夢処

浅雪 ささめ

夢処

『山の向こうに力を与えてくれる店がある』


 そんなファンタジー世界のようなうわさが、まことしやかに街中でささやかれていた。しかし殆どの人がそれを信じていないようで、噂は所詮しょせん噂でとどまっていた。なぜなら山の向こうに行った者を見た人はいなかったのだから。

 ただ学校の七不思議のように、漠然ばくぜんと噂話として存在しているだけの、はずだった。



「なあなあ知ってっか? あそこの山を越えると不思議なお店があるらしいぜ」


 酒を求めて二、三軒はしごしていると、急に後ろから呼び止められた。


「あ、そうですか。それではこれで」


 酒が入っているのもあってか、そんなことに構ってる暇など無いと、ぶっきらぼうに断り、私はその男に背を向けたのだが、


「街の中じゃ結構有名な話だぜ? しかもそこまで眉唾まゆつば物でもないらしい」


 としつこく迫ってくるもんで、仕方なしに話を聞くことにした。後で酒でも奢ってもらうとしよう。


「この前隣町の男が一人、山の向こうに行ってフラッと帰ってきたんだ。そいつが『僕なら出来る』なんて繰り返して、何やらいろんな所に出向いてるらしい」


「ふーん」


 興味なさげに頷く私をお構いなしに、男は人指し指を突き出して話を続ける。


「しかもだ。そいつはそれまで家から、いや部屋からも出ないくらいの出不精だというもんで、皆驚いてんだ」


 私はそこまで興味を持たなかったが、どうやら噂は本当のようだ。いや、彼の話一つで決めつける訳にもいかないだろうが、折角の機会だ。この際、騙されててもいいだろう。


「面白そうな話だな。ちょっと行ってみたいんだが……あっちか?」


「違う違う、そっちだ。しゃーねぇ。山の麓まで送ってやるよ。まあその先に道らしい道もないもんで、山の中のどこにあるかまでは教えらんねぇが」


「ああ、それでも構わない」


 男が歩き出す方向に私もついて行く。時折こっちを確認するように、振り向きながら歩いてくれるのを見ると、恐らく悪い人じゃないのだろう。


 街を出て数十分といったところか。なるほど確かに目の前には山があるが、男の言うとおり、道は見当たらない。少し木々が踏み倒されている箇所もなくはないが、ほとんどが手つかずと言った感じだ。なんなら本当に人がいるのかも怪しい。


「気ぃつけてな」


 私は「おう」と左手を挙げ、森の中を突き進んだ。迷子にならないか心配だったが、さっきの男が狼煙のろしを上げてくれているので安心だ。


 いくら体力に自信があるといえど、段々と足腰が痛くなってきた。もう山を二つ越えようとしている。あの男の狼煙もかすかにしか見えない。それほど奥まで来たのだ。

 もう一度狼煙を確認しようと、街のあると思う方向に目を向ける。すると目の錯覚か、煙が二筋のぼっていた。


「ん?」


 私は疲れているのだろうか? でも、確かに二本が別の所にあるように見える。かなり離れているため、見間違いではないようだ。


「取り敢えず、向かってみるか」


 このまま当てもなく進んで野垂れ死ぬくらいならと、煙の立ち上る方へ足を向けた。


「ここらへんか?」


 途中で煙が一筋消えた。おそらく今向かっている方の煙だと思う。さっきまで見えていた方にまっすぐ歩くしか無い。それに、もし見つからなくても、街に戻らずにこのまま山の一部になるつもりだ。


 すっかり空も綺麗なオレンジ色に染まっていた。気づくと、男の狼煙もすっかり見えなくなっている。きっと今頃は、家で家族と晩ご飯でも食べている頃だろう。


 この草は食えるのだろうか? という考えが脳をよぎるくらいには空腹で、その場にしゃがみ込んでしまった。これだけ探しても見つからないとは。やはりあの話は噂に過ぎなくて、こんなことは無意味なのだろうか。


