十二 明日の向日葵

 檸檬レモンの若木のような青年だわ。花屋の主人は、客として現れた青年の姿をそう評した。

 明るい金髪に、薄いサングラス。青いスカーフを首に巻き、肩にかけたバックパックもチープな一品。なのに彼は、そこに立っているだけで絵になった。

 彼は花屋の立ち寄ると、真っ赤な薔薇を主役にした高価な花束を注文した。青年は花が束ねられる間、フラフラと街を見回し、楽しそうに微笑んでいる。

「お、懐かしい」

 彼はスマートフォンを取り出して、荘厳なアーケードを背景に自分の写真を撮りはじめた。映画俳優みたいなハンサムが、子どもみたいにはしゃいでいるのだ。花束を包む主人は、ウットリしながら小振りな向日葵をオマケに手渡した。

「お兄さん、もしかして芸能人? 」

「それが、まだどこの事務所とも契約してないんですよ」

 青年の返しに、花屋の主人は笑いながら熱っぽい視線を向けた。

「あらー、お話もお上手ね。ここには観光に?」

「近くで仕事がありまして。ついでに立ち寄っただけなんですよ」

 彼は話しながらクレジットカードを差し出した。花屋の主人は、カードに書かれた氏名を舐めるように読んだ。

「“リチャード・コール“……あら〜名前も素敵ね〜!」

「もしオレの名前が有名になったら、ご贔屓よろしくお願いします」

 青年は花屋の主人にウインクをして、花束をプラプラさせて歩き出した。彼の足は、意外な場所で止まった。すぐ近くの路肩に座り込んでいる、小さな子どもの前にしゃがんだのだ。

「君、一人? ずっとオレを見ていたよね?」

 青年は金髪を揺らして笑い、貰ったばかりの向日葵を子どもに差し出した。だが、褐色の肌をした子どもは、青年の腕に抱えられている、真っ赤な薔薇を指差した。

「うち、どうせなら、それがいい」

 青年は困った顔をすると、ごめんね、と答えた。

「この薔薇をあげる相手は、もう決まってるんだ。向日葵じゃ嫌かい?」

 すると子どもは、サッと青年の手から向日葵を掻っさらい、脱兎のごとく駆け出した。入れ替わるように、花屋の主人が駆け寄ってきた。

「お兄さん大丈夫? あの子は有名なスリなのよ。やられちまったねえ」

「最初からあげるつもりだったから構いませんよ。あの子、地元の子ですか? 花の価値をよく知っていました、一番高い花を欲しがりましたから」

「さあ〜、知らないわねえ。最近はあっちの方で紛争が多いでしょ、だからうちの街も人の出入りが激しいのよ」

 花屋の主人の言い草は、興味の薄そうな答えだった。青年は肩をすくめると、ただ微笑むだけだった。


 アーケードは観光客や市民で賑わい、あちこちで観光ガイドが、喧騒に負けまいと声を張り上げていた。

「このアーケードは教会の火事で倒壊し、大きな被害を出しました。しかし今から百年前に、市民の手によって再建されました。倒壊した当時は、汚職や麻薬の密売が横行していて、人々は神様の天罰だと思ったんです。みんなも先生に叱られたら、良い子になるでしょう?」

 子供たちの嘲笑が沸き起こり、ガイドもニヤリと笑いだした。リチャードは、彼らの話を横目に聞き流し、ふわりと微笑んだ。

 リチャードは、その火事を見たことがある。彼がまだ“リック・レヴィ”という人間だった頃の話だ。

 冷たくなった主人の横で、自分だけが目を覚ましたとき、リックはその火事を目の当たりにした。そして、全てを悟った。大切な主人が、自分に何をしたのかを。


「ようボス、久しぶり。最後に来たのは冷戦が終わった年だから、三十年ぶりぐらいかな」

 町外れの小さな霊園に、リチャードは立っていた。花束を備えたばかりの墓石には、忘れかけていた名前が刻まれている。

 リチャードは煙草を取り出し、その名前に煙を吹きかけた。あの人は大の煙草嫌いだった。絶対に吸うなと、何度も忠告を受けたのも昔の話。

「死んでちゃオレを叱れないだろ。後悔したって手遅れだぜ、ザマアミロ」

 リチャードは笑いながら、墓石の横に寝転がった。真っ青な空に向かって、煙が白い雲のように登っていく。この空を、何百もの戦闘機が飛び交って、数え切れない程の爆弾を落としたのは七十年ほど前。今の静寂と比べると、嘘のような景色だった。

