あの日の祭囃子
リリィ有栖川
最後の約束
祭囃子が聞こえた。
仕事が終わり、上司との飲みが終わったのが午後十時。家の最寄に着いたのは、午後十一時になろうという時間だった。
そこから家まで十分。祭りなんてとうに終わっている時間なのに、いやに賑やかな雰囲気が、どこからか漂ってきた。
近くに神社なんてあったっけ。
記憶をたどっても、この辺りに神社はない。不思議に思いながらも、自然と足は賑わいの方へと向かっている。
段々と、辺りが温かい明りに包まれていく。連なる提灯の明かりを見たのは何年振りだろう。最後に見たのは高校二年の時だ。
こんな時間なのに、ずいぶんと人がいる。昔から、あまり人混みは得意じゃなかったけど、祭りのこの感じは嫌いではない。
この人混みを見ながら、そうそう、鳥居の下でこうやって、目の前を過ぎていく人と提灯を見ながら、そわそわしながら待っていたっけ。
口の中で、最初の言葉を練習して、結局あの時は言えずに、ぶっきらぼうに返事をしてしまった。子供だったんだ。
「ごめんね、ちょっと遅れちゃった」
そう言って、ちょっと髪を気にしながら、楓花が駆け寄ってきて――。
「着付けるのに時間かかっちゃった」
どうして、目の前に、楓花がいるんだ。
あの日のまま、あの時の、きれいな紫の大人っぽい浴衣で。
そうか、これは、酒に酔いすぎたせいで見てる夢か。なら今電車の中で寝ているのかな。なんてリアルで、青い夢を見てるんだ。
あれからもう、十三年も経ったじゃないか。
笑ってしまったら、楓花は首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
どうせ夢なら、あの時言えなかったことを言おう。それくらいはできる。大人になったんだから。
「綺麗だね、似合ってるよ」
「そう? ふふん。ありがとう」
自然と手を握って、屋台を回る。これも、あの時はできなかった。会話をすることに夢中になって、というか、間を持たせようと必死になって、たこ焼きで口の中をやけどしたり、射的の弾が跳ね返ってきて額に当たったりと、ずいぶん笑われたっけ。
でもそれも、楽しかったんだ。楓花の笑った顔が見られたから。
かき氷の冷たさにやられている顔も、大好きなりんご飴を舐めているときの子供っぽさも、記憶のまま。
だけど、この手の柔らかさは、知らない感触だ。
「大人になったね」
ふいにそう言われて、驚いたけど、納得してしまった。
これは夢ではない。でも、現実でもない。
「そりゃあ、あれから十三年だからね」
「さみしかった?」
「いや、薄情かもしれないけど、切り替えは早いほうなんだ」
「そっか」
「……嘘」
「知ってる」
毎年お墓参りに行って、毎年楓花の家の仏壇にお線香をあげさせてもらってる。
自分でも、執着しすぎだとは思ってる。
「そろそろ、忘れたっていいんだよ」
「楓花のご両親にも言われた」
二人には、ただ次の相手が見つからないだけですなんて冗談めかしたけど。
愛想笑いばかり上手くなった。
「もう十分だよ。そろそろ私も生まれ変われるし」
「本当?」
「あ、探さないでよ? いいから、自分の人生を生きて」
自分の人生。
別に、生きていないつもりはないけれど、胸の空虚感は、まだ埋まらない。
いや、埋まりだしている。それがちょっと、怖いんだ。
いつの間にか足は止まっていた。さっき買ったわたあめが、少ししぼんでいる。
「実は、好きな人が、できてしまったんだ」
「できてしまったって。いいじゃん。デートに誘ってみなよ」
「でも」
「でもじゃないですー。ふふふ。うじうじするところは変わってないね」
「何も変わってないよ。大人ぶってるだけ」
「じゃあ、もう少し大人ぶってみよう」
手をつないだまま、めいっぱい腕が伸びる距離まで前に出た。いたずらっぽく笑って。
「ねえ、今度お墓に、その人つれてきてよ」
「うまくいくかも、わかんないよ」
「大丈夫。だって私が好きになった人だもん」
「なにそれ。自意識過剰」
「そうです。だから、待ってるからね」
なんだよ、だからって。
ぼやけた祭りの明かりが、楓花の輪郭も曖昧にさせる。自然と手を握る手に力がこもってしまったけど、楓花にやさしく握り返されたら、力が抜けた。
こちらを向いたまま、三歩下がって、照れくさそうに笑う。
「じゃあ、元気でね」
「うん。……うん」
「わたあめ、早く食べないととけちゃうよ」
「わかってるよ」
手を振って、楓花が人混みに紛れていくのを見送ってから、歩き出さす。
しっかりと歩いてきたはずなのに、いつの間にか自分の家の前にいて、やっぱり酔っぱらってたのかなって思ったけど、残念ながら、右手のわたあめがそれを許さない。
いつ食べたんだが、楓花が齧ったあとがある。
スマホが震えて、見るとさっきまで一緒に飲んでいた上司からのお疲れメッセージ。
一瞬迷ったけど、わたあめを一口食べて、返事を送る。
もし正気を疑われても、わたあめのせいですと言おう。
本当に、この甘さにやられたんだから。
了
あの日の祭囃子 リリィ有栖川 @alicegawa-Lilly
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