失恋タヌキ
織田崇滉
失恋タヌキ
「お前なんか失恋しちまえ!」
あの男ったら、わたしにこんな言葉を吐き捨てたのよ。信じられる?
そりゃあ、わたしは今までまともに異性とお付き合いしたことなんかないけどさ。走るのが好きで体を鍛えてるし、ちょっとした力仕事なら男手を借りずに自分でやっちゃうから、恋愛なんて
「きのう、失恋しちまえって言われちゃった」
「うひゃー、
――隣の席に座る
ううっ、ありがとね愛実ちゃん。
でも、わたし耐えらんない。
教室の机に突っ伏したまま、やる気なくして溜息を吐くのが精一杯だわ。
わたしと愛実ちゃんは小学校時代からの友人で、中学校もずっとクラスが一緒なの。
二年に進学しても変わらず接してくれる親友は、わたしをいつも励ましてくれた。
夏休みが終わって九月に入り、十月からは衣替えの季節になるけど、わたしは暑がりだし運動が好きだから、露出の多い夏服のセーラーが動きやすくて好き。愛実ちゃんは逆に寒がりで、新陳代謝もあんまり良くないみたいだから、さっそく冬服のブレザーにチェンジしてる。
「愛実ちゃんは優しくて助かるわ……それに引き換え、あの男と来たら!」
「忍ぅ、落ち着けってばぁ。本人に聞こえちゃうよぉ?」
「いいわよ別に。あんな馬鹿、むしろ聞こえよがしに悪態ついてやりたいわっ」
わたしは親友に撫でられながら――ついでに髪を手櫛で
机に顎を置いて、前方を睨む。
――居た。
あの男が!
朝早くから登校し、友達が来るまでは一人で本を読んでる、学ラン姿の男子。
窓から射し込む陽光を浴び、吹き込む風に髪をそよがせる様は、ちょっぴり神々しくも感じられた。
飄々とした佇まい、余人を寄せ付けないクールな雰囲気。座ってるのに上背が高く、理知的に煌めくメガネ男子は、難しい漢文を原書で読んでるの。中学生とは思えないわ。
(あいつ――
それが、奴の名前。
わたしに失礼極まりない暴言を投げ付けた、デリカシーのない男子。
「おーい忍ぅ?
「え? あっ何、愛実ちゃん?」
横から愛実ちゃんが話しかけた。
わたしったら迅くんの背中を睨むことに集中しちゃって、愛実ちゃんの呼びかけに気付かなかったみたい。
慌てて我に返って、顔だけ横に向き直したわ。愛実ちゃんはフフフと嫌らしい含み笑いを浮かべてる。
「やっぱり忍は、迅のことが好きなのねぇ。一度見つめると無我夢中!」
「ええっ、そ、そんなこと、な……いや、あるんだけど……大声で言わないでよっ!」
わたしは上体を起こして、両手をぶんぶんと振りまくったわ。
うん……その通り。
わたし――跡部忍――は、芦辺迅くんのことが好き。
あいつも小学校からずっと同じクラスなのよ。中学校でも未だに腐れ縁が続いてる。
そこに愛実ちゃんも加われば、わたしたち三人は幼馴染よろしく旧知の仲に成り果てるの。もっとも、愛実ちゃんと迅くんはあんまり会話しないっぽいけど。
「でも、ひどくない? あいつ、わたしに恋なんか似合わない、失恋しちまえってほざいたのよ?」
「それはさっきも聞いたぞよ」
愛実ちゃんは相槌を打つ。どうでもいいけど、そのニヤニヤ笑いやめてよ。
わたしは弁解するように経緯を述べ直したわ。
「きのう、下校中に迅くんと一緒になったのよ。で、話すうちに空気が
「どんな探りよ?」
「迅くんには好きな人居ないの? って軽い質問から入って。そしたら迅くんは『居ねぇよ』って」
「おぉ~フリー確定ね」
「次に迅くんが『お前は居ねぇのかよ?』って聞き返したから、わたしは千載一遇のチャンスだと思って『居るよ』って答えたの!」
「おー」
「わたしの好きな人は目の前の君だよって、迅くんを見上げながら! 上目遣いで! 覗き込むように! 察してくれと言わんばかりに!」
「言わんばかりって、言わなかったんかい」
「い、言えるわけないじゃない! 探りの段階だったんだから!」愛実ちゃんの肩を揺さぶるわたし。「迅くんは『何だ、居るのかよ……お前は恋愛なんて柄じゃねぇだろ、失恋しちまえ!』って冷たく
「ありゃー、クールだねぇ。けどそれ、普通の日常会話じゃない? 親しいがゆえの憎まれ口を叩いただけっしょー?」
「でも、だからってあんな真っ向から全否定するような言い方しなくても良いじゃんっ。失恋しちまえって正面からけなされるの、結構キツイよ?」
好きな相手から「失恋しちまえ」って宣告されるのって、なかなかないと思う。
それって要は、あの男はわたしに恋愛がふさわしくないって考えてるんでしょ……つまり必然的に、わたしを恋愛対象として見てないってことになるよね?
