二話:黄昏

「君たちに製鉄師として働いてもらおう」

「製鉄師として……」


 景は聞いたままを繰り返して、それから何をかを言おうとした。が、どんな言葉も出てこなかった。


「最近、関東じゃ魔女・少女の誘拐が相次いでいるだろう。そのせいであちこち人手不足でな」


 困ったものだと溜め息ひとつ。発言のわりに顔色は少しも変わらない。

 人口が集中するからか、件の犯人は関東圏をターゲットにしているようで、連日ニュースで報道される行方不明者の数は増えている。

 直接的でないにしろ、そんな大事件が関連すると思うと景には荷が重い気がした。


「俺でいいんですか」

「さぁな」


 蜜柑は椅子から立ちあがるとそういい放つ。素っ気ないと思ったのか「君たち次第だろう」と付け加えて、景にも離席を促した。あわてて飲み干したコーヒーは、やっぱり苦く感じなかった。


「今回の連続誘拐事件を受けて聖銑学園では国語科と生物科が不審者の洗い出しに協力しているんだ」


 夕陽の射し込む廊下はちょうど食べ頃のオレンジ色に染まっている。保険医の銀髪は吸い込むように色合いを映して、まさしく蜜柑ちゃんという感じ。


「聖銑ってそんなこともしてたんですか。警察とか、役所とかじゃなく?」

「学園にいると忘れがちだが、総人口に対するOI能力者は決して多くはないからな」

「あぁ、まぁ、確かにそうか……」

「ピンと来ないかな?」


 言いながら、蜜柑は景を見上げた。ちいさな指先で眼鏡をつんと押し上げると、その奥の目はガラスの反射で見えなくなった。


「相手が製鉄師だった場合。そしてそれが攻撃性をもつ場合。一般の警官じゃ辞世の句も読めやすまい。時間稼ぎにもならない」

「……それは、こっちも製鉄師だったら、時間を稼げるってことですか」

「そうだといいな」

「……っ」


 ぞくん、と背筋が震える。そうだといいなという台詞に含まれる意味を否応なしに理解させられる。逃げる暇も与えられない、否、逃げられない死地が展開しうる、製鉄師兵器の現実。

 日焼けの後のようにジリジリと痛む首を擦り、先を歩く蜜柑を追う。蜜柑は生物実験室の前で止まり、その奥、準備室へと入っていく。生徒は立ち入らない暗黙の了解があるので、景は扉の前で待っていた。


「さて、さっき話したことだけれども。浮上した不審者に会っておいで」

「……えええ!?」


 ひょいと半身だけ実験室に戻ってくると、蜜柑は紙束を景に手渡した。どうやらその不審者とやらの資料らしい。一番上には隠し撮りがクリップで留められていて、景にはなんだか刑事ドラマの小道具のようにも見えた。


「えぇー、そんないきなり……」

「いきなりもお稲荷もあるまい。この程度のおつかいなら一年の製鉄師だって受けていく」


と、準備室からの声。何をしているのかは見えないが、書類を揃える音が聞こえてくる。


「そ、そういうものなんですか? ……でもなぁ……だいたい若葉区の不審者って正体割れてるじゃないですか。区役所管轄じゃないですかー?」


 ぶつぶつ言っていると蜜柑は準備室から出てきて、白衣の埃を払いながら答えた。


「区役所には魔鉄歴99年99月99日にカリフォルニアから移住してきた、と正式な住民登録があるらしいよ」

「げ、不審だ……」

「あと60年でタイムマシンが完成するとは、長生きしなくてはならないね?」


 ははは、と白衣の袖で口元を隠し笑う。理科室に特有の広い教卓にひらりと腰かけて、蜜柑はそれから任務についての特別授業を施した。本来は別な先生が窓口になるところを、職員会で不在のために蜜柑が執り行うというので、曰く「特に特別」だという。


「……斯々然々と、こんなところか。質問はあるかな?」

「いえ、分かりやすかったです」

「ならよかった。では最後に」


 手渡されたのはモスグリーン、学園の制服と同じ色の小箱だった。開けろと目で示されて、恐る恐る開くと、なんの変哲もない、銀の腕時計が入っている。少しばかり大きめのデザインである以外は、数学の伊藤教諭なんかが着けていそうな生真面目な小物である。


「時計?」

「基本的にはその通り。就任祝いというやつだ」

「ということは、魔鉄器ですか」


 訊ねる景を見下ろして、蜜柑は頷いた。頭の横で夾竹桃の花と同じ色のメッシュが揺れる。


「うん。横にスイッチがあるだろう。それをオンにした状態で、ベルトでも本体でも、どこか一部に一定以上の血液が付着するとプロの製鉄師がすっ飛んで行くようになっている。任務中は着けておくといい。わかるね?」

「……わかりました」


 その通報が作動するのは、誰かを助けるためか、あるいは。

 思い当たる意図に、その用途に頭がぐらぐらする。もう歪んでいないはずの世界が、どこか違った形に見えてくる。


「じゃあ、気をつけてお帰り」


 丈の合っていない白衣の袖が左右に振られる。

 ふらりふらり、惑わされるように教室を出た。階段を降り、踊り場でようやく書類を鞄に突っ込むことを思い出した。

 製鉄師。製鉄師として。

 憧れたのは、自分もああなりたいと思ったのは確かだ。間違いなく、誰かを守れる人になりたいと夢を描いた。しかしそれが誰かを傷付けるかもしれないと、自分たちが傷付くかもしれないとあるいは見えてはいなかった。

