マジックアワー

 テーブルの宝飾類を集めると、チャイナドレスの美女はマジシャンにそれを手渡した。マジシャンは満足そうな笑みを浮かべる。


「よく出来たね、お嬢さん。お手伝いありがとう。それでは君も少しの間、不自由な思いをしてもらおうか」

 そう言って、美女の腕を後ろ手に縛る。美女はぼんやりと人形のようにその場に座り込んだ。


 マジシャンは、私には気付いていなかった。

 それでも死ぬほど怖くて、息をひそめても心臓の鼓動は止められなかった。足の震えも止められなかった。

 でも私には最後、しなければならないことがある。あの彼との約束が。


 ――パチッ。


 照明のひとつが切れる。


「なんだ?」

 マジシャンが顔を上げた。強奪した宝飾の袋や私物を抱え、胡散臭そうに辺りを見渡す。その時だった。


「……はーい、お疲れ様。この余興、まあまあ面白かったよ。でもあなた、もう終わりだから。その袋をこっちに渡して貰おうか。ね、偽マジシャン?」


「えっ」

 マジシャンの顔色がみるみるうちに蒼白に変化する。それもそうだろう。

 あの彼がいつの間にか自由になった両手で、マジシャンの顔面を狙い拳銃を向けていたのだから。


「……うっ、ど、どういうことだ。お前、一体誰だ」

 それは私が聞きたいっ。私も呆気にとられ、文字通り固まっていた。


「警察だよ」

 またガムをクチャクチャ噛みながら、彼は言った。

 えーーー(私の心の声が叫ぶ)!


「ほら、後ろを向いて」

 彼はマジシャンを手荒く促し後ろを向かせ、手に持っていたスカーフで後ろ手に縛った。


「残念だったね。こんな犯罪をずっと続けるつもりだったの? 自分が頭の切れる人間だなんて、思い上がりもいいとこだ。さあ、宴会芸は終わりだよ」

 彼はそう言って、私のほうに視線を向けた。

 私は最後の言いつけを守った。


 ――パチッ。パチッ。パチッ。


 照明が全て消え、遮光カーテンで締め切った部屋は真っ暗闇になる。

 自分で照明を消したとはいえ、突然の暗さに足がすくみその場で動けない。でも……。


「お待たせ」


 一瞬の間もなく、彼の低い優しい声が私を包んだ。

 そしてすぐさま肩を抱かれ、私はパーティションから飛び出した。部屋の外、ホテルの長い廊下へと。


 彼は部屋の扉を閉める。

「あ、あなた、警察の人だったんですか?」

 なぜか隣には、チャイナドレスの美女も涼しい顔で立っている。

 なんで? 頭の中がパニックだ。


「警察? 誰が?」

 彼は美女と顔を見合わせた。え、だって。

「ああ、まさか。違うよ。日本で拳銃を本物と思わせるには、警察ってワードを使うのが一番手っ取り早い」

 不敵な笑みを浮かべると、彼は私に宝飾が入った黒い袋を差し出した。


「もうすぐここにスーツ姿のお兄さんたちが何人も来て、キミを助けてくれるから。……大丈夫。そしてお母さんたちの催眠が解けたら、これをみんなに戻すんだ。出来るかな。じゃあ、元気でね……さよなら」


「あ、待って下さい!」

 宝飾の袋を抱えながら、私は彼と美女を引き留める。どうしても、彼に聞きたいことがあった。

「あの、あなたは一体何者なんですか。……さっき真っ暗闇の中、すぐに私のところへ現れてびっくりしました。どうして私のこと助けてくれたんですか」


 後ろを振り返りながらだったけど、彼は少し照れくさそうに答えてくれた。

「キミが……僕のことを信じてくれたからだよ。だから助けたんだ」

「えっ」

「あとで、暗闇で自分の指輪を見てごらん。蛍光塗料でしるしをつけてある。いつでも、キミの居場所が一目でわかるようにね。それと……僕らは探偵だよ。の」

 

 秘密の探偵……。

 口元に人差し指を立てて、爽やかな笑顔を残し彼らは去って行った。

 私は左手の指輪を右手でかざし、影を作る。

 ほんとだ、すごい。

 彼の言った通り、偽物イミテーションのダイヤモンドが蛍光グリーンに妖しく輝いていた。



*   *   *



「ああもう、このウイッグ、マジで暑っ」

 チャイナドレスの美女はそう言うと、ウイッグをつかみ車の後部座席へ放り投げる。栗色の艶やかなウェーブが美女の肩に落ちた。


「もっと丁寧に扱えよ、また使うかもしれないだろ」

「だって本当に暑いんだもん」

「すぐに涼しくなる」

 探偵は冷房をハイパワーで効かせると、滑らかなハンドルさばきで音もなく車を発進させた。


「それからコレ。めっちゃ辛いんですけど!」

 美女は探偵の前で口の中の物を覗かせる。そしてわがままに慣れた、上からの口調で 言った。

「どこにこんな辛いガム売ってんの。需要ある? 一体、誰得だれとくなのよ!?」


俺得おれとく。脳がしびれる。これくらいの方が意識が分散出来ていいんだ。お前だって催眠にかかりたくはないだろ」


「それはそうだけど。……催眠でお金持ちの客を惑わせて、自ら差し出した宝飾品を強奪するなんて大したマジシャンだわ。ねえ、世界的なマジシャンって触れ込みだったのによく催眠術を使うって気付いたのね?」

 美女が運転中の探偵の横顔を見た。


「ああ、奴の動画配信でね。お客に手の運動をさせてるところをたまたま観たんだ。……あれはさ、俺のような言うとおりにならない人間を排除するための前フリなんだよ。一般的に素直に従う人間のほうが、催眠や洗脳にかかりやすい。だから反抗する人間を前もって拘束か排除かして、あとの人たちを催眠で騙すって計画なのかなってね」

 探偵は落ち着いた声で言った。


「ふーん。それにしても、アドリブが過ぎたんじゃない。当初の予定と違うから焦っちゃった。クライアントはなんて依頼してきてたの?」


「ん、ああ、途中で気が変わった。クライアントはあの偽マジシャンに騙されて、金品を盗まれた富豪だよ。怒り狂ってる。警察じゃなく自分で決着をつけたいそうだ。だから、俺は奴を現行犯的に確保すればよかった。……ていうかさ、お前、焦ってなんかなかっただろ。俺のことより、ずっとシャンパンを目で追ってたじゃないか。こっちこそ、こっそり飲むんじゃないかってヒヤヒヤしてた」


「飲むわけないじゃない、あんな睡眠薬入りのシャンパン。……でもドンペリだったの、しかもピンク! 信じらんない、口惜しすぎる。もったいないことして、あいつきっと罰が当たるわ。半殺しにされるのかしら」


「いや、八つ裂きだろ。それにしても、入念に薬入りシャンパンまで用意したわりに詰めが甘かったよな。やっぱり、俺のほうが一枚上手だ」

 満足そうな笑みを浮かべて、探偵は言った。


でしょ? だって私がアシスタントに選ばれなかったら、このミッションの難易度は確実に上がったんだから。……だけどこの程度の依頼なら、こんなに時間かけなくて終わったんじゃない? あなたなら朝飯前よね。ねえ、ちょっともしかして――」

 

 探偵は話の終わりを待たずに、美女の言葉にかぶせた。

「気が変わったって言ったろ。あ……それからお前、腕をきつく縛りすぎなんだよ。あとがついてる、見ろほら」

 

「話を変えないで。マジシャンがチェックするんじゃないかって用心したのよ。思った通りだった。でも、ちゃんとすぐにほどける結び目にはしてたでしょ」

 美女は含み笑いを見せながら、そのまま話を続ける。


「ねえ。なんであの子に照明を消させたの、何かのショーのつもり? 本当だったらそんな必要なんてなかった。あなた、何十分あの部屋にいたと思う? 部屋の見取図から何から、頭の中に全て入ってたでしょうに。目をつぶってたって、女の子の一人や二人救い出せたはずよ。……あの子の何がそうさせたの?」


「ん……ああ」

 探偵は頭をかく。そして、逃げ場がないとわかると観念するように白状した。

「……瞳、だよ」

「え?」


「あの子の目……綺麗だっただろ」

「私だって綺麗ですけど?」

 美女が完璧なアーモンドアイの瞳で探偵を見る。

「ああ、そうだな! お前もすげぇ綺麗だよ、死者もよみがえりそうだ」

「なによそれ。もう、褒める気ないでしょ!」


「違うんだ、なんていうかさ……久しぶりに見たんだ。けがれたものをまだあまり見ていない……未来に期待してる瞳、っていうか。わかるかな……だから、あのクソマジシャンなんかにあの子の存在をばらしたくなかった。部屋から姿を見せずに出すには、とりあえず照明を消すこと……簡単なお遊びだよ。俺は、人を利用することしか考えてない廃退   こ ん なした世界しか知らないからさ。……あの瞳は思春期の幻想なのかもしれないけど、あの子が大人になる前に、俺に出来る特別なプレゼントをしたくなったんだ」

 視線を前に向けたまま喋る探偵は、少しセンチメンタルにも見えた。


「……そっか、思春期ね。大人になる前の特別な時間だわ。だからあの子を巻き込んで、蛍光塗料なんてイタズラしたんだ。笑っちゃった」

 美女が優しく言う。


「ああいうのって、女の子はワクワクするんだろ」

「まあね……嬉しいかも。たぶんあの子、大人になってもずっとあの指輪を大事にすると思う。唯一無二の指輪だもん。ロマンティックな思い出と一緒に。まさに価値の逆転……」


「いや、すべての価値は自分で決めるものだ」


「そうね。お金じゃ買えないものは、いつも手に入りにくいスペシャルなもの」


「それから、もうひとつ。幸せになる流儀とは『人生……楽しんだ者勝ち!』。うぉー!!」


 弾けたように、大声で叫ぶ探偵。美女もそれに続いた。

「同感~!」


 探偵はアクセルを踏み込む。車は赤と金色に染まる圧倒的な大空を目指し、ハイウェイを突き進んだ。

 マジックアワーと呼ばれる、人知を越えた儚い現象が魅惑的に車を包み込んでくる。

 夢かうつつか、目がくらむほどの世界を生きてるのは誰だ。

 唯一、聞こえてくるのは疾走する風の音。


 ほら、日没はどうせ誰にでも訪れる。

 刹那のように美しい、限りある時間を思いきり楽しもうよ。そうだろ?

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マジックアワーをキミに 片瀬智子 @merci-tiara

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