EPISODE19 アンオノマ

 自身の病室に帰って、早速パソコンと電子タバコを繋ぐ。

 接続されたことを示すメッセージが表示された。

 エクスプローラーを開き、一つのファイルが現れる。

 それをクリックして、中身を確認してみると音声データが入っていた。

 イヤホンをパソコンに接続し、再生ボタンをクリックする。







 龍道川が追ってくる気配はない。

 注射器の効果は薄れ、徐々に痛みを思い出してくる。

 それでも、二階堂は安心感で満たされていた。

 このまま進めば、逃げ切ることができる。

 奇妙なほど人気のない細い道を歩いていた二階堂だったが、やがてフェンスに阻まれてしまった。

 その先には大きな川が流れているため、飛び込み防止の壁が設置されているのだった。



「くそ、オレの記憶では何もなかったはずだ。……そういえば最近、若者が川に飛び込む動画が流行ったな。行政が設置したのか」



 フェンスに拳を打ち付けた。

 触れたことによって、『立ち入り禁止』の文字が大きくなり、フェンス全体が赤色に変化し警告している。

 仕方ない、引き返すか。

 血に塗れた手で、頭を掻きながら振り返った瞬間、胸と腹に三発の銃弾を受けた。

 銃弾の勢いに負けて、フェンスに背中をぶつける。

 暗闇から、拳銃を構えた男が三人現れ、その後ろには派手な柄のスーツ姿の外国人の男が立っていた。

 金髪が風でなびいている。

 そうか、遂にオレの前に現れたか。

 こんだけ騒ぎを起こせば、来てくれると思ったよ。

 男から発する雰囲気で、懐かしい思い出が蘇った。







 刑事なりたての頃。

 不意に訪れた路地裏で、男が立っていた。

 見るからに、金持ちの服装と装飾だった。

 殺人衝動が抑えきれなかったオレは正義だと信じて、男の首に包丁を突き刺した。

 だが、首に刃が届くことはなかった。

 横から現れた男に、振り下ろした手首を掴まれたからだ。

 スーツ姿でサングラスをかけた男。

 殺されそうだった男は平気な顔を向けてきて、あろうことか二階堂に接近してきたのだ。



「君には暗殺の才能がある。私が雇ってやる」



 流暢な日本語を話しながら、片手で複数枚の写真を掲げている。

 そこには、二階堂が直近で犯した殺人の瞬間が収められていた。

 写真を仕舞い、代わりに小型のスマホを取り出した。

 明らかに日本人ではない男は、二階堂の胸ポケットにスマホをねじ込む。

 そのスマホは、組織からの連絡を受け取るための通信機器だった。

 男たちは去っていき、二階堂は何が起こったのか理解できないまま、包丁を下した。



 一年もすれば、自分の役割をすっかり果たしていた。

 組織の名はアンオノマ、外国人の男が組織のボス。

 二階堂は日本の殺し屋。

 有名企業と国家からの依頼を忠実にこなすだけ。

 慣れというのは恐ろしいもので、気が付いた時には死体の山を築き上げていた。

 昇格もして、警視庁捜査第一課に所属する警部補にまでなっていた。

 仕事は手を抜ける箇所で手を抜いて、わざと嫌われる立ち振る舞いを演じる。

 人付き合いが減るから、中学の時の友人みたいにポロッと自白することもない。

 そして、ある情熱もじわじわと燃え続けていた。

 仕留め損ねたボスを、いつかは殺す。

 奴が現れるのは、オレがしくじった時だろう。

 そう考えていたからこそ、失敗を恐れていなかった。

 いつか、チャンスが訪れるはずだと心待ちにしていた。







 それが今だ。

 拳銃は三丁用意していた。

 龍道川を殺すために二丁、そして……ボスを殺すために一丁。

 死ぬしかないならよ……死ぬ気で殺してやる。

 もとより、相打ち覚悟だ。

 後ろ手でヒップポケットを探りながら、電子タバコに電源を入れて、手で隠す。

 それを、お尻にある小さな溝に差し込んだ。

 上から、近くに落ちていたチラシをそっと被せる。

 幸い、三つの銃口が並んでいようと誰も撃とうとはしなかった。

 辞世の句ぐらい詠ませてやるってか。



「ったく、家の整理ぐらいさせてくれよ。ブラックすぎる職場で、息が詰まる。というわけで、一つ提案があるんだけど」



 そして、ファスナーの開いたレインコートに手を突っ込み、忍ばせていた銃を一気に引き抜いた。



