最終話 アライブ

 急な風が体に吹き付けて、サトルは目を細めた。

 空はどこまでも揺るぎのない透き通る青。

 雲の存在はこの目では捉えることができないまま。

 ただ、黙って久しぶりに訪れた学校の校庭前に立ち尽くした。空はあまりに広く、誰もいない校庭は灼熱。それでも隅に生息する名もない草木は涼しげに風を運ぶ。


 心のどこかにまだ疼く罪悪感。

 泣き顔を垣間見た、鷲尾の姿。


「……髪、伸びたな」


 入学してからの己が走馬灯のように脳裏にちらつく。

 人が怖いから遠ざけた。傷つくのが怖いから遠ざけた人たちの傷にも気付かず、何も持たないこの手は簡単に人を傷つけることができるのだと知って。

 怯えた爪先の先で誰かが泣くのだと知って。

 サトルは静かに己の呼吸を風の中で聞く。


 これから己の足はどこへと向かい歩くのか。

 わかりもしないことだけれど。

 未来を想像するのはきっと悪いことじゃない。

 きっと幸せばかりじゃない。

 辛く泣く日もこの先にはある。

 それでも、

 未来に生きる事をサトルは遥か遠い空へと望んだ。


「……こんなトコにいやがった」


 後方から聞こえた声にサトルはゆっくりと振り返り、笑って見せる。

「オクさん」

「どっかに行くなら行くって言え。探した」

 涼しげな顔に汗が滲んで。

 奥崎は気だるげに校庭の芝生へとしゃがみこんだ。

 手には棒アイス。

「夏休み中の学校って何かいつもと違うよな。何か……新鮮? っていうか」

「あー、誰もいないからじゃねぇの……? つか暑ぃ。寮に戻ろうぜ。ここじゃタバコ吸うのも気が気じゃねえ」

「タバコ吸うんだもんな。いつから吸ってんの?」

「中学」

「マジで?」

「あぁ。お前にも悲惨な中学時代があったように俺にもあったんだよ、悲惨な中学時代が」

「悲惨だったのかよ」

「あー……悲惨じゃね? 神崎がよく知ってるよ、俺の中学時代」

「そういえば二人とも中学一緒だったんだよな。なんかいいな、見てみたい。写真とかねえの?」

「ある」

「マジ? 見たい」

「俺はかまわねえけど……ってそういやゴリラお前に謝りたいとかなんかほざいてたぞ」

「謝る?」

「ああ、何かあったのか?」

 シノブの話にサトルは顔を顰めてしばらく考えるも思い当たる節もなく首を横へと緩く振った。その反応に奥崎は鼻先で笑い飛ばすと溶けかかったアイスを口へと頬張り、サトルへと手を伸ばす。