「ボスはさ、なんでオレだけ生かしたの? こんな世界を一人で生きさせるとか、最悪のプレゼントだよ」

 リチャードは煙草を口に咥えて、ゆっくりと立ち上がった。


 そこには、どう見ても墓参りに来たとは思えない、戦闘服に身を包んだ三人の男がいた。黒いマスクで顔を覆っている。そのうちの一人が、重苦しい口を開いた。

「貴様が、我らの首領を殺った“首斬り悪魔”だな」

 三人の男達は、示し合わせたように拳銃を取り出した。安全装置セイフティを外す音がカチカチと聞こえると、リチャードは思わず笑い出した。

「やめときなよ、無駄死にするだけだ」

 三人の男達は、合図も出さずに引金トリガーに指をかけ、リチャードに狙いを定めた。その一瞬に、リチャードが動いた。リチャードは羽ばたくような速さで間合いを詰めると、煙草を摘んで、男の首筋にギュッと押し付けた。

 たちまち、男が火達磨になった。他の男たちは何が起きたのか理解できず、ただ悲鳴をあげてのたうち回る仲間を見ていた。

「きっ、貴様っ」

 命の危険を感じ取った一人が、銃口のをリチャードに合わせた。リチャードは腰から二本のサーベルを引き抜くと、一気に斬り裂いた。男は声も上げずに絶命し、泥の上にぐしゃっと倒れた。

 最後に残った男は、慌てて間合いを取った。リチャードは仕留めた男から短剣を抜き抜くと、逃げた獲物を追う悪魔のように身を翻した。

「だから無駄って言ったのに」

 リチャードは、最後の男に一気に詰め寄ると、短剣を振って首を切り落とした。襲撃者たちは、あっという間に壊滅された。リチャードは返り血を拭い、短剣をベルトの鞘に戻した。

 突然、発砲音がとどろいた。リチャードが目を見開いたときには、すでに額に穴が開いていた。誰かに、脳天を撃ち抜かれたのだ。

 リチャードは、大の字になって倒れた。風穴の開いた頭が、あっという間に血溜まりに沈んでいく。臓器の色をした水たまりを、小さな褐色の足が踏みつけた。

「無駄じゃなかったでしょ。だってあんたを油断させた」

 そこに現れたのは、向日葵の花を胸ポケットに刺した子どもだった。その手には、小さな手に収まり斬らない銃が握られている。

 子どみはリチャードの頭を踏みつけて揺すり、額に弾倉を確認するとニヤリと微笑んだ。

「首斬り悪魔って殺し屋も大したことないね。うちの組織に楯突いた猛者って聞いてたけど、ただ顔がイケてるだけじゃん」

 ところが、そのときである。

 死んだはずのリチャードが、ニヤリと微笑んだ。

「なんだ、やっぱりオレに見惚れてたんだ?」

 脳汁を垂れ流していたリチャードが、目玉を動かし子どもを見た。子どもは飛び上がって後ずさり、リチャードはのんびりと座り直した。

「君がずっとオレを狙ってたのは知ってたよ。ほら、写真もいっぱい撮ったしね。今のは、わざと撃たれてあげたんだよ」

 リチャードは垂れてくる血を舐めながら、スマートフォンを取り出した。画面には、リチャードの不敵な笑顔と、小さく映り込んでいる子どもが見えた。

 子どもは何も答えず、青ざめて震えるだけだったが、思い出したように銃を構え直した。

「今度は外さない!」

「さっきもちゃんと当たってたよ」

 リチャードは飴玉を舐めるように口を動かすと、黒手袋の手の上に、銃弾をぺっと吐き出した。リチャードは、自分の頭を撃ち抜いた弾を、子どもに見えるように持った。子どもは銃を構える気力も無くして呆然としている。

