第14話 共同クエスト③

 不思議と、何も感じなかった。仄かに身体が熱を帯びたような、そんな感覚がしただけだった。呆気ないものだ。人が死ぬ時は、こんな感じなのか――


「……レイ」


 ……おかしい。何故かルーシャの声のようなものが聞こえる。


「レイ」


 幻聴にしてはあまりに鮮明な声に、はっ、と目を開ける。


 こちらを呆然と見つめる黄金の双眸と視線が絡んだ。


「あなたは……一体」


 その瞳の奥に揺らぐ、畏れのようなもの。理由がわからず、自分の体に視線を落とす。

 全身が朧気に光に包まれていることに気がつく。全てを一瞬で飲み込まんばかりの恐ろしい攻撃を受けたにも関わらず、五体満足だ。指一本足りとも欠けてはいないし、痛くも痒くもない。


 ――まるで、何も無かったかのように。


 何か答える前に、ルーシャの瞳が我に返ったように瞬いて素早く逸らされた。


「……【めぐる世界のことわりよ、の声が聴こえよう】」


 彼女は予想外の出来事に怯んでいるリッチたちにぱっと手を向ける。


「【隠れる月よ、瞑る星々よ。目を醒ませ。汝らの夜を我が物顔で闊歩する、彼のものの名は闇である】」


 躊躇いなく、滑らかに。彼女は詠唱を口ずさむ。その声に誘われるように空から光が差した。彼女の白銀ぎんの髪が一層輝く。まるでそれ自身が発光しているかのように。


 きっと場違いなのだろう。けれどひたすらに、綺麗だ、と思った。


「【夜の耀ひかりよ、漆黒くろとばりを巻き上げよ――】」


 今更どれだけ回避行動を取ろうと意味は無い。ルーシャは敵に向けて強く喚んだ。


「【プリフィケーション】!」


 鋭く、天から地に向けて真っ直ぐに光が貫いた。痛いほどの眩さに思わず目を細める。断末魔の声すら上げることを許されず、リッチたちは無に帰した。からん、と杖が落ちる音が重なる。


「終わった、のか」


「……はい」


 ルーシャが頷く。静寂を取り戻した墓地に、喚き声が響いた。


「お、おいっ、待ってくれよ。さっきのは一体何なんだ!?」


 アデルだ。地面に這いつくばりながらこちらを恐ろしい形相で見上げて呻いた。


「……加護の魔法だろうな。ユークスさんが出発前に俺たち全員にかけてくれただろう? 恐らく、あれだ」


 静かな声で答えたリーダーに噛み付く。


「ああ、それなら僕たちもあいつらが来る前に発動したさ。どうやら一度、受けた攻撃和らげてくれる効果があるようだったけど……」


 言いさし、唇を歪めた。


「あんなに完璧に防げやしなかった。死なずに済んだ程度だ。あいつのはっ、まるで……別物だ!」


「んー、と。そういえば、昔【ナップ】の魔法をかけられたという話でしたね?」


 ルーシャに視線を向けられたアデルが不意をつかれたようにぎくりと固まり、ぎこちなく彼女を見た。どうやら苦手意識が芽生えているらしい。


「あ、ああ……それが、何か?」


「一週間目を覚まさなかったということですが、【ナップ】の効果はもって数分なのです。仮に2分と考えれば」


 ルーシャが勿体ぶって言葉を途切れさせた。考える様子で視線を彷徨わせたアーニャがたどたどしく後を継ぐ。


「一週間はだいたい一万分、だから……つまり……こいつには、普通の人より5000倍の効果が出るってこと……?」


「まあ、きっとそういうことなのですよ。違う魔法なのですし、一概には言えないのでしょうが」


 ルーシャが首肯すると、アーニャは珍しく顔を強ばらせた。


「あはっ、なに、その頭悪そうな数……なんか、ピンと来ないんだけど……」


「こうして実際に目にしてみると、思っていた以上の凄さなのです」


「な、ななな何の話、してるのさ!? さっきからずっと、いっ、意味わかんないんだよ!」


「何って、レイの話なのです」


 ルーシャが不機嫌そうに目を眇めた。


「あなたは知らないのでしたっけ? レイは『魔法の効きがやたらいい』という特異体質なのです。どこかの誰かさんは、それを勘違いしていたようなのですが」


「……は……」


「いい、ルーシャ。もうそれ以上言わなくて」


 呆然と口を開くアデルが見ていられなくて彼女の言葉を遮った。


「……勘違いって、何なんだよ。僕は、僕は……最強の魔法使いだ!」


 地面を殴りつける彼の背中が震えていた。俄に信じ難いのだろう。けれどこのほんの数時間の間に起こった事実が、何より雄弁に告げていた。彼がただの凡人であることを。何も特別ではないということを。だからこそ、これほどまでに動揺している。


