最終話『底なし砂箱』後編

【美奈子がもともといた本来の時間軸】



「じゃあ、行ってくるね」

 何のタメもなく、まるで何でもないことのように、美奈子は空中に体を躍らせた。

「ええっ」

 この騒動に最初から関わっていた子どもたちと15人の大人たちは、声を上げた。

 無謀すぎる。誰もが、心からの心配からそう思った。

 子どもたちは、つぶらな瞳で美奈子の消えた穴の先を見つめた。



 警察により、現場から野次馬は遠ざけられていが、第一目撃者である子どもたちと15人の大人は、特別に現場に残ることをゆるされていた。

 美奈子は、姿を消す前に、彼らにこう言い残した。

「よく聞いて。この穴からできるだけ早く逃げて。私が考えるに、今後の展開にはふたつの可能性がある。

 ひとつ、この穴が無限に広がっていくこと。この穴の成長は、数字の二乗ペースだと思うの。2の二乗は4。4の二乗は16.16の二乗は256。256の二乗は?

 ああ、もう計算ムリ! 今はまだ4の2乗くらいだからみんなノホホンと野次馬して見てられるけど、二乗ペースで穴が拡大した場合……

 日本が全部飲み込まれるのは明日の朝。世界中が沈むのが、あさってくらい」



 一同は青ざめた。先ほどまでの日常とのギャップがありあすぎる。

 砂場で見つけた不思議な穴。それが、まさか世界の終わりを告げられるなんて……

 もし、最初の可能性が実現するなら、こんなところにいる場合じゃない。

 だからって、海外に逃げる?でも逃げた先でどうなる?結局は時間の問題だ。

「それとね、もう一つの可能性も、それほどいい話じゃないの。この穴の成長はもうすぐ止まるかもしれないけど——」

「おお、だったらそっちのほうが絶対いいじゃないか」

「……ちょっと、話は最後まで聞きなさいよ」

 中年のオジサンが、女子高生に説教される姿も妙だ。

「ひとつが無限に広がる代わりに、ちっこいのが無数に出現する、ってこと」

「なんだって?」

「数時間後には、世界各地でこれと同じ現象が報道されるかもしれない、ってこと」



 一同は、どちらにしても悲惨な「究極の選択」を考えた。ひとつの大きい穴に世界を飲まれるか。無数の穴にじわじわ襲われるか……どっちもどっちだ。

「ま、私が何とかすればどっちも回避されるんだし。じゃあしばらく待っててね」

 美奈子の背中に、恵美ちゃんは声をかけた。

「お姉ちゃん、しばらく待つ、ってどれくらい?」

 ちょっと考えて、美奈子は恵美ちゃんの肩に触れ、目線を合わせた。

「……正直、分からない。でも、みんなのためにも絶対に帰ってくる」




【浩君が存在しない時間軸】



 砂の中に入った瞬間、一瞬窒息しそうな目に遭うかと覚悟したが、すぐに息のできる空間に出た。美奈子は、穴を潜り抜けて出た先を目にし、拍子抜けした。

「何だ? 入る前と同じ場所じゃん」

 着地した美奈子は、穴が侵略しつつある公園全体と、先ほど別れを告げてきた子どたちと15人の大人が心配そうに見ている光景を目にした。

「あれ? 美奈子お姉ちゃん、もう帰ってきたの?」

「……ほぇ?」

 一瞬あっけにとられた美奈子だったが、この状況の謎を解くべく頭をフル回転させた。いや、ここはまったく同じ場所じゃない。何かが違う、何かが——

「そういえば、浩君は?」

 美奈子は恵美ちゃんに聞いたが、恐れていた(ある程度予見していた)答えが帰ってきた。

「浩君、って誰?」

「恵美ちゃんの仲良しの、保育園に通っているあの浩君」

「……知らない」



 美奈子は、この穴に何らかの「意思」のコントロールが働いていることをつかんだ。何者かが、美奈子を意図的に「本来の穴の先でない、別の時間軸(パラレル・ワールド)に飛ばしたのだ。

 本来の穴の終着地点ではない証拠に、穴に吸い込ませた元の世界の物質たちが、この次元でも美奈子のセンサーに引っかからないからだ。吸い込まれたモノたちは、ここに着いたのではないのだ。

