夏の泡沫
ミロク
夏の泡沫
宿題を諦め、潔く寝る道を偉大なる覚悟を持って選んだはずだった。
ところが訪れたのは終わらない教師との戦争が始まる明日ではなく、ただ青い世界。
景色で唯一違うところがあるとすれば、僕の真上にある太陽だけだった。
(………。)
夢と言うにはあまりにクリアで幻想的すぎる世界に僕が理解したことといえば狭い部屋のベッドではない何処かにいる事ぐらいだ。
どうするわけでもなく、ただ漠然と突っ立っていると『待っていたよ。』と突如頭の中に声が響いた。
『聞こえてるかな?大丈夫だよね?』
再び声がする。ぐわんぐわんと響くわけではない。すぅっと身体に浸透するようなその声は何処かで聞いた鈴のような、落ち着く音だった。
驚き周りを見渡すが、誰もいない。
『そうか、見えていないんだよね…これでいいかな?』
三度のかけられた声とともに、何も無かった空間にまるで今までいたかのように少女が立っていた。
小さな身体と風邪もないのにたなびく真っ白な髪の毛。
何よりも特徴的なのは周りの青空以上に強く美しい蒼い瞳だった。
『この姿で大丈夫なのかな?』
首を傾げるようにして聞かれたが、目の蒼に意識を奪われている僕の口から言葉を出すことは出来なかった。
(人間の女の子……なのかな?)
普段ゲームでしか見たことが無いようなフォルムにそれぐらいしか頭に浮かばない。
『フォルムはね。その方が君と話しやすいと思ったんだよ。好きそうだと思ってね。』
突如返答が頭の中に返ってきて焦った。
『考えていることはわかるから声にしなくていいよ。なんせ私は神様だからね。』
(神様…?)
「そう、君たちの世界で言うところの神様。厳密に言えば夏を司る神様だよ。」
(神様…本当に神だというのか。というか本当に存在したのか…夢じゃないのか?これ。)
脳を読まれてることを忘れて思わずそう思ってしまった。
『せっかく呼んであげたというのに失礼だねー。…まぁでも無理もないか。』
それはそうだ。なんなら焦ってない僕を褒めて欲しい。
(なんで呼んだのですか?)
今度は意識して聞いた。
「今年の夏が終わるからだよ。君を選んだのは偶然さ。」
今度は目の前の女の子が急に喋り出した。
「こっちの方が良いね。」
と言って笑う姿は僕が日常で見る女の子そのままだった。
そして女の子は僕に背を向けて歩み出す。
「着いてきて。」
道はないけれど、果ても見えないけど、少しづつ距離は離れていた。
ようやく動けるようになった僕は無言で後に続いた。
すると少し歩いた先に、泉のような円形のものが見えた。カラフルな泡を出している。
赤色、青色、黄色、緑色に橙色に紫色…あれは何色だろうか?知らない色もあった。
「近寄って見てみなよ。」と言われたので寄ってみると、意外と色が薄く中で何か黒っぽいものが渦巻いているのが見えた。
手を伸ばしてみると、触れた瞬間に泡はパチンと割れて中から出た黒い何かが空に溶けるようにして消えていった。
「あんまり壊しちゃダメだよ。それを永久に覚えてられるのは私だけだから。」
(覚える?)
「そう、覚えるの。」
僕の横で少女はどこまでも出てくる泡を見つめていた。
「この泡は世界中のみんながこの夏過ごしてきた記憶のカケラたち。楽しいこと、悲しいこと…全ての記憶がここから無限に出てくるの。」
(無限に……それらを一人で全部覚えるの?)
「そうだよ。私はこの夏の管理者としてここで一緒に眠るの。」
(永遠に一人ぼっちで寂しくないの?)
「寂しくなんてないよ。そもそも感情なんてないんだから」
少女は可笑しそうに笑った。
「この子達は私だけが永久に忘れない…
それがこの夏の神様である私の仕事なの。」
呟く少女は何処かに悲しそうにも見えるが、目の輝きは少しも変わらなかった。
どこまでも青く蒼い、美しい瞳。
(………。)
「誰かに見てもらいたかったんだ。君たちはいずれ死んじゃうから覚えていれないってわかってるけど…それでもなんとなく、ね。」
僕と少女の姿をした夏の神様だけの空間に初めて風が吹いたような気がした。
気がつけば随分と離れたところに少女はいた。
いや、違う。泡のでる穴は向こうにあるから離れたのは多分僕の方だろうか。
「そろそろ時間かな…もう君も帰らないとだね。」
少女が言うと急に周りの青い世界が歪み出した。
(ま…待ってよ…!)
この時間が終わる。つまり、〝夏〟が終わる。
僕とのこの時間を最後に、あの人は永遠に一人ぼっちになってしまうのか。
神様だから感情なんてものはないと言っていたを聞いたにも関わらずそんなことを思った。
にわかには信じれないことばかりだったけれど、どうせ呼ばれたんなら言いたいことがあった。
伝えなくちゃいけない気がした。
「楽しい夏を、ありがとう!」
世界が崩れる中聞こえてるかわからなかったけど、ほんの少しだけ笑ってた気がした。
————————————————————
目が覚めると、そこはいつもの部屋だった。
時計は9月1日0時00分を指している。夏休みという視点での夏は終わった。
世界はまたいつも通りに動き出す。
僕にこの夏はもう二度と来ない。
この世に8月32日は存在しないのだから。
(………)
僕はベッドから下り、カバンの中から真っ白な宿題を取り出してやり始めた。
噛み締めるように、丁寧に丁寧に。
窓にある風鈴が、チリンと鳴った。
夏の泡沫 ミロク @Sky-hand-dantyo
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