ロスト・ボーイとシンデレラ
一話:波紋
逢瀬の終わりは夜零時。かかる魔法はかくありき。鼠を御者に、南瓜を馬車に。ゆえに夢幻は無限にあらず。
ガラスの靴を踊り場に、欠けたミュールで駆けてこそ。ちいさな靴はお城への鍵。ぴたりと合えばめでたし、めでたし。
☆
「強くなりたいんです」
「……ほー、遅めの中二病ってやつ?」
からかうようで、その実、否定を促す親友の問いかけに景は言葉を繰り返した。
「俺も、強くなりたい」
「何があったのさ」
再び促されて、携帯端末を耳から離さないまま周囲を見渡す。
天ヶ瀬邸の縁側、太陽の残照は既にない。秋の半ばの薄暗がりに、りぃん、りぃんと鈴虫が鳴いていた。
バカンス帰りの魔女たちも、自らの契約者である光も見当たらないのを確認して、それでも景は声を落として切り出した。
「このまえ、一斉避難の騒動があったでしょう」
「あー、大きめのテロだかなんだか、風の噂で聞いたよ。蘇我らへんだっけ」
携帯端末の向こう、遠く交換留学先、長野からこよりが問う。見えないのを承知で景はひとつ頷いた。
「そう。ホームルームで伊藤……センセーが近付かないようにって言ってたけど、俺あのあと見に行ったんですよ。現場検証かなんか分からないけど、まだ瓦礫の片付けは始まってなくて」
目を閉じれば、真っ暗な視界に破壊の跡が思い出せる。意味をなさない信号と、交通整理の警察官。くるくる回る赤いライトと野次馬の頭、頭、頭。どよめきはノイズのように、現場の大声を邪魔していた。
「一番びっくりしたのは魔鉄塔の上が折れて刺さってたこと。下半分はぐしゃぐしゃのボロボロに崩れて、地下に沈んでたり、地上に転がってたりしてました」
空っぽの右手で、庭の木の月影を捉える。景がもし鉄脈術を起動していれば、少し力を込めるだけで、あの木はきっと内側から崩壊してしまうだろう。
それは人間には到底不可能な鉄の魔法。その圧倒的な、惨憺たる威力。
「……正直、怖かった。ブラッドスミスはこんな、大きな力を持った……兵器なんだ、って思い知らされた気がしたんです」
前よりも長く、深く水に潜れるようになった自分自身は、やっぱり別人のようでもあると思えてしまう。否、別人というよりも、文字通りの別次元か。一体その《人ならざる力》は、なんのためにあるのだろう、と。
「でも、二人が戦ってくれたのは兵器だからじゃないんだとも思うんです。……そう思いたい。戦力としてはそりゃ『そう』なんだろうけど、だから、ええと……」
思考がこんがらがってきて、景は頭をかいた。
見上げた空には欠けた月が輝いている。夏に比べてずいぶんと湿度の下がった風はひんやりと金木犀の香りを運ぶ。
「俺も今はもう製鉄師で、光さんがいれば鉄脈術が使える。一斉避難が必要になるほどの何かから、誰かを守れるような力を使える。そうでしょ」
「うん、きっと」
黙って聞いていてくれた親友の肯定に少し安心して、また少し照れ臭くなって景は笑った。
「ま、まぁ、俺たちの鉄脈術は不器用だし、人に向けるようなものじゃないけどさ」
閉じたままの右手を開いて、何気なく眺める。そろそろ爪を切らないとなぁと、歪みなく共有可能な世界を実感した。
こよりは相槌を打って、ごくシンプルに核心を突く。
「そっかそっか。魔女様はどう言ってた?」
「え? ……それは、その……」
問いかけに答えかねて、景は沈黙した。ほんの少しだけ丸め込むことも考えたが、うまい言い訳も浮かばずに、おとなしく白状することにした。
「……それが、まだ伝えられてなくて……」
交代にこよりが押し黙ると、スピーカーからは鍛刀の音が届く。武器は作らない主義らしい親友は、聖刀学園で一体どんな魔鉄器を打っているのだろう、と景は思った。思考が逸れて間もなく、こよりは驚声と怒声が半々に混ざった叫びを上げる。
