CASE 亡者の魔窟‐スラムビルの悲哀歌‐ 3


 二人は8棟に辿り着く。

 ゾンビ達は身体中が変形していって、身体の関節が異様な方向に折れ曲がったり、腹が膨れ上がったり、複数のゾンビ達が融合したりなどして、姿形を変えていっているみたいだった。


 道中、見つけた情報によると、此処の区画長であるニオベーは最上階である9階にいるらしい。二人は9階に向かって、階段を歩いていく。


 途中、下半身がムカデと化している変形したゾンビに襲われたりした。頭にも人間の顔と上半身があり、下半身のムカデの部分の尖端にも人間の顔がある化け物だった。


 ムカデの化け物は、無数のトゲ状の脚で二人を攻撃するが、セルジュの怪物犬の剣によって次々と喰われていく。おそらく、刺されると死に至る毒を注入されるだろうが、反射神経の上で、セルジュとレイスの敵では無かった。


  他にも、全身から異臭を放つ、人間の頭部をした巨大なヤモリが壁を這っていたが、そいつからの襲撃は面倒臭いので、無視する事にした。


 やがて、二人は最上階まで辿り着く。

 9階の区画長の部屋。

 鍵は掛かっているが、セルジュは構わず、ドアを蹴り破った。


 中には、何台かのパソコンが置かれていた。

 長い白髪に、背中の曲がった青年がしきりにパソコンのキーボードを叩いている。セルジュ達が来た事は無視しているみたいだった。


「おい。お前がこの惨状を作り出したニオベーって奴か? お陰で、俺の依頼主がお前の作り出したゾンビ共に喰われて、俺への依頼料がパーじゃねぇか」


 かちかちかち、と、青年は振り返る事なくパソコンのキーボードを叩いていた。


「君達、邪魔だよ。僕は今、ゾンビ・ウイルスの研究を行っている。これでこのマンションの住民達はウイルスに感染して、やがてウイルスは全世界に広がり、全世界は僕に跪く事になる」

 かちゃかちゃかちゃと、青年は二人に振り返りもせずに述べた。


「お前の野望の事なんてどうだっていいんだけどな。報酬をくれる奴がお前の作り出したゾンビに喰い殺されちまったじゃねぇか。変わりにお前が報酬分払ってくれねぇかな」

 セルジュは面倒臭そうに告げた。


 青年は振り返る。

 亡霊のように、青白い肌の男だった。


「やはり……、この僕の野望を阻止しようとするのか。……君達は、僕の世界征服の野望の為に始末しなければならない。ふふっ、正義の味方が来る事は分かっていた」

「いや、だからあ。俺は2棟の奴から報酬を貰うつもりだったんだが、そいつが、お前の作ったゾンビに喰い殺されちまったんで、金が貰えなくなったから、迷惑料も込めて、お前が払ってくれって話だろ」

「僕の野望の行く手を阻むものは、始末してもらう。既に算段は整っている」


 ……会話がまったく噛み合わないな、これ。

 セルジュは苦笑いを浮かべながら、内心毒づいた。

 ニオベーは手に持っていた、リモコンのスイッチを押す。

 どうやら、それは入ってきた部屋のシャッターみたいだった。完全に閉じ込められた事になる。


 部屋中から、何か得体の知れない怪物達の唸り声が響いていた。

 ただのゾンビだとは思えない。

 おそらく、この青年が作り出した最高傑作か何かだろう。


 セルジュは窓の方を見る。

 窓を割って、レイスを連れて、脱出する事は可能だろう。


 ……だが、それよりも。


「おい。テメェ、こっちが下手に出ていれば調子に乗りやがって。何か金目のもの寄越せよ。ふざけやがって。こっちはこんな汚ぇね場所に命掛けてやってきたのによ」


 レイスが眉を顰める。

 どうやら、彼女はこの部屋に生息している者が何なのか気付いたみたいだった。


「セルジュ、ひとまず、部屋から出ましょう。こいつはとても不気味よ。何か非常に悪い予感がするわ」

「煩ぇな。まずは、この青ビョウタンから報酬と迷惑料取らねぇとなっ!」

 セルジュがそう言って、ニオベーに掴み掛ろうとする。

 ニオベーは笑っていた。


 何か、波しぶきのようなものが、部屋全体を覆う。ずざざざっ、と、セルジュがいた場所は“水のようなものに呑まれていった”。いや、それは液体というよりも、粘体といった方が良いのだろうか。それはニオベーごと、セルジュのいた場所を覆っていた。その固体と液体の中間のような存在は、ゾンビやその他のニワトリや家畜、鳥や虫、植物といったものと融合していた。ゾンビではなく、未だ生きている人間もその中にはいて、中でドロドロに溶かされながら、未だ生きているみたいだった。やがて、その生きた人間も、皮膚や肉が崩れ去り、骨だけになる。


