FINAL STAGE


40代であろう男が、本日の勤務を終えて白衣を脱ぎハンガーにかけると、ロッカーにしまう。

 私服姿で病院のエントランスを歩いていると、一人の研修医インターンが駆け寄って来た。


「Dr! 緊急の患者が――」


「他がいるだろう。俺の勤務はここまで。じゃあな」


 男は歩きながら手で追い払う仕草をすると、そのまま自動ドアから外へと出て行ってしまった。


「病院でNo,1の腕を持っているのに、定時通りにしか働かないとは勿体ない……」


 インターンは男の背中を見送りながら呟くと、はたと我に返って慌てて現場に戻った。




 男は途中で買った缶コーヒーとパンを手に、公園へ寄ってベンチに座った。

 そして袋からパンを取り出すと、齧り付く。

 咀嚼しながら今度は缶コーヒーのタブを片手で開けると、グイと呷った。

 これが男の夜ご飯だ。


 40代にもなろうに、男は家庭は愚か女すらいなかった。

 決して男が醜いわけではない。

 性格が悪いのだ。

 寡黙で無愛想。

 だからと言って男はその性格を直す気はさらさらなく、あくまでもマイペースに生きていた。

 こんな自分の生き方が淋しいとも思わなかった。

 男はほぼ無感情な生き方をしてきたからだ。


 男が零したパン屑を目当てに、彼の足元へ鳩達が寄ってきた。

 しかし男はこれを追い払うでもなく、ただ黙々とパンに齧り付いていく。


 公園では、親子連れが何組か居て、その中で子供達が遊んでいる。

 肌の色も様々だ。

 今の時間はもう6時前だが、空はまだ明るい。

 太陽が完全に沈むのは9時頃だ。


 男には友人と呼べる存在もなかった。

 プライベートでは大体一人だ。


 一つ目のパンを平らげると、二つ目のパンを取り出す。

 これが男の日課となっている。

 

 公園でパンをかっ喰らいコーヒーで流し込む。

 そして家に帰ると、今度はゆっくりとワインを嗜む。

 初老男には侘しく惨めな人生かも知れないが、感情を殺してきた彼にはそれでも平気だったが。


「頭の使い道が違うたぁどういうこった!? ――響咲!!」


 ハッとしてその声の方へと思わず振り返る男。

 しかしそこには、誰もいなかった。

 一陣の風が吹き、木の枝の葉がザワザワ揺れる。

 これに男は苦虫を噛み潰したような表情をすると、手に持っていたパンを細かくちぎってパッと宙に放った。

 

 バサバサと羽音を立てながら鳩達がそれを追い求める。

 残り少なくなった小さなパンの欠片を手に持ったまま、ベンチから立ち上がると目上の高さに掲げれば2~3羽の鳩が羽ばたきながらそのパンを啄ばんでくる。


「……――綺麗……――」


 突然の声に男は眉宇を寄せる。


 また幻聴か。


「フン! くだらん」


 言い放つとバッと手を払いながら、手の中のパンの残りを投げ捨てるとそのままクルッと踵を返して歩き出そうとして、ピタリと動きを止めた。


 そこにはまるで太陽が溶け込んだような輝くばかりの長い金髪、そして青い惑星の地球を抱いたようなつぶらな碧眼、また陶器で作られたかのような白い肌をしている、一人の見覚えのある人物が立っていたからだ。


 これに男はこの上ない程、目を見開いた。


「――久遠」


 その声も、そのままだった。


「ま……さか、そ、んな……っっ!!」


 男――響咲久遠きょうさくくおんは思わずよろめく。


「言ったでしょ。必ず生まれ変わっても久遠に逢いに行くからって。その時は必ず受け止めてねって」


 彼女・・は言うと、フワリと微笑んだ。

 ただ性別が違うだけで、顔も声もそのまま一緒だった。


「髪……伸ばしてみた。今度は女の子だからね。今は二十歳だよ。ねぇ久遠、逢いたかったよ。すっかり、おじさんになったね」


「――アム……っっ!!」


 久遠がその名を口にした時には、彼女は彼の胸の中に飛び込んでいた。


「――久遠……愛してるよ――」


「ア……ムル……ッ!!」


 久遠は彼女を強く抱きしめるとポロポロと、大粒の涙を零した。

 アムルも、久遠の腕の中で泣いていた。


「もう、今なら泣いてもいいよね……」


「ああ、勿論だ……! 俺もお前を愛しているアムル――!!」


 そして二人はお互い涙目で見つめあうと、熱い口づけを交し合う。

 何度も、何度も、何度も……。


 久遠の心の中の氷が、溶けていく。

 そしてゆっくりと口唇を離すと、久遠はアムルの頬に片手を当てて唱えるように、涙声で言った。


「ファウストのセリフを借りるなら今だ……――時よ止まれ、お前は美しい……」


 アムルは久遠の首に腕を回すと、微笑みながら首肯した。


「うん。そうだね……この瞬間は間違いなく、かけがえのないほど美しい……帰ろう久遠。一緒に。長い間一人にしてごめんね……」


「ああ……帰ろうアム。もう、俺は一人じゃない……」


 再び二人は濃厚な口づけを交わす。

 そしてアムルは久遠と腕を組み、それを久遠は確認してからゆっくりとした足取りで、二人一緒に歩き出した。


 しかしふと久遠は歩みを止めると、改めてアムルに向き直ってまじまじと全身を眺めた。


「ん? 何?」


「いや、まさか天使に生まれ変わっちゃいないだろうなと思ってな」


「まさか! 普通の人間だよ! あ、でも前世の記憶持ちを除けば、だけど」


「それを聞いて安心した」


 そうして二人は再び腕を組んで歩き出す。


「話したいことがいっぱいあるんだ久遠」


「ああ、いっぱい聞いてやるさ。アム」



  



                 時よ止まれ、お前は美しい――END――

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時よ止まれ、お前は美しい 妃宮咲梗 @sakyouhimiya

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