第5話
十二月を迎え、気づけば月の半分は過ぎ、今年も残すところあと僅かとなっていた。仕事もあと2日で冬季の休暇に入る。
今年はクリスマスイブが金曜日というのも手伝って、イベント感この上ないくらい賑やかだ。そういうものが苦手な僕には、早くこの時期が過ぎないだろうか、と願うばかりだ。年頃の男子だから、恋人がいないから、そう思うのだろうと言われそうだが、どちらも該当しない。
僕にとってこの時期は、心の痛みを伴って思い出したくないあの嫌な記憶の数々が蘇りやすく、精神的にしんどくなる。だから苦手なのだ、ただそれだけのこと。でも、その痛みを他人に理解してもらうには、なかなか単純にはいかない難しさがある。でも、この仕事に就いたらそういう想いを抱えた患者さんや家族などと出会うことのほうが多く、自分だけではないことにホッとさせられる。そのせいか、この時期は積極的に仕事を入れてしまうクセがついてしまった。
今日も入院して間もない患者さんの面接中にそんな話しが出た。家族や親戚、親しい者が集う理由が増える時期は、元々家族状況も関係が悪いから互いに干渉したり、心を傷つけ合うことに繋がりやすい、それで具合悪くさせられて自分が責められるのだから嫌な時期だよね、と何気なくその患者さんは話していたが、僕は「そうでしたか、大変でしたね。」、と面接を行う相談員として相応しい態度で聴いている一方で、相手の気持ちが痛いほどに伝わってきて、心の内側の僕は全くその通りだと同感していた。
世間でのクリスマス、正月など、その他諸々のイベントの度に思うけれど、なぜ「沢山の料理を食べ、楽しもう!」、「家族、恋人、友人などと楽しく過ごそう!」といった決まりきったイメージを刷り込みたがるのだろうか。まあ、商業的な戦略も否めないが、そろそろそういうワンパターンな過ごし方の提案を辞めてもらいたいと思うのは、僕だけなのかな……。
一般的な在るべきものを教授することが当たり前でない人間には、それを大量にテレビ、雑誌等のメディアで当然に教授して当たり前として流されることは、結構な苦痛を与えている、ということを知ろうとする人は少ないし、仕方ないのかな。皆が皆、同じように楽しまなくてもいいんじゃないのかな、人それぞれ「幸せ」「楽しい」と感じるモノは違うはず……。
そのように違和感をすごく持っているのに、周囲の多数派の話題に合わせて、ただただ「そうですね」と繰り返す僕も結構卑怯な人間だろう。主張も社会で生き抜くためには程々が必要ではあるけれど……。それでもって、自らもそんなネタを話題に誰かに振っているのだから、自分でも呆れて嫌になる。今日も、帰りに隣の原さんと話しをしていて、そんな後悔をした。でもその後に原さんの新たな一面を見ることになるとは予想していなかった。
────十七時を過ぎたスタッフルームは僕と原さんが残っていて、隣の原さんが帰りの記録を書きながらふと僕に話しかけてきた。
「飯田さん、今日も忙しかったですね。」
僕は業務記録を書きながら、いつもの感じで原さんと話し始めた。
「そうですね。今日は入院、外来も急な対応が多かったし。そういえば原さんは今日で仕事納めでしたっけ。これからどこかクリスマスイブで食事とか、旅行とかの予定とかですか?」
「いぇ、ええと……。」
ちょっと言葉を濁らせ、困った表情で原さんが返答してきた。何気なく会話の流れで振った話題だったが、原さんの様子から気まずい質問だったことに気づき、すぐに違う言葉を探した。
「あっ……。すみません、この時期だからって、そういう風に決めつけたようで……。どう過ごそうと人それぞれですよね。」
僕は焦って弁明しながらも、またやってしまったと後悔の気持ちで自分の感情が染まっていった。
柔和な表情で微笑みながら原さんが話す。
「いぇ、でもそういう時期だし。当然ですよね。飯田さんって面白いですね。」
「えっ?」
僕はあまりに予想していない返答だったので少し驚いた。
「『そういう風に決めつけたようで』なんて言う人ってそういないから。」