 セルジュは咄嗟に、レイスの身体を掴んで、部屋の外へと出ていた。


「最悪だ。部屋全体を奴ごと飲み込みやがった」

「ねえ、一体、何なのアレ?」

「スライムって奴じゃねぇの? 最近のTVゲームとかファンタジーに出てくるような顔が付いている可愛いものじゃなくて、液体状の生き物を消化して一体化する奴」

「それは、とてもたまげたものね」

 二人は、上の階の鉄格子を握り締めて、空中にぶら下がりながら、ニオベーの部屋から這い出てくる液体生物の様子を眺めていた。それらは周辺にいたゾンビ達を飲み込み、階下へと向かって落下していきながら、他の部屋のドアの隙間へと潜り込んでいく。やがて、ゾンビになっていない生きた住民達の悲鳴が聞こえてきた。


 二人は鉄格子をよじ登り、上の階へと着地する。

 どうやら、液体生物は下の階に流れていくだけで、上へと向かう事は出来なかった。


「さて。どうしましょう? 私達はどうやって脱出しようかしら?」

「そのまま、このスラムビルの最上階まで行こうぜ。そして、ビルとビルを飛び越えて、外に脱出しよう」

「報酬はもういいのかしら?」

「もうそれ処じゃねぇよ。畜生が、服の幾つかに液体が付着して、左腕のアーム・ウォーマーを破り捨てるしか無かった。損ばかりじゃねぇか。何かで金を貰える機会があれば、その代金もせしめてやる」

 そう言って、セルジュは毒づいた。



 8棟から7棟、9棟に液体生物は溢れ返って、マンションの中を破壊していた人間や犬猫、鴉や鳩といった類の生物を飲み込んでいった。液体の中から、時折、動物や鳥、人間や魚、昆虫の苦悶に満ちた顔が浮かんでは消えていく。


 セルジュとレイスの二人は屋上に登って、ビルとビルの上を跳躍して、階下の惨状を眺めていた。空を見ると、星一つ見えない、月の無い夜だった。

 いずれ、この液体怪物はマンション全てを飲み込むのだろうか。いずれにしても、二人には関係の無い事だった。


「さてと。2棟に戻って、金目のもの探すかな」

「部屋中、死体ばかりだったけど」

「それでも、探すんだよ。何か、金になりそうなもんあるだろ。現金だと一番、いいんだけどな」


 二人がそんな事を言っている間にも、階下では阿鼻叫喚の悲鳴が渦巻いていた。どろどろの液体生物は留まる事を知らない。いずれは、この怪物は世界中へと広がっていくのだろうか。二人には知るよしも無かった。


 突然の事だった。

 所々が爆破炎上していく。

 誰かが、火炎放射器か何かで液体生物を焼き払っているみたいだった。ガスマスクを被り、防護服に身を包んだ謎の男達が、胸には5棟というプレートを貼って、液体生物を燃やしていく。ガソリンの臭いが立ち込めていく。問題となっている、8棟及び、7棟、9棟周辺のビルに炎が放たれていく。二人はその光景を極めて他人事として見ていた。液体生物は固まっていき、あの青年の顔になって、世界征服、世界征服と叫びながら、火炎放射器によって生きながら焼き尽くされていく。


 闇の中、煌々と炎が燃える中、二人は淡々とビルを脱出したのだった。



 セルジュは数枚の紙幣を握り締めて、イライラした顔をしていた。

 芋虫男の部屋で、タンス貯金を探り当てて手に入れてきたものだ。命を賭けたにしては、数日分の日雇いバイト程度の金しかない。破損したアーム・ウォーマーを購入すれば、更に稼ぎが少なくなるだろう。


 ……畜生が、本当に割に合わない仕事だぜ。

 そう言いながら、彼は喫茶店の中に入る。チェーン店ではなく、個人で経営している場所だ。此処のピーチ紅茶は絶品だった。

 おもむろに、スマートフォンに電話が掛かってくる。

 レイスか、と思ったら、イリーザからだった。


 先日、スナッフ・ビデオの実況中継である『レッド・ルーム』を作成した際に、特に下品で卑猥な誹謗中傷を行った者達の中から十名を選出して始末しているとの事だった。

 

 十通りの拷問部屋を作成して、十人の被験者を同時に十通りの拷問に掛けて、一人一人に他の九人がどのような拷問を受けているのかを説明しながら恐怖を与え続けて、発狂していく様を克明にノートに記述していく作業を行っている、BGMには、数日前に追っ掛けている女形がヴォーカルの耽美系ヴィジュアル系バンドが新曲を出したので、それを大音量で流しながら、十人の拷問と処刑を実行しているそうだった。