 まるでそれはテレビを見て、それでヒーローになったつもりでいる子供そのものではないか。


「……景、景ったら!」


 いつの間にか辿り着いていた正門に、思いがけず金星を見る。明けの明星、それは見紛うことなき一番の星。


「光さん!?」

「やっと気付いた。おかえりなさい」


 にこ、と干したての布団よりもふかふかな微笑みを見せる。景はスニーカーの踵を直すのももどかしく駆け寄った。


「た、ただいま。……なんで光さんが学園に」

「別に、ただのお散歩よ」

「迎えに来てくれたんですか」


 身を翻し、つれない所作で先を歩く。夕日を透かすツインテールの後ろ姿はどんな宝石よりも美しい。


「お散歩よ。帰りが遅いから何かあったのかもとか、そんなんじゃないんだから、期待した顔で見ないでちょうだい」

「はい。奇遇、いや運命ですねっ」


 隣に並び、ごく自然に手を取った。皮膚がぴたりとくっついて、体温がゆっくり共有される。光は満足そうに、また可憐な微笑を見せた。


「そういうこと。……それで、何してたの。お勉強?」


 ちらり、と琥珀の瞳が見上げる。寝起きのように甘い時間は惜しいけれども、現実は大波のように身勝手だ。お勉強ですよと答えて先送りにすることもできるが、そう答えてはいけない。


「話さなきゃいけない……言わなきゃいけないことがあるんです。聞いてもらえますか」

「もちろん」


 空いている左手でスポーツバッグの肩紐を握った。エナメルが擦れてギュウと鳴る。

 おおきく息を吸って、すこし止めて景は口を開いた。


「光さん。俺、っ」


 製鉄師になりたいんです。一緒に戦場に赴いて、一緒に戦ってほしい。

 本当に言わなきゃいけないことは言葉にできずに、景は視線を落とした。吸った息を吐いて、わずかな酸素で低く答えた。


「……製鉄師として任務を受けてほしいって、言われて」


 唇を噛み、落ち込んだ調子でいるのを心配して、光は驚いた顔をすぐに引っ込めた。景の顔を覗き込んで問う。


「そう。……そう、危ない任務なの?」

「いや、うん。ううん?」

「どっちよ」


 くりくりと澄んで綺麗な瞳に、清い視線に悩みが読まれてしまいそうで、景はわざと目を逸らした。


「ま、まぁ話はあとで改めてしますよ」

 

 帰り着いてから、景は光に貰った資料を渡した。大好きな蜂蜜色の輝きが、景から資料に移る。ぱらぱらと捲る音を聞きながら、景は取り留めない思考に身を委ねていた。


「これ、若葉区のオカルトショップってなってるけど」

「へっ? オカルト? ほ、ほんとに?」

「ふふ、ホラーっぽいの嫌いだものね」


 幼い子供にするように、光は景の頭をさらさら撫でた。複雑な心境の六割を心地好さが占めていたので、無抵抗に目を瞑る。


「……あ、でも菖蒲くんなら何か知ってそうではありますね」


 思い至り、景はポケットから携帯端末を取り出す。光と契約してからはチェックする頻度が増えて、定位置が鞄の中から移りつつあった。

 電話をかけると、幸いにも相手はすぐに応答する。


「もしもし早乙女。珍しいな、お前から電話してくるなんて」

「ちょっと聞きたいことがあってさ。若葉区のオカルトショップ、名前は……トレッセ? ですか」


 格式ばった挨拶をするような仲でもなし、景はさっさと本題を振った。

 菖蒲は五秒考えて答えた。


「無いよ、そんな店」

「なるほどなるほど……はい?」

「だから、若葉区にはそういう専門店は無いんだって」


 そう繰り返す幼馴染みに、景もまた繰り返して訊いた。


「千葉市若葉区ですよ? 千葉市若葉区」

「何回も言わなくてもいいよ。千葉市若葉区だろ。間違いなく、無い」


 きっぱりとした声を聞きながら見下ろした資料にも、間違いなく千葉市若葉区の文字がある。景は思わず低く唸った。


「そんなはずは……あ、さては菖蒲くんからかってるんですか?」

「からかってないさ。俺がチェックしてないわけないだろ。景こそ俺を騙して遊ぼうって算段なんじゃないのか?」

「違いますー!なにやらホラーなお店があるって話だから知ってるかなって」


 と、これは失言だった。


「──待った」

「しまった……!」


 スピーカーの向こう、兄貴分の悪癖にスイッチが入る音がして、景は頭を抱えた。


「オカルトとホラーは似ているようで違うんだ!! 前者は魔法とか超能力とか宇宙人みたいな超科学的存在、後者は恐怖Horrorを楽しむ作り物で……」


 うんぬんかんぬん、どうたらこうたら。景は思わず携帯を耳元から遠ざける。隣で見ていた光が怪訝な目で見てくるので、曖昧な笑みを向けた。


「おーい! 景? 聞いてる?」

「聞いてないです」

「だろうなぁ」


 苦笑する菖蒲は気にしたふうもない。

 景は資料の写真、そこに映る人物を見て、また尋ねた。


「じゃ、じゃあホラー、じゃなくてオカルト絡みの店で金髪の、頭に長い布を巻いた店員か、もしくは常連客とか知りませんか」

「んー? 頭に布巻いた男なぁ……悪い、それも知らないな。しかし人捜しなんて、何に首突っ込んだんだ?」


 誘拐犯かもしれない人に会ってくる、なんて言えるわけもなくはぐらかそうとしたところで、景は閃いた。学園の任務、その本意は。


「……まさか、捕まってこいってことか……?」


 部屋に差し込む残照の赤が沈んでいく。入れ替わるように立ち込める夜は、あるいは愛する人に落ちる陰。

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ユア・ブラッド・マイン ~夢幻のスペクタクル~ 減塩かずのこ @genenkazunoko

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