「……私に探られちゃ、困ることでもあるのかしらね?」

 美奈子を穴の本来の目的地に近寄らせないということは、知的生命体が何らかの「計画」に則ってやっていることであろう。向こうからしたら、美奈子は「邪魔者」なのだろう。

「これは、もういっちょ、穴をくぐってみるか……」




【美奈子が関係者と知り合っていない、大人たちがいない時間軸】



「……お姉ちゃん誰?」

 恵美ちゃん、浩君、健太に加奈子。そして有紗。

 でも、有紗はパパと一緒ではなく、大人の姿は誰もいない。

 子どもたちは、誰も美奈子のことを知らなかった。子どもたち以外の誰の理解も得られないまま、ついに公園全体が「穴」に飲みこまれようとしていた。

 助けもなく、とんでもない秘密を抱える5人の子どもは、ガタガタ震えていた。

「そっか、この世界では私はこの子たちと知り合いじゃない……のか」

 心配しないで、お姉ちゃんに任せて、と元気づけてから、美奈子は再び穴の中に身を躍らせた。




 美奈子はその後、数度穴を潜り抜けてみた。

 子どもの中の誰かがそこに存在していなかったり。

 大人も、誰かが関わっていなかったり。

 警察やマスコミが、かぎつけていたりいなかったり。

 とにかく、ある条件が少しづつ違う並行世界を、飛び回らされている感じがあった。美奈子は、このままではらちが明かないと考えた。

「……どっかで勝負を決めないと、どこぞの意識体の思うつぼだわね」

 考えろ。何か、ある。何か、ヒントがある。

 この不利な局面をひっくり返す何かが——



 何度か並行世界を行き来する中で、美奈子はひとつの「違和感」に思い至った。

 その違和感に賭けてもいいが、証拠が足りない。

 もっと確かな根拠を得てからでないと、その違和感を安易に「攻撃」できない。

 もし見当違いなら、大変なことになる。

 美奈子は、何者かに観察されていることを想定し、焦ってやみくもに穴をくぐりまくっている風を装った。それによって「相手」が、美奈子が真相に近づいたことを知ってしまい、平行世界をわざと移動して「証拠集め」をすることができないようにする、という事態にならないように祈った。




【恵美と浩、有紗はいるが、健太・加奈子がいない時間軸】

 


 これで間違いない。

 ここまでのことを仕掛けてくる相手に、力で勝てるとは思わない。

 だが、何もしないのは挑んで負けるよりもっと悪い。

 少なくとも、原始レベルの知的生命体と見られようが相手に「文句」くらいは言ってやれる。

 美奈子は、ファイア・ブラスト(火炎放射)の構えに入った。

 鮮やかな深紅の火炎球が、美奈子の手のひらで膨張していった。

「お姉ちゃん、何するの……」

 おびえる子どもに、美奈子は超高濃度のエネルギーボールを命中させた。

 大人たちは、目の前で行われた幼子の殺戮に、言葉がなかった。




【光も音もない、形も時間もあらゆる概念があいまいな、歪んだ異空間】



「よく、見破ったな」

 恵美ちゃんの声を借りた何かは、美奈子に声をかけてきた。

 美奈子が恵美ちゃんを攻撃した瞬間に、この異空空間へ強制的に飛ばされた。

 並の人間なら、自分と自分でないものの定義を破壊されるため、自我を保てないこの空間で、美奈子は「粒子組成固定術」 という能力で、肉体と精神の枠組みを保って持ちこたえていた。

「何度も、条件の少しづつ違う並行世界をのぞくうちに、気付いたわ。浩君がいなかったり。大人たちがいなかったり。私がいなかったり……

 でもね、何度世界を行き来しても、どの世界でも絶対に「いる」人がいることに気付いたの。疑いがはっきりしてから20度ほど迷ったふりをして確認したけど、やっぱりだった。どの世界にも絶対いるのは恵美ちゃんだけだった」

「そうだ。私は恵美の姿を借りて、この世界を平行宇宙も含めて全部眺めていた」

 恵美の体も美奈子の体も本当はないが、無形の世界でただ意識エネルギーだけが交流を続けた。

「ゲームを最後まで見届けるためには、いたるところにいる必要があるからな」



「あの、『底なし穴』は結局何?」

「掃除機だ。お前たちの世界で言えば」

「掃除機?じゃあ、地球を含むこの宇宙銀河はゴミ?」

「我々からするとな」

 ためらいもなくそう言われると、美奈子の胸に寂寥感がこみ上げた。

 自分が誇りをもって守ろうとしているのは、相手にしたら「ゴミ」 呼ばわりされているものだからだ。こちらが立場的に劣ることは現実問題として認めるが、一生懸命生きている命に価値判断することだけは、どうしても美奈子にはゆるせなかった。



「今掃除機と言ったが、一種のブラックホールだと言ってもいい。そんな代物がいきなりお前たちの星に現れたらそもそも一瞬にしてすべて消し飛ぶが、それでは興ざめだ。ゴミをそうじするというただの「作業」にすぎない。それよりは、この星のうちのたった一人でも、我々の存在まで到達できる優れ者がいるのかどうか、ちょっと試してみたくなったのだ。

 底なし砂箱、は我々がそんな出来心で作り上げた、余興のための小道具だ」



「……この宇宙には、私たちだけではないはず。宇宙人だっているし、そこでは地球より高度な文明と精神性を実現しているはずでしょ? それも含めてゴミだというのは、ちょっと解せない」



「地球人からしたら、別宇宙の存在は高度に見えるかもしれないが、我々にしたら五十歩百歩だ。お前は、横の広がりの中で優劣を考えているが、縦に思いを馳せてみたことはあるか?

 5次元、6次元、7次元……お前たちはそのあたりまでは考えられるようだが、上次元もどこまで上があるか知っているか? 数えるのも面倒だが、我が属するところ(すでにこことかあそことかいう空間の境目さえ、誰も気にすることのない次元だが)は、お前たち流の次元の順番で言うと、500次元くらいのところだ。我々は、自分たちが最高などではなく、さらに把握できない上位がいると考えている」



「あう! それじゃ、私たちなんてゴミ以下でしょうね……でもね、ゴミはゴミなりに、精一杯間違いながらでも生きてるの! あなたたちは、私たちなんかよりはるかに「高度」なんでしょ? だったら、他をゆるすとか優しくするとか、見守るとか……そういった発想はないわけ?」



「それは、我々にはあり得ない。お前たちがいう愛や優しさ、ゆるしというのは 「愚かさ」や「捉え違い」「失敗」 などというものが存在する前提で初めて機能する。そういったものがない完璧世界(パーフェクト・ワールド)では、用を成さない感情だ。

 申し訳ないが、原始的な星々ほど、そういう「感情」が重要視されることが分かっている。愛、とお前たちが呼ぶものに関しても同様だ」



「じゃあ、あなたたちの世界に『愛』はないの? 仮にないとして、あなたたちはこの星を観察したのでしょ?素敵なものだとは、ただの一瞬でも考えはしなかった?」



「最初の質問に関しては、イエスだ。仮に、お前たちの言う愛に近いものがあるとして、苦し紛れだが『ただ、認識できる何かが存在する』というただそれだけのことへの信頼だな。それ以上の強烈な感情体験は我が種族には存在にしないし、振り回されることもない。

 だから、お前たちの単位で言う2000兆年の間、ただの一度も争いが起きたことがない。お前たちで言う、口喧嘩のレベルですら皆無だ。でも——」



「でも?」



「我々が今回、問答無用で滅ぼさず、お前のような者の挑戦を待ってみたのは、期待したからかもしれない。お前たちの星の歴史では、何度か『革命』というものが起きているだろう?」



「それが、何か?」



「革命とは、上と下が逆さまになり、入れ替わることだ。身分が低かった者が、高い者を倒し、今度はそっちが上になる。我々は自分たちを『上』だと認識してきたわけだが、それだって本当にそう決まっているわけでもない。

 誰かが定義したわけでもない。自分たちが色々外界を分析した結果、そう思ったに過ぎない。もしかしたら、下は本当に「下」なのだろうか? もしかしたら、お前たちの言う『上位次元』は、勘違いをしているのかもしれない。