「一緒に死ねよ!」



 拳銃が地面を跳ねる。

 二階堂の手から零れ落ちた物だ。

 脱力していく体は、座る姿勢で前につんのめる。

 猫背になり、頭を立てた両膝の間に突っ込んで、額に開いた穴から血を漏らした。

 ボスは一言も発さず、部下が死体を持ち運び、現場を綺麗に拭き取る。

 皺ひとつないチラシには目も向けず、血の付いたフェンスを持ち上げ、代わりのフェンスを設置する。

 足音だけが響いて、そこはありふれた行き止まりへと変わったのだった。







 イヤホンを外し、ファイルを閉じる。

 これで、二階堂の最期は見届けることができた。

 やり場のない怒りも、少しは晴れただろうか。

 それにしても、二階堂の奴はこれを残して、何を伝えたかったんだ。

 俺に拾われることを祈って、自身の最期を飾ろうとしたのだろうか。

 謝罪の意図を見受けられる内容ではない。

 遺言と考えても、意味が分からない。

 電子タバコを摘まみながら、くるくると回す。

 遺言?



 奴が吐いたセリフで、気になったのは『家の整理』。

 今は既に、警察によって調べ尽くされているはずだ。

 もし、俺たちの敵と二階堂の敵が同じ……アンオノマだとしたら。

 奴らは、国とも繋がっていると聞いた。

 ボランティア員の引き上げが、アンオノマの裏工作か。

 真の元凶は、アンオノマ……。

 いや、妄想が過ぎるな。

 とりあえず、このファイルと電子タバコは処分しておくか。

 ん、音声データのほかに……テキストファイル?

 これは……。







 一月五日の夜。

 息を吸い込むたび、喉を凍てつく痛みに襲われる寒空の中、車椅子で進む。

 村雨から半年ぶりに、メッセージが届いた。

 夜、病院に近い市民公園へ来てほしい、とだけの文言だ。

 三上とも連絡は取っていなかったから、二人は何をしていたのか気がかりだった。

 一度、再開発された公園内には噴水があり、周りをベンチで囲んでいた。

 手近のベンチに腰を下ろし、車椅子を寄せる。

 すると、背後から足音が響いてきた。



「久しぶりだな、龍道川」

「お久しぶりです、村雨さん」



 隣に、コートを着た村雨が座る。

 村雨に目を向けて、様子を確かめる。

 脇にノートパソコンを挟んでいること以外、あまり変わりはなさそうだった。



「すみません、村雨さん。俺の行き過ぎた行動で、計画に支障をきたしてしまって」



 村雨の視線が、脚に集中する。



「不運な事故だ。仕方のないことは、思い出さない方が良い。過去は変えられない」



 脚を見据える瞳の先に、アンダイン村のことを思い出しているような気がした。

 恨み節を声音から感じ取ったからだ。

 抱えていたノートパソコンを、膝の上にのせて開ける。

 それを回して、俺に画面が見えるようにしてくれた。



「君を失ったのは大きい。だが、何者かが私達に支援してくれるみたいなんだ。これだ」



 村雨が指した先に、メールが表示されている。

 差出人は。



「名無しさん……?」

「何者かは分からない。この半年間、私と三上で計画を練っていた。しかし、あまり良い作戦が思い浮かばなくてな。君が考えてくれる作戦に頼りきりだったよ。三上とも、あまり連絡を取らなくなってしまった。そんな折、つい先日、このメールが届いた」

「内容は?」

「君達の活動を支援する。プレゼントを贈ったから、活用してくれ。それで派手に暴れてほしい、と。プレゼント、というのがこれなんだ」



 画面の中央に現れたのは、一つのファイルだった。

 ファイル名は『コンピューターウイルス』。



「開けたんですか」

「ああ、解析もした。だが、こいつはウイルスでもなんでもなかった。このパソコンにも、影響は全くない。ただ、世界中の言語が入り乱れた文章が塊としてあるだけだ」

「暗号でしょうか。見せてくれませんか」



 そう言うと、パソコンを後ろに引いた。



「見ない方がいい。結論から言うと、正体は判明している。暗号などではない」

「本当ですか」

「その文字は、ソースコードだった。それも、コンピューターウイルスのプログラムだ」



 言語の塊が、ソースコード。

 人が理解できるプログラミング言語をソースコードというが、様々な言語の塊がコンピューターウイルス?

