人喰い自動販売機

猫柳蝉丸

本編

 私の学校から徒歩約十分の場所に、人喰い自動販売機と呼ばれる名物がある。

 人喰い自動販売機を利用して帰って来た人間は一人も居ない。

 詳しくは知らないけれど、噂によるとその自動販売機で売られている『せんげ』様を購入すると皮一枚、血の一滴まで残らず自動販売機に吸い取られてしまうそうだ。『せんげ』様はどんな漢字を書くか残念ながら忘れてしまった。それほど難しい漢字ではなかったと思うけれど、今時わざわざ漢字を書き記す事なんて無いからすぐに思い出せそうにない。

 三日前も級友の工藤君と三村君が人喰い自動販売機を利用しに行ったきり帰って来なかった。担任の金田先生が朝礼で言っていた事だけれど、この一年でうちの学校の人喰い自動販売機の利用者は二十人以上になるらしい。それは即ち二十人以上が人喰い自動販売機に飲み込まれてしまったというわけだ。

 流石にそれでは少しまずいという事で、今朝の朝礼でも金田先生が注意喚起していた。

 特に用事も無く人喰い自動販売機に近付かない事。

 しっかりと自分の意思を固めてから人喰い自動販売機を利用する事。

 ありきたりな注意喚起。

 そんな大人の言葉なんて耳にたこが出来るくらい聞き飽きている。

 金田先生に言われなくたって、今のところ人喰い自動販売機を利用する予定なんて無い。わざわざ人喰い自動販売機に私の身体を吸い取らせてあげる理由なんて無いもんね。そんなのは今読んでいる漫画が完結してからでいい。

 大体、人喰い自動販売機って呼び方が幼稚だと思う。

 あの自動販売機にはちゃんとした正式名前があるんだから、そっちで呼べばいいのに。

 何だっけ、確かあの自動販売機に書いてあるらしいんだけど……。

「ゆりねちゃん」

 放課後の教室の中、不意に聞き慣れた声を私の耳が捉えた。

 わざわざ視線を向けなくても分かる。

 こんなか細くて可憐な声の持ち主は私の周囲には一人しか居ないから。

「どうしたの、しおり」

 わざとぶっきら棒に応じてみせる。別にしおりの言葉に応じるのが億劫なわけじゃない。しおりがこういう冷淡な反応を好んでいるのを知っているから、その期待に応えてあげてるだけなんだ。

「えっとね、朝礼の金田先生の話、覚えてる?」

「奇遇ね、今私も金田先生の話について考えていたところよ」

「そうなんだ、何だか運命的だね!」

 笑顔のしおりが私の視界に飛び込んで来る。眼鏡の奥の瞳も何だか輝いてるみたい。

 いつもの事だった。文学少女のしおりはちょっとした事にも運命を感じたり感動したりしている。そもそも私としおりが交際する事になったのも、しおりが私の外見に運命を感じたからだった。何でもずっと愛読していた本の好きな登場人物の印象にそっくりだったからとか何とか。何それって思わなくもないけど、別に交際したい相手が他に居るわけでもないから、しおりの交際の申し入れはすぐに受け容れた。十四歳になって交際相手の一人も居ないなんて、お父さん達からも心配されるしね。

「それで金田先生がどうしたのよ、しおり?」

「あっ、ごめん、ゆりねちゃん。えっとね、人喰い自動販売機の事なの」

「工藤君と三村君が利用したから金田先生も少し困っているらしいわね」

「そうそう、あの二人の事、知ってる、ゆりねちゃん?」

「茶髪の工藤君と金髪の三村君。身長は高い方じゃなかったけど二人とも運動神経はいい方だったわよね。その割には放課後に遊び回っているらしいから部活動は行ってなかったはず。級友としてそれくらいなら知っているけれど、それが何なの?」

「あの二人もね、交際していたらしいの」

 それは知らなかった。私はそこまで級友について興味を抱いていない。ただしおりの言葉が本当だとして、結構お似合いの二人だと思った。あの二人なら仲睦まじく人喰い自動販売機を利用しに行ったとしても不思議じゃない気がする。

「そうだったの。それで、二人が交際していたのがどうかしたの、しおり?」

「実はね、私、聞いちゃったの、あの二人が話していた事。あっ、盗み聞きしたわけじゃないんだよ。席が近いからたまたま聞こえちゃっただけなの」

「別に盗み聞きでもいいわよ。それで?」

「どうもね、工藤君と三村君、二人とも決心して人喰い自動販売機に行ったみたいなの」

「単なる好奇心で向かったわけじゃないって事ね」

「工藤君言ってたわ。『せんげ』様に会うんだって。例え二人で人喰い自動販売機に飲み込まれても『せんげ』様に会いたいんだって。それで二人でもっと幸せな世界に行くんだって。そう……言っていたの」

 少し意外だった。あの二人はいつも楽しそうでそんな事を考えそうになかったから。

 ううん、もしかしたら、或いは……。

「私ね、二人の事を凄いなあって思ったの」

 熱を帯びた様子でお下げを振り乱しながらしおりが続ける。

「あの二人、きっと自分達の関係に悩んでいたのよ。悩んで悩んで、人喰い自動販売機に飲み込まれる事を選んだに違いないわ。今のご時勢、そんなの中々出来る事じゃないわ。本当に憧れちゃう……」

「それは本の読み過ぎよ、しおり」

「そうかもしれない……、そうかもしれないけど……」

 少しだけ沈黙するしおり。何かを決心しようとしている表情。

 それでも言葉はずっと前から決まっていたんだろう。

 私の両手を自分の手で包み込むと普段より高く響く声でしおりは言った。

「ゆりねちゃん、私と今日、一緒に人喰い自動販売機を利用してほしいの」

 頬を紅潮させて泣き出しそうな表情のしおり。

 ああ、本当に馬鹿なのね、しおりは。

 そう思いながら私は震えるしおりの唇に自らの唇を重ねた。

「いいわ、行きましょうよ、しおり。しおりがそうしたいんだったら」



     ●



 しおりと手を繋いで歩いて徒歩約十分。

 そこにある事は勿論知っているけれど、訪れるのは初めてだった。

 確か二十階建てと聞いた事がある建物に入って昇降機でその場所に向かう。

 特に何の障害も何の悲喜劇も起こらなかった。

 普段の下校と同じ感覚で、私としおりは人喰い自動販売機のある部屋に到着していた。

『遷化・七二七号室』と人喰い自動販売機が置いてある個室には書いてあった。

 ああ、そうだ、『せんげ』ってそう書くんだった。漢字を見てやっと思い出せた。

 個室の中には思ったより簡素な形状の自動販売機が無造作に配置されていた。

 飲料の自動販売機なんかとは全く比較にならないほど簡素な出来。例えるなら学食の自動販売機みたいな飾りっ気の無い形状だった。別に商売でやっているわけでは無いのだからこの程度で十分だという事なのだろう。

 私としおりは携帯端末をかざし、人喰い自動販売機に自分の個人情報を読み取らせる。この時に私としおりの貯金の何万円かが引かれているはずだった。自動販売機なんだから、利用料金を引き落とすのなんて当たり前だけれども。

「この度はお疲れ様でした」

 温かみのある合成音声が室内の何処かから流れ始める。ううん、これは声優の誰かが吹き込んだものなのかな? 別にどっちでもいいけれど。

「これから貴方達は遷化する事になります。本当に構いませんか?」

 いちいち面倒な確認だけれど、確認しないと文句を言い出す利用者も居るんだろう。役所の誰かの苦労に思いを馳せながら、私はしおりに視線を向ける。しおりの目は煌めいていて遷化を思い留まるつもりは一切無さそうだった。しおりはいつもそう。そんな夢見がちな私の交際相手だった。性交渉する際、何度も段階を踏んで劇作的で形式的な行為を重ねようとするくらいに夢見がちな。

 私は苦笑しながらしおりと二人で人喰い自動販売機の画面に指を重ねる。画面には『はい』、『いいえ』と表示されている。私達が押したのは勿論『はい』の画面だ。

「了承致しました。今しばらくお待ち下さい」

 新たな音声の後で画面には愛嬌のある絵柄のお地蔵様が映し出された。

 噂の『せんげ』様だ。確か正式名称は……。

「『大慈悲遷化菩薩地蔵』様だよ、ゆりねちゃん」

 私が首を傾げていたのに気付いていたらしく、しおりが微笑んで教えてくれた。流石は私の交際相手。何だかんだと私の考えを分かってくれてる。何となくで始めた交際だったけれど、しおりと付き合っていてよかったと思えた。

 しおりと指を絡めて私も微笑む。

「そうそう、そんな正式名称だったね、『せんげ』様」

「そうだよ、ゆりねちゃん。丸々して魅力的な絵柄だよね、『せんげ』様」

「『せんげ』様を正式名称で覚えてるんなら、人喰い自動販売機も正式名称で呼んであげなよ、しおり。あんまり好きじゃないな、人喰い自動販売機って呼び方。何だか間抜けで滑稽な響きだしね」

「それは……そうかも。でも、おじいちゃんや先生がよくそう呼んでるから、私もついそっちで呼んじゃうんだよね」

「それも古い考え方だと思うんだよね。遷化が法律で認められてなかった時代の人達の戯言でしょ、それって。それで人喰い自動販売機なんて滑稽な呼び方をして、この『全自動遷化装置』の事を貶めようとしてると思うんだよね。自分の生死を自由に決めるのは人間として当たり前の権利なのに」

「まあまあ、ゆりねちゃん。歳を重ねると脳が新しい物を受け容れにくくなるらしいし、許してあげなよ。それに人喰い自動販売機って呼び方、私はそんなに嫌いじゃないよ。何だか大昔の怪談に出て来そうな名前じゃない?」

「まあ、上手い名前を付けたなあ、とは思うけどね」

『全自動遷化装置』はその名の通り私達を遷化させてくれる装置だ。

 装置は何の苦痛も無いよう私達を遷化させてくれて、その内臓や血液なんかを移植が必要な相手に送ってくれる。そうして遷化した後には私達の身体はそれこそ骨すら残らない。全身が万遍なく医療の為に利用されるのだ。それをおじいちゃんおばあちゃんが『人喰い』、『安楽死』と呼ぶ感性は悪くないとは思う。跡形も残らないんだから。

 実を言うと私が遷化を選ぶのはずっと先の事だと思っていた。愛読している漫画もまだ完結していないし、遷化したい理由も一つも無い。それでも私の交際相手のしおりが私と遷化したがっているのなら、一緒に遷化するのも悪くないと思えた。

 しおりはきっと私達に先に遷化した工藤君と三村君に夢を見過ぎている。二人が同性愛に悩んで遷化を選択したのだと思おうとしている。まるで遠い昔の本に記されているみたいな悩みがあったに違いないと考えたいのだ。馬鹿だなあ、と思う。この前歴史で習ったけれど、同性愛が禁じられていたのなんて明治から平成くらいまでなのに。今時同性愛で悩む人なんて全然とは言わないまでもほとんど居ないのに。

 それでも、しおりは悩みたいのだ、私との同性愛に。そうして悲劇的に死んで、生まれ変わりたいのだ。この前しおりが熱心に読んでいた大昔の劇作みたいに。夢見がちなしおりだから。現実ではなくて物語の中に生きているみたいなしおりだから。

 本当に愚かしくて愚かしくてどうしようもないしおり。

 それでも、私はそんなしおりの真っ直ぐさに惹かれている。軽蔑しながら惹かれずにはいられない。運命や奇蹟なんかを信じて、同性愛なんかで遷化しようとしているどうしようもなさが愛しくてたまらない。その情熱に憧れてしまうのだ。

 だから、私は今からしおりと遷化する。遷化する明確な理由は無いけれど、生きていたい明確な理由も無いのだから、私の意思でどちらを選んだっていいはずだ。お父さん達も少しは残念に思うかもしれないけれど、すぐに私の選択を正しかったと褒めてくれるだろう。自らの生死はいついかなる時も自分の意思で選択するものなのだから。私達はいつ自分の意思で遷化してもいい権利を有して産まれて来たのだから。

 私としおりはどちらともなく視線を合わせる。

 接吻し、舌を絡めた後で、渾身の笑顔を向けてみせる。

「次の世界ではもっと幸せになろう、しおり」

「ありがとうゆりねちゃん、大好きだよ」

 次の世界なんて信じていない。それでもしおりが喜んでくれるなら信じられる。

 二人で遷化する事に何の躊躇いも無い。それが私の幸せなんだ。

 私はそうして産まれて初めての幸福感に震えるほど陶酔しながら、全自動遷化措置の意思最終確認の画面に手を伸ばした。

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人喰い自動販売機 猫柳蝉丸 @necosemimaru

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