EPISODE18 龍道川トオル

 八月も終わりを迎え始めた頃。

 警視庁を辞職し、今はSNSで活動している。

 海外ボランティアの真実を訴えるためのアカウントを育てているのだ。

 あれからすっかり入院生活にも慣れ、用意された病院食は気が付いたら食べ終わっていた。

 ベッドの横にあるボタンを押すと、隣に簡易洗面台が現れる。

 朝食後は時間をおいて、歯磨きをそこでしていた。

 終わったら、洗面台を戻して、窓の外を眺める。

 外と言っても、ベッドに寝転がっていては青空しか見えない。

 それでもじっと眺めて、冷静さを保ち続けた。



 重度の下半身不随は、脊髄損傷からきている。

 現代の医学を以てしても、治療することは困難だそうだ。

 特に、俺の場合は治療はおろか、指一本触れてはいけない体になってしまっているらしい。

 その事実が伝えられたのは先週。

 いきなり、病室へずかずかと突入してきた女性に告げられたのだ。



「昨日、龍道川トオルという名前を聞いたのよ。まさか、あの後、交通事故に遭っていたなんてね」

「あ、あなたは」



 白衣を纏い、ボタンは上まで留められている。

 長い髪の若い女性だが、艶やかな声音を発していた。

 二階堂を追っている道中で助けてくれた女性だ。

 名札を見ると、結城ヒロコと書かれている。

 脳科学に関する本で、たびたび名前を目撃していた。

 世界中で名を轟かせている脳科学の権威だ。

 まさか、あの時の女性が著名人だったとは。

 驚きで、目を見開いてしまう。



「君の担当医師に話を聴いたわ。脊髄の損傷による下半身の麻痺。加えて、脳の大半が機能停止。レントゲン写真とかも詳しく観察したけど……治療の見込み、ゼロね」

「結城博士は、脳科学の権威なんでしょ。脊髄と脳は何かしらの関わりがあるはずだ。脳科学からのアプローチはできないのか」

「手術をすれば、可能性はあるわ」

「!? なら!」



 藁にも縋る気持ちで、彼女に泣きついた。

 刑事を辞めてしまったが、もう一度復帰したいのだ。

 しかし、悲し気に首を振られた。



「手術が不可能な体になってしまっているの。例えると、君の中身は時限爆弾。しかも、数百色のコードが絡まっていて、一回でも間違った線を切れば爆発する厄介物。ヒントなんてない。だいたい、今の状態で君が生きていること自体、奇跡よ。脳がほとんど死んでいるのに、下半身だけが動かなくなるってありえないと言いたいの」



