第14話 山をなめるな


 どうも体が鈍っている。ここ最近、バイトもあまりなく大学も休校が相次ぎ動かさなくなった体は屈伸をすると小さな音を鳴らすようになった。これはダメだ。まだ腹は出てないけどそれも時間の問題のような気がして、俺は何かに追われるように手軽な運動を探していた。


「山、かぁ。いいかも」


 都会の喧騒から離れる事ができ、自然をたくさん浴びて、さらには運動にもなる!俺は早速、手軽に登れる山を探した。

 そうしていくつかピックアップをし、素人でも簡単に登山できる山が隣町にある事がわかった。最初からガッツリ登るのはキツそうだし、ここにしよう。携帯の時計を見ると朝八時を少しすぎたところだった。


「善は急げ、だな」


 朝食はコンビニで済ませればいいか。靴は……まあスニーカーでいいだろう。山といってもそんな大そうな山じゃないし。

 頭の中で整理が終わった俺はリュックを背負い、さっさとアパートを後にした。



 道中のコンビニでおにぎりを買い、それを飾りながら電車を待つ。リュックの中には五百mlの水が二本本。往復で2〜3時間あれば登れる山らしいし、二本でも多いくらいかもしれない。今日は風も穏やかで良い登山日和だと思う。登山初体験だけれど。

 久々の刺激にワクワクしてる自分がいる。もし友達と一緒に来ていたなら揶揄われていたに違いない。

 駅を五つ越えてのどかな駅で降りたのは俺一人しかいなかった。駅員は疲れた顔で俺の顔を見た後、すぐに視線を発車した電車へ戻した。


「ここから三十分歩くのか……」


 携帯でマップを開きつつドンドン歩みを進める。すれ違う人は老人が多く、活気があるとは言えない街だった。

 道に迷う事なく速めに歩いていたおかげで二十分程度で目的の場所まで辿り着く事ができた。駅構内でチラ見した広告は全てこの山の事を伝えていて、この地域のPRポイントという事がわかった。


「よーし、登るぞっ」


 最も、人がそもそもあまりこないせいで今から登山するのは俺一人のようだったが。




「はぁ〜……道がデコボコしてて歩きにくいな。スニーカーはやっぱり無謀だったか」


 一時間ほど歩いただろうか。最初こそスピード良く足を進めいたがそれも三十分程度で陰りを見せた。登山道は整備されておらず、非常に歩きにくい。すぐ近くだと思ったてっぺんは遥か彼方にあるように見えて仕方ない。


「ん、人がいる……?」


 少し先に小さな女の子が大きな石の上に腰掛けていた。もしかして迷子……あるいは家出?

 少し心配になった俺は気合いを入れ直し、小走りでその子の元へ向かう。


「はぁ、はぁ……ッ、君、どうしたの? 迷子?」


 声をかければその女の子――黒髪が綺麗に二つに結われていた――は大きな瞳を俺に向けて、ニッコリと笑った。可愛い顔立ちの、小学生か中学生くらいの子だ。


「ううん、迷子じゃないよ。ハルはね、迷子のお兄ちゃんを助けてるんだよ」

「お兄ちゃん……、って、お兄ちゃんが迷子なのかな」

「ふふ、そうだよ。お兄ちゃんが迷子。迷子にも気づかない、可哀想で可愛いお兄ちゃんなの」


 その女の子は鈴の音のような声で笑う。発言の意図が掴めず思わず黙っていると女の子が俺の手に優しく触れた。その手があまりに暖かくて、妙な心地よさを覚える。


「ね、お兄ちゃん、登るなら早くしなきゃ。山の天気って変わりやすんだよ?」

「え、あ……あぁ、そうだね。えと……、君も早く帰りなね」


 不気味さと心地よさが交互に襲ってくる落ち着かない感覚から逃げるように俺は女の子から離れた。

 無我夢中で歩けば気づくと山頂はもう目の前まで迫っていた。天気も崩れる様子はない。安堵しつつ水でも飲もうとキャップを開けたらそのままキャップが勢いよく転がってしまった。ほぼ条件反射のように転がった方は足を向ければ、視界が急に空を映した。


「は」


 落ちる。

 そう思った時には衝撃が身体中を襲った。ラフな服装で身体を守れるはずもなく、枝や石に痛めつけられながらみるみる下へ引っ張られるように転げ落ちた。

 そうだ、ここは整備されてないって俺自身が最初から認識してたのに、もう少しで頂上だと気を抜いてしまったのが悪かったのだ。


「ッ、ガッ……!」


 最後、後頭部にひどい衝撃が走ったのを最後に俺の意識は混濁していった。



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 黄色の傘を時計回りにくるくる、くるくる。

 雨音は優しく二人を包んでいる。


 くるくる、くるくる。


 彼女の足元に広がる赤黒いそれはまるで近代的なアートのように水の流れに沿って踊り出す。


 ざぁざぁ、ざぁざぁ。

 

 雨音は嗤うように青年だった塊へ降り注ぐ。

 彼女は青年が追いかけたキャップを手に取り手の中で遊び始める。こんな物のために滑落した青年が可愛くて仕方ないと言わんばかりに。


「ここで落ちなくてもこの雨で下山できなくて、遭難……かなぁ。ふふ、かわいいかわいいハルのお兄ちゃん。そんな格好と知識で山に来ちゃ、メッ、だよ」


 彼女の差している傘は決して新品とは言えない汚れや傷がついていた。そもそも◼️◼️である彼女は傘など本来不要な代物だ。つまりこの傘は元々は彼女のものではなかったのだろう。


「ねぇ、迷子のお兄ちゃん。……残り少しだね」


 いつもならすぐ世界を壊す彼女は、その日ばかりは名残惜しそうに青年だった塊の前にいた。


「最初にハルと会った時も、雨だったんだよ」


 ――きっとお兄ちゃんは覚えてないだろうけど。


くるり、くるり。

ざぁざぁ、ざぁざぁ。


 彼女がこの世界を壊したのはそれから一時間後の事だった。

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12歳の神さま 宮森 篠 @miyamori_shino

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