第二話 その三
翌日は周辺環境の探索にあてる。
まず、寿は自宅となった洋館から大学までの通学経路を、実際の通学時間にあわせて移動してみた。
洋館は、昭和に開発されたらしい大規模な住宅街の外れに、そこだけぽつんと隔離されたように建っており、周辺は雑木林が広がっている。
まるで東北地方で見られる屋敷林のような風景である。
敷地の東側にある錆が全面に浮いた鉄の門を開けると、寿は目の前にある二車線道路を東に向かって少しだけ歩いた。その先の突き当たったところに、住宅街の中央を南北に真っ直ぐに伸びる四車線道路があるので、その道に沿ってひたすら北に歩く。
ちなみに、昨日利用したスーパーマーケットはこの幹線道路沿いにあり、そこまでは昨日のうちに探索済みだ。だから、その先が『未知の領域』ということになる。新しいRPGを始めた時のマッピングのような気分で、寿は歩いた。
その道すがら、周りをゆっくりと見回してみる。
この辺は馬車小路の車に乗った時に通ったはずだったが、あの時は道がそこそこ渋滞していたので、観察することが出来なかった。
その日は日曜日で、しかも早朝と言ってもよい時間である。車も余裕を持って走っている。寿はそんな緩やかな空気を感じながら、周りを観察しながら歩いた。
それでも、大学の正門までは三十分もかからない。
ただ、最初に契約した物件は「大学まで徒歩十五分以内」という触れ込みだったので、倍近くかかることになる。不動産業者基準だと、一分はハイヒールの女性が八十メートル歩く距離と言われているので、寿の場合は一分間に百メートルと考えてみる。ということは三キロ弱だ。
都会ではわりと離れているところになるものの、それでも寿にはさして苦にはならなかった。
もともと歩くのは好きだし、生まれた場所は公共交通機関と言えば電車だけで、少しでも駅から離れたところにいきたければ、歩くしかなかった。だから、毎日のことでも一時間以内であれば、寿にとっては問題にはならない。
自宅最寄駅から大学最寄駅まで電車に乗れば、もしかするともう少し早く着くのかもしれなかったが、寿はある人から、
「田舎から上京してきた大学生の、最初の大きなハードルになるのが通勤ラッシュなんだよね」
と聞いていた。しかも、その人はさらに、
「周囲の人間に対する無関心を貫き通さないと、ラッシュを生き抜くことはできないよ」
とまで言い切ったので、寿は電車に乗ることを諦めた。
さすがに、他に人に対する無関心は寿には到底出来そうにないことだったからである。
そのため、彼は大学選択の時点で、必然的に電車だけが選択肢となる都区内ではなく、電車通学を選択する必要がない市部に立地する、しかも学費が比較的安い国立大学だけに限定した。その上で、通学時間が多少長くなっても構わないので、徒歩圏内で賃貸を探していたのだ。
さて、大学の正門をくぐって、寿はキャンパスに入る。
日曜日にもかかわらず、大学内には思った以上に歩いている人が多かった。
何人かで連れ立って歩いているのは、サークル活動か何かの目的でやってきた上級生だろう。お揃いのTシャツを着た一団は、間違いなくそうだ。
一人ぼっちで、あちらこちら見回しながら歩いているのは、寿と同じように明日の入学式に向けて下見にやってきた新入生だろう。同姓の二人組で、互いにきょろきょろと辺りを見回している人々も、新入生に違いない。同じ学校から同じ大学に進学したというところだろう。
上級生らしきカップルの場合は、お互いに笑いあいながら歩いている。
そんなことを考えながら寿が歩いていると、前のほうから、
「男が前を歩いて周囲を用心深く観察し、その後ろから済ました顔で女の子が歩いてくる」
という二人連れがやってきた。
しかも、男のほうが鋭い眼であたりを睥睨するものだから、物凄く浮いた感じになっている。
寿は小さく苦笑すると、その二人連れのほうに近づいて、声をかけた。
「お早うございます、馬車小路さん。斉藤さん」
「あら、楠さんじゃありませんか。御機嫌よう」
リアルに「御機嫌よう」と挨拶する人は初めてだったので、寿はすこし戸惑ったが、さらに斉藤の表情を見て狼狽した。斉藤がいかにも不機嫌そうな顔で、「ちっ」と舌打ちをしたからである。
「斉藤さん、失礼ですよ」
と、馬車小路が嗜めると、斉藤は、
「これは大変失礼致しました。お嬢様、楠様」
と、明らかに不承不承といった表情で謝罪した。
B.M.W. 阿井上夫 @Aiueo
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