……あー。やっぱりショックだ。
失恋しちまえ、か。
わたしは迅くんへの片想いを忘れるべき、ってことだ。
迅くんはわたしのことを何とも思ってないんだなぁ。
「んまー、失恋しちまえって豪語するのは無神経かもねぇ。誰もが嫌悪感を抱くような発言をあえてぶつけて来たんだし」
でしょでしょ愛実ちゃん!
やっぱり愛実ちゃんは親友だわ、判ってくれると信じてた!
「そもそもいつからよ、忍が迅のことを異性として見るようになったのって?」
「え? えーと、夏の林間学校のとき……」
わたしは友人に問われるまま、ぶつぶつと思い出を掘り起こしたわ。
そう、夏。
夏休みの林間学校。
学年丸ごと山中でキャンプして、自炊とかハイキングを頑張って、自然と触れ合って過ごした二泊三日の学校行事。
夜にはレクリエーションが催され、キャンプファイヤーで踊ったり、クイズ大会を開いたり、肝試しで林道を往復したり――。
「わたしたち、肝試しで、迅くんと班になったじゃない?」
「あーあのときかぁ。肝試しの『吊り橋効果』が惚れたきっかけ? ベタ過ぎない?」
「い、いいじゃない別にっ」そっぽ向くわたし。「あの肝試し、単にゴールまで歩くんじゃなくて、途中にナゾナゾとかあったでしょ? わたし、あれが全然解けなかったのよ」
「あー、あったねぇ。忍は考えるより先に手が出るタイプだから、頭はからっきしだもんね。トンチやナゾナゾは全部、私と迅に任せっきりだったよねぇ」
愛実ちゃん、さり気なくわたしを馬鹿にしてない?
確かにわたしは頭脳労働が壊滅的に苦手だけどさ……。
けど。
そんなわたしの欠点を補って余りあったのが、あの男――迅くんだったのよ。
「迅くんはあの通り、難しい本とか平気で読めちゃう秀才でしょ。頭の回転が早いのよ。肝試しのチェックポイントにあった謎かけをものの数秒で解いちゃって、わたしの立つ瀬がなかったわ……わたしが解こうとしても、全然判らなくて二人に呆れられてたし」
「あはは、懐かしい。ゴール前もそうだったよね」
「うん。ゴール前にも暗号を解くナゾナゾがあったけど、迅くんは瞬時に正解してた」
「なるどねぇ、賢いカレかっこいーってなったわけかぁ」
「頭の良い愛実ちゃんには判らないでしょ……問題を解けない馬鹿なわたしの気持ちなんて! わたしを差し置いて、迅くんと二人でスラスラ解いちゃう愛実ちゃんズルイ」
「いやいやズルイとか言われても」
「とにかく……スマートに問題を解く姿が、わたしには頼もしく見えたの! はぁ、ほんとナゾナゾ無理……問題文のタヌキ言葉とかパステル言葉とか意味不明すぎたわ……」
タヌキ言葉。
パステル言葉。
知ってる人には簡単だろうけど、わたしはそっち方面のトンチが全然なのよ。
タヌキとは『た抜き』。
暗号文から『た』の文字を抜くと、正解が浮かび上がるパズルね。
パステルは『パ捨てる』で、文章から『パ』を捨てると正解が浮かんで来る仕掛けよ。
他にもストロー(ス取ろう)とかシャトル(シャ取る)とか……。
愛実ちゃんがプッと吹き出した。
「ゴール前の暗号はその集大成だったねぇ! 四ケタの数字をゴール時に言わないとやり直しになっちゃうんだったっけ」
「それそれ。超ヤバかった。わたし頭が真っ白だったもん」
「確か暗号の数字は四つあって、『
うん、それ。
答えから先に言うと、イタチのタ抜き=『イタチ』から『タ』を抜いて、イチ。
カニのカ取り=『カニ』から『カ』を取って、ニ。
サンマのマ抜け=『サンマ』から『マ』を抜いて、サン。
オハシのオハ
「イチ、ニ、サン、シ。1234が正解の暗号だったわ」
「タヌキ言葉の典型的パターンよねぇ。有名じゃないのさ。あれが判らないなんて本当に忍は面白いなぁ、きゃはは」
「笑いごとじゃないよっ。わたし暗闇が怖かったし、問題がちんぷんかんぷんで焦りもあったし……そんなとき、迅くんはわたしの手を握ってくれたの。そして問題を解いてくれたのよ。すごく優しかったの……!」
「そりゃ奴もゴールするために問題くらい解くでしょーよ」
むっ。そういう話の腰を折るようなこと言わないっ。
「まぁ忍と迅は昔からそんな感じだったもんねぇ。きっかけがあれば、うまくくっ付きそうな予感はしてたけどねぇ」
愛実ちゃんはまた意地悪そうにほくそ笑んでる。
わたしはますますふくれっ面になっちゃった。
うまくくっ付けてないから困ってるのに……。
「考えてもみなよ、忍」
「え?」
「迅の奴はさぁ、別に忍をけなしたくて失恋なんて口走ったわけじゃないと思うよぉ?」
「どうして判るの?」
「だって、迅の暴言って明らかに嫉妬じゃないのよさ」
「は? 嫉妬?」
「迅も忍のことが好きなんよ」
「ふぇっ?」
わたし、思わず変な声出ちゃった。
教室中に響いたもんだから、みんながこっちを振り返る。
ひゃー恥ずかしいっ。
見れば、前方に座ってた迅くんまでもが、ちらちらと肩越しに振り向いてる。何よ、気になるなら堂々とここに来ればいいじゃない。煮え切らない男ね。クール気取りの野郎はこれだから……。
「愛実ちゃん、あいつがわたしのことを好きって、どういうこと?」
「だーかーらーぁ、簡単でしょ。忍が好きな相手は迅だってことを、迅自身は気付いてないのよさ」
「そ、そうなの?」
「そ。だからあいつは、忍が片想いしてるという架空の男に嫉妬して、思わず『失恋しちまえ』って口汚く罵ったわけ」
「ええ~、そうかな……」
「そうよ。それに今のタヌキ言葉を聞いてピンと来たわ。迅は変に頭いいから、失恋にも
「へ? ダブル……みー?」
ダブルミーニング。
推理ドラマやサスペンスでたまに聞く言葉ね。その語句を額面通りに受け止めるんじゃなく、言葉の裏に隠された『もう一つの意味』が潜んでるっていうやつ。
実は違うことを意味してたんだよーって驚きの真相が明かされるカラクリね。
ん?
じゃあ迅くんの『失恋』にも、違う意味があるってこと――?
「何ぎゃーぎゃーわめいてんだよ、うっせぇな」
――迅くんがこっちに来たのは、そのときだった。
ひぇっ、本当に寄って来た!
な、何よ、やる気?
けだるそうに長身をもたげた迅くんは、本にしおりを挟んで片手にぶら下げてる。
線は細いけど上背があって、とても頼もしい。スマートなシルエットが密かにかっこいいと評判で、成績も優秀だからクラスの女子からは好感度も高い。
鋭い怜悧な双眼は、確かにイケメンかな~とも思うし、実際に人気あるんだから、すでに何度か告白とかもされてるのかな? 本人はぶっきらぼうで女っ気なさそうにしてるから、全部断ってるのかも知れないわね。
それとも、別の理由があるとか?
例えば……わたしのことが好きだから……?
つと、愛実が一歩、身を引いた。
「おっ、ご両人がそろったわねぇ。それじゃ邪魔者は退散するとしましょーか」
「あ、待ってよ愛実ちゃん――……って、ああ、行っちゃった……」
わたしが手を伸ばしたのも虚しく、愛実ちゃんってば軽やかにかわして教室から出て行っちゃった。
ひ、ひどいよっ親友だと思ってたのに!