「もう限界。シャワー浴びてぇ。ほら、手」

 差し出された大きな、手。サトルは思わず動揺して、顔を紅潮させるもすぐに奥崎へと背を向けた。

「……なんか、そういうの恥ずかしい」

「お前……今更だろ。体は曝しても手は繋げないって逆にどういう事だよ」

 あからさまな奥崎の言葉にサトルは思わず振り向いて口元を震わせた。

「ちょ……! そういう発言、何か嫌だ!」

「何かイヤダって何がだよ。いいだけお互い気持ち良くなった仲だろうが。今ただ手を繋ごうとしただけだろ。それとも何か? 明るいところが嫌なのかよ」

「……オクさんってさ」

「何?」

「結構、意地が悪いよな」

「そういうところもあるから気をつけろよ」

 穏やかに奥崎は話すとサトルの腕を捕らえて、さっさと校舎側の日陰へと引っ張って歩く。


 日蔭に入って、日差しがどれだけ熱を持っていたのか、 ようやく理解して。

 サトルは先を歩く奥崎の背を見つめた。

 どこか重なる鷲尾の背中。

 まだ閉じていない傷口が少し疼いて。

 サトルは口を結ぶと少し俯いた。


「もう、大丈夫か」


 ふいに聞こえた背中越しの奥崎の声。

 サトルは小さく声を漏らしてから顔を上げた。

「……うん」

「そうか」

 歩く足音と重なって鳴り出す心臓の音。

 それは重複した鼓動を奏でるようで。

 手から伝わる奥崎の鼓動にサトルは気付いた。

 どこか、己と似た、音。

 鷲尾にも感じた、重なる感情。

「……この前鷲尾と会って。まあ、会う前に調べてた間から……だな」

 話し出す奥崎の声にサトルは黙ったまま前を歩く背を見つめた。

「正直、鷲尾に同情した部分があってな」

「…………うん」

「時と場所さえ違ったら、今でもお前の傍にあいつがいたとしてもおかしいことじゃあなかったと思った」

「オク、さん」

「……ま、それも過去の話だ。この場を鷲尾に譲る気はねえがな。俺にも、悲惨な中学時代、他人に善意で置き去りにされた覚えがある……」

「え」

 サトルが驚くと、嘘とも本当とも付かない笑みで奥崎は肩を竦めて。

「……神崎ゴリラさんと鷲尾の事もひっくるめて、俺はお前を笑わせなきゃならねえな」

 そう言って少し振り返った奥崎の顔。

 少し笑って見せたその顔があまりにも大人びていて。

 サトルはまた顔を紅潮させた。

「お前、日焼けしたんじゃねえの? 夏休みだっつうのに学校に来るなんざ優等生もいいトコだ」

「日焼け? した、かな」

「顔、真っ赤だぞ。何でか知らねえが」

 突き刺さってくる奥崎の言葉にサトルは内心落ち着かなくなった。日陰から道路に面した灼熱の日向へと出て、寮への方向へと足を運ぶ。

 奥崎が話した鷲尾の事。

 サトルは少し泣きたくなった。


「マツ!」


 突然の大声にサトルは驚いて奥崎の肩越しから寮門前へと視線を向けた。そこには不安げな顔をしてこちらを見つめているシノブの姿。サトルは口を少し開けて緩く笑ってから繋いでいる手と反対側の手でシノブへと手を振った。

