バルスを覚えた日

尻鳥雅晶

!!!

 私が呪文バルスを覚えたのは、新世紀になったばかりの頃でした。

 一切の責任を負うことがなく、ひとを殺すことができる呪文。

 それはまさしく、破滅の呪文であったのです。



 何の影響を受けたのか今となっては定かではありませんが、40代の前半で骨髄バンクに入ろうと思い立った私は、献血で何度も訪れていた新宿の某所に出かけたのです。

 そのときの係のかたにしていただいた説明のとある一部分が、とても恐ろしく思えたのです。


 その説明は、絶対に必要なことでした。


 知っていなければ、骨髄移植という、他人を助けるパワーをふるうことはできないのです。

 そう……

 くだんの物語の中で、破滅の呪文バルス少女ヒロインに教えた彼女の親は言ったではありませんか。


「それを知らなければ、正しいパワーをふるうことはできない」という教えを。


 骨髄移植には、適合者が見つかってからも、いくつもの段階を踏む必要があります。ドナーとなる人はそのすべての段階において、人権に基づき、移植手術を拒否することができる、と、そのとき私は教えられました。それは当然のことです。ドナーもまた、家族の心配やスケジュールや全身麻酔などのリスクを、赤の他人のために負わなければならないのですから。


 問題は、移植を受ける側の身体にあります。


 他人の骨髄を受け入れるためには、すでにある免疫系を抑制する必要があります。

 それは人間の身体の仕組みとして、いかに医学が進歩したとしても、移植を受ける人間が絶対に避けられない法則です。そして、その施術は一方通行です。もしその施術をしてしまった段階で、何らかの理由で移植ができなかったら。


 その人はもう、死ぬしかないのです。


 もしドナーとなる人が、その最終的な段階で、移植を拒否したとしたら。

 その人のその拒否の権利は守られるだろう。

 守秘義務によって、そして骨髄バンクの信頼にかけて、そのことが明るみにでることは絶対にないだろう。


 と、そのときの私は思いました。

 きわめて合法的に、そのドナーは見知らぬ誰かを殺すことができるのです。

 ただ「移植をやめるバルス」と言うだけで!


 もちろん、そんな恐ろしいことは起きないでしょう。そもそもそれ以前の段階で、上辺だけの善人も、人間として正しくない人も、意思の弱い人も、脅迫を目的にしたヤクザも、サイコパスも、自分のあるいは関係者の判断によって、移植は中止の運びとなるでしょう。そして、移植コーデネイターもまた、その覚悟がドナーにあるか確認し続けるでしょう。


 そんなふうに試練を経るからこそ、最終的に移植を行ったドナーはまさしく「勇者」なのですよ。彼らに拍手を!


 それでも。


 みなさん。その拒否の権利は、本当にあるのですよ。

 命を踏みつけにできる人権の魔法バルスがあるのですよ。


 倫理の問題を語るとき、いわゆる「トロッコ問題(要ググ)」を持ち出す人がいます。しかし、トロッコ問題に出くわすことなんて、そんな極端な状況は、たぶん人生にはそうそう起こりません。そしてもし万一(骨髄移植よりも天文学的に少ない確率で)、実際にトロッコ問題を体験したら、当事者の人生は社会的に破滅するでしょう。最終的に無罪になるにしても、法的追求は免れないでしょう。


 でもこれは、この拒否の権利は、人権に基づいて、必ず守られる。

 この呪文を知ったばかりの頃、私はそう思っていました。

 そう教えられました。


 人権を神聖視するかたがたは、このことをご存じでしょうか?


 警察や、自衛隊や、死刑制度のように、より多くの人々の人権を守るために少数の人権を抑制するシステムや、その実行の責任を社会のために背負う人々を、「人殺し」と罵ってしまうかたがたは、この事実をご存じでしょうか?


 ごく普通の人権そのものが、まさしく人権であることによって、ごく普通に人殺しをするときがありうることを!