 リチャードはそれに気をよくすると、弾をを子どもの手に乗せてやった。

「ほら、プレゼントだ。もう物騒な遊びに加わっちゃダメだよ?」

 子どもは我に返ったように目を瞬かせ、目にも留まらぬ動きでリチャードの頬を殴りつけた。

「こんなプレゼントいらんわ、くそゾンビっ!」

 殴られたリチャードは反動で尻餅をつき、打たれた頬を抑えながら子どもを見上げた。

「何するんだよ、乱暴だなあ、それに口も悪いっ」

「そんなことよりお前、不老不死の妖怪モンスターなのか?」

 子どもはリチャードの前に仁王立ちし、鋭い眼光で睨みつけた。その凄まじさは、リチャードが体格差を忘れてしまうほどだった。

「そうだよ。よく気がついたね」

 リチャードは座ったまま、返り血で染まった青いスカーフを引っ張って、首の縫合痕を見せつけた。すると子どもは、青ざめながらもニヤリと微笑んだ。

「へえ、首を斬っても死なないんだ。じゃあ、胴体を切断したらどうなるの?」

「君、オレが怖くないの?」

 興味津々の子供を、リチャードは怪訝そうに睨み返した。首には切断痕、胸には大きくえぐれた痕があるし、今は額に穴が空いている。世にもおぞましい姿のはずなのに、子どもはぐいっとリチャードに迫ってきた。

「何言ってるの? あんたより怖いものなんて、とっくに見飽きてるから」

 リチャードは啖呵を切る子どもの容姿を、改めて見た。細い腕には火傷跡があり、縫合した傷も身体中についている。小さな手は銃に馴染み、血溜まりを素足で踏みつけても、顔色一つ変えていない。

 なるほど、この子の言う通り、この世には、怪物よりもおぞましい景色が溢れかえる場所がある。この子どもは、そういう世界で育ったらしい。

「そういえば、オレもそんな子どもだったよ」

「ねえ、あんた今フリーの殺し屋なんでしょ?」

 子どもは余裕を取り戻すと、血で濡れた素足でリチャードの胸を踏みつけた。リチャードは地面に押し倒されると、可愛らしい子どもの顔を見上げた。

 子どもは、熱っぽい視線をリチャードに向けて言った。

「あんた、うちの部下になる気はない? 」

 思いもよらぬ口説き文句に、リチャードは一瞬目を丸くして、腹を捩って笑い転げた。ところが、子どもはリチャードのスカーフを引っ掴むと、真面目な顔を突きつけて言った。

「冗談じゃなく本気マジで言ってんだよ。うちは、祖国を取り戻すための大きな組織を作りたいんだ。そのために、今は使える手駒が必要なんだよ」

「へえ、テロ組織を作るつもり?」

「テロなんかじゃない! うちの夢はもっとでかいんだ!」

 リチャードは自分に馬乗りになっている子どもを見た。傷だらけの褐色の肌に、捻れば簡単に折れそうな細い体。雇うと言い張るが、その金はどこにある? リチャードには、この話に乗るだけの魅力なんて、微塵も感じなかった。


 だけど、この体になってから初めて口説かれた。まるで世界の闇に咲いた、一輪の花を見つけたみたいだった。

 リチャードは忍び笑いをうかべ、子どもを抱きあげて立ち上がった。

「金を積まれれば殺しもやるけど、オレは殺し屋じゃない。本業は用心棒なんだ」

「へえ、なおさら良いじゃないか」

 子どもは最高のおもちゃを手に入れたように微笑んだ。リチャードはその顔を見上げて微笑むと、黒手袋をはめた手で握手を求めた。

「オレのことは、リックと呼んでくれ。坊やのことは、なんて呼べば良いい?」

「バカ野郎っ、うちは女だ!」

「あら、新しいボスはお姫様でしたか」

 小さなボスは、可愛い鉄槌をリックの頭に叩き込んだ。

 リックはケラケラ笑うと、怒るボスをなだめながら、そっと後ろを振り返った。小さな墓石が、少し寂しそうに佇んでいる。リックは、青い瞳にあの人の顔を思い浮かべて、小さく微笑んだ。


 不老不死になったら、ボスの気がすむまで一緒に旅がしたかった。

 ささやかだが大それた夢は、思わぬ形で敗れてしまった。だからせめて、これから新しい夢を描けるのかどうか、あの人に見ててもらうことにしよう。

「さようなら、断頭台の天使様」

 首切り悪魔は小さな花を抱いて、闇の世界に羽ばたいていった。

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首斬り悪魔と断頭台の天使 淡 湊世花 @nomin

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