「は……はぁあ!? いやいやいや! おケイさぁ、今が何月だか分かってんの!?」
「ま、まだギリギリ10月……」
「もう11月になるだろ! ったく自分の契約者に言わずに誰に言うのさ!」
「親友……?」
「くっ、ちょっと嬉しい! ……ってそうじゃなくて!」
「あ、あーそうだ、それから」
十五センチ向こうの活火山みたいなお説教をいなすべく、わざとらしく思い出したふりをする。
「あと一人、先生に相談したんですよ」
「うん、そしたら?」
一人というところに物言いたげな様子ながらも、こよりは続きを待った。受話器を支え続けてくたびれた指をぺきぺき鳴らす。それを怒っていると解釈することもなく、景はただあったことを伝えた。
「……そしたら、ただ『そうか』って言っただけだったけど。煙が入るから窓閉めろって、それだけ」
「世知辛いなぁ喫煙者!」
けらけらと、一周まわってこよりは呆れたようだった。それ以上は追及しないで、するりと話題を変える。
「あ、そうだ。あれどうする」
「あれって?」
「アレだよアレ」
「あれあれ……ずいぶん古い詐欺ですね?」
「忘れちゃったのかよ、おケイと魔女様に魔鉄器つくるって約束したろ!」
「あ、あー!? 言ってた!」
手のひらで膝を叩いて、何もない空中を指差す。
「ったくもー。……あ、悪いおケイ、そろそろ寮の夕飯逃しちゃうから切らないと。サンプルの写真送るから気に入ったやつ選んだらメールして」
「りょーかい。今日は何が出るんです」
「今日は確か煮付けの日。なんか魚に偏ってるんだよなぁ」
誰の趣味なんだろ、とこよりは呟く。
「うーん、聖銑の寮も和食中心だったし、聖学園はみんなそうなのかも」
「そうなんだ? 魚食べるの上手くなりそうだぜ」
「いいことじゃないですか、教養ってやつ」
景が返せばこよりは「教養といえば……」まで言うものの、思い直して惜しむ。
「電話切らないといけないんだってば。じゃーまたねおケイ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
通話終了の文字が表示される端末を裏返して、そのまま自分の隣へ置く。
スピーカーがうんともすんとも言わなくなると周囲は物寂しい静けさに満ちた。
「進路、進路なぁ……」
船乗りよろしく星を見て、適当な方角を指差す。
「北北東へヨーソロー、なーんて」
言ってみるほど、都合よくは運ばない。
「それで。進路希望調査書はどうした?」
「ら、来週に出します……」
「それは先週聞いた」
所変わって、翌日放課後。教壇から威圧的に降る声に、景は思わず首を縮めた。本人、伊藤教諭にその気はないのだろうが、彼のイメージと口調がどうしても凶悪に聞こえてしまう。なんといっても進路指導部、数学科主任。あまりに堅い肩書きの末尾には、不運にも景のクラスの担任というのまである。そんな中ボスが居座るせいで、放課のチャイムに緩む空気も、教卓を中心に固いまま残っていた。
「再来週にはですね」
「それは先々週に聞いた」
「来月に」
「先月聞いた」
記憶力のいいやつめ、と思っても声には出さない。契約者ができたんならサックリ進路を定めてしまえというのが相手の主張だが、こっちはこっちなりに事情があるし、明日は明日の風が吹く。そう言い返したいのも山々なれど、それこそ『耳にタコ、口にイカ、鼻にホ●ミスライムができるぜ』と言いたくなるようなありがたいお話を聞かされかねないので口を噤む。
曰く『ちょっとおでこの面積が広いだけ』の頭を光らせて、伊藤はぐっと身を乗り出す。
「水樹ぃ、そろそろ観念したらどうだ」
「ぐう……。あ、明後日には出しますからぁー!」
分が悪すぎると身を翻し、自分の席のスポーツバッグを引っ掛ける。
「あっ待て逃げる奴があるか、こら水樹! 廊下を走るな!」
「明日から気を付けますー!」
