蕎麦談義

高橋志旅

蕎麦談義

 白地に青と銅色のラインの入った新幹線が、ゆっくりと上田駅へ入線してゆく。それをホテルの窓から眺めながら、俺は相棒に声をかけた。

「おい。もう十一時だぞ。今日こそは蕎麦を食いに行くんじゃないのか?」

 返事はない。

「昨日は結局居酒屋で晩飯を済ませてしまったから、明日こそは、って言ってただろう」

「あー」

 どうやら二日酔いらしい。相棒はベッドに横たわったまま、苦しげな声を出した。

「行かないのか?」

 語気に少しいら立ちがこもった。何のためにはるばる信濃、上田まで来たというのか。俺の物言いにまずいと思ったのか、次の返事は早かった。

「昨日、夜食用に買ったカップ麺があったろ。俺はそれでいいや。まだもう一日あるし、どこかで食べられるだろ」

 確かに上田に二連泊するが、明日の午前中には新幹線で富山へ向かう予定になっている。旅行の計画を立てたときは、「蕎麦で食い倒れよう」とまで言っていたのに、これでは行けても二軒がいいところだろう。

 相棒は、てこでも動かなそうだった。仕方ない。一人で行くか。俺はホテルのカギを持って部屋を出た。奴が出かけたいと思っても、俺の知ったことではない。



 長野中の青空を集めたような快晴の下、上田の街を歩く。まず向かうのは上田城だ。その近くに評判の蕎麦屋があるという。

 城へ続く坂を上りきり、少し行くと「さなだや」を見つけた。目当ての店だ。俺は六文銭を染め抜いたのれんをくぐった。

「いらっしゃいませー」

 店内は和のテイストでまとめられており、落ち着いた雰囲気を醸し出している。客は観光客よりも地元民が多かった。

 俺はカウンターに腰かけ、ざるそばを一つ注文した。

 ほどなくして蕎麦は来た。同時にカランカランという入店ベルとともに坊主頭の男子高校生が入ってきた。野球部の練習前に寄ったのだろうか。エナメルバックとバットケースを持っている。彼は俺の後ろのテーブル席につき、俺と同じくざるそばを頼んだ。



 俺は蕎麦が好きだ。だからといって通というわけでもない。だから蕎麦の正しい食べ方も知らないし、いつも我流で食べる。手順は以下の通りだ。

 まず、つゆにつけずに蕎麦だけ頂く。うん、うまい。蕎麦の香りが鼻を心地よく抜けてゆく。つゆにつけた後にこれをやると、蕎麦だけの味では薄すぎて蕎麦の香りを楽しめない気がする。

 次に薬味を入れずにつゆだけに蕎麦をつけて食べる。やはり、うまい。ネットの評判は確かだった。これで半分ほどいただく。

 最後は薬味だ。わさびが蕎麦の風味を壊すと聞いたことがあるが、俺はネギもわさびもすべてつゆの中に投入する。それが一番うまい気がする。よし、いくぞ。薬味皿に乗ったネギとわさびを、蕎麦猪口に入れようとしたとき、後ろで素っ頓狂な声が響いた。

「そんなことをしちゃいかん。蕎麦の香りが台無しだ!」

 びくりとして振り返ると、頑固そうな初老の男性が怒っていた。しかしその怒りの矛先は俺ではなく、先ほどの男子高校生に向いていた。野球部の彼の動きは老人の一声で一瞬止まったが、すぐに何のためらいもなく薬味皿の中身を蕎麦猪口へざらっと投入した。そしてものすごい勢いで蕎麦をすすり始めた。

 老人はその様子を見て、くどくどと説教を始めた。話は蕎麦の起源にまでさかのぼり、聞いていた俺も納得するような内容だった。

 薬味を入れようか迷っていると、男子高校生の彼が、

「お会計、お願いします」

 と、席を立った。依然として続く老人の説教を無視し、足早にレジへと向かう。ちらりと後ろを見やると、綺麗に完食していた。なんという早食い。相当に腹が減っていたとみえる。

 彼は財布から千円札を取り出し、お釣りを受け取ると、最後にぼそっとこう言って立ち去った。 

「こっちは腹いっぱいになりゃいいんだよ」

 小さい声だったが、そのはっきりとした口調は老人にも俺にも届いた。そのセリフがかっこよくて、そして皮肉っぽくて、なんというかとても心地よかった。

 老人は言い返すこともなく、少しうつむいて自分の残りの蕎麦を食べ始めた。表情は読み取れなかったが、きっとばつの悪い顔をしていただろう。

「そうだよなあ」

 俺は小声でそうつぶやくと、去っていった彼と同じように薬味をすべて蕎麦猪口へざらっと投入した。



 腹が膨れて満足した俺は、上田城に立ち寄ってからホテルへ戻った。

 相棒は少し腹を立てていた。三時間もホテルで足止めを食らったからだ。

「何で鍵持ってくんだよ。ノックすりゃ済む話じゃねえか」

 机には食べ終えられたカップ蕎麦の容器が置いてある。俺は少し考えてからこう言った。

「いや、すまなかった。人それぞれだもんな」

 相棒は怪訝そうな顔をしたが、俺は構わずに続けた。

「ここからちょっと行ったところに、うまい蕎麦屋を見つけたんだ。夕食はそこにしよう」

 あの一件がなかったら、相棒と喧嘩になっていたかもしれない。野球部の彼のおかげで、俺たちは楽しい旅を続けることができた。

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蕎麦談義 高橋志旅 @Shiryo963

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