第15話 想いの片鱗

 最初に感じたのは頬のくすぐったさだった。ぼやける視界いっぱいに捉えたのは、至近距離でも人形のように恐ろしく整った、けれどいい加減見慣れてしまった顔。それを見て落ち着いてしまうのだから、なんだか自分も困ったものだ。


「れ、い……」


 繻子のような白銀ぎんの髪がこちらに垂れ下がっていた。頬を撫でていたのはこの房の先だったのだろう。


 こちらの視線に気がつくと、両手で目をごしごしと擦る。その仕草が酷く子供らしく見えた。


「……起きたのですね。さっきまでアーニャも起きていたのですよ。疲れていたのか、寝落ちたようなのですが」


 そう言われて首を捻ると、横のベッドに黒髪の少女が転がっていた――いや、ぶら下がっていた。うつ伏せに、こちらに身を乗り出すようにして半ば以上ずり落ちている。変な姿勢なので頭に血が昇らないか心配になる。


「その、い、痛いところとか、ないのですか」


「痛いところ? ……いや、別に――」


 と言いかけて体を起こそうとして、ろくに動かないことに気がついた。痛くない。痛くないけれど、それは全身が麻痺でもしているような、何も感じられないと言った方が正確かもしれないような感覚だった。


 まるで体が自分のものではないような、あの途方もない恐怖を思い返して知らず呼吸が詰まる。


 ……そうだ。自分は確か、気を失ったのだったか。


「無理をしてはいけないのです。無理を、しては」


 ルーシャが少しだけずれた布団をかけ直してくれた。情けない。もごもごと礼を告げようとしたところで、ぱた、と頬に何かが落ちてきた。


「あ、れっ」


 こちらを見下ろす黄金色の瞳が滲んでいた。透明な涙が縁に溜まり、滑り落ちる。


「ご、ごめんなさい。なんだか、ほっとして」


「……俺、そんなに寝てた?」


 一週間眠った時のことが思い出されてぞっとする。外は……仄暗いようだけれど、一体どのくらいの時間が経ったのか。


「いいえ。ほんの数時間なのです。もう少しで完全に夜が明けるでしょうか」


「そっか、よかった――」


「よくはないのですよ! も、もうっ、もし目が覚めなかったらどうしようかと!」


 ぐっとルーシャがこちらに詰めよる。ううん、とアーニャが呻いたので、はっと彼女は口に手を当てた。


「一週間寝てたこともあるんだから心配しなくても」


 ジョークのつもりだったのだが、ルーシャの顔は晴れなかった。


「だって……あんな苦しみ方、普通じゃなかったのです」


 自分だって何が起こったのかわからなかった。思い出したくもない。この仕事をしている以上今までにも怪我をしたことは幾らかあるけれど、そのどれとも比べ物にならないものだった。


「……俺、どうしたんだろう」


「推測の範囲を出ませんが」


 伺うようにこちらを見つめたルーシャに頷く。


「恐らく、その体質の副作用だと思います。魔法を増幅して常軌を逸した力が作用することにより、やはり身体に負荷がかかっているのではないかと思うのです」


「そっか……アデルの時はそもそも寝てたしなあ。そのあとも実験の時はかけてたの本当に弱いのだし、実践でかけてもらったことは無いし、今までわかんなかったな……」


 ぼうっと天井を見つめる。


「メリットしかないなんて……ま、そんなうまい話、あるわけないか」


「その体質、できる限り使うのは控えてください。と言っても、あれは仕方なかったのですが」


「言われなくてもしないよ、またあんな目にあうのごめんだし」


 情けないことに、思い出すだけで身体が震える。まるで力を無制限に使えないように枷をかけられているような、そんな錯覚をおぼえる。


「――こわかったのです」


 軽い口調で言ったつもりだったのに、彼女は真剣な顔をしたままで。


「鼻から、口から、耳から、突然血が流れ出して。あのまま、苦しんで、し、死ぬのかと思ってしまったくらいに……」


「ルーシャ、その……心配してくれて、ありがとう」


 ぼろっ、と今度こそ大きな雫がこちらに落ちてきた。


「ばか、ばかなのですよ! レイはおおばかものなのですよ!」


「ごめん」


 動けないまま謝ると、ひくっと彼女はしゃくりあげた。


「わっ、私は、あなたのことが、す、好きだと言ったはずなのです!」


「それ、は……その、う、ん……」


「だっ、だから、こ……こうするのも当たり前なの、です!」


 ばさ、とルーシャが布団を捲りあげた。ぎょっとする間もなく、彼女は隣に滑り込んで来た。『月見亭』はそこそこいい宿のようで、ベッドは2人で入ろうと狭くはなかった。けれど問題はそこではない。


「る、るるるルーシャ!?」


 あたたかい気配がすぐ横にある。それなのに真っ直ぐ上を見たまま動けない。つまり彼女がすぐそこにいるのは不可抗力だ。手は出せるはずもない。そのことが良いのか悪いのか、判断がつかなかった。なんだか頭がよく回らない。