「……可哀想な奴だよ、お前も。周りの大人がちやほやするから……疑えなかったんだもんな」


 彼からすれば、この十数年の人生が全て偽りだったようなものなのだから。


 今まで見下していた相手に哀れみの言葉をかけられたことが気に障ったのだろう、アデルはこちらを睨め付けた。


「わかってたなら、何で言わなかったんだ! キミが先に、あの時本当のことを言ってくれていたら、僕は、こんな思いをせずに済んだのに!」


「何で? 誰も信じなかった。皆お前の味方だった。簡単なことだろ。お前だって俺の声なんて聞かなかったくせに」


 否定できないようだ。呆れて、笑った。


「どうせお前、本当は薄々……いや、わかってたんだろ? 自分がそんなモノじゃないって。だけど、認めたくなかっただけだ」


 アデルがふと視線を逸らした。その先にいるのは――白銀ぎんの髪を揺らすルーシャ。今まで知っているうちで、限りなく彼の言う最強の魔法使いに近いのであろう少女。


 彼のプライドはこの日、木っ端微塵に打ち砕かれたのだ。


「ああそうさ! わかってたさ! だからキミが出ていった後、必死に誤魔化して過ごしてきた。……でもそれも限界になった。だからキミを探しに来たんだよ、僕は!」


「で?」


「……で?」


「そんなの知ったことか。俺はお前の自尊心を満たす道具じゃない」


 俺が強い口調できっぱりと言い放ったことに、アデルは驚いたようだった。


「悪いけど、黙っとくのはやめたんだ。確かに昔は、どうせ誰も聞かないと思ってた。どれだけ何言ったって意味ないって」


 ちら、と視線をやる。


「でももう今までとは違う。俺には……俺の声を聞いてくれる人ができたから」


 漆黒と白銀の、同じ顔をした少女たちが一瞬きょとんとした表情でこちらを見つめ返し、ぷっと同時に吹き出した。


「くっっっさいなぁ」


「はずかしい人なのです」


「う、うるさいな! いいだろ別に!」


 思いっきり顔背けるとけらけらと笑われた。そのせいで余計に恥ずかしくなって、今かなり顔が赤い自覚がある。


「……まあ、そういうことだから」


 それ以上何を言えばいいのかもわからず、リッチの杖を拾い上げる。


「なあ」


 かかった声に、今一度振り返る。


「なんで……僕を、助けた? 自信があったからか?」


「そんなものないよ。本当に、死ぬと思った。加護の魔法のこと、忘れてたし。どんな効果があるのかもわかってなかったし」


 へたりこんだままのアデルを見下ろして言う。


「けど……たすけてって、言っただろ。


 ちゃんと皮肉に取られたか、はたまた驕りに取られたか、もっと違うものに取られたか、それはわからないけれど。それ以上説明するつもりはなかった。


 すっかり意気消沈した彼を見て、がしがしと頭を掻く。


「あー……お前も何かしら大変だったんだろうけど、もう俺には関係ないし」


 恐らく会うのは最後になるだろうから。言えることは言っておこうと思う。


「だから、その、別に……最強の魔法使いになればいいだろ、本当に。鍛えてどうにかなるもんなのかは、魔法が使えない俺にはわからないけど。お前は可能性があるんだから」


 今度こそアデルを視界から外した。双子と一緒に、仄かに光に滲む墓地を歩く。白み始めた空を見上げて、今の気持ちを忘れないようにと、ぎゅっと目を瞑った。






 『月見亭』の扉を開ける。まだ泊まっている客は起きてきていないし、下の階の酒場も今は営業時間外だ。


 ひとまずユークスさんには依頼が完了したことを伝えた。これか確認してギルドに連絡がいくことになるのだろう。自分たちは仮眠を取ってから王都に帰るつもりでいる。


 双子について階段を上ろうとして、足を踏み外した。受け身が取れず、もろに顔から転ける。どたん、とすごい音かしたので2人が振り返った。


「なに? どうしたの?」


「そんなに荷物が重かったのですか? そうとは気づかず」


「あ、はは、いや、鈍臭いな俺……」


 ぐっと体を起こそうとして失敗する。おかしい。体が全然、思った通りに動かない。


 それどころか、徐々に――身体中が、じんじんと痛みを訴え始めた。


「ご、めん。すぐ、起きるか、ら……ッ!?」


 ずぐん、と心臓を強く潰されたような感覚。うまく息ができなくて、喘ぐように空気を取り込む。

 身体の痛みがどんどん強くなる。全身を刃物で貫かれているような、形容のし難い痛み。痛くないところがなくて、逃れられないのが怖かった。


 ……痛い!


「レイ? レイっ、しっかりするのです!」


 気遣わしげにそっと触れられた腕が――爆発した。正確にはそんな感覚がしただけだったのだろうけれど、そうとしか思えなかった。それを皮切りに、天井知らずに痛みが増していく。


「う、あ……」


 痛い痛い痛い。ただひたすらに、痛い。

 痛みで、視界が赤く染まる。


「あ、あああああああああああ!?」


 勝手に喉から叫び声が溢れた。階段の半ばから転げ落ちる。そんなことも気にならないくらい、全身が何か別のものになったような感覚だった。


「あ……あ、あ、あ」


 身体中の穴から何かが零れ落ちる。視界に僅かに見えたのは、赤い色。自分に何が起こっているのか、さっぱりわからなかった。


「なんだ、他の客は寝てるんだから静かに……」


 ぼりぼりと腹を掻きながら出てきた店主がぎょっと目を剥いた。


「な、何事だ……? 怪我人なら治癒の魔法を……お嬢さんたちが無理なら、俺が」


「やめてください!」


 ルーシャが短く叫んだ。


「魔法は、恐らく駄目なのです。魔法では……」


 小さく頷いたアーニャが、握り締めた手で俺の額を強く殴った。脳みそが掻き混ぜられたように感じるほど頭が揺れる。自分のもので無くなった喉から絶叫を迸らせながら、俺はぶつんと糸が切れるように気を失った。

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