 他にも、この前、ネット・オークションで腸巻き取り機を落札したので、早速、拷問部屋に入れた人間の腸を搔っ捌いて、生きながら自身の腸を食べさせるとかやらせていると、嬉々とした口調で述べていた。


 近況を説明し終わった後に、イリーザは、また今度、一緒に何処かに遊びに行こうと最後に行ったが、セルジュは二つ返事で断ろうかと思ったが、一応はOKサインを出した。そして、電話は途切れた。


 ちょうど、ハーブの乗ったピーチ・ティーとブルーベリー・ケーキが運ばれてきて、甘い香りが鼻を覆う。

 平和だなあ、と、セルジュは長閑に、午後の日の光を眺めていた。

 色々あったが、今回は一応、紅茶代、食事代くらいは手に入った。こうやって、疲れる仕事が終わった後に、喫茶店なりに行くのが日課になりつつある。


 しばらくすると、喫茶店の中に、何者かが入ってくる。三名いる。一人はレイスだった。彼女の隣に、二人のフードを被った男達がいた。

 三人はセルジュの前の席に腰を下ろした。


「亡者の魔窟以来ね」

「面倒事なら勘弁だぜ」

 そう言って、セルジュは紅茶を啜る。


「この両隣の二人、亡者の魔窟から来たんですって。貴方をスカウトしたいんだと。区画長兼ボディーガードに」

「…………、………………。頼むから、帰ってくれ、俺は何も見ていないし、何も関わっていない」

 フードの男の一人が、顔に被っている仮面を取る。

 中から、凄まじい火傷痕をした鼻も唇も無い男だった。


「わたしは5棟の区画長です。怪物駆除を生業としており、炎で怪物を退治する事があるのですが。この通り、わたしは自身も誤って、火に焼かれて、全身大火傷を負った事があります」

 別の男が仮面を取る。

 仮面を取った顔は、クワガタムシのような頭部をしていた。ギギィと、顎のハサミを動かす。

<ワタシハ、3棟の区画長デス。コノ通り、虫人間デス。セルジュ様、是非、今は亡き、4棟の区画長になって欲しいのデス>

「4棟って蜘蛛人間がいた場所だろ。しかも、大量に小蜘蛛が蔓延っていた」

<デハ、今は亡き、7棟、8棟など如何でしょうカ。ギギギィ>

「いい加減にしろよ。レイス、お前も何か言ってやれよ」

「私、今、住んでいる暗い森の家を出て、あの亡者の魔窟の住民になる事にしたの。以前よりも広い家が与えられたから。今は2棟の区画長をやっているわ。プルムブルムの部屋を使わせて貰っている」

「おい。人肉、煮込み料理がキッチンに置かれていて、冷蔵庫にゾンビの解体死体が置かれていた場所に住んでいるのか?」

「ええっ。住んでみると、結構、居心地が良いわよ」

 赤ずきんは、満面の笑顔で言う。


「現在……、ニオベーの残した液体生物と、ゾンビ・ウイルスが今もマンション中に溢れ返っている。君達の協力が必要だ。慈善事業だと思ってやってくれないか?」

「そうか。…………悪いが、全力で断る」

 セルジュは、ブルーベリー・ケーキに口を付けた。


<断れないと言ったら、どうかね?>

 クワガタ人間は触覚をうねうね動かしていた。

「何故、断れないんだ? ああっ?」

「あのビルの内部事情を知ったら、住民になるか、殺されるかの選択しかないらしいの。それで、私は住民になった」

 レイスは何処となく、人を喰ったように告げた。


 セルジュは立ち上がると、荷物を持って、店員に多めの紙幣を渡すと、おもむろに、窓を開ける。入り口には、黒衣を纏った何者かが大量にたむろっている事に気付いたからだ。そして、彼は即座に窓から外に出て、この場を切り抜ける事にした。


<お前が生きている限り、我々、虎血魔窟城塞の者達は、必ずやお前を住民にする為に付け狙うからナっ!>


 そう言って、魔窟の住民達は、セルジュを追い続けるのだった。

 ……畜生が、ゆっくり茶飲みも出来ねぇのかよ。


 本当に災難なビジネスを請け負ったなあ、と思いながら、セルジュは心底、自身の運命を呪い、魔窟の化け物達から、しばらくの間、逃げ続ける羽目になるのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『新章・冥府の河の向こうは綺麗かな。』 朧塚 @oboroduka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る