花火の破片に背中を向けると、あなたの幸せな姿がよく見えた


 限界社畜同士の恋愛は、にもかくにも時間が合わない。


『一緒に外で夕食』なんて優雅ゆうがなデートが出来るのは本当にまれなことで、早めに仕事が終わった方が、どちらかの家に立ち寄るので精一杯だ。


 そんな日常が続く中、その夜はとても優雅な日だった。


 なんと飲食店に予約をして、晩ご飯を食べに来たのである。

 7月末の、暑い夜のことだった。


「……あ。

 そういえば、今日は花火大会があるんですって。

 大学時代に友達と行ったなあ。今日見に行く人たちは暑くて混んでて大変でしょうね」

「ああ、混んでるだろうな。

 定番の浴衣デートには正直憧れはあるが、この感染症騒ぎで大変な時代にわざわざ将棋倒し一歩手前の混雑の中に行くのもなあ」


他愛無い会話をしている間に、1階、2階、3階……とエレベーターは上昇じょうしょうしていく。

 好景気時代に建てられた古ビルにありがちなガラス窓付きのエレベーターが、雑居ビルのお隣さんばかりの景色を抜けて、奇跡のような夜景を見せてくれたのは、エレベーターが5階についた直後のことだった。


「ちっちゃいスカイツリーが見えますよ!

 スカイツリーって確か墨田区にあるんですよね? 運が良ければ花火も見えるかも!」

「流石に無理だろ……新宿だぞ、ここ」


 はしゃぐ彼女に、彼は苦笑で返すしかない。

 雑居ビル五階にある飲食店に連れ合って入り、窓際の席に座る。


「わあ、お店からもスカイツリー見えるんですね。本当に花火が見えちゃうかも」


 と、スカイツリーを横目に見ながらはしゃいだのは彼女の方。


「……どうだろうな。見えないんじゃないか」


 と、どちらでもよさそうにスマホを見ていたのは彼の方のはずだった。

 ……しかしその時、ちょうど時刻が20時になって、窓のすみ、スカイツリーのそばに人差し指の爪ほどの花火が爆ぜたことに気付いたのは彼だった。


「見えた」


 彼が息を呑む。


「あ、本当だ。やってますねえ。

 まさか本当に花火が見えるとは思いませんでした」


 彼女はチラッと花火を横目で見た後に、「ここ、友達が言うにはハチミツかけるチーズピザが美味しいらしいんですよね……でもカロリーは抑えたいから小さい方にして……あと野菜は……」等と言いながら、熱心な様子でメニュー表を開き始める。

