その他の新約聖書の言葉
生き返ったドルカス ~この世界は残酷か、それとも優しいか~
ヤッファにタビタ ―― 訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」―― と呼ばれる婦人の弟子(クリスチャン)がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。
ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。
リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロ(イエスのもと一番弟子)がリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」 と頼んだ。
ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。
ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。
ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。
このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。
新約聖書 使徒言行録 9章36~41節
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この物語の背景には、かつてはイエスを三度否定するなど情けない姿を見せたペトロが、イエスの死後生まれ変わったかのように大活躍する、ということがある。
イエスのごとくに奇跡も起こせるようになった彼が、ドルカスという心美しい婦人を生き返えらせる話になっている。私はこのお話が大好きで、自分でもこの物語に着想を得た小説を書いている。超能力少女が、善良なのに世の理不尽のせいで死んだ女性を、生き返らせる話である。
●『命の代価』 超能力少女・美奈子の事件簿より
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890366897/episodes/1177354054890454781
この物語は、おそらく歴史的事実ではない。
人々の「願い」がこもった創作である。
この人に今死んでほしくない。
生きてればもっと、この人はきっと良いことをする。なのになぜ、この魂を取り去る? 神は一体、何を考えている。
こんな善い行いをする人が、今寿命ではなく病気で死ぬなんて、理不尽だ。
彼女は、生き返ってしかるべきだ——。
もしかしたら全部作り話ではなく、ドルカスという慈善家が実際にいたのかもしれない。
ただ、この人がイエスの元第一弟子のペトロの、しかも主の奇跡の力で生き返ったというところはかなり不透明である。信仰的立場で聖書を信じる分には良いが、一般の方は史実と思わないほうがいい。
恐らく、死んでそのままだっただろう。
ただ、ドルカスが非常に惜しまれつつ亡くなったということと、その当時十字架にかかったイエスを信じる「クリスチャン」と呼ばれるたちが、画期的な活動をし、時には奇跡まで起こして活躍しているという噂とが結びつき、「こうなったらいいのになぁ」という仮定形の願望がこの物語を生んだ。
私はこの物語に触れるにつけ、思うことがある。
●人間て、優しいなぁ。
二元性って、優しいなぁ。
「苦」を基調とした身もふたもない世界だけど、ここだけは優れていると思う。
我々の世界よりもっと次元をまたいで上の世界は、それがない。
ないからこそ、この世界では起きることが起きる。
善人も、愛情深い人も交通事故で死ぬことがあるし、理由もないのに「殺すなら誰でもよかった」という殺人犯に殺されることも起きる。
人間なら、「なんでこの人なの?」と憤る。
自分が神様だったら、この人はまだまだ長生きしてもらう。そう考えるはずだ。で、この殺人犯に代わりに死んでもらう。生きていても迷惑かけるだけだしな~なんて思うことだろう。
でも、あちら(こちらの創造に関わった、かなり上位次元のスタッフ)は、我々にとっては別世界の宇宙人のような別感覚の持ち主だ。可哀想とか、理不尽とか、そういうことが分からない。
だから、「すべての可能性を起こして観察する」という目的を、粛々と行うだけ。
ドルカスという人物がいかに良い人でも、あちらには関係ない。
病気にして人生を終える、というシナリオに興味があるだけであり、この人が死んで可哀想なんていう思考回路はない。それを考えるのは人間だけだ。
●この宇宙で一番愚かなのは人間。
でも、宇宙で一番優しいのもまた人間。
我々が神と呼ぶ創造者も、そのレベルの存在達も、人間のようにはあまり考えない。完全・永遠・絶対という一元性に反逆し、あえてこの幻想世界を創った神「二番手」なら、多少我々を理解もするが、でも「多少」である。所詮、他次元のやつであり、人間界のことは「ひとごと」である。
何かを大事に思い、失われたら泣く。
何としても、守りたいと思う。
「100万回生きたネコ」 なんて絵本は、人間(ヒューマノイド型知的生物)にしか描けない。
ドルカスは、シビアな現実としては医療の行き届ない当時、周囲の願いもむなしく死んだだろう。
しかし、皆の「この人は失うにはあまりに惜しい」という強烈な情的思いが、この物語を紡ぎ出した。そのエネルギーは多くの人の共感を得、新約聖書本文に登場するまでになった。
まさかドルカスは、海辺の片田舎の小さな街で、自分のやったことが二千年後も語り継がれているなど思いもしなかっただろう。二千年後の、東洋の日本人にも名前を知られるなどと考えもしなかっただろう。
もちろん、生き返ることは奇跡だろうが、これもまた「奇跡」と呼べないだろうか? 愚かなこともするけれど、やっぱり人間て素晴らしいと思うのである。
人間だけが、何かを守る。大事にする。失われないために、何でもする。
まだまだ、人間やっててもいいな、と思えるのである。
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