「い、一緒に寝てあげるのです。ほら、その……まだあなたには休息が足りていないので。きっともう少し寝れば動けるようになるのです。たぶん」


「……子供じゃあるまいし」


「でも、こわい、って顔にかいてあるのです」


 緊張からか少し掠れた囁き声がすぐそこから聞こえて、耳に微かに息が触れたような感覚がして。

 ルーシャが僅かに身動ぎする度、甘い匂いがした。なぜか嗅いではいけないような気がして息を止める。こちらに顔が向いているのが視界の端で見える。


「いや、あの……」


「なにもできないの、わかってるので」


 くす、とルーシャが笑った。

 その笑い方、まずい。なんて言うか、非常にまずい。健全な男子なら大抵まずい。


 まともに顔が見えてなくてよかった、と思った。あの整った顔を直視していたら、恐らくもっとダメージが大きかっただろう。


「ほら、安心して寝てください。私はずっとここにいるので」


「……ルーシャって、何歳?」


「え、と……何なのですか、突然」


「なんか、そういうこと、全然話してないなって」


 そんなことも知らないのが、急におかしく感じたのだ。こんなにそばにいるのに、何ひとつろくに知らないということが。


「確かにそうなのですが……知りたいですか?」


 顎を引いて微かに頷くと、ルーシャは当ててください、と言った。


「検討がつかないな。見た目、というか振舞い的には17か18?」


「ふふ、どうやら大人びて見られていたようなのです」


 ルーシャが得意げに笑った。


「正解は16なのです。惜しかったですね。あとレイは18だと推測するのです」


「……正解」


 なんだか釈然としない気持ちで呟く。まるで自分がちゃんと彼女のことを見ていなかったようではないか。


「でも16か……そういえば家族は?」


「いないのです。私には、アーニャだけ」


 簡潔に、いっそ歯切れよく、きっぱりと彼女は言った。いない、という漠然とした言葉を追求する余地を残さないように、それ以上踏み込ませないように、彼女はそう言い切った。


 自分だって良い思い出はない。彼女たちもきっとそうなのだろう。言いたくないのなら、無理に言わなくていい。けれどいつかそれを言いたくなったとき、相手は自分だったらいいとぼんやり思う。


 手のひら返しの鮮やかな自分に思わず心の中で苦笑する。まったくもって図々しい。少し前まで、いつ離れるともわからないと言っていたのに。


「レイは……アーニャが好きですか?」


「は!?」


 動揺しかけて立ち直る。


「あ、パーティの仲間として?」


「いいえ。恋愛対象として、なのです」


「え、俺がアーニャを? まさ――」


 笑い飛ばそうとしてはっとする。ルーシャはアーニャが本気で俺のことを好きだと思っているのだ。それを軽んじれば彼女はどう思うだろう。


 というか、これかなりややこしいことになってないだろうか。元々、ルーシャが俺のことを好きだとかいうことがきっかけでパーティを組むことにはなったけれど。

 だからこそ、自分たちは、どちらを選んでも、選ばず他の誰かを選んでも、いつまでも一緒にはいられないのではないか、と。


「私、不安なのです」


 ルーシャの声に、は、と我に返る。


「また、レイがこんなふうになったとして……私には魔法しかないのに、それでは助けることができないのです。他に、何も無いのに。見ているだけしか……できない。そんな私が、レイのことを好きでいる資格があるのでしょうか」


 俺に魔法をかけると何が起こるかわからないし、そもそもルーシャは人に魔法をかけられない。

 突然添い寝をしようとなんて試みて来たのはそのせいだったのか。

 アーニャが言う可愛さが少しわかったような気がする。頑張りが空回りするタイプだ。


「何言ってるんだよ。俺はお前の魔法に何回も助けられてる。十分過ぎるくらい」


 ゆっくりと動かし微かに肩をすくめる。


「資格とか……それは、まあ……よくわかんないけど。アデルに色々言えたのだって、お前らがいたからだし」


「……お前ら、なのですか。まあ、今はそうですよね」


 不服そうに呟くのがわかったが、冷や汗をかきつつ聞こえないフリをした。


 暫しの沈黙がおりる。若干瞼が重くなってきたとき、指先に何かが触れた。人差し指が軽く摘まれる。


「る、ルーシャ」


 細い指だ。力を入れればすぐに折れてしまいそうな。


「私もひとつ、ききたいことがあるのです」


「……なに?」


 きゅ、と力が篭もる。


には、どんなふうに世界が見えているのですか。汚い、恐ろしい、そんな場所なのですか」


 他ならぬ、俺に。〈には、どう見えているのかと。そう問われているのだとなんとなくわかった。


 魔法が使えず、疎まれてきたお前には、この世はどう映っているのかと。


「……確かに、辛い思いも、苦しい思いもしてきた。理不尽だって思うことはたくさんあったし、今でもあるし。だけど、何もかもを見境無しに恨んでるわけじゃない」


 すこしだけなら、彼女になら、本音を零してもいいかもしれないと思った。


「俺が本当に恨んでるのは、ひとつだけ。このくそったれな世の中にした、その元凶の――」


 促すような指の熱に、最後の一押しをされて、口を開く。

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パーティを追い出された役立たず、なぜか最凶姉妹と最強を目指すことになりました 花咲夕慕 @yupho

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