 だからこそ、それは破滅の呪文バルスに違いないのです……


 当時の私もまた、くだんの物語の少女と同じように、登録をした日はなかなか寝付けませんでした。もちろん、私は私自身の善意と意志を信じてはいます。


 しかし。

 もしそのときが、本当にやってきたとしたら。


 寝付けなかった私の脳裏に、様々な「悪い思い」が吹き荒れました。

 あえてカッコよく言うなら、それは「勇者の苦悩」と言うべきものです……


 移植コーデネイターが私の不安に気付かなかったら。

 私が土壇場で怖気づいたとしたら。

 誰でもいいから殺したい、と思うほど、そのとき心が荒んでいたとしたら。

 悪意と破滅の誘惑というものが、本当にあったとしたら。

 結局、私は、自分だけがかわいい人間だとしたら。

 母や未来の妻(このときはまだ未婚でした)に、「貴方が死んだら私は誰を恨めばいいの?」と言われたとしたら。

 そして、私が勇者ではなかったとしたら。




 私は呪文バルスを唱えてしまうのでしょうか?




 今でも、このことを思い返すたび、胸が苦しくなります。

 私はなんとちっぽけな人間なのでしょう……

 そして世界にはなぜ、その善意と同じ大きさの残酷さがあるのでしょう……




 そして、10余年後。

 そのときがやってきました。





 55歳になった私は、幸いにして(と言っていいのかどうかはともかくとして)、骨髄バンクを自動的に引退したのです。

 呪文バルスを忘れることができたのです。



 さて。


 エッセイの途中ですが、ここで私には、とある重大な「事実」と「考察」を書き足す必要が生じました。

 2020年の終わり間際に、私は新たな安堵と、そして新たな破滅バルスの可能性に気付いてしまったのです。

 現在このエッセイは、とあるご指摘を受けて、自主的に書き直しています。

 ここからが、書き足しの主な部分です。


 このエッセイの前バージョンにおいて、医療系ライターと自称されるかたから、コメントをいただきました。そのかたは、ドナー経験者たちにごく最近取材されたとのことで、「最終同意の確認は移植希望者の前処置開始前であり、以後は撤回不可である」という意の事実を教えてもらったのです。


 それ以上の事実は教えてもらえませんでしたが、想像するに、きっと私がドナー登録をした時代は、登録時では「最終同意」の段階の説明は省かれていたのかも知れません。もしくは、当時でも現在でもその最終段階まで行かないと教えてもらえない情報だったのかも知れません。あるいは私がすべて記憶違いをしていたのかも知れません。

 まあ、恐らく実態は、ある時点で「同意書」の記入を求められ、それにサインしなければ前処置の段階には進まないのだと思います。


 そして、同意書にサインした以後、もし前処置開始後に拒否するならば。


 、刑事では「未必の殺人(要ググ)」として、民事では「損害倍書」の対象となるでしょう。それは破滅の呪文バルスの抑止力となります。

 そうです。私の懸念はカラ回りであり、私は勝手にあれこれ深く考えて、心配しすぎていたのです!


 私は安心しました。

「良かった。破滅の呪文バルスで死ぬ人はいなかったんだね」と。




 でも。




 私は、もっと恐ろしいことに気付いてしまったのです。

 もし、同意書にサインした後、それでも前処置開始後に拒否したとしたら……


 


 移植希望者の家族でしょうか?

 ドナー登録者の名前も教えてもらえないのに?


 骨髄バンクでしょうか?

 未来に集まるであろう沢山のドナー登録者からの信頼を犠牲にして?


 警察でしょうか?

 たとえ密告者がいて、さらにその密告を信じたとしても、関係者が資料の提出を拒んで犯人も特定できず、そして、全身麻酔というリアルな生命の危険があるために「緊急避難(要ググ)」で無罪になる可能性もあるのに?


 「最終確認の同意書」がどんなものか、あったとしても私は知りません。そこには、日本の同意書としてはありえないと思えるけれど、「もし撤回したら告発して、個人情報を公開します」と明確に判りやすく書いてあるのかも知れません。そんな書面であっても動揺せず悩まずサインする勇者もいるかも知れません。

 法律や警察の専門家ではない私には想像もつかないけれど、何もかも世間に隠したままで告発して、そして罰する方法が存在するのかも知れません。


 しかし、私には、少なくともこの国においては。


 骨髄バンクが、ドナー登録者の個人情報を自ら漏らしたり、警察もその提出を強制することが、強制できるだけの根拠を持つことが、それが可能だとはどうしても思えないのです。


