たそがれの豊穣

長門燈

第1話 カミの子供

  山に囲まれた集落に生暖かい風が流れ込み、青々とした田んぼが揺れる。田んぼを囲むあぜ道と点々とある家。集落の真ん中にはポツンと森があり、その中には小さな神社が建っている。私の住む村はそんなどこにでもあるような田舎の集落だ。村の神社では、夏の終わりごろに祭りが開かれる。

祭りの準備は学校が夏休みになったころ、祭りの一か月前から行われる。舞を舞うものと楽器隊、それからカミと呼ばれる者。カミを決めるのは神社を管理する宮司だ。舞や楽器は村の青年団が、カミは村の子供から選ばれる。

「ごめんください」

夏休み二日目の早朝、夜が明ける頃に私の家に宮司の池田毅が伝えに来た。その日から私は祭りのカミになった。

 カミに選ばれた子供は祭りまで、村の敷地から出ることが禁じられる。村の出入り口の道標より向こう側には行けない。夕方には神社へ赴き、祝詞を上げるのを横で聞かなければならない。殺生は行ってはならない。肉、魚は食べてはならない。玄関先で簡単な説明が終わると、池田先生は帰っていった。

次の日、私は村の出入り口の道標に立っていた。村の外へ続く川で泳ぐメダカを眺めていると、後ろから足音がする。振り返ると、そこにいたのは同い年の緒方圭太だった。

「よお、神様」

日焼けした顔から白い歯をのぞかせて、にやりとした。私が彼を睨んでいると彼は「冗談だよ」と言いながら私の隣にしゃがんだ。


「やりたくないんだ、私」

「やりたい奴なんていないさ」

「せっかくの夏休みなのに、その貴重な夏休みを下らない行事のためになにもできないなんて」

「なにもないもんな、ここ」

 遠くを見ながら圭太は言った。

「畑と山しかないじゃない、図書館すらないし、あるのは小さな商店だけ。殺生できないから、魚を取ったりすることすらできないし」

 圭太に一息で話して、家に帰ろうと立ち上がると、何か言いたげに私を見ていることに気づき、彼の目を見た。

「神ってさ」

「何」

「いや、何でもないんだ」

帰るわ、そう言って圭太は家の方に去っていく。

「そんな言い方されると気になるじゃん」

圭太の背中を見ながら、私はひとり呟いた。


 カミに選ばれてしばらく経った猛暑日の夕方、私は池田先生の横でこうべを垂れ、祝詞を聞いていた。はじめの頃はまばらだった蝉の声もこの頃はうるさくて、蝉の声を聞きに来ているように感じる。

「さ、終わったよ」

 ハッと顔を上げると、池田先生は私を見てほほ笑んだ。

「スイカを冷やしているんだ、食べて帰りなさい」

 私は池田先生の奥さんが持ってきてくれたスイカにかぶりついた。

「カミって何なんですか?」

 スイカを半分くらい食べて一息ついたときに、私は聞いてみたが、彼は微妙な笑みを浮かべるだけで、何も答えてはくれなかった。


 山に沈む夕焼けを見送りながら家に着くと、母親にお風呂に入るよう促される。お風呂掃除は私の役割だったが、カミに選ばれてからというもの、家に帰ると毎日お湯を貯めてある。私にとって、カミになって唯一の良いことだ。

 近頃、湯船に浸かって考えることは祭りのことばかり。膝を抱えて目をつぶっていると、カミに選ばれてから今日までの映像が頭の中に流れてくる。すると、毎日あげている祝詞が毎日、少しずつ変わっていることに気がついた。

「何か意味があるのかな」

 一人つぶやいてみるが、当然どこからも答えは返ってこない。何を言っているのかも殆ど聞き取れないのに、これ以上考えても仕方のないことだと自分を納得させ、お風呂を出ることにした。

 夕食を終えて布団にもぐる。食事も肉、魚は食べられないので近頃は出汁もまともに入っていないようなご飯ばかり食べている。食事は今でも慣れないが、そのせいか嗅覚が敏感になったような気がする。少なくともこの家では肉や魚の類はしばらく食べられていないはずだ。

「お母さん、カミってなんなの?」

 食事が終わって、私は母親に聞いてみた。

「私はこの村の出身じゃないから知らないけど、お父さんなら何か知っているかもしれないね」

 母親は曖昧な返事をしてそそくさと食器を片付けた。父親は仕事で毎日夜が遅いので、聞けるのは明日、仕事に行く前になるだろう。

「じゃあ、明日早起きするから、もう寝るね」

 私はそう言うと、部屋に戻って布団に入った。

 次の日の朝、私は朝5時に目を覚まし、リビングのテーブルに座った。目の前には父親がコーヒーを飲みながらスマホでニュースをチェックしている。

「ねぇお父さん」

「なんだ」

 スマホから目を離さずに答える。

「私もスマホほしいな」

「高校生になったらな」

 この家では高校に上がるまではスマホは持てない。この村の子供が平均的にスマホを持てるようになるのは、通学で遠くの町まで出るようになる高校生になってからが普通だった。

