VAMP’S

@natsuki

第1話 高架線

河川敷をブラブラ歩いた。今日は高校の初登校日だってのに曇り空の中を歩く。

同じブレザーを着た女子が元気良くママチャリで追い越してゆく。

 遠くまで続く高架線を仰ぎ見た。高架線のてっ辺を見なければいけないような気がしたのだ。

何億年も前に見たような空がそこにあった。

そんな風景を切り裂くように赤や黒のスポーツ・カイトの群れが横切ってゆく。

映画のワン・シーンにそんなのがあったなと思う。


 多分、恐らく救いのない映画だ。二次元の歌姫を愛し、虐めを受けた相手を殺してしまう中学生と、虐めの上にレイプされる中学生と、援交の果てに自殺で生を閉じる中学生が出てくる全く救いようのないりアルを描いた映画だ。


 教室に入った。これから三年間俺はここで過ごすんだな。

同じ出身中学のやつらは固まってお喋りに興じている。

教室はおおむね曇り空とはうってかわって華やいだ雰囲気に包まれていた。

 机の上に俺の名前があった。出席簿順に配置された机。俺の前の席には先客が座っていた。


机の上の名札には「神崎希かんざきのぞみ」と書いてあった。俺の席はその後ろなのだが、なぜか座るのを躊躇った。

じりじと後ずさりする俺。なぜ座るのを躊躇ったのか……なんだろう? 鳥肌が立った。

 神崎希が座っているその場所だけがぽっかりと空虚感を漂わせていた。

そこだけが人を寄せ付けない異様な雰囲気が取り巻いていた。


 無造作に肩まで垂らした漆黒の髪、切れ長の眉、まるで宇宙さえも包括しそうな蒼い瞳、薄く一文字に閉じられた唇、尖った顎、華奢な体躯、それら全てが人間離れした美しさを湛えていた。

その異常なまでの美しさに眼を奪われていた。


 気配を感じたのか、振り向いた神崎と眼が合った。その瞳は美しく澄んでいたけれど、底なしの井戸のたたずまいで俺を見ていた。

 俺ははっとした。ほんの少し前この瞳と出会ったことがあると感じたからだ。

それはほんの一瞬の出来事だった。

口元に笑みが浮かんだように見えたんだが、俺の気のせいだろう、きっと……。

何事もなかったように神崎は正面を向いた。


「謎だよな……来生きすぎ。取りあえずこの街の中学じゃないことだけは確かだ。あんな美少女いたら噂になんないわけがない」


同じ中学出身の澤木さわきがしたり顔で耳打ちした。

そして、更に続ける……澤木、お前はいつも顔が近いんだよ!


「腐れ縁だな、来生……またお前と一緒だなんてな。……神崎って、うちらのクラスの女子とは明らかに違うもんな。なんだろな、あの妖しい雰囲気ってか人を寄せ付けないオーラってかなあ」

「なに? また女子の噂してんでしょ、どうせ……やらしいんだから澤木クン……あなた?、ええと、ええと……来生君だっけ?」

 なんだその鼻にかかったような「クン」は、それも澤木の時だけかよ……。

 同じ中学の確か同じクラスだった志田しだって言ったっけ、なんだよ、親しいんだな、付き合ってンのかこいつら……彼女は、神崎とは正反対のショート・ヘアで快活を絵に描いたような中々の美少女なんだが、いかんせん神埼希の前では誰だって霞んでしまう。


 「来生君ってあんま印象ないなあ、中学ん時も普通中の普通って感じだったもんねぇ、来生一樹きすぎかずきねえ、名前だけは非凡な気がするけれど、それはお父様のセンスだしね、まあ平凡の中ではきっと非凡なんでしょうけど」

「あははは、志田、お前それちょっと言いすぎ」


 なんだよ、澤木と全然態度が違うじゃんかよ。

 同じ中学だった澤木とは一度だけ鼻血が出るほどの殴り合いの喧嘩をした。理由がなんだったのか、それさえ忘れるような些細なことだ。

 それ以来なぜか親しくなった。

まあ変人の俺の唯一の理解者と言うべきか……。いや、唯一の友人と言うべきか……。

 「まあ澤木は俺と違って成績いいし、中一からバスケ部のレギュラーだったしな、ってか普通だとか平凡だとかって、大きなお世話なんだよ、ほっといてくれ」

 「気付くのも遅いよね、来生君。あはは」

 屈託なく笑う志田に俺も釣られて笑っていた。

 神崎が一瞬振り向いた。 ぞくっとするような悪寒が走った。恐らく澤木も志田も、同じその皮膚感覚を味わったに違いない。

 「なに、なにか書いてある? わたしの顔に……」

その瞳に魅入られたように俺たちは眼を逸らせずにいた。

始業のチャイムがその気まずさを救った。


 ドアが開き最初に顔を見せたのはハゲ面の教頭だった。続いて入ってきたのは長身のイケメン、クラスの女子から一斉に溜息が漏れた。


「ええ、静かに……急なことで、あれなんですがぁ、担任の鴻池先生

こうのいけせんせい

が産休を取られまして、長期の休暇に入りました。で、本日より、嘉村先生かむらせんせいが当分の間、このクラスの担任をしてくださいます。新任ですが嘉村先生は優秀な方です。皆さん協力してこのクラスを……」