「神崎」

「どこ行ってたんだよ。マジ焦ったから」

「あ、なんか……ごめん。みんな探してたんだな」

 反省した様子でサトルは困ったように苦笑を浮かべながら小さく頭を下げた。

 少し肌が赤く染まったシノブの腕が自分へと伸びて。

 シノブの手が奥崎と繋がった手を簡単に解いた。

 それへと無表情で対応する奥崎。

「……無事ならいいんだよ。無事ならな。またなんかあったのかと思っただけだ」

「大丈夫。ちゃんと全部終わったよ。俺だけの力じゃ全然ないけど……本当にちゃんと終わらせてきたからもう、大丈夫なんだ」

「そうか? 俺はお前の力に結局なれなかったと思って。口ばっかりのヤツなんだよ、俺は。守るとか言って、全然……」

「神崎が自分を責める必要なんかねえから。神崎の気持ち、マジ感謝してるからさ。って、照れくせえ」

 言葉を濁しながらサトルが苦笑を浮かべたまま恥ずかしそうに話す。

 シノブの目には。

 いつの間にか大粒の涙。

 その突然の涙にサトルも、平然を保っていた奥崎も目を丸くして驚愕する。

「どうした? ゴリラ」

「か、神崎。涙出てる、よ」

「うるせえな! ほっとしたんだ! んでもって自分が不甲斐無えだけだ! あーくそー! 自分に腹立つ」

 苛立った表情に流れる涙。

 サトルは驚きを沈めることができず混乱しそうな頭を必死に冷静に保とうとして。

 傍にいた奥崎が急に吹き出して笑った。

「笑うな! てめえの前でなんか絶対泣きたくなかったのによ!! この大仏!」

「不甲斐無い、ねえ。マツ奪還はちゃんとやったぜ? お前に言われた通り。なにも泣かなくてもいいんじゃねえの? てめえは親か」

「五月蝿えなぁ……不甲斐無えのは俺個人の問題だ」

「個人?」

 シノブの言葉にサトルは心配そうに見つめながら問うも突如都合悪そうにシノブがサトルの視線から顔を反らした。

「まぁ、俺の不甲斐無えのは今に始まったことじゃねえから」

「不甲斐無えことでもあったんですか? 副会長」

 顔をニヤつかせながら奥崎がシノブへと身を屈めて話しかける。その表情は何かしらを知って、握っているようにサトルには見えて。

「オクさん、何か意地の悪い顔になってるよ」

「さっき言っただろ? 俺が意地が悪いトコも覚えとけよって」

 奥崎の揺るがない視線にシノブは口元を尖らせて背を向ける。

「どっちにしてもマツがもう大丈夫なら本当に良かったぜ。俺もこれから安心して一人勉強できるってわけだからな。ホント良かった良かった」

「一人勉強、ねえ。……てめえの恋愛に専念できるってことじゃねえの?」

 ――……恋愛?

 サトルは不思議そうにシノブの背中を見つめた。

 苛立った表情を浮かべながら奥崎を睨みつけたシノブの顔からはもう涙は消えていて。

「いいい意味わかんねえこと言うな! マツが混乱するだろうが!」

「恋愛って神崎、誰かと付き合ってるのか?」

「違う! 違う違う! 誰とも付き合ってねえ! いいかマツ! 俺はお前と親友だ! それも一番のな! だから誰かと付き合ったらちゃんとお前に伝えるに決まってるだろ? それが俺の親友との付き合い方のひとつだ! わかったな!」

 いきなり始まったよく分からないシノブ節にサトルは表情を曇らせるも、ゆっくりと頷いた。

 額に見えるシノブの汗が太陽に反射してみえる。

 寮からドアの開く音。

 続く甲高い声。

「あーいたいた! ほらね、やっぱりマッちゃん、オクさんと一緒だった。ね? カンちゃん。そんなに心配しなくたってマッちゃんは小学生じゃないんだからさー」

「出たな、小猿……五月蝿えな! キーキー! お前の声耳障りなんだよ!」

 シノブの口から出た暴言に笑顔だったマコトの表情が瞬時に不穏になる。

「な! なんだよ! このゴリラーー! カンちゃんのバーカ!」

「五月蝿え! サル! サール!」

 小学校低学年並みの喧嘩勃発。


 サトルは小さくため息を漏らす。

 視線を感じた先。

 笑ってこちらを見ている奥崎の姿。

 サトルはなにかに満たされた気がした。

 変哲もない。

 こんな平凡な日々なのに。




 その空間に含まれた熱気が肺へと入り込む。

 ざわつくライブハウス。

 幾つもの話し声。

 サトルの緊張は天まで届きそうで。

 続く呼吸に息苦しさを感じた。

「松崎!」

 知った陽気な声の主へと少々驚いてサトルはバックステージから顔を少し覗かせた。

 そこに見えたのはこちらへと手を振るシギの姿。

 その隣には身長の高い、眼鏡の青年。

 多分、コウジだろう、とサトルは思った。


「緊張してるかー」

 ギターを持ってレンがサトルの背中を容赦なく叩く。

伸びた髪を束ね、黒のダメージジーンズを穿くレンの表情は笑顔が絶えない。

「今日は特別な日だ。緊張してるなら良い緊張だぜ? マツ君」

「……はい」

 渡される手錠。

 繋がれる場所がライトの照らされたステージにやけに輝いて見える。

「失敗もパフォーマンス。楽しくやりましょう」

 サングラスをかけてタバコを消すヒサシもテンションが高い。全身白に統一された姿のせいか、肩から腕に巡るタトゥーが映えて見えた。

「マツ」

「うん?」

 二人と比較して落ち着いた様子の奥崎がサトルの腕を掴む。

「ここで頑張ったらこの後は花火大会だ。好きなように歌え」

「ああ、頑張るよ」

「……もう一個位ピアスの穴、作るか?」

「え」

 突然の奥崎の言葉。

 続くレンの声。

「おーいいんじゃねえ? ちょっとした気分一新だよな」

「女の子が彼氏と別れてしまって髪を短く切るのと似た様な感覚ね。わかるわ」

「俺もう、あんまり痛いのは……」

 盛り上がっていく話題にサトルは笑顔を引きつらせながら否定するも奥崎へと右手を奪われ。握らせられたそこにはもう一つの血のような真っ赤なピアスが一つ。

 見上げたそこには奥崎が皮肉を込めた笑みを浮かべた。

「あー、受け取っちゃったな。今度開けてやるから安心しろ」

 ――……ホント! こういう所は嫌いだと思ってしまう

「オクさんっ……」

 反抗しようと声を出すもステージ側から強い声援が急に耳を付いた。


「さて、行きますか」

 ステージを見据えて話すレン。

「そうね。今度、アカーシャに新メンバー入れようと思ってるの。マツ君。これから忙しくなるからね」

 陽気に話すヒサシが手の関節を鳴らしながら歩き出す。

 背を、押す大きな手。

「歌えよ、サトル」

 奥崎の鼓膜へと響く低音。

 サトルは微かに震える右手にピアスを握ると。

 ステージへと走り出した。

 冷たい金属音を手首で鳴らしながら。

 黒の世界を白へと変えるために。




「てめえのせいでこっちの気分は最悪だ」

「まだ怒ってるの。でも終わったんでしょ? よかったじゃない」

 またしても他人事のように淡々と連ねられるミナミの言葉にシノブが睨みを利かせる。

「お前と一緒にいた俺がバカだった」

「君がいてもいなくても大丈夫だったってことじゃない」

「五月蝿い、俺に話しかけるな」

「話しかけるよ。俺の気持ち知ってるくせに」

「気持ちとかいってどうせアレだろ? 俺がひっかかってざまあ! みてえなのをずっと待ってんだろ? お前の手にはかからねえよ」

 地下から聞こえてくる爆音と悲鳴にも似た歓声。

 階段に座り込んで話すシノブをじっと見下ろすようにミナミが立ち、それから夏の空に開かれた花火を見上げた。その横顔に一瞬目を奪われて、シノブは顔を背けて舌打ちを飛ばす。

「外はこんなにお祭り騒ぎなのに、それでもライブ会場は満員御礼。アカーシャ復活……すごいね。ホント」

「見たこともねえくせによく言うぜ」

 不貞腐れたシノブの声が大輪の花火の音を打ち消す。

「でも嬉しかったな」

「あ?」

 ふいに耳に届いたミナミの言葉。

 シノブは顰めた顔のままミナミへと振り返る。


「あの晩、松崎じゃなくて、俺と居てくれたこと」


 鮮やかに放たれた火が空へと舞い散る。

 儚く地上へと打ち落とされていく炎のせいか。

 ミナミが酷く綺麗に見えて。

 シノブは思わずその数秒間。

 体を動かすことができなくなった。

「どうしたの? 怒ってくるのかと思ったのに」

「……は……」

 呆けた声がシノブの口から漏れた。

「は?! お前俺を怒らせたいのかよ!」

「あは、そうかも」

 紅潮する顔を隠しながらシノブはミナミへと怒声を浴びせるもまともに顔を見られず。階段の奥から聞こえてくる重低音の響きのせいか軽く吐き気を覚えた。




「神崎?」

 不意に名を呼ばう、その声にシノブは瞳孔を開いた。

「あ、こんにちは。お久しぶりです」

 社交辞令のように当たり前の挨拶を交わすミナミの声。

 それへと答えて聞こえてくる小さな笑い声。

 ――――嘘だろ!?

 シノブはその場に立ち上がり、夜空に咲く花火をバックに立つその姿に驚愕した。

「先、輩……?」

 紛れもなく。

 そこにいたのはイギリスへと海外留学したはずの。

「もう、始まっちゃったよね。参ったな、少し遅れた」

「タキ、先輩!」

 思わず、歩き出す足。

 以前よりも少し背が伸びたように感じる。

 手首が以前よりも細くなったような気がする。

 それでも。

 ハスキーな声色は知った音だ。

 困った様に笑うタキの笑顔がようやく鮮明に見えて。

 シノブは静かに頭を下げた。

「……マツ君、頑張ったんだってね。ヒサシさんから聞いた」

「あ、はい……そう、です」

「ホント、偉いね。マツ君」

「……マツの事助けたオックやレン先輩やヒサシ先輩も頑張った、と思います」

「そっか。……アカーシャ復活、ホント良かった」

 変わらない真っ直ぐな言葉。シノブは驚愕してざわついた胸元が静まらず、ただ目を泳がせた。

「少し、覗いて行くよ」

「中をですか? でもすごい人ですよ」

「うん、だろうね。でも」

「ほんの少しでも、顔を見たいからさ」

 穏やかに打ち寄せては死んでいく波打ち際のような、雰囲気を前に。

 シノブはただ立ち尽くすしかできなかった。

 目の前に存在する、タキから微かに香る香水。

 鼻先を掠めて、消えた。




 もともと人ごみは嫌いで。

 家を出て少し歩けば。

 もう知らない人たちが道に溢れていて。

 自分の居場所の小ささに息が詰まった記憶がある。


 所詮、自分が自由にしていいのは実家でもあったマンションの一室。そこから出ると、他人との触れ合いが待っていて。歩くことも、食べることも、息を吸う事さえ。嫌になっていた時期があった。


 人と上手くやれる自信もなかった。

 できるわけがない。

 やれるわけがない。

 だって、仕方ない。


 色んな他人が、感情が入り混じる学校へと通わなきゃいけないとか。未成年だから同じ服着て、笑いあわなきゃいけないとか。そうしなきゃいけない、理由が邪魔でしかなかった時。多分、いや、きっと。


