風吹く僕の赤い糸

落合孝介

第1話

 桜咲く道を抜けて、僕は大学生になって、二度目の春を迎えていた。少しだけ長かった休みを挟んでも友人は変わらずに、まるで昨日も会っていたようにおはよう、と声を掛けてくれる。去年一年よりは慣れ親しんだキャンパス、慣れ親しんだ友人、狭苦しいけど楽しい、僕の世界だった。


「あれ、修也しゅうや、髪色変えた?」

「おうよ! 清明あきらは……変わらねぇなぁ」

「まぁね」


 中でも特に去年、仲良くつるんでいた浅井あさい修也は、相変わらず軽いノリで返事をする。その茶色、というよりは金色に近い髪に染まった彼は、人当たりが強くて居心地がいい。

 と、そんな修也が僕の背中にむかって、おはよ、と声を掛ける。振り返った先には、すらりとした手を組んだ、やけにキツそうな雰囲気を身に纏い、黒のスキニーに白シャツ黒カーディガンというまぁなんとも色気のない服装をした女性がいた。


菜々美ななみチャン、今年もよろしくなっ」

「……おはよう。けれど、ちゃんづけはいい加減やめてください」

「はいはーい」


 修也に対して非常に不機嫌そうな受け答えをした、涼風すずかぜ菜々美はそのまま何も言わずに去っていく。

 その立ち去り際にジロリとこちらを睨まれた。怖いよね、なんだろうまるで氷のような鋭い視線は、男どころか誰も寄せ付けないような苛立ちすらも感じるものだった。

 修也がおどけて生理か、なんていうからやめなさいと嗜めておく。無用な怒りは買いたくないです。


「……相変わらずだね」

「なに、幼馴染のヨユーってやつ?」

「いや? 第一、とは高校が一緒なだけだって言ったでしょ?」

「でも近くに住んでたんだろ?」

「そうだけど」


 住んでただけじゃあ幼馴染とは呼ばないと思うよ、とどうでもいい訂正をしてから腕時計を見た。講義が始まるまであと十分足らずというところだった。

 ――全く、今日は購買は諦めようかな。


「……集中できない」

「どうした、恋か?」

「空腹だよ」


 けれどお腹はどうしても減っているようで、朝ご飯を買い損ねたことに対して修也に恨み言を募らせていると、また斜め前から視線を感じた。気付かないフリをしながらも盗み見るように視線を上げると、そこには涼風さんが僕を見ていた。


「アツい視線だなぁ?」

「うるさい」

「やっぱなんかあるんじゃねぇの? それか……恋か?」

「それさっき聞いた」


 恋はいいぞ恋は、とか言い出す修也は無視しておこう。カノジョも浮いた話もないクセに恋愛に浮かれるコイツにアテられたら僕まで単位を落としそうだからね。イヤミのようにそれだけを呟いてやると、修也は甘いな、とか言ってきた。


「……なにさ」

「甘いんだよ清明、俺がいつまでもカノジョなしだと思うなよ?」

「え、違うの?」

「本気で驚いた顔すんじゃねぇ」


 いやだって修也はお世辞にもモテるタイプじゃないじゃん。人当りいいし面白いし同性異性関係なく幅広く交友を持てる僕の自慢の友人だけど、その人当りが災いしたのか、恋愛対象には入れてもらえない残念な男、それがキミの揺るがない認識だと思ってたのに。


「できたの? カノジョ」

「うんにゃ、フリー」

「……さっきの会話の流れはなんだったの?」


 真顔でフリーとか言うなよミスターオールフリー。オールフリーとはバイト先の後輩が修也につけたこっそりつけた渾名わるくちだ。曰く一生カノジョできなさそうだから、らしい。後輩にナメられててかわいそうだと思う、僕は太鼓判を押しといたけど。


「でもな、俺にはアテがあるわけよ」

「ふんふん、また軽率に惚れたの?」

「お前たまにさ、俺に対してひどくないか?」


 知らない? A型は他人に対しては優しいけど親しい人には毒を見せる傾向があるって本で読んだんだけど。

 つまりは信頼してるんだよ、じゃなきゃ軽口なんて叩けるわけないじゃない。でもまぁ恋多き友人の話を聞くのは楽しい。修也は特に喜怒哀楽がハッキリしてるから、表情筋もよく動く。羨ましさすらあるよ。

