第59話 「……」
〇桐生院知花
「……」
手元でスマホを見る。
ライヴが終わって、華音と事務所の駐車場に向かってると…千里からLINEが来た。
『すこしお待ちください(スタンプ)』
「……」
…どこで?
どこで…待ってればいいのかな…
あたしがスマホを手にしたまま立ち止まってると、それに気付いた華音が。
「親父から?」
振り向いて言った。
「…うん。」
「なんて。」
「少し待っててくれって。」
「どこで。」
「…分かんない。」
「なんだそりゃ。」
あたしはスマホを胸に抱いて唇をキュッと食いしばると。
「ごめんね。あたし、残るから…華音先に…」
帰って。って言いかけて…
「紅美と出掛けたりしないの?」
華音の顔を覗き込んで言ってみる。
「…陸兄にバレないようにしてるんだから、あまり大っぴらに言うなよ。」
「なんで陸ちゃんに内緒?」
「…紅美の男関係には過敏なんだよ。」
「…そう。」
よくわかんないけど…これ以上は詮索しないでおこう。
「んじゃ俺帰るわ。」
華音はそう言って手を上げて歩いて行ったけど、ふと何かを思い出したように戻って来ると…
「親父と一緒に帰って来いよ?」
あたしの前まで来ると、人差し指を立ててピシッと言った。
「…千里が…戻るって言ったら…ね?」
少し控えめにそう答えると。
「強引にいけよ。」
華音は右手を握りしめて。
「負けんなよ。」
そう言って…今度こそ帰って行った。
「……」
強引に…か。
…そうよね。
千里はあたしに、『本当の私』とやらを見せろって歌ってくれた。
そして…千里も、弱い自分を見せてやるって。
…今思い出しても…体が痺れたような感覚になってしまう。
千里が…あたしのために作ってくれたラブソング。
#######
返事をしなかったからか、千里からLINEが来た。
だけどディスプレイには、いつものスタンプはなくて…
『もうすぐ片付くからルームで待ってろ』
「……」
文字が、来た。
それに少し感動してると、続けて…
『待ってて欲しい』
「……ふふっ。」
両手でスマホを抱きしめて空を見上げる。
待ってろ…で、いいのに…
あたしが色々言っちゃったから…気を使ってくれてるのかな。
『早く来てね』
あたしがそう返信すると。
『頑張ります(スタンプ)』
いつもの…猫のスタンプが来た。
それを眺めて笑顔になって。
あたしはゆっくりと事務所のロビーに入った。
B-Lホールとは大きな道路を挟んでて、横断歩道を渡って交差点の角を曲がるだけ。
歩いて10分もかからない。
ライヴを観に行ってた社員さんも多いのか、ロビーにはホールから戻って来た風な人がたくさんいて。
「あ~興奮した。」
「帰って録画見る楽しみも…」
「アンコール半端なかった!!」
って声が、あちこちから聞こえる。
ああ…すごいなあ…
あたしはまた、ステージでの千里を思い出して感激してた。
「知花さん、行かれてたんですか?」
ふいに声をかけられて振り向くと…三都君。
「あ…ええ。」
「すごかったですね…もう…感動と興奮で、いまだに夢見てるような気分です。」
「ふふっ…ありがとう。ほんと…すごくいいライヴだった。」
「ラブソング、泣きました。いつまでも仲良し夫婦でいて下さいね。」
「…ありがとう。」
##########
三都君とそんな会話をしてると、スマホが震えた。
誰かな?と思って見ると…千里。
写真…?
LINEを開くと、そこには…エピメディウムの写真…
…あたしも図鑑でしか見た事がないけど…
千里、こんな花を知ってるなんて。
花言葉まで知らなくて、あたしはロビーの椅子に座って検索を始める。
エピメディウム…
『あなたを離さない』
「……」
その文字を見て…少しだけ唇を噛んだ。
千里は…どうしてこう…
……ううん。
あたしは、どうして…不安になったのかな…。
千里はこんなにも、あたしの事…愛してくれてるのに。
どうして、気付けなかったんだろう…。
ゆっくり立ち上がってエスカレーターに向かう。
ルームで…どんな顔して待ってればいいの?
