魔法という名のお菓子作り

ふなぶし あやめ

魔法という名のお菓子作り


 お菓子作りは魔法に近い。様々な材料から、思いもよらない形に生まれ変わる。

 料理だってそうかもしれないが、ケーキやクッキーのようなお菓子たちは、たくさんの人に「夢」を与えられる。まさに魔法だ、と思う。



 初めてお菓子を作ることに興味を持ったのは、幼稚園に上がる前。

 両親が連れて行ってくれたケーキ屋は、ショーケースの横から厨房を覗くことができるようになっていた。と言っても、見えるのはたった四畳ほどのスペースで、おそらく奥に本来の厨房があるのだろう。

 店内に向けてガラス張りにしたその場所は、オーブンと作業台、それからパティシエが立つ場所に分かれている。

 ガラスにくっつけられるように配置された作業台の上には、いつも何かしらのケーキやパイが並べられていて、飾り付けやクリームを塗るところが見えた。


 私は彼らがその作業をしているところを見るが好きだった。

 でも、子供の背丈ではガラスの中を十分に覗くことはできなかった。だから、そこに行くと必ず親に「持ち上げて見せて」とせがんだのを、今でも覚えている。

 彼らの技は、いつ見ても魔法だと思わずにはいられなかった。

 繊細なスポンジケーキの上には、少しもはみ出したりせず均等に雪のようなクリームが塗られ、直径八センチほどの小さなタルトには、鮮やかなフルーツたちが形良く乗せられていく。チョコレートクリームたっぷりの小さなケーキに、今にも折れそうな細かいオブジェが散らされ、絞り出されるチョコレートの生クリームは、綺麗な波を打ちながらまるでダンスでも踊るように現れる。

 その様子は幼い私の目を捕えて離さなかった。何とも言えない心躍る気持ちにさせてくれるのだった。


 小学校低学年の頃に、大好きなお絵かきの延長でオリジナルケーキを絵に描いた。

 そのうちのひとつ、「ケーキ・ケーキ」と名付けたそれを、父の知り合いのパティシエが実際に作ってくれた。

 ホールケーキの上に切られたロールケーキをいくつも段状に重ねたあの歳の誕生日ケーキは、特別なものとなったのには間違いない。そしてその感動は、たぶん今後も忘れることはない、大切な大切な思い出となった。


 そんな幼少期を過ごした私は、いつの間にか自らお菓子を作ったり、レシピを組み合わせたりするようになっていた。今では、しばしば週末に何かしら作り、家族や友人に食べてもらうことが私の趣味になっている。

 家の昭和くさいキッチンで、BGMに洋楽をかけながら、私も魔法使いになるのだ。食べた人が幸せになるような、また食べたくなるような、そんな様々な想いを込めて。

 大きなボウルにバターとグラニュー糖と卵を入れて、バニラエッセンスの良い香りを漂わせながら、主役のチョコチップやシリアルを加える。はたまた、油分やヨーグルトをあらかじめ混ぜておいた上に、粉類を振るってざっくりと混ぜていく。

 アツアツのオーブンから出したばかりのふにゃふにゃのクッキーをケーキクーラーに乗せている時。しっとりと火が通ってふんわり膨らんだマフィンに竹串を刺している時。その瞬間に、あのケーキ屋さんで感じた、何とも言えない心躍る気持ちがまた湧いてくるのだ。

 私の魔法で「お店のより好き!」とか、「また作って!」とか、そんな風に顔を綻ばせてくれるみんなを見て、私も魔法にかかる。どうやら私の魔法は相乗効果も起こせるらしい。


 お菓子作りは魔法に近い。いやむしろ、本物の魔法だとすら思う。人を幸せにしてくれる、素敵できらきらした、そんな魔法。

 幼い頃に見たパティシエたちのあの魔法を、今の私は使えるのだ。しかも、それだけじゃない。魔法をかけ返してくれるみんなのお陰で、私はきっと、これからも魔法磨きに精を出すのだろう。




 なーんて、良い歳して「魔法」を形容詞に使うなんて、さすがにくさいだろうか。

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