 教壇にたった嘉村は更に女子の溜息を誘った。百八十は軽くあるだろう長身と、よく通る低音は、その顔と相まって嫌味なほどのイケメンを強調していた。

 イケメンの司会でホーム・ルームが始まり、クラス委員長に志田が選ばれ、志田は副委員長に澤木を指名した。俺はといえば、俺は、神崎希を見ていた。


主にそのスカートから見事に伸びた美脚なんだが……。

 何かがおかしい。俺の回りには日常の当たり前の光景があった。屈託のない笑顔や、話し声や、しかし、眼には見えない悪意が俺の前にいる神崎に注がれていた。恐らく気付いているのは真後ろの俺だけだろう。


 殺気を感じた。それも身の怪がよだつほどの殺気だ。それは、見て見ぬふりをしている教壇の横に陣取った嘉村と神崎の間で交差していた。


 志田の声に我にかえった。

「はい、注目、江東中こうとうちゅう出身者が多いのでわたしが選ばれたわけですが、不平、不満、罵詈雑言は副委員長の澤木までお願いします」

笑いが起こった。


 なにも変わらない日常があった。死ぬほど退屈で、つまらない日常……俺は夢でも見てたんだろうか?

 「書記と会計は、ええと、誰か立候補いる? いない? じゃあ、わたしが指名します……本日の議題ね。さっそくですが体育祭なんですが……」

 俺はその後も前の席の神崎から眼が離せずにいた。もちろんあのイケメンとも何度か視線が合った。


 昼休み神崎から声をかけられた。

「授業中、わたしの脚ばかり見てたでしょ、違う?」

「み、み、見てない……」

 華奢だと思ってたが俺の前に仁王立ちの神崎は制服の胸元が窮屈そうなほど隆起し、何より特筆すべきはその脚の長さだ。

脚フェチの俺は自然に視線がその不自然なほどのミニ・スカートから伸びる脚に釘付けだ。

「今だって見てるじゃない! 珍しい女の生足?」

紺ソックスにピカピカに磨かれたローファーが眩しい。

「いや、み、み、見てない! それよか、どっかで会ったことあるかな?」

俺はとにかくなんとかその場を取繕おうとしどろもどろに答えた。

 教室には弁当を拡げた女子のグループが何人か残っているだけだが、そろそろ、こちらに注目を集めそうな雲行きだ。

「この街は初めて、あんたみたいなヘンタイと会ってるわけない」

「へ、ヘ、ヘンタイって!? 初対面のお前になんで俺がヘ、ヘ、ヘンタイ呼ばわりされなきゃなんないんだよ!」

 神崎の瞳は吸い込まれそうなほど透明で、俺の心は全部見透かされてるような妙な気分になる。

「初対面のあなたにお前呼ばわりされる筋合いはないわ、なれなれしい、気をつけて」

こいつ、かなりのツンだな、デレはあるのか?

