あなたの未来は______

やなぎ

未来


「あのお山には、こびとさんがいるんだって!」


 ──幼い頃、姉が聞かせてくれた物語を思い出す。



 10歳年上の姉はとても病弱でいつも病院のベットの上で時を過ごしていた。病弱な姉にとって体を動かすことは大きな負担がかかる。いつも本を読んだりテレビを見たり勉強をしたり、とベットの上で出来ることばかりしていた。


 お見舞いに行くと彼女はいつも私に心配をかけまいと無理をして元気な姿を見せる。どんなに体調が優れなくても、無理して笑顔を作って私を迎える。そして体調が優れている時は私に物語を聞かせてくれる。彼女が創ったオリジナルの物語だ。彼女はいつも物語の内容を自分が体験したことのように話していた。

 まるで自由になれない自分のなかにできた大きな隙間を埋めるかのように。


 姉はたくさんの物語を聞かせてくれた。彼女を訪ねる度、いままで聞いたことのない新しい物語に出会うことができた。そしてその物語たちはいつも私に楽しく、心地よい時間を与えてくれた。


 たくさん聞かせてもらった話の中で最も印象に残っている物語がある。ひどく昔のことで今は記憶が薄れつつあるが、それはこんな物語だったと思う。



 ──山のそばの小さな村に寂しがり屋の女の子が住んでいた。ある日その女の子は母親に山の中にあるおじいさんのうちに村で採れたりんごを届けて欲しいと頼まれる。女の子は一人で山の中を歩くのが初めてで怖くて、行きたくないと母親に言う。そこで母親は女の子に言った。


「あのおやまにはこびとさんがいるんだって!」


女の子はおとぎ話が大好きだったので、いつも本の中に登場しているこびとに会えることが嬉しくて、楽しみで、おじいさんの家へのおつかいを引き受けることにした。しかし、結局こびとには出会うことができず、家に帰ってきた──



 「あのおやまにはこびとさんがいるんだって!」

そうやって言う姉の笑顔が眩しかった。目は光を反射して煌めき、口角がいつもよりも高い位置にあった。こびとなんて現実には存在しないのに、本当に見たことがあるかのように話す。それは自由になれない彼女の得意技だった。


 姉が話す物語の主人公はいつも彼女とは正反対だった。世界中を冒険をする男の子の話、食べることが大好きな女の子の話、自由に気ままに時を過ごしている猫の話。どの物語も彼女ができないことばかり。今思えば、物語として話すことで「自分がそう生きたい」と願う気持ちを昇華しようとしていたのかもしれない。


 また、彼女の物語はいつもハッピーエンドで終結するというのが定番だった。

 しかしながらこの物語について言えば、最初は母親にこびとがいると言われ期待しておじいさんの家へ向かった。しかし、こびとには会えず女の子ががっかりした。というところで話が終わった。つまり、ハッピーエンドでは終結していなかった。


 私は違和感を覚えた。いつもはハッピーエンドで終わるはずの彼女の物語がそうではなかったから。

 この物語を話し終えた姉は笑って誤魔化した。

「こんな話にするはずじゃなかったのにな〜!」と言って。


 この出来事を通して、いつも気丈に振舞っていた彼女の本当の心の中を知ることができた気がした。

 無理をして明るく振舞っていたこと、心の中に体が自由に動かせないことへのもどかしさを抱えていたこと、同じ年頃の友達と遊びたいと思っていたこと。当時まだ幼かった私はこの出来事があるまで、姉が心の奥底に抱えていた思いを汲み取ることができなかった。今でも、そんな自分を情けなく思っていた頃をよく覚えている。


 姉が私に本心を見せたのはこのたった一回だけだったと思う。誰にも心配をかけまいと一人で耐えて、一人で生きようとしていた。相手のことを大切に思うからこその行動が、私の心を締め付けた。もっと頼ってくれて良かったのに。大好きな、大切な姉をもっと支えたかった。私にできることは限られていただろうけれど、いつも楽しい物語を聞かせてくれる恩返しがしたかった。



 今となってはそれができなかった悔しさ、申し訳なさと悲しみに溺れるしかない。



 大好きだった、大切だった姉はもうこの世にはいない。

 姉は10年前の今日、私の手の届かない遠くの世界へ旅立って行った。誰も予期できなかった突然のことだった。


 いまでも度々思い出す、彼女が私に残してくれた言葉を。


 姉が亡くなった次の日、私は今はもう誰もいない病室の整理をしていた。ベットの傍にある引き出しを開けると、彼女のスケジュール帳が奥の方から出てきた。何が書かれているかを一応確認しておこうとスケジュール帳を手に取ってページをり、書かれてある文字を目で追ってみる。まっしろのカレンダーのページとは対照的に文字でびっしりと埋め尽くされたフリースペース。数多あまたの文字の中に、姉が書いたであろう短い文章が見つかった。



大切な人を失った傷はいつまでも癒えることはない。

でも生きてる限り、少しずつでも前に進んでいかなければいけない。

一歩だって二歩だって自分の歩める歩幅でいい。

歩むことが辛い時は一度立ち止まればいい。


残された時間、それは宝物。

大切に大切に

生きて。



 はじめてその文章を読んだとき、自分でも気づかないうちに涙が頬を伝っていた。大好きな姉が残した言葉、胸に留め大切に生きていかなければいけないと思った。


 私は25歳になった。姉が亡くなったのと同じ歳だ。これから私は、彼女が生きられなかった「時」を生きる。私にはこれからしたいことがたくさんある。病院のベットの上で大半の時間を過ごしていた彼女はこれからしたいと思っていたことが私の何倍も、何十倍もあっただろう。

 誰かの未来はただ一人、その人だけの未来。だから、私には彼女が生きることができなかった未来を背負って生きていくことはできない。でも、彼女が生きられなかった分まで精一杯生きて、誰かに未来を生きることがどんなに素晴らしいか伝えてゆくことはできる。


 「お姉ちゃん、私のお腹の中に新しい命がやってきてくれたよ。この子にお姉ちゃんが教えてくれた『大切なこと』しっかり伝えていくね。ずっとずっと、見守っててね」

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