 と、その時。近くで良い匂いがすることに気づいた。もしかしたら誰かいるのかもしれないと思い、私はその匂いに釣られるようにして歩き出した。


 あった。家だ。あの男の言っていた店かどうかは怪しいが、とにかく行ってみることにしよう。電気もついてるし、誰かしら中に人はいるだろうからな。


「ごめんください」


 はーいという抜けた返事で出てきたのは、黒髪に少し蒼い目をもった男性だった。白髪の眼鏡を掛けた白衣のおじいちゃんみたいなのを想像していたので少々拍子抜けした。


「はい、モードルです」


「あの、お話があってきまし……」


 グゥゥゥ


「す、すいません。ずっと歩いてたもので」


 モードルはフフと笑みをこぼした後、


「まあ、その話というのもまずは食べてからにしましょうか。丁度、これからご飯にするつもりだったので」


 結論から言うと、料理は凄く美味しかった。山の中なので山菜が多いと思っていたが、魚や肉なども手にはいるようで、とても堪能できた。これで酒も飲めたら完璧だな。

 食器を片付けると、モードルが話を切り出した。


「さて、話というのは? と聞かなくても大体想像は出来ますが。こちらへ来てください」


 モードルに連れられるように、家の奥へと進む。


「こちらです。夢を売りにきたんでしょう? ああ、もしかして買うんでしたか?」


「夢を……売買?」


「はい。文字通りあなたの夢を買います。ここに並べてある夢を、あなたが買うことも出来ます。ここはそういうお店なんです」


「つまり何でも叶うと?」


「いえ、私が売るのはあくまで夢。まあ、目指すきっかけのような物ですね。叶うかどうかは本人の努力次第です。ちょっとあなたの夢を見て差し上げましょうか?」


「いいんですか?」


「折角こんな辺鄙へんぴな場所に来てくれたんですから。ああ、もちろんお代は結構ですよ」


 私はモードルに誘われて、ベッドに横たわる。ベッドの下からは何本も配線が延びていてどこかに繋がっているようだった。


「じゃあ、目を閉じて」


 言われたとおりに目をつむる。頭に何か装着したわけでもないが、そんなことで分かるのだろうか?


「もういいですよ」という震えたモードルの声で目を開ける。夢というのは自分ではあまり意識したことがなかったので、少しばかり楽しみだ。


「それで、私の夢は何でしたか?」


「あなた、夢無いのですか?」


 モードルは眉をひそめ、不安そうに聞いてきた。


「夢が無い?」


「ええ、空っぽでした。こんなことは初めてですよ。勿論、子どもの方が純粋な夢を持ってるので高く売れるし、現実の闇にもまれた人ほど濁った夢になる。ただ、あなたはそもそも夢がないようです」


「空っぽだと、夢は買えないのか?」


「いえ、そんなことはありませんよ。ところであなたに売りたい夢がありまして……」


「私に?」


 ちょっと待っててくださいねと、その場を離れる。相当大事な物なのか、鍵をジャラジャラ鳴らして部屋を出て行った。

 暫くしてモードルが戻ってきた。その手には、紫色の瓶が握られている。


「これです」


「未知?」


 瓶にはラベルが貼られていて、そこには『未知』と書かれていた。未知とは何か聞くと、モードルは


「五年ほど前まで、とある方と一緒に住んでいたのですが、何というか多才な方でしたので、気になって調べたところ、その方の夢が『未知』だったのです」


「ある方……とは?」


「レオナルドと申してました。どっから見ても日本人なので、恐らく偽名だと思いますが」


 それはあなたもでしょう。というツッコミは心の中に伏せておく。それよりもモードルの話をもっと聞いていたいと思った。


「まあ、レオナルドダヴィンチからとった物だと思いますよ。あの方も随分ずいぶんと多才でした。この家もその方が作ってくれたものですし」


 それで、とモードルは続ける。


「買ってみませんか? この夢。自分には入れられませんから」


 いかにも怪しい商売だが、話に乗ってみよう。多才な人の夢も気になるし。


「ええ、じゃあ騙されたと思って」


「ありがとうございます。今回はこちらからのお願い、ということでこちらの金額でどうですか?」


 モードルが提示した金額は、私の財布の中身のほぼ全額だった。別に高いわけでは無いが、元々は酒を飲むだけに出歩いてたものだから、手持ちが少なかったのだ。


「では、またこちらに横になってください」


 モードルが指示するがままに横になる。夢を見るときと同じように、目をつむる。恐らくこれには、過程を見られないという利点もあるのだろう。


「もういいですよ」


 というモードルの声で目を開ける。


「体調は大丈夫ですか?」


 私がうんと頷くと、満足そうに


「それはよかった。今、どんな気分ですか?」


「んー、別段と変わりはないように思うが」


「そうですか。困ったことがあったら、いつでも私のところへ来てくださいね」


「それでは。お邪魔しました」


 モードルは、またお越しくださいねと、手を振りながら見送ってくれた。さて、あの男に酒を奢ってもらうとしよう。


 山を下りるとき自分の中に違和感があった。夢を入れたなら当然と言えばその通りだろうと、別段気にすることは無かったが、無視することはできなかった。

 なんと言えば良いだろうか。違う人が自分の中にいる感覚。自分が自分ではないような、なんとも形容しがたい不思議な感覚だった。ただ、私にも夢が出来たんだという喜びもあり、それがなんなのかと言われても「未知」としか答えられない。それに、これから私がこのお陰で成功を収めても、何の違和感も無いだろう。


 私が貰った夢は未知なのだから。

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