異世界地獄外道祭文
萬朶維基
異世界地獄外道祭文
「ウォーッやったッ!異世界はホントにあったんだーッ!」
今まで生きてきた三〇年のすべてを振り返ってもこれ以上の喜びが心を満たしたことはまず無かった。異世界に転生する。オタクにとってこれ以上の幸運が他にあるだろうか?
『労働だけが自由への道』を社訓にするブラックIT企業に就職してしまった30歳社畜の彼は、あくる夜の仕事帰りに疲れからか不注意のためトラックに轢かれて死亡し、目が覚めるとこの場所にいたのであった。
死の直前に脳裏をかすめたのは走馬灯でも現世への未練でもなく(異世界転生のテンプレじゃねーかッ!)という頭の悪い高揚感であった。
そしてその願いは叶った。全身をバキバキに骨折して死んだはずの彼は気がつけば、明らかに東京ではない場所……名も知らぬ山の麓の鬱蒼とした森林のただなかに怪我一つなく立っていたのだ。装いは死んだ時と同じスーツ姿のままだ。
少ない語彙で一通りこの世の春を表現したあと、峰太郎はあらためてあたりを見渡した。
日が暮れかかっているのかあたりはすでに薄暗い。見上げれば木々の向こうを通して、聳え立つ巨大な山が視界いっぱいに広がっている。
森の地面を十年間愛用しているボロッボロのスニーカーで踏みしめ、せめて死ぬ前に靴は新しいのに変えとくべきだったなとちらりと思った。
「おっと、こりゃ喜んでる場合じゃねぇや!」と内心ウキウキになりながら言う。「この状況、いかにもモンスターが襲いかかってくる場面じゃねぇか。ぶっ倒してレベルアップしねぇとな!」
貧困を極めた幼少期には学校にも行かず野山にわけいって家族の食糧を探していた峰太郎にはモンスターごとき敵ではないという強い自信があった。生前はデスマーチのせいで割り箸も割れないほど体が衰弱していたが今は羽が生えたかのごとく体が軽やかだ。
さっそく峰太郎は「ステータス・オープン!」と超特大のバカでかい声で叫んだ。
そして何も起きないとわかると彼は顔を赤くしながら武器になりそうな棒や石を探しはじめた。
すると沈黙の中で、森の向こうから何やらガサゴソと動く気配とうめき声のようなものが聞こえてきた。今までずっと叫んでいたので聞こえなかったのだ。さっそくモンスターのお出ましだろうか?
いや、違う。獣の出す音じゃない。これは人の気配だ!それも一人や二人ではなく大勢の人間がどこかへ移動している音のようだった。近くに村があるのだろうか?異世界の村人はみな優しいと相場が決まっているから、今日は遅いし一泊させてもらおう。しかしゴブリンやオークの群れだったら? いくら雑魚モンスターでも群れで襲われたらひとたまりもない。
彼は茂みに身を隠しながら様子を探ることにした。
しばらく進むと、森を抜け視界が開けた。
音の正体がわかり、峰太郎はぎょっとした。
たくさんの人間――十人二十人ではない。千人近くの人間の黒山が、ぎゅうぎゅうになりながら垂直に近い険しい山肌にしがみつき、着の身着のままで登っていたのだ。それもどう見てもファンタジー世界の人間の服装ではない。峰太郎と変わらぬ現代人の装いである。
そして男も女も老人も子供も、誰も彼もがテンションが最悪のときに出るうめき声を発していた。
「こいつはひでぇぜ!」
異常な光景に峰太郎は、これは何やら邪悪な帝国が圧制を敷いているのだと勝手に解釈して激怒した。かならずかの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意したとき、すぐ背後でも人の気配を感じ取った。
「おいそこのおまえ!」
振り返ると目つきの鋭い見知らぬ人外の少女がこちらを睨んでいた。
峰太郎より身長は高く筋骨隆々、虎柄を基調とした露出の多い服装から割れた腹筋を覗かせている。身の丈もありそうなゴツい金棒を担いでおり、そして頭からは見事な二本の角を生やしていた。
何をどう見ても明らかに鬼であった。
「お、鬼娘だ!鬼人族ウッヒョーッ!」
「来たばかりの亡者だな。はぐれてないで他の亡者と合流しろ」
そう言って鬼娘は思いっきり金棒でどついてきた。
(おいおい気の強そうな女騎士タイプかぁ~?こういう娘はオチたらデレデレになるんだよなぁ~)
と内心妄想を膨らませつつニヤニヤしながら峰太郎は山肌に向かった。
こうして須磨峰太郎の冥界めぐりが始まったのである。
死出の山は冥界に聳える峻嶽である。
亡者はまず七日かけてこの山を越えなければならない。暗く長い山道を鬼にせつかれながら三千キロ近くをひたすら歩くのだ。
「これが体力チートか!」
と言いながら峰太郎も鬼娘に尻を金棒で叩かれながらボロッボロのスニーカーで山道を進んだ。
そして山を抜けた向こうにはかの有名な三途の川があり、賽の河原では子供がキャッキャッ言いながら石を投げて遊んでいるのを鬼が軽くいなしていた。
初七日に三途の川たどりついた亡者は十王のひとり泰広王によって最初の裁きを受け、罪の重さごとに川の渡り方が決められるのだ。