「新任の嘉村、お前のこと、いや神崎のこと見てたよな。それも、スゲー目つきでさ」

はっとした顔をした。朗かに驚いた様子だ。半開きの口元から犬歯が見えた。鋭い犬歯だ。可愛い口元とは異質ななにか。

 俺はまじまじとその整った顔立ちを見詰めた。美しいものはその鋭い犬歯でさえ見詰めてしまう。

「今度、そんな無遠慮な視線向けたら死刑だから、いい、死刑!」

そう言い放つと神崎は踵を返し、教室を出ていった。


 俺は口を開けたまま暫く席を立てなかった。

「……し、し、死刑って……」

まあ、とにかくこれが神崎との会話らしい会話の最初だったのは間違いない。


 放課後俺は神崎の待ち伏せを受けた。

 「余計な詮索はしないで、うっとうしいから」

 河川敷を神崎と歩いた。気分だけは、デートなんて思ってるのは俺だけか……生まれてから十六年、女子の待ち伏せにあったのは記憶にない。自慢じゃないが一度もだ。

 「なんだよ、話があるってついてきたらそれかよ。俺なんか神崎と以前にどこかで合った気がするんだ」

睨まれた。

「なにそれ? 幼稚なくどき文句かなにか? 沈黙は金って言葉知ってる?」

にしても美しい顔立ち、俺を睨んでる瞳も、見様によっては素敵な藍色で、透明な青磁のような輝きを放っている。

「黙ってりゃいいのか、黙ってりゃそれで満足なのか? 綺麗なものを綺麗だと思っちゃいけないのか? 綺麗な脚を見ちゃいけないのか、お前を生んだ神様を恨めよ」

俺は開き直った。どうにでもなれだ。

なにもかもが違う神崎とはどうあがいたところで縁はない。

「なにそれ? ここ笑うとこ?」

疑問符ばかりの会話……。

「笑うとこじゃねえよ、正直なだけだよ、他のやつより」

「来生君、あなたなんかヘンよ」

神崎が俺の苗字を呼んだのは始めてだ。

「へんじゃねえよ。ヘンタイなんだよ」

絶世の美小女を前にして自らヘンタイだと名乗ったのも始めてだ。脚フェチだ、ニーソ萌えだ、黒髪好きだ、いやもっとマニアックな属性だってあるヘンタイだ! いやはっきり言えば河川敷を女の子と二人で歩くのも初めての経験だった。


 俺たちを沈黙が支配した。

キャッチボールをしてる家族連れ、レトリバーを連れたカップル、いつもの河川敷の風景がそこにあった。

連日の雨で多少増水した流れが白濁した表情を見せた。


「これ以上わたしに近付かないで、お願い!」

長い沈黙を破ったのは神崎だった。

「無理だよ……なんだか俺、恋したみたいだから……」

また睨まれた。しかし、目元には今まで見たことのなかった戸惑いが浮かんで、それはすぐに消えた。

「わたしのなにを知ってるっていうの! わたしの、わたしの、わたしがなにか知ってるの!?」

「知らないよ……神崎希、それだけだ」

「慙死に値する愚行だわ。許せない! 勝手に恋なんかしないで!」

 初夏の優しい風が俺に勇気をくれたのかもしれない。


 平凡に溢れかえった日常に飽き飽きしていたのかもしれない。

 神崎の非日常的な美しさに踏み込みたかったのかもしれない。

 俺の偉大なる平凡をぶち壊したかったのかもしれない。理由なんかなんでもよかったんだ。とにかく俺は一世一代の勇気を奮い起こし、神崎に告白した。

「死刑でもなんでもいいよ……俺は神崎、お前に恋したよ、たった今……」

 神崎は恐らく俺が過ごした十六年の人生で出会った最高の美少女だ。間違いようのない事実、まさに月とスッポン、 近寄りがたい美形だ。すっくと俺の前に立ったその姿は凛として紺のブレザーにチェックのミニスカという制服の幼さは残してはいるが、まるでボッテチェリのビーナスのようなこの世のものとは思えない、美を称えている。

いや、美という概念を形にするのならそれはきっと神崎に与えられるべきものなのだ。

 また睨まれた。口をへの字に曲げた顔もまた可愛い……可愛い? 俺はどうかしちまったみたいだ。

「初めてだわ、わたしにそんな告白したの……来生君、あなたが始めてよ」

ウ、ウソだろ! 神崎。それが本当なら世の中のオトコ供のほうがどうかしてる。

「ラブレターは何通も貰ったわ、それこそ何通もよ。朝、下駄箱を開けたら零れ落ちるくらいにね。でも面と向かってわたしに言い寄ったのは来生君、あなたが始めてだわ」


 見詰め続ける神崎の眼差しに俺の心臓は高鳴り、見返す俺の視線の先で神崎は恥じらいさえ見せた。

「始めてついでに駅前のマック寄ってかないか、おごるよ」

「なにそれ、来生君、調子に乗った? まだわたしの脚見たりないとか……」

絶世の美少女、神崎希を前にして俺はどうやら切れてしまったらしい。言葉が勝手に喉元から溢れた。

「いや、調子には乗れない。音痴だからな……脚、見たりないってのは正解! いつまでも見ていたい」

「バカ! ヘンタイ!」


 駅前の路を神崎と歩いた。ショーウインドウに写った俺たちは不釣合いだったけれど、俺は満足だった。

なにより神埼とこうして歩いている、それだけで楽しかった。

指が触れた。思い切って神崎の手を握った。十六年分の勇気を振り絞った。

神崎は小首をかしげ俺を睨んだ。

「なに、これ? 誰がこんなことしていいって……」

「神崎の手、冷たいな。俺が暖める、俺が……」


 心臓が高鳴り、掌に汗が滲んだ。制服で一度拭きさらに神崎の手を握りなおした。今度は何も言わなかった。


 マックのメニューは俺が決めた。神崎は一度も入ったことがないと言ったからだ。

とりあえず食べた。相変わらずの混雑した店内、他校の男女の視線が一斉に神崎に向けられる。嫉妬と羨望のため息、つづいて俺を見る。落胆と困惑、なんでこんなブサメンとって声が聞こえそうだった。大きなお世話だ。

