第4話 ハートゴールド
アブラゼミが遠くで鳴いている。何匹のアブラゼミが鳴いているのだろう。駐車場に敷かれた砂利は相変わらず所々が禿げている。出入り口に近いところに、明らかに不自然な禿げ方をした箇所があり、俺はそこに注目する。禿げている、というよりは、そこだけ砂利が退けられている、といった方が近いかもしれない。まるで、友達とドッジボールをするために木の棒でコートを描き、その内の一本を消し忘れてしまったかのような線だった。
鉄板が立っていたんだ、と思った。
その先には信号のある交差点があり、横断歩道の向こう側にはナコスが立っている。ナコスはスマホを操作していて、全く顔を上げない。信号が青になっても動かないので、信号待ちをしているわけでもないみたいだ。
ナコスのところへ行きたい。と思って体を動かそうとするがうまくいかない。そうだ、俺はセミだった。
声をあげて気づいてもらおうとするが、小さな鳴き声しか出ない。他のセミ達の声に俺の声はかき消されて、ナコスのところへ届きそうもない。セミの鳴き声は、どことどこを擦り合わせて、どうすれば大きくなるんだっけ?
全然うまくいきそうもないので、しびれを切らして飛び立とうとする。しかし、足が木の幹に引っかかって、飛び立てない。羽ばたき方も全く思い出せない。
信号が赤になってしまう。早く行け。早く行け。暑い。暑い。
暑くて目が覚めた。珍しいくらいの量の汗をかいていた。頭が痛い。熱中症、という言葉が頭をよぎる。起き上がってベッドに座り直す。こけしが床で寝ていた。時間は十一時前だった。
しばらく座っていたら、頭の痛みが少しずつ引いていった。その余韻のようなものは抜けきらないが、動けるくらいにはなったので、とりあえず洗面所へ行って顔を洗い、歯を磨いた。
少し楽になった。エアコンが効いたリビングのソファにもたれて、テレビを点ける。チャンネルを一通り回すが、面白そうな番組はなかった。テレビを消して、ソファの肘掛けに頭を乗せる。多分家族は買い物に出ている。俺も夕方頃から外出したい。少なくともそれまでに戻ってきてもらわないと、車がなくて困る。でも、晩ご飯の用意があるから、それまでには戻ってくるだろうな。
汗で濡れたパジャマと、半乾きの髪が気持ち悪い。俺はシャワーを浴びて、ひとまず気持ちをリセットした。浴室を出た頃には、もう頭痛はなくなっていた。
俺の告白は今日から始まっている。俺はナコスのことが好きだ。ナコスに俺のことを好きでいてほしい。もう遮るものは何もない。そして、俺は今日やらなくてはいけないことがある。
先週、芋掘りおじさんと別れたあと家に帰ったが、夕方頃に思い立ってまた橋の下の草むらのところへ行った。そこで作業服の人と会い「金の板が欲しい」とお願いした。
男は「俺は泉の精霊じゃないぞ」と茶化したあと、
「金の板なんて普通は使わないからな。手に入らないことはないと思うけど、会社で承認が通るかどうか怪しい。少なくとも製品には使えない。鉄板でダメで金がいいってことは、要は錆びないものが欲しいんじゃないか? ステンレスじゃダメなのか?」
と言った。
「ステンレスじゃダメなんです。金が最強なので」
「なるほど。確かに金が最強だ。わかった。なんとかするから、来週また同じ時間にここへ来てくれ」
そういう約束を交わしたのだった。
朝ご飯、というより、もう昼ご飯に近いかもしれないが、俺は食えるものを探そうと冷蔵庫を開けた。キムチや豆腐、プリンなどはあるが主食になりうるものがない。
しょうがなく、カップ麺置き場から味噌味のカップラーメンを取り出し、お湯を注いだ。あんまり味噌味は好きじゃないんだけどな。
食い終わると、夕方までの時間が暇なので、ゲームをして時間を潰した。俺は今日を結構大事な日だと思っているのだが、そんな日にカップ麺を食べてゲームをしてる、そんな現実とのギャップが逆にリアルで、もしかしたら現実は優しいのかもしれない、なんてことを思った。
作業服の人は、五センチ角の金の板を持ってきてくれた。完璧だった。
「社長に直接、金のエンブレムを玄関に飾りませんか、って言ったら一発で材料買えた」
と男は言った。何かをしてもらっているのは俺の方なのに、俺以上に良い気になっているように見えた。
「意外とオリジナル製品の提案とかも通るかもな」
「ともあれ、ありがとうございました。助かりました」
「気にすんな。また何かあったら会おうな」
俺が車に戻ろうとしたときに、
「売ったりしたらぶっ飛ばすからな」
と笑われた。
大人に暴力的なことを言われると本当にぶっ飛ばされそうで一瞬怖くなったが、笑って返した。
