第6話『底なし砂箱』前編

 


「ねぇ、これ何だと思う……?」

 土曜日の午後の、さびれた公園の砂場。

 今年5歳になる恵美ちゃんは、やはり同い年の浩(ひろ)君に聞いた。

「えっ、なぁに」

 砂まみれのスコップを置いて、浩は恵美の指差す先を見つめる。

「これ、なんかヘン」

 恵美ちゃんはさっきまで砂のお城を作っていたのだが、そのお城の横で、砂が動いているように見える円形の部分があった。

 いや、動いているというより、吸い込まれていた。

 例えて言うなら、アリ地獄。または、底なし沼。

 そこに何かが落ち込んだら、抵抗虚しく奥に引きずり込まれる、というような。

「ちょっと、見てて」

 恵美ちゃんが、砂遊び用のバケツをその丸いアリ地獄の上に置くと、ものの2秒でそれは砂の奥に吸い込まれ、たちまち姿が見えなくなった。



「……ちょっと怖いね」

 5歳という幼さであっても、本能的に「これはキケンなものだ」ということを、命ある者の本能として嗅ぎ取ったのだろう。

 恵美ちゃんの見守る中、浩くんは大きめの石を落としてみたり、もったいないけど自分の砂遊び道具を落としてみたりした。穴は、まるで腹をすかせた大食い選手の胃袋のように、どれだけ物を落としてもペロッとたいらげた。

 二人は、顔を見合わせた。

 その時、二人はまったく同じ思いを抱いていた。

『これ、放っておくとマズいんじゃ……?』



 そうこうしている間に、やはり近所の子どもで、健太と加奈子が来た。

 恵美と浩にとって、公園にやってくる子どもたちのうちでは仲が良い方ではなかったが、この際誰でもありがたい。底なし砂ジゴクを見せられた健太と加奈子も、子どもらしく面白がるというよりも、怯えた反応を示した。

 一同は、目の前のこの現象がやがて終わってくれて、普通の砂場に戻ってくれることを期待した。しかし、いつまでもその30センチ四方の穴は、貪欲に空気さえも吸い込む勢いで動いていた。

 4人の子どもたちは、もう遊ぶ気分ではなかった。でも、「これ」を放っておいて帰るのはよくないのでは、と子ども心に考えた。

 誰にも相談しないでこのまま家に帰れば、それは何か「とてもいけないこと」に思えた。もし、ここに犬やネコが通りがかって、間違って入ってしまったら。

 ましてや、人間が誤ってそこに足を入れてしまったら?



「これ、誰か大人の人に相談した方がよくない?」

 恵美ちゃんがそう言うと、残りの3人も首を縦に振った。

 でも、そこからが大変だった。

 親が共働きで家にいない浩以外は、それぞれ自宅に帰って母親に訴えた。

 しかし、少ない語彙しか持たない彼らは、ただでさえ信じがたいその現象を説明して大人を説得できなかった。残念ながら、どの親も我が子の訴えをまもとに取り合わなかった。



 失意の3人は、「穴」 の番をしていた浩のもとへ戻ってきて、首を振った。

「ダメだ。誰も信じないよ」

「……そっか」

 その時だった。やはり時々公園に遊びに来る子どもで、有紗ちゃんが公園に姿を見せた。彼女は、幼稚園組ではなく年上の小学1年生だった。

 都合の良いことに、有紗ちゃんはパパが一緒だった。

 話すと信じてもらえないことでも、実際に見てもらえばさすがに大人でも……

「何なんだ、これは」

 有紗ちゃんのパパは、絶句した。

「しかし、これはまいった。考えられるのは警察だが、何と言ったらいいのやら!」

 スマホで何やら話しこんでいたが、首を振ってポケットに携帯をしまうと、顔をしかめた。

「ダメだ。いたずらだと思われた」

 大人としての言語能力があれば説得できる、というものでもないらしい。



 有紗ちゃんのパパは、言葉での説得がダメなら……と、スマホで「底なし穴」の動画を撮ることにした。空き缶や新聞紙、木の枝や朽ちた看板など、近くにあったゴミのようなものを次々に「穴」に投入して、吸い込まれる様を動画に収めた。