「食べないのか、マックめちゃ上手いよ」

「うん、始めてだから……」

「飲めよ、シェイク」

「うん、飲んだことないから」

「な、な、上手いだろ」

神崎は怪訝そうな顔をしていたが、それが、笑顔に変わって俺はなんだかほっとした。


「よっぽどのお嬢様なんだな、マック食べたことないなんて……」

「機会がなかっただけよ。バカにしてるの?」

「んなことない。ジャンク・フードは食べないのかと思ってさ」

「美味しいわ、これ」

 神崎はほんとに美味しそうに人生初のマックを齧った。

「好きな音楽は」と俺。

「バッハ、ベートーヴェン、モーツアルト……」

知らなかった。まじ気まずいじゃんか。

「俺はミスチルとかグリーンとかバンプとか…… 」

「知らない」

一言で片付けられた。

「好きな作家は?」と俺。

「シェークスピアとかゴールズワジーとか、ストーカーとかレ・ファニュとか太宰とか芥川とか三島とか色々」

読んだこともなかった。俺の愛読書は主にラノベだ。話が進まない。

「中学の時彼氏はいた?」と俺。

「答えたくない、私的なことよ。それよりそのマヌケ面とくだらない質問なんとかして……」

 言いながらシェークを飲み干した神崎の頬が可愛くしぼんだ。そんなしぐさ一つ一つに胸キュンだった。

ポテトを頬張りながら「これ、すっごく美味しい」とかマジな顔で言われるとなんだかとても新鮮な気がした。マックを知らない女子高生なんているんだろうか? いや現にここにいる、俺の眼の前に……。

「趣味は罵詈雑言か?」と俺、矢継ぎ早に質問するしか間が持てない。

神崎が始めて俺の前で笑った。天使のような笑顔だった。


「笑ってる顔のほうがいいな、神崎にはずっとそれが似合うよ」

「あなたバカなの、それとも厚顔無恥なの、それとも他の何か?」


 信号が青に変わった。

「また明日ね……」

「今日が終わらなきゃいいのにな」

神崎がはにかんだ笑みを見せた。

急に映像がスローモーションになった。

神崎の髪が密かに揺れた。俺の頬に神崎の唇が触れた。まるで天使の羽みたいなキッス。

「マックのオマケよ、予期してなかったでしょ」

 神崎の言葉には重力がなかった。横断歩道を渡る姿はまるで蝶のように軽やかだった。

「明日も明後日もずっと一緒にいたい!」大声で叫んだ。

聞こえたんだろうか、神崎はすでに横断歩道の中ほどにいた。

点滅する信号、神埼が手を振った。

 歩行者の間から悲鳴が聞こえた。

信号無視の真っ黒い乗用車が神崎に向かってゆく。

俺は、とっさに走り出した。

「神崎!」

 突き飛ばした神崎が歩道の端に転がった。

「き、来生君!」

 車は全くスピードを落とさず神崎がいた場所に突っ立った俺に向かってきた。

運転席の人影が見えた。

「きゃあああああ!」

神崎の悲鳴と俺の身体が吹っ飛んだのはほぼ同時だった。

 空が見えた。真っ赤に染まった空だ。数メートルぶっ飛んで地面に叩きつけられた。

 コンクリートに転がった俺……朦朧とする意識の中で神崎の胸に抱かれている自分を知った。

額にぬめっとした感触。血がだらだら流れ、無機質なコンクリートに落ちた。

「死ぬんだな、俺……」

「き、来生君、死んじゃ駄目! 許さない、始まったばかりよ……なにもかもこれからよ……」

 頬に落ちた。白濁する意識……大粒の涙が神崎の瞳から俺の……暗闇……「来生君、来生君……」

……神崎、死ぬんだな俺、お……れ……。


 俺は知った。高架線のてっ辺にいた。

あの日、カイトが横切ったてっ辺に確かにいたのだ。

そして、俺を見詰めていた。そうだ! 間違いない、間違いようのない瞳の輝き……神崎希が俺を見詰めていた。

高架線のてっ辺から俺を見詰めていた影は確かに神崎希だったのだ。

蜃気楼のようなその姿を包み込む漆黒の羽は紛れもなく神崎の背中を覆っていた。

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