11.エピローグ

 鳥のさえずりがどこからともなく聞こえてきた。この森に、夜明けがやってきたのだ。二人は湖の湖畔にいた。目の前には簡単に作られた墓標が二つある。

 一つは狼に喰われ、この森の一つとなった男エイドスの墓。もう一つは、灰のみを残してこの世を去ったホドルの墓だった。


「もうどこにも行けないけれど、水の傍にいれば何もかも流してくれるでしょう。

 貴方の悲しみと憎しみが、雨と共に湖になり、そこから土に流れ、新しい命となりますように」


 死者を送る言葉を花に乗せ、それを墓前に供えたヘレンに習い、エドワードも同じく花を添えた。二人の墓には、森で咲く白い花が置かれていた。

 特に会話を交わすことも無く、墓の前に座り込むエドワードとヘレン。陽はまだ昇りきっていないが、森の葉の向こうに見える朝焼けは、やけに美しく見えた。

 ぼんやりと湖の水面を眺めていた二人だが、その沈黙を破ったのはエドワードの腹の虫だった。


「ああ、なんだかなあ……こんな時に鳴るなよなあ……」


 恥ずかしそうに身を丸め、頭をポリポリとかくエドワードに、ヘレンは久しぶりにリラックスした微笑みを見せた。


「そういえば、結局昨日の晩から何も食べてないわね、私達」

「そうだったっけ。もうそんなに時間が経ったんだ。……でも、死者を弔ってすぐにこれはちょっとなあ、自分にがっかりだよ」

「いいのよ。生きているんだから、お腹が減るのは仕方ないわ。何か食べましょう」


 そう言ってヘレンは立ち上がろうとしたが、ふらつき、再度その場に座り込んでしまった。座り込む彼女を支え、そのまま肩を抱こうとしたが、エドワードはその手を引っ込めてしまった。


「……どうしたの?」

「いや……やっぱり、思うんだ。僕なんかでよかったのかって。ホドルさんに君を頼まれたけど、幸せにできるかわからなくて……村も出ちゃったし……」


 自信無さそうに話すエドワードに、ヘレンは彼の手を取り、自分で肩に手を回させた。 そして彼女自身もエドワードに身を寄せ、頬に軽くキスをする。


「エドワード、あなたって本当に馬鹿。私はあなたに出会ってから、とっても幸せな日々を過ごしたわ。食人鬼に追われている恐怖を忘れるくらい……。それはこれからも続くと思っているし、そうしたいと思っている。その……ホドルへの愛を昨夜は話したりもしたけど、私の心はあなたにしか許せない。それはあなたを愛しているからなんだけど……信じてくれる?」


 湖と同じ色の瞳に見つめられ、エドワードは久しぶりに胸の高鳴りを聞いた。そしておずおずと肩をしっかり抱き、今度はエドワードからヘレンの唇へとキスをした。


「僕だって君を愛してる……ホドルさんが元恋人だって聞いて、ちょっと焦ったのは事実だけど、君は僕を夫として愛してくれている。僕もずっと君を妻として愛し続けたい」


 二人は見つめ合い、手を取り合い、久しぶりのように感じるゆっくりとした時間を堪能した。湖の煌めきを数えたり、風がどこから吹いてくるのかを当てたり……。

 しかし、あまり間も開かずに、今度はヘレンの腹の虫が主張を始めた。


「……まずはご飯にしようか」

 

 エドワードが立ち上がり、ヘレンの手を取り立ち上がらせた。

 

「その前に……もう隠し事はないかい?」

 

 エドワードの問いかけに、ヘレンは俯いた。それを見て、エドワードは一際大きく息を吐く。

 

「もう全部言ってほしいな。今度は何を隠してる?」

 

 そう尋ねられたヘレンは、ゆっくりと顔を上げる。その表情は、とても嬉しそうに微笑んでいる。そしてその手は、自身の腹を撫でていた。

 

「お腹が減ったのはわかってるよ。だってさっき……」

 

 そこまで言って、エドワードは頬をつねられた痛みで涙を浮かべた。ヘレンはむすっと明らかに不機嫌そうにしている。手を離されて、頬を撫でながらもエドワードはヘレンの腹を見た。

 しかし、何を表しているのかさっぱりわからなかった。

 

「一体なんだっていうんだい?」

「本当にあなたって馬鹿ね……ちょっと手を貸して」


 エドワードはヘレンに言われるがままに手を出し、自由にさせた。ヘレンはエドワードの手を自分の腹に当て、上下に、又は左右に、円を描くように撫でさせた。


「ふふふ、君のお腹はあったかいね。それにこんなに膨れて……」


 自分で言って、エドワードは気付いた。何故、空腹のはずの彼女の腹がほんの少し膨れているのかと。まさかと思い、ヘレンの意志に関係なく自分でヘレンの腹を撫でる。そして彼女の顔を見た。


「愛をありがとう、エドワード」


 ヘレンはそう言って、エドワードへ飛びつき、熱い口づけを何度も繰り返す。エドワードも強くなりすぎないよう彼女を抱きしめ、口づけを返した。

 何度も何度も愛を確かめ合い、二人は互いに涙を流し、長い抱擁を交わした。


 それから二人は旅を始めた。時折愛を語らいながら、この夜のことを思い返しながら。二人の愛の物語は、まだ始まったばかりである。



 私の心臓を持っていけ ―完―

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私の心臓を持っていけ ねど @nedo_novel

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