 鷲尾の存在は救いの場所だった時がある。

 自分がいることを知っていてくれて。

 自分へと声をかけてくれる、そんな鷲尾が大事だった。

 でも、それだって自分よがりだっただけかもしれない。

 それでも、俺は嬉しかったんだ。

 鷲尾がいることが。

 鷲尾と出会えたことが。

 そう思った分。

 部活での仕打ちが自分へと圧し掛かった時。

 悲鳴も出せない位重かった。

 大事の仕方がわからなかった。

 結局鷲尾を大事にできなかった。

 こんな臆病な自分が、人を傷つけてるなんて。

 思ってもみなかった、なんて。

 ――綺麗事だから。


 いつか鷲尾に。

 俺の声が届くように。

 叫び続けるよ。

 歌い、続けていくよ。


 今は。

 此処が世界だとようやく受け止められる。

 ぼんやりとしか見たくもなかった世界を。

 きちんと受け止めていくよ。

 弱い、の一言では終わらせない。

 一歩前へと踏み出していける自分を描いて。

 ここから走っていく。


 ごめん。

 それから。

 ありがとう。


 雑音が耳に慣れて。

 熱気の充満する空気が肌へと張り付いた。

 人ごみを掻き分けて先へと歩くメンバーの背を、目が勝手に追う。

「マツ君! 大丈夫ー?」

 ヒサシの声にサトルは顔を上げて疲れを知らない笑顔を向けた。

 ――去年は。コウジのおかげで良い場所からこの花火を見ることができた。

 晴天、風も上空では吹き続けて。

 漆黒の空に咲く大輪の花は美しくその姿を現す。

「はい、大丈夫です!」

 振動する音のせいか、鼓動を打つ心臓の音が胸を強く打つ。

 先を歩くレンの様子はいつもより静かで。

 その傍を歩くタキの背中が以前より細くなった気がした。それでも、時折タキの静かな笑顔が見えて。

 サトルは少し、安堵を覚えた。


「おい」

 隣から聞こえた奥崎の声に顔を上げたのと同時。

 強く手を引かれて。

 流れに逆らって、引っ張られた方向から吹く風。

 サトルは何度か瞬きをした。

 もうメンバーの姿を目で捉えられない。

「オクさん、みんなとはぐれちまう」

「いいだろ、今日位」

 不機嫌に響いた奥崎の声。

 サトルは眉間に皺を寄せて、不思議そうに奥崎の顔をのぞきこんだ。

「? どうかした?」

「別に。……って別でもねえな。お前ライブ終わってから上の空じゃね」

「……そういうわけでもねえけど」

「嘘付け。どうせまたぐちゃぐちゃ面倒くせえこと考えてたんだろうが」

「そう、かもしれねえけど。今は考えてねえって」

「ま、いいけどな」

 そう話す奥崎の表情が空に舞い散る花火が反射して鮮明にサトルの瞳に映った。


 一年前のこの日。

 多分、恋を知った日。


 サトルは急に思い出して。

 奥崎から顔を逸らした。

 まともに見ることができない位勝手に動揺する自分を持て余して瞳は興味もない人だかりを追う。そんなサトルを奥崎の視線が捉えて、笑みを浮かべた。

「なんだよ、なんかおかしい?」

「いや、ホント髪伸びたよな。身長も」

「あ、そうかな。オクさんもめちゃ身長伸びただろ」

「当たり前だろ。育ち盛りだ、俺は」

 平然と言い放つ奥崎の口調は自信に満ちていてサトルは小さく笑った。そんなサトルの頬を奥崎の指先がなぞる。

「だからかなー……」

「な、なに?」

 人ごみとはいえ、サトルは奥崎の指先の感触に緊張してうまく言葉が出てこない。

「…………ヤりてぇな」

 淡々と言われた言葉ににサトルは瞳孔を開いて、奥崎の指先から逃れるように身を少し後方へと引いた。

「そういうこと、こんな人がたくさんいる場所で言うなって。つうか、言っておくけど俺男だからな」

「知ってる。ちゃんと見た」

「オクさん……、酒でも飲んだのかよ」

「飲んでねえよ。ヒサシの前でそんなことしたらキレられる」

「あっそ……」

 止まない、心臓の音。

「てめえが男だろうと女だろうともうそんなの関係ねえとこまで気持ち動いちまったからな。好きだからお前に欲情するのは当たり前な本能だ」

「そ、……そう、……か」


「そう。好きだからな」


 瞬時。

 周囲の音が消えたようだった。

 そう話してくる奥崎の声だけがサトルの耳に残って。

 サトルの手が無意識に奥崎の腕をそっと掴んだ。

 不思議そうに奥崎の瞳がサトルを見つめ返す。

「どした?」

「あ、いや……なんか。ごめん」

「お前こそ、酒でも飲んだんじゃねえのか」

 からかうように話す奥崎の声。

 笑う、奥崎の笑顔は一年前とは変わらず。

 サトルの目の前に存在する。

 もう二度と離したくない、この腕を。


「オクさんっ」

「あ?」

「……ちゃんと好き、だから。俺も、ずっと」


 緊張と興奮に少し上擦った声がサトルの口から漏れて。

 奥崎は一層笑みを深くした。


「当たり前だな」


 そう話す奥崎の横顔が反射する光で鮮明に映る。

 川沿いの風は凪いで。

 人ごみは途切れることなく向こうへと流れる。

 空を振動させる爆音。

 止むことのない小さな、己の鼓動。

 澱んだ世界を照らすように開く大輪の空。

 今日は息を潜めた星。

 小さく、見届ける月。

 サトルはゆっくりと笑う。

 繋いだ手は離さないまま。


 もう、嫌いじゃない。

 この生きてる音を。

 最後の最期が訪れるまで耳にするよ。

 この人の隣で。

 生きようと思う。


 ――……最期の息が果てるまで。

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my last breath loud @loudxxx

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