 そんな話をしながら二年目最初の講義のうち午前の日程はつつがなく終了し、お昼はまた修也の恋愛相談を聞いていた、そんな時。サラリと、まるで春風のような爽やかで、空を見上げたくなるような、そんな涼やかさと温かさの入り混じったような声が背中から聞こえた。


「……あのっ」

「はいはーい、なんか用?」

「あ、えっと……あなたではなくて、ええっと……ごめんなさい」

「なぁ、なんかもうフラれたんだけど」

「残念だね」


 初対面の女の子に対して修也はいっつも軽いノリで対応する。だから余計にモテないと思うんだけどね、という余計な一言は胸の内に留めておくとしよう。

 そして、修也に用事じゃないとするなら僕の来客ということなので、それで、と振り返った。振り返って、僕は口を大きく開けて固まった。

 くりくりの丸くて大きな目、小ぶりな唇、薄く茶色みがかった地毛のボブカット、春色のロングスカートの隙間から白のくるぶし上のレースのついたソックスが見え、白のシャツに黄色のロングカーディガンというかわいらしい恰好をしている。

 その子は、間違いなく僕の知り合いだった。


「え……未央みお?」

「……せんぱい」

「先輩、ってことは一年か?」


 僕は驚きを引きずりながらも疑問に対して肯定を示した。彼女は高校時代、委員会が同じだった一つ下の後輩だった子で、高校卒業以来全く連絡も取り合わずに過ごしてきた。それがまさか、ここに進学してたなんて。


「会いたかった……ここに進学したって聞いた時からずっと……この日を待ってました」

「未央……」

「あ、え、こういう流れなのか、俺を置き去りにしてくのか」


 修也がいやがなんかうるさいけど、僕も、たぶん未央ももう聞こえてすらいなかった。やがてそれが分かったらしい修也は先行ってるぜ、とやさぐれ気味に去っていった。ごめん、あとでなんか奢るよ、マイフレンド。


「あの……お話が、あります」

「……だよね」


 そう、彼女が僕の前に来たってことは、幾ら友人でも聞かせられない話があるんだ。人気のないところ……に連れていくのはもの凄く気が引けるけど、背に腹は代えられない。なんなら手足縛って会話してもいいくらいの覚悟があるよ。


「まずは、久しぶりですね、せんぱい」


 ――だというのに、未央は控えめな微笑みを浮かべてみせた。信頼しきったような笑顔で、ロングスカートと同じ、優しい桜色の頬をした彼女が僕に一歩、近づいてきた。

 空いていた窓から風が吹き込んで、シャンプーなのか、コロンなのかわからないけど甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


「久しぶり……連絡しなくてごめん」

「……本当です。既読無視はひどすぎます」


 眉間にしわが寄って、唇がつんと尖った。それだけで僕はまるで高校時代に戻ったように笑うことができた。恨まれてると思ってたけど、どうやら僕の思い過ごしだったみたい。安堵に胸を撫でおろしていると、未央は今度は眉尻を下げて、悲しそうな顔をした。


「あの……お姉ちゃんから聞いたんですけど、本当、なんですか……?」

「……うん、本当だよ」


 まるで針で貫かれたように胸が痛くなる。もう一年以上経つのに、その痛みを消せないでいる自分の女々しさに少し、腹が立つくらいだ。

 そのくらい、今未央が確認してきたことは僕にとって、抜けないトゲなんだ。


「アイツ、なんか言ってた?」

「……特に。別れた、とだけ」


 まぁ、そんなもんだよね。アイツにとってはその程度の認識ってこと。子どもみたいな、おままごとみたいな恋をして、そして別れた。客観的にはただそれだけなんだ。

 僕と、アイツと、そのアイツの妹である未央のこと。複雑に絡まった赤い糸は、小指どころじゃなくて、身体に、心臓に巻き付いていた。

 ――しっかりと、しっかりと僕を苦しめていた。













  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

風吹く僕の赤い糸 落合孝介 @pstp42137km_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