第5話 偽りの罪 ─後編─
場所を移動し、二人は事の発端の貴族の屋敷を目指す。
こちらです、と先導するユスリーシャの案内に従い、黙々と歩き続けた。
足音が変わる。固められた土の道から、煉瓦で舗装された道へと変わったようだ。
気付くと人の声も聞こえない。賑わう表通りとはうって変わり、閑静な貴族の居住区に辿り着いたようだ。
落ち着くようで落ち着かない。そんな静けさに足を早めつつ、ハーミッドは声を出す。
「ひとまず、貴方の夫を訴えた貴族に話を伺います。それから今後の方針を決めますが、良いですね?」
「はい。…あの、そのときは、私は…」
俯くユスリーシャに、安心させるように笑顔を向けた。
「一緒にいる必要はありませんよ。話を聞くだけですので、僕一人で行います」
その言葉に強張った表情を緩め、ユスリーシャは口を開く。
「私、あの人に会うのが怖いんです。取り乱して、冤罪を晴らす機会を失ってしまいそうで…」
「大丈夫ですよ、僕が機会を作りますので。貴方は待っていてください」
「ありがとう、ございます…。…あの人の家は、ここを曲がって真正面に見える屋敷です。そこに、主人も働いていたんです…。扱っていた荷物のせいで、あんなことに…っ」
その時。ふとハーミッドは嗅ぎ慣れた臭いに気が付き目を細めた。壁、道、屋敷。様々な場所に視線を向け、壁際に移動する。そして顔を覗かせ、目的地を見据えて振り返った。
「どうやらあの屋敷で何か起こっているようです。…危険ですので、貴方はここから動かないでください」
それだけ言うと、何か言いたそうな彼女を置いて一人で屋敷へと向かった。近付くにつれて濃くなる臭いに確信する。これは、血の臭いだ。
屋敷に入る前に立ち止まり、眼帯を取る。透けた壁の向こうには家具があり、人間はいないようだ。屋敷の主人はもちろん、使用人も確認できない。
それだけ確認しては再び目を隠し、玄関から忍び込んだ。
極力足音を立てぬよう、大理石の床を歩く。ひんやりとした空気が肌を掠める。
(嫌な空気だ。数時間、誰もここで生活していないのか。…いや、)
それはおかしい、とすぐに自分の考えを否定する。貴族ならば、主自身は不在だろうと使用人に家事を任せているはずだ。この屋敷の広さや部屋の多さから言って間違いはない。確かめるように人の気配が一切しない廊下を歩いていく。奥に進むにつれ、血の香りは濃くなる一方だ。
そしてついに、ハーミッドは見つける。不自然に開きっぱなしの扉。客間なのだろう、豪華なソファに机、飾られた絵画が見える。中にあったのはそれだけではない。四、五人分の血だまり。その原因の死体達。確認するまでもなく、それらは死体であった。
心臓部分に空いている孔。この大きさで生きていたら、それはもう人間ではないだろう。他の外傷はない。部屋も荒れている様子はない。この様子だと、不意打ちで一突きだろうか。服装からして使用人が四人、貴族が一人。話を聞くことは不可能となってしまった。
これからどうしようか、それにしてもずいぶんと綺麗な死体だ、と眺めるうちにふと思い当たった。この殺し方は、よく知っている人物と同じではないだろうか、と。
ひとまず、それを頭に留めて屋敷の探索を再開した。リビング、書斎、キッチン。変わったところは特にはない。寝室、風呂場も確認したところで全ての部屋は見終わった。目立つものは何もない。それが、逆にハーミッドに違和感を与えた。こういう場合、金目の物や大切なものをしまう部屋があることが多い。
再度、屋敷内を探索しようとドアに手をかけた。書斎に入り、目に力を込める。視ようとした瞬間、カタリ、と床から音がして床板が動いた。
「っ、」
一歩後ろに下がる。武器を出そうと今度は手に力を込めるが、その必要はなくなった。
「あ。ハーミッドじゃーん!こんなところでどうしたん?」
現れたのは濡れた羽のような黒い髪を持つ少年。やはり彼だったのか、とハーミッドは力を抜く。
少年は頬に埃を付けているが、まったく気にしていないようだ。翡翠色の瞳をハーミッドに向けつつ、上機嫌に床下から出てくる。
「君の方こそ会うとは思わなかったよ。一体何をしていたんだい?ゼラリオ」
ゼラリオと呼ばれた少年は、一緒に持ってきた箱を見せる。
「これを返してもらってた!」
箱の中身は、赤、黄、青など色とりどりに輝く宝石。に見える、危険種核。
危険種核は、一般人が持っていてはならぬ物だ。ここにある、ということは裏ルートで購入したのか、もしくは都市外にて危険種から入手したのか。彼から聞けば分かりそうだ。そう判断し、ハーミッドは視線を彼へと向け直す。
「強奪、の間違いじゃないかい?」
「違うよ、だってこれはオレのだもん。ちょーっと目を離した隙に、アイツら、オレが倒した危険種共から取ってったんだ。別のヤツ倒してから追っかけたらここに着いて。で、返してもらったってわけ」
だからこれはオレの、とゼラリオは箱を抱え直して音を立てた。
話を聞く限り、どうやらここに住んでいた貴族は、都市外まで行って危険種核を入手していたらしい。明らかに違法行為だが、危険種核を入手して何をしていたのだろうか。そもそも、貴族とその従者だけで都市外を、ましてや危険種がいるところに行けるのだろうか。
「事情は分かったよ。それで、君はその場にいた全員を殺してしまったのかい?」
「うんにゃ、まだ一体いるよ。この下にね」
トン、と靴で示された場所は、先程彼が出てきたところだ。
彼が見逃すとは珍しい。そう思ったが、地下室に入ってその理由が分かった。