 ムード重視のイタリアンなので、店内の照明はうす暗い。

 そのおかげで、花火は小さいけれどしっかりとよく見えた。


「こんなに運がいいこともあるんだなあ」


 彼は素直に感激する。


「……というか、君はさっきまではしゃいでいたワリに、随分冷静だな」


 彼がスマホで花火を撮りながら苦笑すると、彼女も苦笑を返しながらメニュー表をめくるばかりだった。


「だって、本当にお腹がすいちゃったんですもん。

 花火が見えたのはラッキーですけど、なによりもまずご飯ですよご飯。

 予約通りの時間に来るために、私、今日は本当に頑張ったんですよ。

 疲れちゃったあ……」

「確かに、まずは腹ごしらえか」


 彼もスマホを机に置いて、マスクを外してメニュー表に目を向ける。

 なにしろ花火大会があるらしいと気づいたのも店に入る直前のことで、疲れ切っているこの酷暑の中花火大会に行く気など最初からなかった二人である。

 本来なら見えなかったはずのものが、奇跡的に見えてしまっただけだ。

 この花火大会は確か十九時開始で二十時半に終了する。

 ……もうじき終わる、たまたま見えてしまった華やぎのかけらだ。

 二人して適当によさそうな料理を注文して、冷えたミネラルウォーターを飲む。


 数年ぶりに再開された花火大会の花火は、激しく打ち上ったり数分の休憩時間が入ったり、緩急のついた様子で打ちあがり続けている。

 それを彼は魅入られたように見つめていて、ついでにスマホで動画を撮っていた。


「……ちっちゃい花火ですから、撮ってもあまり見ごたえのある動画にはならないと思いますよ?」


 彼女が苦笑しながら首をかしげると、彼は真面目な様子で首を振る。


「結構、ちゃんとうつってる。確かに小さいんだけどな」

「うつってるんですか。最近のスマホって凄いんですね」


 彼女は苦笑しながらサラダを食べ終えて、自分のスマホにチラと目を落とす。

 画像共有SNSのタイムラインには、知人や有名人による、今やっている花火大会の大きな花火写真が次々と流れてきていた。

 いかにもSNS映えする幸せな写真だ。

 有料席やヘリコプターから見える花火を自慢している様子もみられ、その真偽を巡って人々が文章を使って乱闘している姿もみえた。


 ザッとタイムラインをながめて、彼女は(あまり意味のあるものではないな)と思い、目の前の彼に視線を戻した。


 大きくてきれいな花火の写真より、いつも眠そうな顔をしている彼が珍しく目を見開いて、興奮を隠しきれない様子で花火を撮っている姿の方がよほど素晴らしい。


(これは私にとって絶対に今なによりも見るべきものだ)


 と、彼女は強く思った。

 彼のこの顔を見ただけで「勝った」と思える。

 何に勝ったのかはサッパリ分からないが……。


「……今日、ここに来てよかったです。

 お仕事大変だったけど、頑張ってよかったあ……」

「ん? ああ、そうだな。偶然だが、花火が見えて良かったな」


 彼は彼女の心に気付きもせずに笑っている。

 そんな彼を見た彼女が笑いをかみ殺すと、彼は不思議そうに首を傾げた。


「ん? なんか面白いことあったか?

 ……というか、なんで君は花火じゃなくて俺を撮ってるんだ」

「記念です記念。何でもない記念写真ですよー。

 ……あ、ほら、これ。

 『彼女とデートなう』って投稿するときに使っていいですよ、このSNS映えする綺麗なミントグリーンのノンアルコールカクテルを」

「そういう涙ぐましいアピールにSNSを使いたくないよ」


 彼は苦笑して首をかしげながらも、まだ花火を撮っている。

 花火大会の終わりまではあと15分。

 本当に遠くでやっているので、指の爪ほどの大きさもない小さな花火だ。

 小さい上に、いつ何が打ちあがるのか分からないので、彼女は花火大会の予定表をスマホで見ながら、「……あと5分で違う趣向になるらしいですよ」「もうすこし早くここに来ていたら、人気ゲームとのコラボ花火が見えたらしいですねえ」などと声掛けしながら、自分は適当に料理をつまんだ。


(おもしろいなあ……。

 最初に「見えるかも」ってはしゃいでいたのは私なのに、蒔田さんはむしろどっちでも良さそうだったのに、今の蒔田さんってば「ヘリが8つ飛んでる!」とか騒ぎながらずーっと動画を撮り続けてるんだもんなあ……)


 彼女自身はというと、花火大会は大学時代に女友達の集団と死ぬ思いをして毎年見に行ったことがあるので、正直今更行きたいとも思わない。

 小さい花火の動画の撮影にもピンとこないのが事実だった。

 それよりも、尋常ではない数のヘリの数と分析に夢中になっている彼の姿の方がよほど素晴らしい。


「……はちみつとチーズって、合わせるとこんなにおいしいのか!」

「ねー、おいしいですよね。

 日常生活でやると爆速で健康を害しますから、お店で食べるだけにしましょうねえ」


 彼は興奮した様子で、はちみつピザにはちみつを山ほどかけて食べている。


(……確かダイエット中だったと思うんだけど、忘れてちゃってるのかな?

