず立ち止まる。


 何かを言われるかと思いきや、少しうつむき加減の彼女は、静かに真横に並ぶ。


 手が握り直されて、指が交互に重なる。


 そして――。


 黙ったままでこちらを見て、微笑んだ。


 その顔は夕陽に染まって、夕陽よりも紅い。


 でも、きっと僕は、それ以上に夕紅に染まっているのだろう。




 



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夕紅とレモン味 御子柴 流歌 @ruka_mikoshiba

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