22 文字(漢字)に思う ≪2≫



 19の『文字(漢字)に思う』の続きです。

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054890778738/episodes/1177354054934792433




 古代の中国には、遊説家という人達がいました。

 国家の繁栄や他国との外交などにおいて、「こうすべきだ、ああすべきだ」という持論を展開して、その国の宰相・大臣・将軍などの地位に職を求める人たちです。


 持論を皇帝に気に入ってもらえば、昨日までの乞食同然の放浪の身が、突然、一国の宰相にということも……。


 しかしながら、諸子百家という言葉があって、そういう持論にも学派があり、横や縦の人の繋がりがありました。

 それなりに、政治学・軍事学を学ぶ場所があり師もいて、遊説家を志す人たちはかなり勉強し研鑽されていたようです。

 決して、口先三寸の詐欺師というのではありません。





 もう終わってしまった『史記』の講座ですが、あれはなんのお話の最中だったのか。質問大好きの私は、先生の講義をさえぎって、手をあげました。


「推測するに、古代中国に共通語があったとは思えません。

 国や地方によって喋る言葉は違っていたと想像します。

 となると、他国の遊説家が、皇帝の前でとうとうと持論を述べるというのは、不可能ではないですか?」


 先生が答えました。

「確かに、話し言葉は、国や地方で違っていました」

 ここは、かなり、きっぱりと答えられました。


 話は横道にそれるのですが、学者さんの質問に対する答弁って、面白いです。

 今現在の研究において、事実であろうと決定されていることに基づいて、答えられます。


 決して、そのことから勝手に想像逞しく話を盛るということはされません。

 ここが、正確であるよりも、場を盛り上げるほうに走ってしまう、素人物書きと決定的に違うと、先生の答えを聞きながら思ったことです。(笑)


 その先生が、紀元前の古代中国の話し言葉について、「確かに、話し言葉は、国や地方で違っていました」と、まるで見てきたかのようにきっぱり答えられたので、いまだに印象深く記憶に残っています。


 先生の言葉は続きます。


「しかし、漢字は共通していました。

 遊説家がなんのもなく皇帝に会えるわけはないので、まずは紹介者を通して持論をしたためたものを、先に提出していました。

 それを読めば、その遊説家の言わんとするところは伝わります」


 古代中国のあれだけ広い国土で、話し言葉は国や地方で違っていたのは当然として、書き言葉の漢字は共通していた……。


 そのことに、その後の先生の言葉が耳に入らなくなるくらいに、私は興奮してしまいました。





 次回に続きます。


                  



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