EPILOGUE お前に託したぜ、無敵のソーシャルヒーロー

 スピリチュアルケアルームのベッドに腰掛けながら、結城博士が来るのを待っていた。

 ベッドといっても、MRI検査をする装置に似ている。

 頭を置く先端には、ドーナツ型の機械がくっ付いていた。

 結城博士は今、隣の部屋で眠っているツカサを運んでいるだろう。

 待っている間、ノートパソコンで『遺書』をしたためていた。



 これから、俺は……復讐計画を終わらせるために死ぬ。



 全てを終わらせるために、この身を犠牲にする。

 俺の命を、スピリットメタルに変えてもらう。

 ツカサの武器となるのだ。

 そのために、ここまで来た。

 脚の感覚は疾うに消え失せたというのに、ツカサを前にして激痛が走った。

 下半身不随となってから、久方ぶりの痛みだ。

 染みるような痛みで、顔を歪める。



 胸ポケットのスマホが光っていた。

 村雨からのメッセージを知らせている。



【今日で決着をつける。君はそこから、T天閣を見ていてくれ。未来を、龍道川トオルに見てほしい】



 すみません、村雨さん。

 俺は、あなたを裏切ってしまった。

 やっぱり俺は……大倉ツカサのヒーローであり続けたいのです。

 想いを文字に起こして、村雨宛のメッセージを作成した。

 送信して、スマホの電源を落とす。

 このメッセージが、彼の目に映ることはないだろう。

 それでも構わない。

 これが、死ぬ前に伝えられる唯一の手段なのだから。






 時を遡り2035年、四月。

 O阪を離れ、T京都にある二階堂の自宅を訪ねた。

 電子タバコに保存されていたのは、録音データだけではなかった。

 ここの住所もデータ化されていたのだ。

 車椅子でよく来れたものだと、自分で感心している。

 それなりの一軒家がポツンと建っていて、表札に『二階堂ジュウイチ』と記されていた。

 玄関の鍵なんて託されてはいない。

 仕方なく、ピッキングでこじ開けることにした。

 旧式の玄関ドアで良かった。

 錠のシリンダー部分を、細い工具で操作する。

 周りの目はない。

 無事、開錠して、ドアノブを引いた。



 無味無臭で、部屋に物は少ない。

 三上のようにミニマリストだから少ないのではなく、普通に買っていないだけだろう。

 自宅へもあまり帰らないのかもしれない。

 ゴミ箱を覗いても、ごく僅かなゴミのみだ。

 車輪を押して、リビングに入った。

 薄暗い部屋で、夕焼けの光が頼りだ。

 幸い、窓の外は何もなく、日光が直接入ってきてくれる。

 辺りを見渡していると、テーブルの上にタブレット端末が載っていた。



 俺がここまで来たのは、二階堂が残した言葉が原因だ。

 ショッピングモールの屋上で、二階堂が逃げる直前に吐いたセリフ。



『てめぇからも組織からも、逃げ切ってやる。そして、今度こそ殺す』



 自分で言うのもなんだが、その瞬間に俺を殺せばよかったはず。

 俺を殺しても、ボスは許してくれないとも言っていたが、後々厄介なことになるのは目に見えていた。

 それに二階堂の言動、性格から考えて、獲物は絶対に殺すというポリシーを持っている。

 だから、みすみす獲物を逃すのは、奴に相応しくない行動だ。

 それと、あの時の表情だ。

 まるで、覚悟を決めたような顔。

 標的を龍道川トオルから、アンオノマのボスに切り替えたのだと分かった。

 今の状態では殺せないと分かっていながらも、奴は挑んだ。

 そして、俺に託した。

 アンオノマの壊滅を。

 録音された彼の音声を思い出す。



『ったく、家の整理ぐらいさせてくれよ』



 死者から直接、問いただすことはできない。

 だが、あの言葉は俺に向かって発言したのではないだろうか。

 リビングに目を配る。

 誰かが侵入した形跡はない。

 ここは、アンオノマさえも知らない二階堂の隠れ家。

 警察の記録に、奴は実家の住所を書いていた。

 二階堂が死んだ直後、その実家に大火事が発生したというニュースを見た。

 アンオノマの仕業だろう。



 タブレット端末の中身には、アンオノマについての情報が事細かに書き込まれていた。

 二階堂が必死になって調べ尽くしたのだろう。

 そう、奴は獲物を逃す性格ではない。

 何としてでも、ボスを殺してやる。

 タブレットそのものが、そう言い表している。

 データは、数十年以上前から記録されていた。

 そして、一番目立つところに重要な情報が記されていた。

 ボスの居場所だ。






「龍道川くん、やり残したことはもうない?」

「結城博士……」



 結城博士が入ってきたということは、ツカサは車に乗せられたのだな。

 目が少し赤く腫れていて、両頬に涙の筋が見えた。

 俺は膝にのせたノートパソコンを閉じて、スマホと一緒に大きな茶封筒へ放り込む。

 あと、自筆の紙も封入する。

 茶封筒を博士に差し出すと、おそるおそる手に取った。



「これを一週間後、ツカサのもとに届くよう送達してもらえないか」

「わかったわ」



 受け取った茶封筒を隣の机に置く。

 あれがツカサに届けば、もう未練はない。

 アンオノマに関しても、既に手を回してある。

 コネクションを利用して、ICPOの人間にアンオノマの情報を提供した。

 アンオノマは村雨が完成させたウイルスを要求してきた。

 怪しまれないよう、先ほど送信したが、それが使われることはないだろう。

 心中の道連れ相手が、世界最大のハッカー集団なんてな。

 それと……村雨マサムネ。

 ツカサの覚悟で、俺は決心がついた。

 暴走する村雨を止められるのは、ツカサしかいない。

 想いを託して、復讐を終わらせる。



「博士、準備は万端だ。はやく……!」

「…………」



 沈痛な面持ちで頷き、装置の側に移動する。

 結城博士の指先が、人を殺す一歩手前に止まった。

 俺は仰向けに寝て、上をじっと見続けた。

 耳元から、起動音が響いてくる。

 部屋は眠気を誘うような薄暗さになっていった。



「なあ、博士」

「……どうしたの」

「俺って、ツカサのヒーローになれたのだろうか」



 下半身不随だと医者に宣告された日の夜。

 小さい頃からの夢だった、社会のヒーローを諦めた。

 代わりに、ツカサに寄り添うヒーローになってやると決めた。

 孤独が耐えられなかったからだ。

 誰かに頼られたいという気持ちで、いっぱいになった。

 俺の存在意義は、頼ってくれた誰かに応えることだと思っている。

 誰にも頼られなくなった時、それは自身の死を意味すると本気で思った。

 ツカサの側で支えることで、俺は生きてきた。



「どうして、私に訊くの」

「ツカサに身近な人物は、あんたぐらいだ。それに、ツカサに直接訊くのが……怖くてな」



 もし最悪の解答が返ってきたら、俺は天涯孤独の身になるのではないかと恐れた。

 龍道川トオルは、大倉ツカサが全てだった。

 彼女はそれほど悩まず、素直に答える。



「龍道川くんの話を、いつも聞かされていたわ。正直、うんざりするぐらい。でも、語る彼の姿は真に純粋な少年なのよ。大倉くんの素顔が覗けるのは、あなたの話をしている時だけ。龍道川くんが、大倉くんに『ヒーロー』と認められている証拠だと思うわ」

「ヒーロー、だと認められているか。そうか、認められたんだ……ヒーローに」



 目頭が熱くなる。

 子供みたいな夢だが、俺はヒーローになろうとしていた。

 思えばツカサも、村雨と三上も、二階堂も、ヒーローになろうとあがいた。

 アンオノマを壊滅させるヒーロー、アンダイン村のヒーロー。

 みんな、自分のための物語を創ろうとしていたんだ。



 結城博士が、気を紛らわすように話を切り出した。



「ほんの気休めにしかならないと思うけど……スピリットメタルになるというのは『死』ではないの。『意識』と『記憶』と『神秘脳』を吸いだし、特殊な球に幽閉する。それが、スピリットメタルの中身」

「なるほど、スピリットメタルの中で”生きる”ということだな」

「もしかしたら、もう一度……大倉くんに会えるかもしれないわ」



 スピリットメタルで生きるというのは、死と変わりはないと冷静に思ってしまった。

 それでも思わず、微笑んでしまった。

 死後の世界で、ツカサと会う。

 なんというか、変な気分になる。



「ありがとう、結城博士。最後に、良い話が聞けたぜ」

「ふふ……良かったわ」



 彼女は笑顔を取り繕うも、すぐに崩壊して顔を手で覆った。

 すすり泣く声が、手の隙間から漏れてくる。



「博士! さあ! やるんだ!」



 時計の針が物憂げにコツ、コツと音を立てる。

 細い人差し指で涙を拭いて、首を縦に振った。

 それを横目で確認して、俺は眠るように目を閉じた。

 龍道川トオルの物語が終わる。



「……さ、胸に手を当てて。そう、そのまま。ゆっくり呼吸して……体をリラックスさせるの。……その状態を安定させて。いち、に、さん、し……ご……ろく……」







 人影が頬に手をついて、モニターを眺めていた。

 モニターといっても、一つではない。

 無数のモニターが、壁一面を埋め尽くす丸い空間があった。

 モニターには、世界各国の監視カメラが映す映像が流れている。

 他にも、テレビ番組や動画共有サイトの映像もあった。

 モニター画面が放つ光のみが、空間を輝かせている。

 長身の人に光は当たらず、シルエットのみが浮き出ている格好だ。



「ふむ、ソーシャルヒーローが優勢か」



 男はどこかの国の言語で、そう呟いた。

 日本語ではなく、英語でもない。

 消滅危機言語の一種だ。

 慎重な性格の彼は、盗聴を恐れていた。

 だから、翻訳者が少ない言語で呟いたのだ。

 金属の床を歩き、椅子に腰掛ける。

 肘付きに腕を置き、先端の装置を指先で操作した。

 メインのモニター画面が変化する。

 メインモニターの傍らには、スピーカーが設置されている。

 偵察衛星からの映像で、T天閣の中が丸見えだった。

 たとえ屋内でも、透けて見えるという優れた人工衛星だ。

 ちょうど、ソーシャルヒーローが村雨に向けて、デコピンを構えている瞬間が映されている。



「……村雨は負けたが、ウイルスは完成した」



 視線を、机のパソコン画面に移す。

 一件のメッセージが表示されている。

 差出人は村雨マサムネ。

 村雨が改良した人間マルウェアが同封されていた。

 満足している男は歪んだ笑顔で、AQRコードを眺めていた。



 男はアンオノマのボスであり、世界征服を目論んでいた。

 既に優れたハッキング技術と部下で、数十か国を手中に収めている。



「人間マルウェアで、世界を混沌に陥れてやる。この私が世界を支配してやるんだ!」



 意地悪に口角を上げて、全てのモニターに向かって嘲笑し始めた。

 人間が憎くて憎くてたまらないといった笑い声である。

 コンサート会場で歌っているかのように、部屋中に冷笑を響かせる。

 誰も聞いていなくても、彼は勝鬨を歌い続けた。

 熊谷のデザートイーグルによる銃声が、スピーカーを震わせる。

 彼の耳は、祝意を込めた発砲に聞こえた。



 その時、勢いよく扉が開け放たれる。

 男は歌を止め、後ろに振り返った。

 暗闇の中、男の胸を銃のポインターが踊っていた。

 やがて、いくつもの赤い点が全身に付けられた。

 入口から、一人の中年が進入してくる。

 中年男性は、拳銃を突き付ける。



「FBIだ。ようやく、辿り着けたぞ……ゾディアリック・ハッカレギオン。お前を……逮捕する」



 諦観した男はおもむろに跪き、床に膝をつく。

 その後、手錠をかける音がして、村雨を貫くオーラの発射音が響いた。

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SOCIETY ver.5.1 神島しとう @shimei4977

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