 全く意味が分からないのは、当時の村雨と同じだろう。



「答えが分かったのは、酒を飲みながら塊を見つめていた時だ。まるで文字の大群が、一つの手のようになって、眼に侵入してくる幻覚が見えた。そのまま、脳を触られそうになったところで、我に返って瞼を閉じた。一瞬だけだったが、身体中の活力が溢れるような気分に襲われた。それで、あの話を思い出した」

「村の病を、AIがコンピューターウイルスに似ていると答えた話ですか」

「それだ。つまりこれは、人体へのコンピューターウイルスなんだ。脳を騙して、細胞を超活性化させる」



 口角を上げているが、瞳は笑っていない。

 悪意が籠った笑みだ。



「これは利用できると考えたが、弱点が多かった。まず、このソースコードの塊では効力が弱いのだ。これは、ある種の錯覚を利用している。ずっと見つめていないと、効果が発揮しないのだ。だから、一瞬で情報を読み取れるものにしなければならない。次に細胞の超活性化についても、ごく短時間でしか発揮されない。付け加えて、脳に超負荷をかけるから、考えて行動することができない。これらを克服するために、三上と考えたのがARを活用したQRコードだ」

「ARとQRコードの融合ですか。信じられない技術ですね」

「防衛装備庁で一時期、開発が進められていたAQRコードの技術だ。戦場に設置し、敵が装備している拡張現実グラスへ強制的に読み取らせて混乱させる技術が、このAQRコードだった。だが、この開発は予算を増やすためのものだ。研究者がある程度、開発を進めて、それらしくしたところで終了した。未完成の開発技術だが、防衛装備庁にハッキングして入手し、俺と三上で完成させた」



 キーボードを入力して、こちらに画面を向ける。

 そこには、よく見かけるQRコードが表示されていた。

 でも、これを見つめたら。

 そう思って、目を逸らしたが、どうやら杞憂だったようだ。



「大丈夫だ。見ても、効果はないに等しい。これでも、最大の弱点が克服されていない。それが、脳に情報を一気に読み込ませる手段だ。こればかりは、人体の方をどうにかしないといけない。方法の一つが、泥酔状態だ。飲酒で酔っ払った者は意識が薄れた状態になり、AQRコードを直視させると効果が発揮する。その際、スマートフォンで読み取らせる必要がある。肝心のARが表示されないからな。読み取らせることに成功すれば、人体を怪人化させることができるはずだ。今度、ニュースを楽しみにしてほしい」



 村雨はパソコンを閉じて、立ち上がった。



「君を失ったことで不足した部分は、このウイルスで補う。ようやく、復讐計画が動き始める。これで鷲尾ユリハを追い詰める。追い詰めて、知っていることを全て吐いてもらう。村を滅ぼした報いを、受けてもらう」



 手を握り締め、村雨は覚悟を宿した。

 その瞳はこれまでの村雨とは異なり、狂気に包まれたドス黒さを感じ取る。

 まるで、凶暴な悪霊に取り憑かれているような雰囲気だ。

 俺の視界では、街灯の光から村雨の頭が外れ、シルエットだけが見えている。



「龍道川に頼みがある。おそらく、復讐計画を成し遂げた時には、三上も私もいなくなっているはずだ」

「犠牲なくして、勝利なし……とでも言いたいんですか」

「その通りだ」



 怒りを込めた質問に、即答だ。

 よほどの決意が、彼を動かしている。



「だから、地獄にいる私たちの代わりに、結末を見届けてほしい。それで、この計画は成功する。既に、計画は動き始めている。三上はあの闇医者のところで、私そっくりに整形してもらった。何かあった時のためにだ」



 三上は、俺を救った闇医者に整形されたのか。

 顔を失い、村雨マサムネとして生きるというのは、相当な覚悟が必要だ。

 自分を失うという意味で、自殺と同じだ。

 村雨は芝居がかった言動で、嬉々として語っていた。



「それから、テロも起こすつもりだ。ウイルスの実験に必要だ。それに、首相には思い出してもらわなければ。テロに、メッセージを込めなければな。海外支援打ち切りに関わった人物を殺すか。私は表から攻め……」



 一言一言発するたびに、村雨が放つ殺気が高まっている気がする。

 ゆっくりと、こちらに振り返った。



「君が裏から攻める。龍道川、共に戦ってくれ。無念を晴らすのだ」



 暗闇から手が伸びてくる。

 握手を求める形をした手だ。

 俺は村雨の話を聴いて、たくさんの疑問が生まれ、消滅した。

 名無しさん、というのはアンオノマだ。

 そのウイルスは、村を滅ぼしたウイルスが由来ではないか。

 偶然にしては出来すぎている。

 村雨も、頭の隅で気付いているはずだ。

 なのに、気付かない振りをしている。

 疑問が疑問を呼んだ。

 しかし、村の子供たちのことを想うと、何もかもが消えていった。

 病室に飾っていた写真立てを、今は胸ポケットに抱えている。

 お守り代わりだ。

 俺は優しすぎたせいか、ボランティアの思い出が脳裏に浮かんで、涙が顔を濡らす。

 噴水のせせらぎが聞こえるほど、静かな沈黙が流れ。

 俺は……その手を握った。



「戦いましょう、復讐のために」







 運命は残酷だ。

 未来を知っていれば、この手を握ることはなかったというのに。

 俺たちの敵が、大倉ツカサだと知っていれば。

 愛する親友だと知っていれば。

 知っていれば。

 しっていれば。

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