 もしかしたら、リスクは高いがお前たちの在り方が生みだす「優しさ」「愛」「勇気 といったものが、実は完璧であるよりも意義のあることかもしれない、と考える意識体が我々の中でも出てき始めたのだ。我々は大きな思い違いをしており、実は野蛮だと見ていた星が優れたものを持っているかもしれない、という可能性に気付いたのだ」



「そう。だから、そういった意見を無視できなかった宇宙の掃除屋さんは、規則だからって予告もなしにいきなり消すのは抵抗があった。少なくとも、チャンスは与えてやろうと」



「そして、お前は実に見事に我々の期待に応えてくれた。どうだろう、スカウトしたら、我々の次元の住人になってくれるか? お前ほどの者はこちらでも役に立つ」



「行けるわけないでしょ。私が命懸けられるのは、自分の生きている場所と仲間が大好きだからよ。あと、JKのトレードマークである制服が着れない世界なんて、絶対イヤ」



「冗談だ。ただ聞いてみただけだ。思った通りの反応なので、思わず笑いそうになったぞ」



「あなたたちでも、笑うの?」



「いいや。知識として知っていたが、今本当にやってみたくなった」





【美奈子がいた本来の時間軸(のはず)】



「ただいま——」

「あれっ、お姉ちゃんもう帰ってきたの?」

 美奈子は、穴の先を確かめてやろうとした時点から、10分も経過してないところへ戻ったことを知った。そうか、浦島太郎の逆バージョンみたいなもんか。

「向こうは時間ってものが直線じゃなく曖昧だから、ずいぶん過ごしてもこちらでは10分しか経ってない、ってことだろうね。いやーまいった。あの穴は消してくれるって聞いたけど、どう?」

「うん、消えた」

 浩君が経過を伝えてくれた。

「だからさぁ、テレビもニュースも来たのに、すぐ穴が消えてさ、なーんだぁってことで野次馬も減ってきてる。ただ、穴が消える前に僕ら以外に警察や消防も含め80人くらいは穴を見てるからね! 全員がウソをつくはずもないし、動画も残っているでしょ? だから実際に見た僕らはさっきから人気者さ」

 有紗ちゃんのお父さんは、スマホをいじって得意げに見せてきた。

「どうだい! 底なし穴の動画をYoutubeに上げたら、たった30分ほどの間に再生回数10万回 すごいよね、これ。ユーチューバーってやつになれるかな?」

 さっきまではるかに手の届かない次元の存在を相手に世界を背負ってやりとりしていた美奈子は、腹も立たずただ「この世界は、これでいいんだなぁ」と安堵した。



「帰ろっか」

 騒動のせいで時間の感覚がマヒしていたが、公園の周囲はすっかり夜だ。

 近くには、子どもたちの両親も心配して、迎えに来ている様子だった。

「バイバイ」

 美奈子は、恵美ちゃんと握手を交わした。

 ある並行世界で、上位次元人が変身した恵美ちゃんを美奈子が攻撃した事実は、誰も知らない。



 ……ごめんね、恵美ちゃん。正体は違うって分かっていても、あなたの姿をした何かを攻撃するのは、辛かった。化けの皮をはがすには仕方なかったの。

 論戦では、子どもの姿の立場を利用されて、こちらが悪者に仕立て上げられる可能性があったからね——

 それにしても、「またお前とは会うこともあるだろう」って最後に言ってたけど、本当にそんな日が来るかしらね? こっちは、もうあんなやつには会うことなんてないような気がするけど!



 住宅街の角で美奈子と分かれた恵美は、母親の手に引かれて、路地へ消えて行った。美奈子の後姿を一度振り返って、ニタァっとおおよそ子どもらしくない笑みを浮かべた。

「……また、ね」

 口角をクッと吊り上げて。



 ただの砂地と化した、かつて「底なし砂箱」となった公園には——

 後にマンションが建設された…らしい。

 それは、はるか未来になって取り壊されるまでは、沈んでいったりはしなかったようである。




【エスパー美奈子の事件簿 ~The another world~ 完】

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エスパー美奈子の事件簿 ~The another world~ 賢者テラ @eyeofgod

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