 かつての私のように思い悩むタイプの人ならば、そこに悪意があろうがなかろうが、この「告発者不在の状況」に気付いてしまうでしょう。撤回してしまったとしても、咎められはしても罪に問われないし、それを世間に知られないことに気付いてしまうでしょう。私自身もわずか2日で気付きました。


 忘れないでください。


 たとえ表面上は禁じられたとしても、私が呪文バルスを覚えたあの夜に感じた想いは、決して消えてなくなったりはしないのです。同意書にサインしたなら、むしろ後戻りできないプレッシャーが、「勇者の苦悩」にさらに付け加えられるだけなのです。


 同意書にサインした時点で、確かに呪文バルスという簡単なワードは消えてなくなるでしょう。しかしそれでも、「勇者の苦悩という動機」と「同意書を無視した撤回という手段」と「世間にパレないだろうという確信」は、決して消えてなくなったりはしません。

 結局、ドナー登録者は、やろうと思ってしまったら、結果的に一切の社会的な責任を負うことがなく、ひとを殺すことができるでしょう。


 いや、そんなことは、あってはならない!

 決してさせない!

 破滅の呪文バルスなんか存在してはならない!


 そう思うかたもいるでしょう。フィクションならば、正義に燃える主人公、ダンディな医学博士とかイケメンの私立探偵とか美人の医療系ライターが、その悪魔のようなドナー登録者の正体を大々的に暴き、ざまぁな社会的制裁をたっぷり食らわして、二時間ドラマはめでたしめでたしで終わるでしょう。


 しかし、現実ならば。もし、そんな正義を下してしまったら。

 正しかろうが正しくなかろうが、ドナー登録者の個人情報が公開されるなどという事態が起きてしまったら。


 骨髄バンクどころか、すぺての臓器移植機関の信頼は大きく損なわれ、未来のドナー希望者になるはずだった(ほとんどの)人たちの善意は挫かれるでしょう。善意のもとに成り立つ組織の都合で、個人情報が公開されるという、あってはならないスキャンダルが起きるのですから。


 すなわち。


 今日、ひとつの正義を成すために、明日、助かるはずの数万の命が失われるでしょう。告発という呪文バルスを唱えたために!


 そんな馬鹿げた正義を下す者ヒーローなど実在しないって?


 今、貴方の目の前にある「それ」は何ですか?

 そこには、ほんの少しでも誰かに落ち度があれば、大喜びで騒ぎ立てる正義の味方が詰まっていませんか? もちろん、私自身もその「正義のダークサイド」を、少々とはいえ確かに持っています。言い訳なんかしません。

 そもそも私が骨髄バンクに登録したのは、「正しいライトサイド正義(笑)」持っていたからなのです。


 そして、思い出してください。

 私が引用したくだんの物語ですら、破滅の呪文バルスを唱えてしまったのは、ではありませんか!


 私に指摘してくれた医療系ライターさんに、お礼を言います。私のこのエッセイは、取材に基づいた真実に裏打ちされました。そしてさらに、もっと恐ろしい事実と可能性に、気付くことができました。

 本当にありがとうございます。



 書き足した主な部分は、ここまでです。ツジツマを合わせるためにその前後も少々書き直していますが。 


 なお、私の経験はまぎれもない事実ではありますが、「こんなことを書いたら骨髄バンクが危険視されるのでは」と非難されるかたもおられるかと思います。

 それは間違いです。

 この事実を乗り越える人しか、骨髄バンクは求めていませんから。

 そして、彼らは制限のなかでベストを尽くしている、と私は思っています。



 私がみなさんに伝えたいことは、結局ただひとつ。

 この世には本当に、破滅の呪文バルスがあるのです。


 きっとそれは、骨髄バンク以外の場所にも、普通にあると思うのです。

 現に、こうして私が語るまで、貴方はこの事実を知っていましたか?

 だとしたら、私や貴方がいま知らないだけで、この世界の片隅に、破滅の呪文バルスが無数に転がっているかも知れないではありませんか!



 Welcome to the Real World!

 あふれる善意と、すばらしい人権と、偉大なる勇者と、正義の味方と、そして、まぎれもない破滅の呪文バルスが、実在する現実世界にようこそ。



そして、そんな世界でどう生きるかは、貴方の問題なのです。



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バルスを覚えた日 尻鳥雅晶 @ibarikobuta

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