わたしは迅くんと一対一で向かい合う羽目になった。
すでに周囲のクラスメイトは、わたしたちなんか気にしてない。元通りの喧騒だ。
う~、どうしよ。わたしもごまかして他のグループに逃げようかな……?
「忍。お前さっき、俺のこと話してただろ」
「だ、だって、きのうのこと、腹が立ったんだもん」
「まぁ俺は今でも、お前に恋は不必要だと思ってるがな」
「何ですってー!?」
「跡部忍に『恋』はいらねぇ。恋なんか
「へ?」
わたしはきょとんと呆けちゃった。
さっきから何言ってるの、こいつ?
恋は不必要?
恋はいらない?
恋なんか失せればいい?
(えっと――…………まさか!)
鈍いわたしでも、察知できたわ。
背中に電撃が走った気分よ。頭上に豆電球がぴかーって閃く。
「もしかして、それってタヌキ言葉みたいなやつ?」
「お、おう」
迅くんが気まずそうに目をそらす。
あ、やっぱそうなんだ……愛実ちゃんがほのめかしてたのも、この語呂合わせ?
タヌキは文章からタを抜くこと。
じゃあ『失恋』は――?
「恋を失う……わたしから『恋』が失せればいいってことよね?」
「ああ」
「んーと、わたしの名は『跡部忍』だから……そこから『恋』を省くの?」
「恋は、亦と心に分けられるだろ」
「あー、そっか!」
わたしの苗字『跡部』から『亦』を失うと、足部になる。
足部……アシベ?
ついでに、わたしの名前『忍』から『心』を失うと、刃になる……やいば……ジン?
足部刃――アシベジン――。
「アシベジン……
――迅くんの名前になった!
「失恋しちまえって叫んだのは、そういうことだ。言わせんな恥ずかしい」
迅くんの顔が真っ赤に染まってた。
何こいつ、柄にもなく照れてるの?
ずいぶん遠まわしな告白もあったものね。可愛い所もあるじゃないの。
「じゃあ迅くんがわたしに突っかかったのは、わたしが恋する男とやらへの嫉妬であると同時に、迅くんの想いに気付いて欲しいっていう二重の意味があったのね?」
「わ、悪いかよ。お前が誰に惚れてるのかは判らねぇけど、俺はお前のことが――」
「わたしの好きな人は迅くんだよ」
「――んなっ?」
食い気味に口を挟んだら、迅くんはこっちを凝視して硬直した。
うわぁ、すっごい目を
頭から湯気が出るほど赤面してる。
普段クールなのに、意外な一面を見られたわ。ラッキー。眼福ね。
「……よっと」
わたしは合点が行って、席を立ったわ。
身長差のある迅くんに並んで立ち、するりと腕をからませるの。
「おいっ! 何する気だ」
「わたしたち両想いだったと判明したでしょ? なら、もっと恋人らしく密着してイチャイチャしてもいいんじゃない?」
「馬鹿野郎、からかうなよっ」
咄嗟に腕を振りほどく迅くんが面白い。
そのせいでまたクラスから注目を浴びたけど、今は不思議と恥ずかしくなかった。
「おぉ、円満解決したかなー?」
示し合わせたように愛実ちゃんが教室へ戻って来た。
こいつめ、実はこっそり外から様子を窺ってたでしょ。タイミング良すぎ。
「おかげさまで、二重の意味を読めたからね」
わたしはせいぜい礼だけ述べたわ。
失恋の語呂合わせ。
ナゾナゾ。
ダブルミーニング。
タヌキ言葉にひっかけた『失恋タヌキ』が、わたしと迅の馴れ初めになった。
*
翌日。
忍と迅が仲睦まじげに登下校する様子を見て、愛実は一人で溜息をついた。
「あーあ、私も林間学校で同じ班になった迅のこと、好きだったんだけどなぁ……ついつい友達の相談に乗っちゃうなんて、損な性分よね……私はきのう、失恋したってわけだ」
彼女はきのう、失恋した。
これは、人知れず失われた恋の物語。
了
失恋タヌキ 織田崇滉 @takao
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