真夏の大戦争

しましま

我が部屋を取り戻せ

 カサッ、カサッ、寝ていた俺を一瞬にして目覚めさせたのは、ほんの小さな物音だった。


 間違いない……奴がいる。


 真っ暗な視界に薄っすらと映る天井を見つめ、俺は確信した。



 真夏の暑い空気はカラカラとし、エアコンのないこの部屋はまさに地獄。流れる汗は滝のようでタオルなどまるで意味がない。なんとか暑くないようにカーテンで日差しを遮断し、真っ暗になった部屋でピクリと動く事もなく眠っていたところだったのだ。



 俺はむくりと起き上がると、気配を限りなくゼロに近づけてそろりそろりと壁際に寄った。手探りで電気のスイッチを見つけ、部屋に明かりをつけた瞬間だった。


 ーーカサッーー


 あの不快な音が、またどこかで動いた。確実に奴がこの部屋の中にいる。


 …………今日は戦争だ。


「おい、隠れてんじゃねえよ。姿を現しやがれこの野郎!」


 そう叫んでみるも、何も反応はない。ただ六畳間に虚しく声が響いただけだった。

 

 なんとなく感覚で分かる。奴は俺の前方三メートル、段ボールとちり紙が散らばった区画に居る。カサッという不快音は紙の上を這う音だ。

 だが…………くそッ、姿が見えない。奴はどこから俺を監視しているんだ。俺が動いた事には気づいているはず。警戒レベルはマックスか……。



 ……くッ……ならばこちらも今のうちに武器を用意せねば。

 

 俺がこの部屋を出た事が奴にバレれば、必ず奴は別の場所に姿をくらませる。もしも次に部屋に入ってきた時に急襲されれば、もはや俺に勝ち目はない。

 それを避ける為にも、武器はこの部屋で調達しなければならない。だがしかし、武器という武器があるのは奴の潜むあの区画。下手に近づこうものなら俺に命はない。



 考えろ……考えるんだ……奴に対抗する手段を!!



 ひたすら考えて、部屋のこちら側の区画で武器を探すも、スプレーはおろか新聞紙すらない。この部屋では水系統は使えないし、火なんてもってのほかだ。一応机の上にはハサミやコンパスなどの超近距離武器もあるが、あんなものは俺には扱えない。


 万事休すか…………いや、待てよ? ひとつだけ、アレならばこの状況を何とか出来るかもしれない!

 

 俺は急いで机に駆け寄ると、下から二段目の引き出しを開けてソレを取り出した。

 だが、俺がほんの一瞬背中を向けた時だった。


 ーーカサッ、カササッーー


 奴が大きく音を立てて移動したのだ。

 咄嗟に振り向くと、今度は奴の姿がそこにあった。奴は俺の予想通り段ボールの区画から姿を現し、今はその付近の壁に張り付いている。

 

「……くッ、俺なんて相手にならないってか?」

 

 滑り属性を持つ奴の身体がキラリと光るのを見て、俺は大きな苛立ちを感じた。


「そんな風にカサカサしてられんのも、今のうちだけだ!」


 声を発する度に壁を這い動く奴をじっと睨みながら、俺は手に持った兵器に弾を装填していった。弾数は六発。小学三年の頃に買ってもらった拳銃タイプのモデルガンで、弾数が少ない代わりに威力は抜群。十メートル先から空き缶に穴を開けられる代物だ。

 これを使えば本来奴を潰した時に見る事になる、あの気持ちの悪い光景を見ずに済む。そう思いながら、俺はひとつひとつ、けれども素早く弾を装填していった。

 

「よし、準備は整った」


 少し前進して、奴との距離はだいたいニメーター半。これ以上近づかれては飛ばれる可能性が出てくるため、距離を詰められるのはこのくらいが限界だ。

 俺は一度冷静に深呼吸をして、胸をなでおろした。そして、ドラマとかでよく見る警察の銃の構え方をしながら、カサカサと動く奴に照準を合わせた。


 ふはは、これで俺の勝利だ! 俺の部屋に侵入し、あまつさえ俺の眠りを妨げたこと、後悔するがいい!!


 心の中で高々と叫び、俺は引き金を引いた。


 ーーパァンッーー


 気持ちいいほど大きな音が室内に響き、コツンと弾が床に転がる。

 だが、俺の目の前には元気に壁を這う奴の姿があった。


 動く事が出来なかった。それは弾が奴に当たらなかったからではない。もっと、そんな事よりももっと恐ろしい事が起こっていたからだ。


 人差し指が引き金を引き始めてから引ききるまでの刹那、確かにそれは聞こえたのだ。


 ーーカサッーー


 俺の手を震わせ照準をずらしたその音は、目の前に居る奴の放った音ではなかった。


 それが意味する事とは何なのか。


 俺は最初からある失態を犯していたのだ。まるで理解していなかった。


 敵が奴だけではないという事実を。


 最初から敵は奴だけだと思い込み、自陣区画を安全だと決めつけていたのが一番の失敗だった。俺は奴に対する絶対的優位な状況に自惚れていたのだ。


 その結果がこれだ。

 奴とその仲間に挟み撃ちにされた挙げ句、完全に退路を断たれ退くことも出来ない。


 まさに絶体絶命だ。あと五発だけ弾が残っているが、前後両方を気にしながら狙い撃つ技術は持ち合わせていない。

 かと言って、新たな武器を探しに俺が動けば奴らも動く。同時に動かれ奴らを見失う事になるのだけは避けなければならない。


 『詰み』


 そんな二文字が頭に浮かんだその時だった。


 ーーバタンッーー


 そこに張り付いていた奴を吹き飛ばす勢いで、ドアが開かれた。


「ねっ、姉さん!!」


 そこには、我が家最強の戦士である姉の姿があった。

 左手に持っているのは新聞紙。右手に持っているのはスプレー缶。

 俺が驚いて固まっている間に、姉さんはドアに張り付いてカサカサ動いていた奴にバコンと一撃を食らわせ、あっさりと倒してしまった。

 

「姉さん!!」


 俺は急いで姉さんに駆け寄ると、姉さんはすれ違うようにして部屋の奥のあの区画へと向かった。勇敢に進む姉さんの首筋には汗が流れ、キラリと反射した光は奴のものと違って救いの光に見えた。


 そして姉さんはスプレー缶を構えると一言。


「失せろ、雑魚が」


 声と同時に引き金が引かれると、放たれたスプレーが奴を飲み込んでいった。そして、たった一分足らずで奴は息を引き取り、奴らと俺との真夏の昼下がりの戦争は幕を閉じたのだった。


「助かった。ありがとう、姉さん」


「…………はぁ………………暑い……」


 俺は姉さんに背中越しでお礼を言ったが、姉さんはぼそっとそう呟くと、そのまま部屋を出てエアコンの効かない自分の部屋へと戻っていってしまった。



 その後、俺は顔中を濡らしていた汗を拭き黙々と奴らの残骸を片付けると、再び平穏が訪れた部屋でまた静かに眠りについたのだった。

 それもそう、まだ奴らの仲間がいるかもしれないと言う恐怖を忘れて。

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真夏の大戦争 しましま @hawk_tana

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