 つまり、手術などすれば生き返るどころか、死に直結するということだ。

 生きているだけで奇跡。

 人を励ますような文章でも、俺に投げかけられた言葉は皮肉だ。

 顔を俯けて、低い声量で呟く。



「もう治らないのか。ヒーローに成り損ねたってわけかよ、くそッ、くそ……」



 布団に拳を打ち付け、涙が零れ落ちる。

 ヒーローになりたかったんだ、俺は。

 それこそが、俺の求める道で……俺の居場所なんだ。

 だけど、交通事故によって道は閉ざされた。

 結城博士の言葉で、居場所も失った。

 絶望ばかりが、体内を塗り染めていく。



「リハビリで少しはマシになるでしょうけど……せいぜい、精神的ダメージの回復ぐらいはなると思うわ。何かあったら、連絡ちょうだい。それじゃあ」



 申し訳なさそうな声と共に、扉を開けて去っていった。

 彼女に縋ったところで、希望なんて見いだせないだろう。

 仕方がないと割り切って、諦めることにした。

 この頃、気持ちは落ち着いてきたみたいだ。

 自分でも理解できるほど、情緒は安定している。

 この間までは下半身が視界に入るたびに、憂鬱な情が溢れて、悲惨な過去ばかりを思い出していたというのに。

 酷い時は、嗚咽が止まらなくなるほどだ。

 今もまた、想起する後悔が浮かび上がり、自分を責め続ける。

 でも、すぐに落ち着いた。

 もう……諦めようか。







「トオル兄! 起きてる?」



 空を眺め続けたことでぼうっとしていた意識が呼び起こされる。

 はっとなって、右に視線を向けると、ツカサが笑っていた。

 冷たいデザインの丸椅子に、ツカサが学生鞄を抱いて座っている。

 いつの間にか、空は赤く染まっていた。



「おーい、トオル兄ー」

「ああ、起きてるよ。もう、学校が終わったのか」



 二階堂との最終決戦の後、結城博士は二階堂の車に幽閉されていたツカサを助け出してくれた。

 強力な睡眠薬が使われたようで、攫われた前後の記憶が全くないらしい。

 助け出された後も意識がなかったようで、警察の聴取もすぐに終わった。

 後日、俺が轢かれたとの知らせを聞いたツカサが、いの一番に病室を訪ねてくれた。

 入院から二日後のことだ。

 それが俺にとって、唯一の希望でもあった。

 ツカサの前では、たとえ手負いでも笑って元気な様子を見せた。

 空元気でしかなかったはずが、ツカサと話すたびに本当の元気を得られた。

 ツカサに、俺の弱った部分を見られたくない。

 だから、ヒーローを気取っている。

 ヒーローに成れなかったが、せめてツカサを支えてやる存在になりたい。

 そう心に決めたのだった。



「トオル兄……話があるんだ」

「どうした? 言ってみろ」



 笑顔を取り繕って、ツカサに尋ねた。

 良くない報告だとしても、しっかりと受け止めて、アドバイスしてやりたい。

 ツカサは重々しい雰囲気をつくって、ようやく口を開いた。



「実は……大学進学を諦めようって思ってる」

「なっ、なんだって」



 何を言っているんだと叱りたくなったが、ぐっと堪えて言葉を飲み込んだ。

 あんなに勉強したのに、大学を諦めるなんて。

 ツカサが諦める動機は、たぶん俺のせいだ。



「俺……トオル兄を守りたいんだよ! 励ましたいんだよ! 入院費もかかるんだろ。高校卒業したら、すぐに働くよ」

「バカやろう、お前の道に俺を歩かせるなよ! 何のための勉強だったんだ? お前の夢を叶えるための勉強だっただろ。大学に行って、教師になりたいんじゃないのかよ。人の夢を支えたい、って言っていたじゃねぇか」

「でも、お金が」



 ツカサの腕を握り締める。

 2024年に就職基本法が制定されたおかげで、ブラック企業は減った。

 ただ、大学卒業で授与される学位がなければ、まともな職業に就労できないのだ。

 まともな就職で、なおかつ最短で、というのなら短期大学士を得ることだろう。

 最短一年で卒業して、就職できる。

 だが、ツカサの目指す教師は、四年制大学の教育学部を卒業して授与される学士(教育学)が必要である。

 俺のことを考えてくれるのはありがたい。

 だが、俺のせいで夢を諦めることだけは許せない。



「心配するな。貯金はあるし、稼ぐ手段ならいくらでもある。俺なんか放っておけ。人生は戻ることができない。迷っても、前にしか進めないってことだ。俺を見ろ。俺みたいになるな」



 布団を剥いで、パジャマを身につけた脚を見せつける。

 戒めとして、動かない下半身を見せたのだ。

 自分でも見るに堪えがたい脚だが、ツカサを変えるために見せつけてやるのだ。

 それでも、ツカサは意見を変えなかった。



「俺のことを親友って言ってくれて、いつも助けてくれた。だから、恩返しがしたいんだよ!」

「親友だろうが、結局他人だ。お前の気持ちは嬉しいが、決断には賛成できない。俺から言えるのは、それぐらいだ」



 本当はもっと言いたいことがあった。

 だが、これ以上、ツカサの選択を揺るがしたくはなかった。

 これは、ツカサの道なんだ。

 ごちゃごちゃ言ったら、ツカサに申し訳ない。

 余計な邪魔をすることになると思って、俺は手を引いた。



「時間はあるんだ。だから……慎重に答えを出せ。俺は、やったことで取り返しのつかない結果になった。行動するのは良いが、選択を誤らないでくれ。未来の自分は、今の自分だ。未来の自分に、負担をかけないようにな」

「トオル兄……ごめん」



 いつもなら、一時間近く話しているはずが、今日だけは短かった。

 ツカサは手を振って、出ていった。

 顔は笑っていたが、その背中は悲哀を背負っていた。

 ツカサなりに、俺を励ます手段を考えてきてくれたのだろう。

 だけど、ツカサの行く道に俺は連れていけないんだ。

 それよりもツカサが、俺を励ましたい、か。

 空元気も結局、見破られてんじゃねぇか。







 テレビに電源を入れると、O阪市ショッピングモール殺傷事件のニュースが報じられていた。

 スマホのニュースアプリでも、C葉県で男性の死体が発見された記事と同時に並んでいる。

 入院して、しばらくした後、刑事が俺を訪ねてきた。

 監視カメラに、銃撃犯を追う俺が映っていたからだ。

 病室に進入してきた刑事二人に、ブレスレットデバイスを見せつけた。



「二階堂警部補が、NewTuber連続殺人事件の加害者であり、C葉県の男性を殺したのも、今回の殺傷事件を起こしたのも彼です。その証拠に、彼が自白した音声を持っています」



 デバイスの側面をなぞると、二階堂の声が流れた。



〈二階堂ジュウイチこそ、NewTuber連続殺人事件の真犯人であり、小林ヨシノリを殺した加害者だ〉



 それを聴いた刑事は、唸るような声を漏らした。

 余計な捜査をしなくて済んでラッキー、というニヤケ顔だ。

 適当な言い訳を並べて、音声はここだけしかないという旨を伝える。

 つまりデバイスには、都合のいい部分だけを切り取った音声しか残っていない。

 すっからかんのデバイスを手渡して、村雨と三上のことも話しておいた。

 詮索されないよう、作り話と事実を練り込んで真相を仕上げた。

 刑事も納得してくれたみたいで、村雨と三上についてはお咎めなしだった。



 二階堂が、企業の殺し屋であることは伝えなかった。

 伝えてしまうと、すぐに捜査打ち切りとなるだろう。

 秘匿しておきたい大企業と国の立場なら、警察を止めるはずだ。

 それに、俺も殺されかねない。

 生き抜くことができた命を粗末にしたくはない。

 この命で、ツカサの助けになりたい。

 そして、復讐計画に役立てることもできるはずだ。

 だから、なんとしてでも死ぬわけにはいかない。



 刑事が立ち去ってから、二日後。

 O阪府警察と警視庁は連携して、行方知れずの二階堂を捜査し始めたそうだ。

 警察は築いた威信を失墜させたくない。

 職業を伏せた状態で、全国に指名手配した。

 しかし、一か月が過ぎようとしても、逮捕されることはなかった。

 目撃情報すらなく、二階堂は幻のように消えた存在となった。

 おそらく、奴が言っていたアンオノマとかいう組織に始末されたのだろう。



 ふと思い立って、医師に外出許可を求めた。

 申請は通り、用意された車椅子で交通事故の現場に向かった。

 公共交通機関を活用して、俺が挫折した道路に到着する。

 右に顔を向けると、交通事故の瞬間が眼前に浮かぶ。

 俺を轢いた連中は逮捕されたと耳にした。



 二階堂が逃げた先は、両側を古びた建物で挟んだ人気のない通路。

 奥へ奥へと突き進むと、水の流れる音が響いてくる。

 やがて、行き止まりに詰まった。

 『立ち入り禁止』の文字が浮き出たフェンスによって行く手は塞がれており、その先はO阪湾へ続く川が流れている。

 吹きさらしの道に、人工島夢洲と幻想洲を紹介するチラシが落ちていた。

 地域経済・観光経済活性化のために開発が進んでいる夢洲と、新たに建設された人工島幻想洲。

 統合型滞在リゾートが整備され、万博の影響もあってか世界中から観光客が訪れていた。

 高規格コンテナターミナルもあり、国際物流の拠点としても大活躍している。

 そうした謳い文句が記されたチラシに手を伸ばそうとした途端、風で飛ばされていった。

 風に舞っているチラシを目で追っていくと空高くまで飛ばされ、あっという間に建物の陰へ隠れた。



 手を引っ込めようとした時、視界の隅で鈍い光を反射する筒を捉える。

 さっきまでチラシがあった所に、小さな排水口が隠されていた。

 小さな筒は、排水口の奥に差し込む形で置かれていた。

 目を凝らさなければ、小さな筒状の黒い物体は見えないだろう。

 車椅子を近づけて、それを拾い上げる。



「これって」



 凝固した血液が付着している電子タバコだった。

 黒い電子タバコといえば、二階堂の持ち物だ。

 もしかして、ここで殺されたのだろうか。

 殺されたとは限らないが、そんな予感が電子タバコから連想された。



 何気なく、フェンスを眺めた。

 『立ち入り禁止』という字が、空中に投影されている。

 網目はなく、透明な壁を思わせる温かみのないデザインだ。

 フェンスの真下に小さな隙間があり、そこに手を滑り込ませ、触れた突起を押す。

 本来、業者だけが持っている専用の端末と接続するためのボタンである。

 取り出したスマホの画面を操作して、ハッキングアプリを起動した。

 村雨が開発したハッキングアプリケーションだ。

 フェンスをハッキングして、起動が記録されているログを確認する。

 思った通り、交通事故に巻き込まれたあの日、フェンスがここに設置された。

 二階堂の血痕が付いたフェンスと、今置かれているフェンスとを交換したのだ。

 専門の道具を使えば、二階堂が殺された証拠を見つけ出すことも可能だと思う。



「ん、なんだこれ」



 電子タバコを持っている指先に、何かチクッとする凹みが当たっている。

 裏向けると、USB端子を挿す受け口があった。

 もしかして、この電子タバコ……スパイグッズだろうか。

 これ以上、ここに長居しても無駄だと思い、車椅子を引き返した。

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