 その動画を、近くを通行していた大人に手当たり次第に見せた。

 無関心を示す者も多かったが、5人に一人は公園まで付いて来てくれた。

 そうして、突如小さな公園に出現した正体不明の「底なし穴」は、15人の大人と5名の子どもたちにその存在を知られることとなった。

「オレだったら、信用あるしいたずらと頭ごなしには言われないよ」と、警察官に仲の良い知り合いがいる大人が、連絡を取ってくれた。



 もちろん、動画をメールに添付することも忘れなかった。

「あと、15分ほどで来てくれるって」

 それはありがたい情報だったが、その有り難い情報を呑み込むような悪いニュースがあった。

 恵美ちゃんは、目を背けたい現実を指摘した。

「この穴、さっきより大きくなってない……?」



 警官が登場する少し前のタイミングで、砂場にできた小さな「底なし穴」は、砂場の木枠全体を占めるほどに成長していた。

「なんと、これは……」

 たとえ警察官が来たところで、泥棒や事故とはちがうその現象に対し、役に立つとは思えない。

 やがて、底なし穴は砂場の四角い枠を越え、皆が見守る中ブランコが、その穴の中に消えて行った。次に、鉄棒とシーソーを呑み込んだ。

 今度は警察官が、上司や機動隊に信じさせ動かすのに難儀していた。

 他人への説明は、どんな時でも難しいようだ、これは。



 浩君が、公園の外に誰か知り合いを見つけた。

 彼の手に引かれてやってきたのは、大人や警察官ほど頼りになるとは思えない人物だった。

 制服姿から、学校帰りと思われる女子高生。

「美奈子お姉ちゃんはね、こういうフシギな事件だとすっごく頼りになるんだ」

 それを聞いた大人たちは、思わず苦笑した。



 誰も知らなかったが、実は美奈子は——

「ん? なにコレ」

 何かを必死で思いだそうとしているようだったが、やがて彼女の眼が怪しく光り出した。SF映画でしか目にしないような異様な光景に、大人たちは後ずさった。

 美奈子の活躍を大人より知っている子どもたちは、警察官に向けるよりもはるかに強い期待の眼差しを寄せていた。知る者は少ないが、彼女は日本国家が陰で認め、協力を要請しているSP(エスパー) だった。



『ワイズマンズ・サイト!(賢者の眼)』



 美奈子が「穴」に向けて右手をかざすと、青白い光波のようなものが一筋放たれた。一体何が起きているのか分からず、固唾を飲んで見守る大人たちに、彼女は口を開いた。

「今、この穴がどこにつながっているのか、調べてみました。原理は、潜水艦の使うソナーのようなものです。光波を送れば、どこかで壁などの遮る何かがあった時に返ってきます。その距離で、穴の規模を知ろうとしたのですが——」

「……したのですが!?」

 一同は一斉に身を乗り出した。

「どこにも、つながっていません」

 一瞬、それがどういうことか皆分からず、キョトンとした。

「えっと、分かりやすく言うと……例えばさっきここで吸い込ませたものがあるでしょ? 砂遊び道具とか、ゴミとか石とか。あと、大きいものでは遊具のシーソーやブランコ」

「はぁ」

「それがね、私が追跡できる限りでは、もうこの地球上にないみたいなの。もっと言えば、この宇宙からなくなった感じ」

 こうなっては、もう誰もついていけない。



「それが何を意味するかっていうと……この穴の先は、私たちがいるこの宇宙のこの次元じゃなく、別の次元に繋がっている可能性がある、ってこと」

「それは、異次元ということ?」

 理数系らしいあるオヤジは、何とか美奈子の話について行こうと、真面目に考えだした。

「うーん、私たちになじみがある考え方では、そういう表現になるかしらね。でも、皆異次元とか、異次元人ってどんなものをイメージする? 宇宙人とか、ちょっと人型に毛が生えたようなものを想像してない?

 もしかしたら異次元人は人型でないどころか、形すらないかもしれない。言語も使わず、視覚もないかもしれない。いや、縦横高さという『空間座標』の概念すらないかもしれないし、時間や物理の法則も全然こちらと違うかもしれない」



 美奈子は、腕組みをしたまましばらく「うーん」と唸って考え事に没頭していた。

「どうしようか……存在定義自体が異なる世界に人間の組成のまま入り込んだら、個が維持できないかもしれないなぁ」

 それを聞いた、先ほどの理数系オヤジは青ざめた。

「おい、まさかこの穴に吸い込まれてみて、実際にどうなるか確かめよう、なんて考えてないよな?まさかな……? ハッハッ」

 オヤジだけでなく、恵美をはじめとする子どもたちや大人たちが青ざめるようなことを美奈子は言った。

「昔っから、虎穴に入らずば虎児を得ず、って言うでしょ?」

 制服の袖を腕まくりする美奈子を、皆不安な面持ちで見守る。

「でもさ、君子危うきに近寄らず、ってこともあるぞ。ここはひとつ警察とか自衛隊とか、科学者連中とかに任せたほうが——」

 いくらエスパーでも、大人たちから見たら美奈子は普通の女子高生なのだ。

「心配いらない。むしろ、恐れるべきはむこうのほう。こう見えて、私って強いんだから」

 すでに公園全体にまで範囲を広げた「穴」の中心を、美奈子は見据えた。さすがに無視できない現象となったのか、周囲では人だかりが増え、TVカーや報道関係の車も見えるようになっていた。



「さてと。一体この穴は何なのか、いっちょ見てきてやりますかね——」




 ※後編へ続く

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