最後の花火大会、君と見た夜

天野橋立

最後の花火大会、君と見た夜(一話完結)

 2030年代以来二十年ぶりに、花火大会が開催されることになった。

 どこで見たって同じようなものではあるけれど、夏の終わりの花火となると、やはり懐かしの早穂川さほがわの土手で見たい。二十年前も、そこで見たのだから。


「今日の晩御飯は、いらないよ。お父さんは早穂川で花火を見に行ってくる。帰りに、何か食べてくるから」

 先日成人したばかりの娘に声を掛けると、何と珍しいことか、一緒に見に行くという。

「友達、と見に行くんじゃないのかね?」

 と、プライバシーにちょっとだけ気を使って「友達」という言葉を使い、娘に訊ねて見たが、

「いいのよ」

 と彼女は一言だけ返した。それ以上の詮索は、無用ということなのだろう。


 市内循環トラムに乗って、居住ブロックを離れた。この辺りからでも、花火を見ることはできるのだが、密集する建物がどうしても邪魔になる。視界を遮るものの無い川べりならば、夜空も広い。

「ねえ、最後の花火大会も、そこで見たんでしょう? お母さんと一緒に」

 ボックスシートの斜め向かいに座る娘が、ふいに口を開いた。

「良く知っているね」

 娘の言葉に、私は少し驚く。そんな話をしたことがあっただろうか。

「お母さんが、言ってたもの。花火って、とっても綺麗なのよって。あなたも、私のお腹の中で音を聞いてたはずなのだけど、って」

 妻が急死したのは、娘がまだ八つになったばかりの頃だ。幼い日に母親から聞かされたその話を、彼女はずっと覚えていたのだろう。

「そうだね、とっても綺麗だったよ。今日の花火はどうかな、同じくらいに綺麗だといいのだが」

 二十年前の情景が、脳裏によみがえる。夜空に輝く、何発もの華やかな打ち上げ花火。身重の妻が、隣で歓声を上げる。黄色やオレンジ、紫色と目まぐるしく変化する光の色に染められた彼女の横顔は、本当に美しかった。


 全世界的に花火大会が禁止されることになったのは、大気圏内の空気を汚す火薬の使用を最低限にすべきだとの議論が、いささか暴走した結果だった。実際の所、花火如きを少々打ち上げたところで、大気の汚染などたかが知れている。しかし、環境の悪化に警鐘を鳴らす人々は、いわばシンボルとして、花火を槍玉にあげたのだった。

 二十年後の今、大気の汚染は相当に改善している。花火を犠牲にした意味は、確かにあったのかも知れないが。


 トラムを降りて、早穂川さほがわに向かって歩いていくと、土手の上にはすでに何人もの人たちが並んで座っていた。同じことを考えた人たちが、少なからずいたのだろう。幸い、まだ座る場所は残っていた。

 昔は、この川の対岸から、花火を打ち上げていたのだった。今日の花火は違う。もっとずっと遠いところから打ち上げられて、夜空を大きく覆うことになるはずだ。

 澄み切った夜空は、もう秋の気配だった。細い三日月が、明るく光っている。そう、二十年前と全く同じに。


「もう、そろそろだね」

 地平線近くに浮かぶ広報バルーンに表示された時刻を確認しながら、娘の声が弾む。この期待感、わくわくする感じも、あの頃と同じようだ。

「始まったぞ!」

 誰かが、声を上げた。月の辺りから飛び出した赤い光点が一つ、流星のように空を横切って駆けて行く。そして夜空の真ん中で、音もなく、無数の光点となって放射状に弾けた。大輪の、桃色の花。

「わあ、すごい!」

 娘が歓声を上げた。夜空を覆った、様々な色に輝く人工の星。それはまさに、巨大な花火そのものだった。少し遅れて届いたドーンという音は、実は地上で作られた効果音だ。宇宙に、音はない。


 新たに発足した世界連邦主催の、軌道上花火スペース・ファイアワーク。祝典衛星から発射された花火クラスターロケットメガ尺玉が、直径数十キロにも及ぶ光の花を宇宙空間に咲かせる。二十四時間をかけて、地球を一周するように何発も打ち上げられ、全人類が見ることができるそのイベントは、世界統合政府の誕生を祝う式典に相応しいものだった。


 歓声を上げる娘の横顔が、黄色やオレンジ、紫色と目まぐるしく変化する光の色に染められる。かつての妻に生き写しのその姿は、やはり美しかった。

 人類史に残るような大イベントを目にしながら、二十年も前のローカルな花火大会のことばかり、感傷的に想い出している私は滑稽かもしれない。しかし、それでいい。新しい時代は、彼女たち若者のためのものなのだから。


 また一発、特大の花火が弾けた。白く輝く無数の光が天空に散らばり、地上を昼間のように照らす。あちこちで、歓声が上がった。私と、娘の明るい声も。

 来るべき未来が、素晴らしいものでありますように。君たちの時代に、幸あれ。

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最後の花火大会、君と見た夜 天野橋立 @hashidateamano

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