「でも、村から出られないしテレビもつまらないし、図書館にも行けないし本当に暇なんだよ」

 必死で訴えるが、こんなものが暖簾に腕押しなのは百も承知だった。帰ってくる答えは決まっている。

「この村の子供は高校生になってからケータイを持つのが普通なんだ。我慢しなさい」

 いつもの調子でお父さんは答えると、残ったコーヒーを飲み干して席を立った。

「行ってくる」

 お父さんを見送りに行こうと席を立った時、私がなぜこんなに早く起きたのかを思い出した。

「お父さん」

「ん?」

「カミってなに?」

「この村の神様は村に作物をたくさん実らせてくれるんだ。カミは神様の手伝いをするんだよ」



ある日の午前、村にある辻堂で休みながら過ごしていると、同級生の彼が横に座ってきた。私が嫌がったからか、もう私のことを神様などとは言ってこない。宿題を写させてくれなんていう彼の軽口を適当に受け流していると、近所に住むおじいさんが杖をつきながらこちらの方に歩いてきた。おじいさんはこの村の最年長で、昭和になるかならないかの頃に生まれたらしい。

「おや、今年の神さまですか、おめでとうございます」

「あ、どうも」

カミに選ばれることは老人の年代の人にとっては名誉なことなので、老人に会うとおめでとう、と声をかけられる。最初は嫌だったが、もう慣れた。老人が去った後、ふと隣を見ると彼が不満そうな顔をして老人を見送っていた。

「何がおめでとうだ、クソが」

口が悪いなと思いながら、何か知っているのかもしれない。そう思った私は彼が知っていることを聞こうとしたが、どうも口が重い。そんなことよりも宿題写させてくれよ、と話題を変えられてしまった。

「いいよ、じゃあうちで待ち合わせね」

私が根負けすると、彼はいそいそと家に帰って行った。宿題の答えなんて、登校日に貰えるのに。



「俺にはいとこがいたんだ」

家で宿題を写させていると、ふと顔を上げた彼が私にそう言った。

「俺のいとこはカミに選ばれたんだ。まだ俺が保育園に行ってた頃の話だけど」

何が言いたいのかわからず表情を探っていると、彼は矢継ぎ早に話した。カミはほとんどの場合女の子が選ばれること、カミに選ばれたものは様々な制約に縛られること、儀式の日には一晩祠の本堂で過ごさなければいけないこと、その時におかしな声が聞こえること、そのあとすぐいとこに会えなくなったこと。知っていることと知らないことが次々に出てくる。

「そのいとこは今どうしているの?」

いとこというのは近所に家がある彼の親戚の家の子供だろう。しかし私はその家に子供がいるところを見たことがない。

「ああ…」

目をそらしながら発した彼の言葉に私の心臓がドクンと跳ねる。はっきりと言わない彼の返事が私の予感そのものだと告げる。ドクドクと脈打つ心臓につられ、いつのまにか息切れをしていた。じっとりと滲んだ汗が服をわずかに濡らす。

「カ、カミと関係があるかなんてわからないじゃない」

こんな限界集落に片足を突っ込んだような、小さい村の小さい祭りでそんな曰くをきいたことがない。かつてはわからないが、この現代の世の中にそんな馬鹿げた話があるはずがない。

「そうかもしれない。でも祭りのすぐあとだった。」

静かな部屋に、壁に掛けたアナログ時計の音だけが響く。彼は宿題を写すでもなく、ノートに視線を落としていた。

「なぁ、今からでもカミをやめられないか聞いてみようぜ」

どのくらいか経った頃、彼が私に言った。そんなことできるはずがない。この祭りは村の一年の中で最も大事な行事だ。大人たちの雰囲気でそのことくらいわかる。それに、今までの人たちだってカミの役目を全うしてるんだ。

「私だってできるならやめたいよ、でも辞められるかどうかなんてわからないでしょ」

「ま、そう言うなって。俺が宮司のおじさんにきいてみるよ」

まかせとけ、そう言って彼は机の上に広げたノートを片付けた。ノートにはほとんど何も書き込まれていなかった。

彼が村を出て行ったのを知ったのは、三日後のことだった。

 その日は外に出る気力も無く、エアコンを効かせて布団の中にくるまっていた。珍しく朝から家にいる父親と母親の言い合う声がわずかにこの部屋まで届いてくる。

 言い合いが収まった頃に部屋を出てリビングに出ると、父親はもう家にいなかった。テーブルの上には私の朝食がすでに用意されている。

「はやく食べちゃって…」

 母親は言い合いにつかれたのか、ずいぶん疲れた様子でダイニングチェアにもたれかかっている。

「お父さんは?」

「もう仕事に行ったよ・・・」

 あまり喋りたくないといった様子で母親は言った。

「ちょっと座って」

 私が朝食を食べ終わって部屋に戻ろうとすると、母親が私のことを呼び止める。私がテーブルに座りなおしても、母親は悩んだ様子で何も話はしない。たぶん祭りのことだろう、大人たちは全容を知っているかはともかく、それぞれがこの祭りの秘密を握っているのだと思う。

「…」

 母親から重苦しい空気を感じる。いたたまれなくなった私は、「もう行くね」と言って部屋に戻った。

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