あたし…千里に…
「まだこんなとこいんのかよ。」
ふいに後ろから手を掴まれて、驚いて振り返ると…
「千里…」
「早く来いっつーから、走って来た。あー…疲れた。」
「……」
ロビーには、たくさんの人。
『神さんだ!!』とか『お疲れさまでした!!』とか『サイコーでした!!』って声が飛び交って。
千里は空いた方の手で髪の毛をかきあげた後、周りに手を上げた。
そして…
「賛辞の声は向こうでもらった。俺は一刻も早く嫁と帰りた」
千里の言葉が止まる。
あたしが…背伸びして、ギュッと抱き着いたから。
周りからは『おおおおおおおお』ってどよめきと、冷やかしの声。
だけど…こうしたいの。
こうしたかったの。
あたしから。
みんなの前で、あたしのために歌ってくれた千里に…
こうしたかったの。
「…どーした?」
「……」
「血迷ったか?」
耳元に…千里の声。
「…うん…」
あたしは千里の胸に顔を埋めたまま、小さく頷くのが精いっぱい。
恥ずかしい。
だけど、もっとギュッとしていたい。
離れてた分まで。
離れたいってあたしの後悔分、全部。
やがて…背中と頭に千里の手が来て。
ギュッ…と、抱きしめられた。
「…マンションに連れて帰っても?」
冷やかしの中、千里は小声で続ける。
「…打ち上げは?」
確か…打ち上げがあるって、MCで誰かが…
「パスして来た。」
「…いいの?」
「こうなった俺を、誰が止められる?」
「……ふふっ…」
千里はあたしの前髪をかきあげて顔を上に向けると、額にキスをして。
「早く帰ろうぜ。」
小さく笑った。
「…うん。」
止まない冷やかしの中を。
あたしと千里は手を繋いで外に出た。
千里が生活してる、父さんのマンションはすぐそこ。
ギュッと繋いだ手は、離されないまま。
「会長を義母さん、社長を里中がする事になった。」
マンションに向かって歩きながら、千里が話し始めた。
「えっ?母さんが会長?」
「ああ。」
「…千里は…?」
「俺はサポートはするが…とりあえず歌ってるだけでいいかな。」
歌ってるだけでいいかな。なんて…
千里は歌ってても、いつも誰かの事を気にかけてる。
だから…きっとこの人事についても…父さんに口添えしたのは千里なんだろうな…。
「…母さんと里中さん…何だか…」
「すげー事してくれそうだろ?」
そりゃそうだけどっ。
「…そんなに嫌だったの?」
どうなのかな…と思って、千里の顔を覗き込んで言うと。
「いずれは義母さんの後釜で会長になる。」
千里は、サラッとそう言った。
「ただ、今は…高原さんの創った物を、義母さんに動かしてもらうのもありだなって思ったんだよなー。」
「……」
マンションの部屋に入ってすぐ…抱き合ってキスをした。
「知花…」
離れてたのは、ほんの数ヶ月なのに…千里のぬくもりが懐かしい気がした。
千里は…父さんの事も、母さんの事も…そして、事務所のみんなの事も。
本当に大事に思ってくれてるんだな…って痛感した。
父さんの創ったビートランド。
いずれは自分がそのトップに立つ。
その覚悟は…出来たみたい…。
だけど、その前に。
母さんに…って思ってくれた事。
後何年生きていられるか分からない父さんにも、最高のプレゼントだと思う。
だって…
母さんが関わるって事は…父さんだって、完全には手を引けない。
父さんの生き甲斐は、音楽だもん。
母さんと一緒にその場にいられるなんて…それ以上の幸せ、ないよね。
「知花…頼みがある。」
あたしの耳を甘噛みしながら…千里が言った。
「…何…?」
「年内だけでいいから…ここにいさせて欲しい。」
「…戻らないの…?」
それは少しショックで。
あたしは顔を上げた。
すると千里は…
「…できれば、おまえも一緒に。」
そう言って、チュッてキスをした。
「……あたしも?」
「新婚みたいに、二人きりで。」
「……」
「大晦日ぐらいに、桐生院に戻るってどうだ?」
「…新婚みたいに、二人きり…?」
「ああ。ここでおまえといたら、最初の結婚を思い出した。」
「……」
最初の結婚は…偽装結婚で。
だけど…気が付いたら気持ちが繋がってしまってたあたし達は…
あのマンションで、束の間だったけど…新婚生活を味わった。
…確かに、何度かここに食事を作りに来て。
一緒に食べて。
険悪になったりもしたけど…
少しだけ、あの頃を思い出しもした。
再婚の時は…千里が婿養子に入ってくれて。
すぐに桐生院で暮らし始めたから…
「…二人きりって…緊張しちゃう。」
「お互いがよく知れていいんじゃ?」
千里の手が、あたしの頬を撫でる。
あたし達…もう、ずっと夫婦で…お互い歳も取ったのに。
「…嫌いにならない?」
「まだ、んな事言うのか?」
「だって…」
今も、あの頃と変わらず…
ううん。
あの頃よりもずっとずっと…
「覚悟しとけっつったろ。」
「……そうだった。あなたも覚悟してね?」
「ははっ…分かった。」
大好き。
あなたの事…すごく、すごく大好き。
そうしてー…あたし達は。
31年振りに、二人きりでの生活を始めた。
咲華はライヴの五日後、笑顔で渡米し。
桐生院では両親と華音と華月と聖が生活をしてて。
もしかすると…来夏には、誓と乃梨子ちゃんも戻って来るかもしれない。
毎年盛大に行うクリスマスイヴも、今年だけは二人きりで過ごした。
夢のような一ヶ月半を過ごして、あたしと千里は大晦日に桐生院に戻った。
その間の、甘い甘い出来事は。
またいつか、誰かにこっそり話すかもしれないけど。
宝物だから…
…内緒にしちゃおうかな…。
聞きたい?
千里がいいって言ったら、教えるね?
43rd 完
いつか出逢ったあなた 43rd ヒカリ @gogohikari
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