「えっ……、そうですか?」
「えぇ、少なくとも私の周りにはあまりいないかも。それに、二十七日が仕事納めで今日から休みに入る人がいたら、飯田さんに限らず何かイベントあるのかな?って考える方が普通じゃないかしら?」
「いゃ、でも……。」
「実際はね、今年は特に予定は立てていなくて。ここ数年は忙しかったから、ゆっくりしようと思っていたの。あとは、まだ引っ越しの片付けも途中のままなので、それをやろうかと思っていたの。」
「そうでしたか……。」
そういうつもりで聞いたわけではなかっただけに、かえって原さんに無理に本当の事情を話させてしまったようで僕は申し訳無い気持ちで一杯だった。
しかし、原さんはそのまま話しを続けた。
「私もね、もし飯田さんが『そういう風に決めつけたようで』っていう言葉が無ければ、差し障りないように旅行などの予定がある、って言ってたと思います。」
────その言葉を聞いた瞬間、僕の心拍数が急に早くなった。申し訳無い気持ちで一杯の僕の気持ちを塗り替えるように、僕は、原さんが自分と同質の人間のような感覚に襲われた。
そんな話しをしながら、気づけばお互い同じくらいに仕事を終え、約束した訳でもないけれど最寄りの駅まで一緒に帰ることになってしまった。病院から駅が近いので、帰るタイミングが合えば職場の人と駅まで一緒に歩いていくことは、そう珍しいことでも無いけれど、原さんと帰るのは初めてで、決して弾んだ会話の後では無いだけに、僕は少し緊張していた。別に、原さんとは仕事で会話のやり取りはしているし、いつも通り話しをすれば良いだけなんだけど……。
前に、彼女が入社してきた初日に踏み込み過ぎた質問をして気まずかった以降、個人的な会話は避けていただけに、僕もどの話題から入ればいいのか落ち着かない気持ちだった。何とかそんな気持ちが悟られないように抑えながら、原さんと歩き始めた。
しかし、そんな僕の心を知ってか知らずか、先に会話の口火を切ったのは彼女からだった。
「飯田さん、さっきは変な気を遣わせてしまってごめんなさい。」
「えっ、いや、そんなことは無いですよ。僕の方こそすみません。何か、あの気が回らないっていうか……。」
一番触れない方がいいかな、と思っていたところから話題を振られ、しどろもどろに僕が返す言葉を考えながら話そうとしている間にも、原さんはそんな僕のことを気に留める様子もなく話し出していた。
「そんなことは無いと思います……。あの、飯田さんって、さっき話して思ったのですが、もしかしたらこの時期苦手だったりしますか?」
あまりに核心をつく質問だった。更に僕は焦り、動揺とともにどこまで自分のことを開示すればいいのか悩んだ。
「えーっと……。うーん……、昔から苦手というか、あまり思い出したくないことも記憶として思い出すこともあるから、というか……。何ていうか……。」
「その感じ……、よく分かります。」
「えっ?……。」
「色々な、感情を掻き乱されるというか、そっとしておいて欲しい、というか……。」
思いもしない原さんからの本音の言葉だった。その驚き以上に彼女の表情が、いつもの柔和な穏やかな印象の原さんでは無く、表情はあるけど感情が無いその表情に、僕は目を見張った。街灯の明かりで照らされる瞳は、鉄紺色の深い湖の底のようだった。光さえも深い深い暗闇に覆うような、そんな瞳で遠くを見つめていた。僕のすぐ隣を歩いているのに、とても遠い場所に彼女がいるような錯覚だった。
「原さん……、」そう僕が話しかけるまで何十秒たったのだろう。
「あっ、急にごめんなさい変なこと言ってしまって……。」
そう言いながら、僕の方を見た原さんは、いつもの原さんだった。ふいに、僕はあの質問を思い出した。
「あの、原さんってこの仕事、何か想いがあってやっていますか……?」
紺桔梗色の空に @may581
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