「君は、この屋敷のヴェスティウムかい?」
危険種核が溢れた部屋の隅。手足を縛られ、口を布で塞がれながらも座っていたのはヴェスティウムだった。
口元が動くも、布のせいで聞き取れない。ハーミッドは、話を聞くためその布を取った。そして改めて聞く。
「君は、この屋敷のヴェスティウムかい?」
「肯定です」
質問にはきちんと応えられるようだ。ハーミッドは肩の力を抜き、近くにあった木箱に腰を下ろす。
「それで、君はどうしてここにいるんだい?この危険種核は何のために集められているんだい?…君のご主人様は、ここで一体何をしていたんだい?」
「ご主人様の命令で、ここにいます。危険種核は、売るために集めています。ご主人様は、ここで危険種核を集め売っていました」
ヴェスティウムは顔を上げることもなく、地面を見つめながら口を動かした。その声音はしっかりとしていて、怪我などはないように見える。
ここで危険種核を集めて売っていた。それなら、ヴェスティウムはそのことを外に漏らさないようここに閉じ込められたのだろう。外部に漏れるリスクを抱えてまでヴェスティウムが必要なのは、危険種から身を守るため。危険種核を集めて売っていた理由は、大金を入手するためか、その他の理由か。
このヴェスティウムに聞いても理由は分からないだろう。なんにせよ、これで依頼達成の目処がついた。
扱っていた荷物のせいで捕まったと、ユスリーシャは言っていた。おそらくその荷物とは、この危険種核のことだろう。危険種核の所持が誰かに知られてしまい、その罪をユスリーシャの夫に押し付けた。そんなところだろう、とハーミッドは予測する。
だとしたら、やることは一つだ。
立ち上がり、ヴェスティウムの手足を縛る縄を解く。
「これで君は動けるだろう?君には、真実を話してもらうよ。僕についておいで」
「承知いたしました」
ヴェスティウムの足音を後ろから聞きつつ、書斎に顔を覗かせた。先程までいたゼラリオの姿が見えない。しかしハーミッドは気に留めることなく、書斎から出る。
何かを考えるように煙草の煙を揺らしては、振り返った。
「少しだけここで待っていてくれるかい?」
「承知いたしました」
ヴェスティウムを待たせてハーミッドが向かったのは、死体が置いてある客間だ。しかし、先程見た客間と同じではない。
死体が、消えていた。
死体だけではない。血も汚れも全て、まるで最初から何もなかったかのように消えていた。
心当たりがあるハーミッドは特に気にすることもなく、その部屋を後にする。
「それじゃあ行こうか」
「了解です」
ヴェスティウムのもとに戻るなり、そう言葉を交わすと足を動かした。丁寧に装飾されたドアを押し、久々に新鮮な空気を吸い込む。
外に出たハーミッドに気が付いたのか、向かうより先にユスリーシャが駆け寄ってきた。
「お待ちしておりました。あの、お話は聞けましたか?」
「いえ、屋敷の主人は留守のようでして。ですが、彼から話を聞けましたよ」
この家のヴェスティウムです、とハーミッドは彼を紹介する。目尻を下げていたユスリーシャの顔に、安堵の表情が広がった。
それからハーミッドは、二人を連れて彼女の夫の元へと向かう。人が少ないうちに、ハーミッドはユスリーシャとヴェスティウムに告げた。
「目的地に付いたら、まずユスリーシャさんは彼を連れて王の前に出てください。そして、無罪を訴えてください。証拠は彼が話してくれます。あの屋敷の主人がしていたことを全て話せば、貴女の夫は解放されますよ」
「分かりました」
表情を引き締めたユスリーシャが、静かに首を動かす。それを見てから、ハーミッドは視線を隣に移した。
「君も、王の前で真実を話すんだ。出来るだろう?」
「承知いたしました」
ヴェスティウムは命令がない限り、嘘はつかない。素直に屋敷の主人が危険種核を集めていたことを話すだろう。
人の声が遠くから聞こえてきた。あの大通りに戻ってきたのだ。
人混みの中に入る前に、ハーミッドは口を開く。
「それと、僕のことは誰にも告げないでください。貴女に協力したことも、屋敷に行ったことも。屋敷に行ったのは、貴女ということにしてください。詳しく聞かれたら、留守で緊急のために入り、物音がしたから地下室に入った、とでも答えてください。そしてそこで彼に出会ったと。君も、出会ったのは僕ではなく彼女だと言うんだよ」
二人の返事を聞く前に、後は君達の仕事だ、と優しく背を押す。人混みの中から最前に辿り着き、透き通る声が響くのを見届けてから、ハーミッドは背を向けた。
その場を離れ、少し遠いところの人混みに紛れてから再度様子を窺うと、彼女の夫は解放されていた。上手く真実が伝わったらしい。ヴェスティウムがもたらした新たな情報に、集まった人々がざわめいている。
これで依頼は完了だ。今度こそハーミッドは立ち去り、便利屋へと帰る。
ただ、その表情は晴れやかではなかった。聖職者が、焦るように顔をしかめていた。それがどうにも引っかかる。聖職者にとって、彼女の夫が解放されることは都合が悪いことなのだろうか。それとも、危険種核を所持していたのは貴族だと知られることが嫌だったのだろうか。
どちらにせよ関係のないことだ。そう思い直し、夕日に染まる髪を揺らした。
死損のヴェスティウム 蓬瀬 @vestiumu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。死損のヴェスティウムの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます