最終話 一方通行で十分に分かりみが強くて幼馴染が尊い

 珍しく志穂が不機嫌だった。


 黒タイツ先輩――冷泉先輩にしばかれた帰り道。

 俺と志穂はなんだかいたたまれない空気というか、ボタンを掛け違えたようなぎくしゃくした空気で、暮れなずむ街の中を歩いていた。


 心地、志穂の頬が膨らんでいるように見える。


 やきもちだろうか。

 俺が黒タイツ先輩で勃起したことに、やきもちをやいているのだろうか。


 思えば、ここの所なんだかんだで、いろんな人から迫られることが多かった。

 秋田さん、黒タイツ先輩、ともすれば友原さん、同性だけれど後輩たち。


 自分で言うのもなんだが、モテ期が来ていた。

 一生に一度、あるかないかのモテ期の波が俺の人生に打ち寄せていた。


 そんな状況にあぐらをかいて鼻の下を伸ばしていたのが志穂の嫉妬を呼んでしまったのだろうか。だとしたら、それは完全に俺の過失である。


 もっと志穂のことを大切にしてあげるべきだった――。


「……言っておくけど、やきもちで怒っている訳じゃないからね」


「えっ!? 違うの!?」


「ぜんっぜん違う!! もうっ、洋太ってばほんとそういう所!!」


 どういう所なのだろうか。

 彼女はいつも、俺の思っていることを的確に見抜いてくれる。

 けれども同時に、いつだって、彼女自体がそれについてどう思っているのか、絶妙に隠して俺に本意を伝えるのを避けてくる。


 それが辛いかと言われれば、正直辛い。

 もっと本音を俺に対して言って欲しい。


 これだけ俺について正確に理解してくれていると言うのに。

 俺は志穂のことを少しだって理解することができていない。


 もし、本当に、二人の間に確かな絆があるのだとしたら。

 幼馴染という間柄を越えて、俺たちの間に確かな愛が存在しているとしたら。

 志穂が俺のことをなんでも分かるように、俺もまた志穂のことをなんでも分かるようにならなければおかしい。


 やっぱり、俺は、志穂にとってふさわしい男ではないのだろうか――。


 彼女が何に怒っているのか、そんなことも分からない奴が、本当に彼氏になれるのだろうか。夫になれるのだろうか。伴侶になれるのだろうか。

 人生という道を隣に並んで歩んでいくパートナーとしてふさわしいのだろうか。


「……ごめん、言葉が足りなかった。嫉妬をしてない訳じゃないの」


「……どういうこと?」


 志穂が半歩前に歩み出して俺に言った。

 初めて、彼女が自分の気持ちを、俺に言ってくれた気がした。

 いや、正確には――こういう時の気持ちを吐露してくれた気がした。


 それを彼女の口から喋らせてはいけないのかもしれない。本当なら、志穂のように察してカバーしてあげれるのが、人間として正しいのかもしれない。

 けれども、もうその短い言葉だけで、俺は彼女が今抱いている感情について、正確に理解することができないだろうなと、そういうことを直感した。


 嫉妬している。

 けれども、それで怒っていない。


 じゃぁ、なんにいったい彼女は怒っているというのだ。

 今までのこともそうなのか。彼女は何か俺が想像するのとは違う、彼女特有の事情により、それ以上の感情を伝えることを躊躇って来たのか。


 だったら分かる訳がない。

 分かる訳がないが、分かりたい。


 だって――。


「志穂!!」


 びくりと志穂の肩が震える。

 俺の前に彼女が歩み出た理由は流石に分かる。

 彼女は、俺にその表情を窺われるのを警戒しているのだ。

 その反応を俺に悟られたくないのだ。


 女心。人に自分の気持ちを悟られたくないと思うそんな心が、志穂の中にも確かにある。


 そこまでは分かるのだ。

 愚かな俺でも分かるのだ。


「俺は知りたい。お前のことをちゃんと知りたい。お前が俺のことをちゃんと理解してくれるように、俺もお前のことをちゃんと理解してやりたい」


「……洋太」


「だから話してくれよ。俺は、馬鹿だから、言って貰わないとまだお前が何を考えているのかわからないんだよ。これから、お前に教えて貰って、少しずつ何をお前が思っているのか、分かるようになっていくから。だから、今のお前の気持ちだけでも教えて欲しい」


 そうすれば、俺は志穂のことをもっと分かるようになれる。

 彼女の隣に立つのに、ふさわしい男になれる。


 君が望む、理想の男になることができ――。


「言えないから苦労してるんじゃないの!! もうっ!! 馬鹿ぁっ!!」


「うぇえぇっ!?」


「アンタの事だから、私のことをちゃんと理解できるようになれば、きっと付き合えるとか、結婚できるとか、夫婦になれるとか、カップルになれるとか、そういうことを考えてるんでしょう!! それが正解だと思っているんでしょう!!」


「……違うの?」


「違うの!! 答えは分かって欲しくないの!! できる限り、私の考えていることを分からずに、鈍感でいてもらいたいの!! 私は!!」


 どうして。

 いつもと言っていることがなんか矛盾していないか。


 だって、ほら、何かことあるごとに、俺の考えることを言い当ててはしょうがないなって感じで志穂ってばため息を吐いてるじゃん。俺の想像力が足りないことに呆れて、なんか不満そうな顔をしているじゃん。


 なのに、分かんないで欲しいとか支離滅裂じゃないか。

 言葉を交わさなくても、ツーカーにお互いの思っていることが分かりあえる。そういう間柄になりたいと、そういうことじゃないのか。


 俺は割と、そういう方向で動いていたんだけれど、違うというのか。


「今、お互いが言葉を交わさずにコミュニケーションが取れる、そういう気の置けない仲になるのが正解なんじゃないかって思ったでしょ?」


「分かってる!! やっぱり志穂!! 俺のことを分かってる!! その通り!!」


「洋太はそれでいいかもしれない」


「うん。志穂が、俺のことを分かってくれているたびに、なんというか、とても嬉しく感じる。だから、俺もそうなりたいと思った。そういう男に俺はなろうと思っている」


「けど、私は違うの。私は、洋太に、私が考えていることなんて、別に分かってもらいたくないの」


「もらいたくないの!?」


 力強く頷く志穂。

 背中越しに見るその表情に、いっさいの迷いはない。

 本心から、彼女はそう思っていることは間違いなかった。


 けれどもなんで。

 どうして。

 どういう理屈で。


 志穂だけが俺の気持ちを分かっていて、俺が志穂の気持ちを分かってやれないなんて、そんなの全然対等な関係じゃないじゃないか。俺だって、ちゃんとお前の気持ちを分かってあげて、フォローするようなことをしてあげたい。


 今だって、もし本当に必要なら、お前がそのことで悩んでいると言うのなら、すぐにでもその華奢な背中を抱き留めて、大丈夫だよといってやりたいんだ。

 そう思っているのだ。


 心の底から志穂、お前のことが好きなのだ。


 なのに、どうして。


 志穂。

 やっぱり、志穂は俺の事、嫌いなのか。

 幼馴染が長すぎて、俺の事を恋愛対象として見れないのか――。


「それも違うから!! それだけは絶対に違うから!!」


「……えぇっ!!」


「もうっ!! ほんと!! なんで洋太ってばそうデリカシーがないのよ!! そんなんだから、私はアンタと一緒に居るのが怖いの!! 恋人とか、そういう関係になるのが怖いの!! 分かってよ!! 分かって欲しくないけれど、分かってよこの気持ち!!」


「分かって欲しいのか、欲しくないのか、好きなのか、嫌いなのか!! どっちなんだよ志穂!! 教えてくれよ、お願いだから!!」


「好きに決まってるでしょ!! ずっと一緒に居るんだから!! 好きで好きで好きすぎて、ちょっとしたことで嫉妬して、必要ないほど気を揉んで、みっともないくらいにアンタと一緒にいたいから――」


 と、そこまで言い切って、彼女は耳の先まで真っ赤にしてその場に立ち尽くす。

 こっち来ないでという感じに肩を怒らせたまま、その表情を少しだって漏らさないように両手で覆って、その場に立ち尽くす。


 えっ、と……。


 つまり、その……。


 あぁ……。


 今、ようやく、知られたくないという気持ちが分かった。

 ついでに彼女のおそろしいほどの本音も分かった。

 分かりすぎて、確かに辛かった。いや。辛いって言うか、うん。


「……志穂。そんなに、気にしなくてもいいんじゃないのか?」


「気にするのォ!! ヤなのォ!! 恥ずかしくてしんじゃいそうなのォ!!」


「いや、俺もその、なんて言ったらいいか。恥ずかしくて死んじゃいそうっていうのは分かるというか。面と向かって好き好き言われると、ギャップが凄いというか」


「分かったか!! この唐変木!!」


 くるりこちらを振り返って、志穂は涙目で睨んでくる。

 狐色したショートヘアーがふわりと揺れて、子供の頃から変わらない優しい石鹸の香りが漂ってくる。


 小さい頃からずっと見ている隣に住む幼馴染はやっぱりどんな顔でも可愛くて。

 そして、こんなに一緒に居るというのに、飽きないくらいに魅力的で。


 とびっきりミステリアスと思わせて、必死にその本心を隠したい乙女だった。


「私はいつもこれに耐えてるの!! けっこういっぱいいっぱいでしんどいの!! 洋太にそういう思いをして欲しくないの!!」


「……分かった」


「嫉妬してるとか、よからぬことを考えてるとか、人の恋路を邪魔してるとか、そういう自分に自己嫌悪してるとか、そんなことまで分かって欲しくないの!! 割とそんなのしょっちゅうなことなんだから!!」


「……分かった」


「なにより私はアンタの幼馴染なんだから――洋太に負けないくらいアンタのことが大好きなんだから!! だから、黙って信じて唐変木しててよね!!」


 でないと、恋人なんて安心してなれないじゃない。


 その言葉を志穂は言わない。

 言わないけれど――ようやくわかった。


 あぁ、そうだ。

 やっぱりそうなんだ。


 志穂は俺の事をなんでも分かってくれる。

 ここまで言えば、俺が察してくれると分かってくれている。


 本当の本当に――。


「……幼馴染がわかりみが強くて尊い」


「言うと思ったわよ!! もうっ!! 感謝してよね!!」


【了】

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俺の幼馴染がわかりみが強すぎて尊い kattern @kattern

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