 忘れちゃうくらい花火にはしゃいでるの、かわいいなあ)


 仕事で疲れきった彼女にとって、そんな彼の姿さえ胸が締め付けられるほど愛おしかった。

 仕事が忙しくて一緒にいられない時間の方が多いのだから、もう少しだって見逃したくない。


「……せっかく花火が上がっているのに、君は俺ばかり見ているな」

「ついに気付かれちゃいましたか。

 花火も確かに綺麗なんですけど、

 珍しく機械いじりの時以外でうれしそうにしている蒔田さんの姿の方がずっと素敵なので、つい」

「……そんなに分かりやすく嬉しそうなのか、今の俺は……」


 彼が恥じ入るように目を伏せる。


「ずっと引きこもって機械いじりばかりしてたから花火も新鮮に見えるのかもしれない……」

「なるほど」

「……でもほら、花火って、何度見ても綺麗だろ?

 俺のはしゃいでる姿なんて、そんな大型犬みたいに尻尾振って見るようなもんじゃないと思うが……」

「そのたとえ、よく言われるからあんまり好きじゃないんです」

「え、あ。そうだったのか。すまん……」

「許します」


 彼女がおどけたように笑って、ミントグリーンのノンアルコールカクテルに口をつけて、他の料理にも手を付ける。

 二十時半。花火が終わった。

 それを見届けた彼女は、窓を見ながら口を開く。


「……男の人が好きな女の人を動物にたとえる時って、大体が猫一択じゃないですか。犬はなんか、悪い意味で言われまくった思い出が強くて好きじゃないんです。

 私なんてどーせデカいですし、表面上はヘラヘラしてばっかりだけどノリは悪いし可愛げなんか皆無ですし。男の人から戦力外扱いされたって全然悔しくなんかないですけどね」

「戦力外、なあ……」


 と、言ったあと、彼はまじまじと彼女をみてこう言った。


「俺にとってはこんなに可愛いんだけどなあ」

「……。……もうなんでも良くなりました。

 蒔田さんにとって可愛い女の子に見えてるのなら、私は犬でも猫でもミシシッピアカガメでももうなんでもいいです……」


 彼女は大きなため息をつく。

 恋愛はより相手に惚れたほうが負けだというのなら、これは彼女の完全敗北宣言といえた。


 デザートが来る。

 花火が終わったので特に窓の外に目を向けることもなく、二人して素直にもくもくと食べた。


 彼はすっかり普段通りの様子に戻って、食事中なのに眠そうな目で行儀悪くスマホでコンピュータのニュースを見ている。

 彼女はそれを見て「自分も行儀を気にしなくていいか」と思い、食べ終えたデザートのお皿を下げてもらって、ファッション通販サイトを眺め始めた。

 そしてフッと目を細め、皮肉気に笑う。


「……出た。海外オシャレブランドあるあるの、どこに着て行ったらいいのか分からない変な服」

「うん? どうした」

「ほら、見て下さいよ蒔田さん、この変なデザイン。

 こんなに露出度が高かったら公共の場なんて歩けませんよ。

 こんな服、一体どこで着ろっていうんですかね?

 案の定全然売れてなくて70%オフで1600円になってるし」

「……エロいな」

「へっ?」


 と、彼女は虚を突かれたように目を見開く。彼はそれを気にすることもなく、いつものように眠そうな様子で、


「外で着るのはナシだろうが、これを彼女が家で着たら、興奮する男性は多い気がする」


 と、評論した。彼女はしばらく固まっていたが、やがてハッと我にかえってうろたえはじめる。


「……。……えっ、え!? コレ、この変なの、アリなんですか?

 蒔田さん好きなコスプレなんてないって言ってたじゃないですか!!」

「言ったが、これはなんかエロい気がする」

「そんな……!」


 彼女は驚愕の事実を前に、驚愕の目で蒔田を見る。

 彼はそんな彼女に気付きもせずに、自分のデザートの皿を下げて貰いながら、机の上に『お会計はテーブルにてお願いします』というプレートがあるのを発見して、お店の人を呼んで会計を頼んだ。


 ……その横では、彼女はお会計のことなどすっかり忘れた様子で、70%オフの変な服の『カートに入れる』ボタンに指をそえ、1600円(送料抜き)で買える"勝利"を前にして、梅干しのような顔をしてくびをかしげ続けている。

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熱中症ではない threehyphens @barunacyu

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