The Chair “O” Opera

@daysofwild

第1話

その夜、夢を見た。



ある高校の、ある教室。涼しげな学生服を着た学生が数名。

目に見えるいずれも、いま22歳の僕には似つかわしくないものだった。



・・・いや、違う。

当の自分でさえ学生服に身を包んでいる。



思い出した。ここはS高校の642教室。今は高校2年生、2019年の夏。目の前の彼らは当時の級友だ。


進学校に身を置く高校2年ともなれば、夏休みは勉強漬けの毎日。この光景もきっと、その中の一つなのだろう。

とはいえ、ここでの猛勉強が実って今の国立大での学生生活が叶ったと思えば、これも良い思い出だったと思えた。



僕たちは、勉強の合間に空き教室に集まって他愛もない雑談をするのが常だった。中高一貫の男子校に過ごしていると、恋バナなんてものは2年かそこらで枯れ尽くす。

したがって、5年目にもなった僕たちが話すことといえば、下ネタかそこにいない友人の馬鹿話になるのだった。



“いつものように” 空き教室に集まった僕たちは、近くにあった椅子に腰掛け、各々の方を向き直った。そうそう、こうしてくだらない話が始まるんだったな。



僕も友人たちと同じように、近くの机を確保した。・・・が、そこには椅子がなかった。



多分隣の教室で椅子が足りなかったか何かで持って行ったんだろう。そう思って、隣の机から椅子を引っ張ろうとしたとき、友人から声がかかった。



「いや、オペラの椅子取ってこいよ」



聞き覚えのない単語だった。オペラの椅子?オペラという誰かの椅子だろうか?いや、このクラスにオペラなんて名前の外国人はいなかったし、そんなあだ名をつけられた奴もいなかった筈だ。

声を発したT君は、いつも真顔で突拍子もないことを言う、というのが芸風の一つだった。関西の学校にいると、土地柄かそういった “馬鹿なことを言うスキル” が各々の方法で磨かれていく。彼はそういうジョークを得意としていたのだった。


だからこそ、僕はいつもの調子で笑いながら返した。「は?オペラの椅子って何やねん」




しかし、T君はこれといったリアクションを取らなかった。

彼が少し首を傾げたと思えば、他の友人たちは一斉に立ち上がって教室の他の椅子を漁り始めた。



僕は驚いて、「何してんの?」と零した。T君がたまにやる、大勢で口裏を合わせたシュール系のギャグだろうか。



「何って、椅子探してんねやろ。お前のために」椅子を探っていた友人の一人、P君が答えた。真面目な彼がこういったジョークに乗ってくるのは珍しい。



すると、T君が心底呆れたような顔で僕に話した。「えぇ、なんで?理解できへん。マジで分からんの?」



何を言っているんだお前は。“理解できない” はこちらの台詞だ。

「いや、オペラの椅子?なんか初めて聞いたぞ。お前しか言うてへんやろ」



「頭悪そう。今までどうやって生きてきたん?」さらに理解させる気のないT君の返答。後者はまぁいいとして、“頭悪そう” とはなんだ。彼の発言がどういった意図かも皆目わからない。



T君と僕が互いにすれ違って困惑していると、教室の端からP君の声が聞こえた。「あったで、流石やな!」


どうやら、オペラの椅子なるものが見つかったらしい。しかし、P君がここまでこんなジョークに乗るだろうか?椅子が見つかったはいいが、このジョークはこの後どうやってオチを付けるのだろうか?


ともかく、真面目なP君が真面目な顔でこちらに話しかけているのだ。T君と違ってジョークかもわからない以上、真面目に返すしかない。「えっ?お前も知ってんの?そのオペラの椅子って」



すると、P君は真剣な雰囲気を崩さないまま驚いて聞いた。

「えっお前知らんの?それやばくない?」



P君もT君も、椅子探しをしていた他の友人も皆、僕を白い目で見ている。僕が何をしたっていうんだ。


君らがそこまで言う “オペラの椅子” ってのは何なんだ?

少し苛立ちつつ、全ての元凶の姿を一目拝んでやろうと僕はP君の持ってきた椅子を見た。






なんだ、普通の椅子じゃないか。

そう思った途端、頭の中に音楽が聞こえ始めた。




荘厳なコーラス。恐ろしげな弦楽器の伴奏。僕が好き好んで聞く類の音楽じゃない。

しかし、あたりを見回しても音の発生源は見当たらない。まるで、僕だけが聞こえているような。



音楽の中には、微かに声が聞こえた。

「………え。………れ。……は……ない」



誰の声だ?この音楽はなんだ?そう思えば思うほど、僕の頭が恐怖で満たされていく。

見上げれば、友人たちは幸せそうな顔でこちらを見つめている。



「……らに……たえ。……らに……われ。…ま…はに…ら…ない」


聞けば聞くほど、声は鮮明になっていく。

やめろ。喋るな。その声をやめろ。聞きたくない。


友人たちの体が溶けていく。幸せそうな顔のまま。彼らの声も、僕の脳にハーモニーを響かせ始める。

「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」




歌が全て聞こえた瞬間、僕にはオペラの椅子が見えた。僕の体が溶けていく。ああ、なんて幸せなんだ。

これはオペラの椅子だ。

ここはS学園、642教室。

2019年の夏、僕たちはオペラの椅子に———






目が覚めた。

ここは東京。僕は22歳。ある国立大学の4年生。


しかし、酷い悪夢を見た。確かに高校2年のときは勉強漬けでつらかったけど、あんなことは———





T君の声が聞こえる。





P君の声が聞こえる。





B君の声が聞こえる。K先生の声が聞こえる。I先輩の声が聞こえる。





「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」


こうしちゃいられない。僕は寝間着のまま、家の外へ走り出した。

僕は2019年夏、S学園642教室で、オペラの椅子に座ったんだ。

「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」「オペラに歌え。オペラに座れ。お前はもう逃げられない」







懐かしい校門。

先生たちが、友達が、T君が、P君が、僕のそばに立っている。






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