帰ってすぐに、金の板にハートマークを書いた。カッターナイフでは傷がつかなかったので、中学生の頃に使っていた彫刻刀を使った。今度はちゃんと傷ついた。
完成した最強のシールを、俺はまた机の裏に両面テープで貼り付けて、卓球をしに出かけた。
今日のOBはカナミも合わせて四人で、夜の十二時くらいまで話した。
カナミが結婚するという事実を他の二人は初めて聞かされて驚いていた。それから、どっちからプロポーズしたのかだとか、そもそもなんで付き合うようになったのかだとか、結婚するってどういう気持ちなのかだとか、質問攻めにあっていた。俺も聞いたことがないような話が聞けて、そこそこに面白かった。カナミはようやく、カナミの枠の中に収まったのだった。
俺がマックに着いたのは、待ち合わせ時間の十二時の十分前だった。中学生のときに履いていた運動靴と同じ種類の運動靴を履いていた。周りの目が気になったが、誰も俺のことを気にしている人はいなかった。
店に入ってすぐに、俺より少しあとに入店してきたナコスに肩を叩かれた。袖のところだけ緩い水色のニットに、白に近いくらい薄い水色のスカート、少しだけヒールの高い麦色のサンダル、いつもと同じ黒いショルダーバッグ。俺の運動靴が頼りない。
「マックシェイクのメロン味出たんだって」
「へえー、じゃあそれにしよ」
注文をして、しばらく待ったあとハンバーガーとマックシェイクを受け取って、二階のスペースに向かった。
「外超暑かったね」とナコス。
「暑かった。マックシェイクがおいしくなるよ」
「あれ、これ本当にメロン?」
「そう、今回の白いんだって。匂い嗅げばわかるよ」
ナコスは蓋を開けて中の匂いを嗅ぐ。
「ホントだあ」
俺も蓋を開けて匂いを嗅ごうとするが、そこで自分の手が震えていることに気づいて、蓋をちょっと回すだけに留まった。
ナコスは今日もアクセサリーをつけていない。
「ナコス」
「はい、ナコスです」
「これからも、俺とわざわざ一緒にいて欲しい」
ナコスは一瞬固まって、その後マックシェイクのストローを吸った。
「あなた、告白のセンスないですね」とナコスは笑う。
「そうかも」
「好きだ、でいいんだよ。相手が、わたしも、って言う回答を持ち合わせてたら、でもわざわざってどうなんだろう、ってなっちゃうでしょう?」
「なるほど」
「でも、ありがとう。わたしも好きだよ」
「ありがとう」
「わたし、恋愛感情が最初から通じ合ってるんじゃないかってくらい簡単に恋愛が進むドラマとか小説とか嫌いだし、逆にわけわかんない恋愛ものも嫌いなわがままな人なんだけど、なんか気合の入った運動靴履いてるの見たらどうでも良くなっちゃった」
「ダサいでしょ」
「うん、ダサいね。でもそういう子供っぽいところ、いいと思うよ」
「いや、これは子供のフリしてるだけで、俺はもう少し大人だよ」
ナコスは笑ってマックシェイクを吸った。
「そういうところが子供っぽいんだよ」
家に帰ると、こけしが喜んで出迎えてくれた。こけしは俺の体中の匂いを嗅いで、満足して俺の部屋へと戻っていった。
俺もこけしのあとを追って部屋に戻り、リュックを下ろしてパジャマに着替えた。
こけしはもう、ベッドの隅で丸くなっている。あべしと比べるとこけしは小さい。でも、いつも以上に小さく見える。
こけしはあべしが死んだことに対して、どう感じているのだろう。俺が帰ってくると相変わらず喜んでくれるし、何をしても驚いてベッドの隅に逃げるし、普段はビクビクと小さくなっている。何も変わっていないようにも見えるが、散歩に連れて行くとあんまり走らないし、家の中でもおやつに喜んで暴れまわるようなことも少なくなったように見える。でも、あべしがよく走り回ったり暴れまわったりしていたので、それがないということが俺の目を曇らせているだけかもしれない。
今度、橋の下の草むらに散歩へ連れて行こうと思った。もしかしたら、芋掘りおじさんと会って、仲良くなれるかもしれない。
これから俺とナコスはどうなっていくんだろう。付き合うということがどういうことなのか、俺にはまだわからない。キスだとか、セックスだとか、すれ違いだとか、喧嘩とか、よくわからんイベントだとかが起きる。その度に深く傷ついたり、再生したり、何もなかったり、変化したりするのだろう。でも、正直そんな細かいことはどうでもいい。俺の最強のシールは、今もずっと生き残っている。それだけでいい。
ハートゴールド だくさん @dark3s1
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