教室の後ろから脱出すると、景は二段飛ばしに階段を駆け下りる。
気を付けると言いながらも、しかし景は不注意だった。
「わっ!? と、と……すみません!」
階段終わりの曲がり角、ちょうど進んできた人物と衝突する。
小柄な相手はバランスをとろうと手足をばたつかせフラフラしていたが、やがてぽてんと尻餅をつく。
「あてて……ん、あぁ、水樹か」
廊下に白衣が広がり、ズレた黒縁眼鏡の向こうから白銀の瞳が景を見る。流れる横髪に差されたメッシュはマゼンタ。もともとの銀を反映して、輝きを帯びている。魔女体質者で、理科ではなく保健室を取り仕切る養護教諭だ。
「蜜柑ちゃん先生。大丈夫ですか」
「大丈夫だよ。君こそ、らしくもなく急いでいたようだが大丈夫か?」
言いながら、結び目のないストレートな髪を揺らして立ち上がる。首から提げた名札の《小柴》の文字も一緒に揺れた。
「あー、あれは……」
景は来た道を返し階段の向こうを覗くと、スケートリンクみたいな額が出てこないのを確認する。
「進路部にちょっと追われてて……」
「成る程。……話くらい聞いてあげようか?」
「……じゃあ、お願いします」
「カウンセリングルームを開けよう」
聖銑学園に保険医が多いのは、怪我をしやすい環境がある他に、生徒のカウンセリング役を兼ねるからだという。精神を蝕む世界の重さを、理解はされずとも話を聞いてもらうことで僅かばかりの支えとするために、訪れる生徒がいるからだと。
危うく見えたのか、実際景自身も自覚しないうちに危うかったのか、時々、こんなふうに声がかかる。悩み事を見透かす銀の目は、まるで物語の魔法使いにも似ていた。
カウンセリングルームは一階の奥まったところにある。茶色い合皮のソファは相変わらず所々剥げかけていた。
かくかくしかじか、と景は昨日こよりに言ったようなことを繰り返した。誰かを守れる力がほしいこと。けれどそれを自分のパートナーにさえ伝えられていないこと。
「と、いうわけで。あぁ、蘇我まで現場見に行ったのは内密にどうか……」
「ふむ。まぁいいだろう」
インスタントコーヒーのマグカップを両手で抱えた蜜柑が頷く。レンズが湯気で白くなり、蜜柑はカップを置いて白衣の袖で拭いた。
ホルダーに入った紙コップで出されたコーヒーに砂糖とミルクを混ぜながら、景は複雑な心情を吐露した。
「……光さんは、俺がブラッドスミスとして鉄脈術を極めていきたいって言えば、たぶん反対はしないと思うんです。けど」
ぐるぐる、ぐるぐる、マドラーはコップの中身を曖昧な色に濁らせる。
「俺は、まだ彼女と戦場に立つことを躊躇ってる」
黒でもなく、白でもなく。はっきりしない液体は景の手元で渦巻いた。
俯いて、少しずつ、感情を整理するように言葉を組み立てる。
「……怖いです、怖いんです。あの魔鉄塔を歪めるほどの力が、ともすると光さんを襲う。そう考えると、どうにも喉が詰まって言えなかったんです」
深く、深く溜め息を吐いて、それからまだ熱いコーヒーを啜った。いつもはとても苦くて飲めないけれど、ここで飲むものだけはむしろ多少の安寧をくれる。
「そうか。……水樹、今日は何曜日だ」
不意に訊かれて、景は顔を上げると壁にかかったカレンダーを見た。
「金曜です」
「金曜といえば?」
続いた質問に首を傾げ、何かあったかと考える。
「えー、今日はプレミアムフライデーですね」
「そうじゃない。毎週金曜といえば」
「何があるんですか、燃えるゴミの日?」
「それは月木。答えは職員会議だよ。まったくプレミアムじゃない」
「あぁ、そういえば。でもそれがどうかしたんですか」
景が尋ねれば、蜜柑はにっこりと、プレミアムな微笑で宣言した。
「君たちに製鉄師として働いてもらおう」
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