倶生神を両肩に乗せた泰広王の巨躯から発せられる怒号が河原に響き、サーチライトの下で亡者が次々と鬼によって川に突き落とされる。呆然としながら、
「これがゲームじゃわからない戦争のリアルってやつか……!」
と見当違いのことを呟いている峰太郎を鬼娘がどついた。
「どこへ行く。あの橋はよほど罪が軽くなければ通れないぞ。おまえの列はこっちだ」
死後の六文銭も持ってなかった峰太郎は美少年懸衣翁に衣服とスニーカーを奪われると素っ裸で濁流に放り込まれた。
「やっぱり最初からチート能力ゲットだなんて甘い展開は最初から通用しないな、時代は成り上がりだよ成り上がり!」
といいつつ峰太郎は平泳ぎで川を進んでいく。その間に初江王による審査が進められていた。
そして宋帝王と五官王の審査も終わり、死後三十五日目にしてとうとう峰太郎は閻魔王の眼前へとたどり着いた。六道輪廻の進む先が極楽か地獄か畜生道なのかがここで決まるのだ。
「もしかしてこやつ、自分が冥界にいるってまだ気づいてないんじゃ?」
幼女姿の閻魔王はずっと峰太郎についてきた鬼娘を呼び寄せ、そっと耳打ちをした。
「王女様、勇者なんて贅沢は言わないからさ~、俺を冒険者にしてくれよ!スローライフでもOKだぜェ~!」
全裸で靴も履いてないにもかかわらず、峰太郎は相変わらずこの世の春のような晴れやかな表情をしていた。浄玻璃の鏡を見ても彼が本心からそう言っているのだと伺えた。
鬼娘は頷く。二人は顔を見合わせた。
そうなのだ。鬼娘が断言したのにも関わらず、峰太郎はまだここが異世界だと信じきっているのだ。こんなことってあるだろうか? ほぼすべての亡者は死出の山の時点で事実を受け入れるのに。
生前の終わりなき残業の中での異世界への願望が彼の心をとうの昔に歪めてしまったのであった。
当然だが、六道輪廻において異世界ファンタジーに転生させるなどという道は無い。いくら食べても腹が膨れぬ餓鬼道なんかはある種のファンタジーだがそういうことではないだろう。
四十九日目の最終審査を前に、峰太郎の処遇を巡って十王全員で緊急会議が開かれることと相成った。
「閻魔王、ここは奴を焦熱地獄の那迦虫柱悪火受苦処に堕とすべきです!」
大会議室にて気の強い女教師という風貌の五官王が真っ先に主張した。空調が肌寒いのか露出が多い服装の上からカーディガンを羽織っている。何かと暑い地獄だが、地獄階層間温度差発電により閻魔王庁を含む全施設において空調が完備されている。しかし部屋を移動するごとに眼鏡が曇るので五官王は少しイライラしていた。
「異世界転生などというのは仏法の根幹である六道輪廻に明らかに相反する思想です!このままでは『転生』という言葉が間違って広まり末法の世になってしまう!邪宗を打ち砕くべくここは厳罰に処するべきです!」
「う~ん、でも他に何も悪いことしてないのに、いきなり地獄の六層目はキツすぎじゃないかしら~?」
おっとりとした口調で宋帝王が反論した。焦熱地獄ともなれば刑期は5京4568兆9600億年である。極貧生活の中でも万引きもしなかった人間の頭に釘を貫通させて五京年も虫に食わせるのは酷というものである。
閻魔帳を見ても目立った罪は見受けられず、峰太郎はむしろ極楽に入れておくべき人間なのだが、しかしあのまま極楽に放り込んだら混乱は必死である。
議論は紛糾を極めた。
異世界転生ものでは努力を無とした考えを説いているので黒鉄縄ビョウ刀解受苦処に送るべきだ、いや畜生道に堕として現実の厳しさをもう一度痛感させるべきだ、もう一度人道で仏の教えを学ばせるべきだなど様々な意見が出されたが、閻魔王のある一言で議論は終結し、彼の命運は決まった。
「しかしこういう異世界ものって西洋っぽいものばかりじゃな。ならあやつも西洋の地獄なら満足するのではないのかのう?」
かくして須磨峰太郎は地獄に落ちた。キリスト教の地獄にである。第何圏やら第何嚢に極秘に赴いて、悪魔やらミノタウロスやらの獄卒と戦うのである。以前から閻魔王が思い描いていたプランである。
つまりはライバル店への妨害であった。
地獄なだけあって非常につらく苦しい戦いの日々であったが、本人としては鬼娘と一緒にダンジョンに潜ってると思い込んでるので幸福なのである。
ボロボロのスニーカーも戻ってきて、地上では得られなかった真の充実感が彼を満たしていた。
このようにたとえ誤った信仰であっても地獄において幸福を得ることはできるである。ならば御仏への真の信仰を抱いたのならば、この末法の現世でどれだけの幸福が得られるだろうか。
異世界よりも仏の道に突き進むべし。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。
異世界地獄外道祭文 萬朶維基 @DIES_IKZO
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