好きって言えない彼女じゃダメですか? 帆影さんはライトノベルを合理的に読みすぎる ショートtips

玩具堂

ゴブリンの声はよく届く



 放課後、いつものように文芸部室の戸を開けると、むやみに雄大なBGMが耳に入ってきた。

 さかりんが、合板の折りたたみデスクに載ったノートパソコンに向かってマウスとキーボードをカタカタ鳴らしている。現実の高校生活では滅多にお目にかかれない、ツインテールにまとめた髪が目立つ眼鏡女子だ。

 彼女は隣室おとなりの漫研に所属しているのだが、差し迫った原稿がない時は文芸部こっちで遊んでいることも多い。

 本来の文芸部員は、伊井坂の隣に寄り添ってノートパソコンをのぞき込んでいる、もう一人の女子だった。

 帆影ほかげあゆむ。定員割れしているにもかかわらず伝統の惰性だけで続いている我が文芸部の、僕以外のたった一人の部員。いつも眠たいような透明感のある瞳が、伸ばした前髪の隙間から僕へ向けられる。

 帆影は、うなずくと言うには5分の1ほど足りない角度に顎を引き、僕の入室に応えた。僕は声に出さずに「うん」と口を開いた。たぶん、帆影には聞こえたと思う。

「ここはゲームをする部屋じゃないぞ」

 カバンを机へ置きながら言うが、伊井坂は顔も上げない。その眼鏡には、炎を吐くドラゴンのグラフィックが映っていた。僕は帆影の反対側から画面をのぞき込む。

「やっぱりモングレか」

 モングレ、というのは『モンスターズ・グレイヴ』というタイトルの略で、中堅どころのオンライン・アクションRPGだ。オーソドックスな剣と魔法の世界を舞台に、様々なクエストをこなしながら、世界の歪みの顕現である超大型モンスターに立ち向かう――という内容だ。

 初期バグがやたらと多いことで知られるメーカーの作品だが、それが名物としてネット上で語り草になっている。

「期限切れ間際のイベントあるの忘れてたんで、急いでこなしておるのだよ」

 やたらHPヒットポイントの高かったドラゴンを撃破して一息ついたか、ようやく伊井坂が口を開く。僕と会話しながらも、画面の中では手伝ってくれた別のプレイヤーに感謝のジェスチャーを表示させている。

「帰ってからにしろよ。なんなら手伝うぞ」

 モングレは僕もそこそこやりこんでいて、伊井坂と協力プレイすることもある。この部室で攻略法について情報交換することもあった。

 伊井坂は屈託なく顔を上げた。高校生としてはかなり重度のオタクだと思う伊井坂だが、その笑顔の明るさと押しの強さでコンプレックスというものを感じさせない。

「いや、あたしもそうしようと思ったんだけどね。ホカちゃんに話したら、なんか興味ありそうだったから」

「帆影が?」

 意外な答えに、視線を帆影へ向ける。帆影がコンピュータゲームの類に興味を持っている印象はなかった。

 目が合って、帆影は「はい」と淡白にうなずいた。あるかないかの薄い表情だが、それはいつものことであって特に不機嫌なわけではない。

「最近、ゲームを題材にしたSF小説が増えてきているのですが、実物を知らないと意味が取れないところがあって」

 伊井坂さんに見せてもらっています、と帆影はまた画面へ目を戻した。「リスポーンという言葉の意味がいまいち解らなかったのですが」などと伊井坂へ質問している。

 なるほど、読書と入浴を人生の友とする帆影らしい答えだ。僕は納得したのだが、伊井坂は意味ありげな笑みを含んで帆影と僕を見比べていた。

 ? と、いぶかしむ僕を置いて、

「このHPエイチピーというのは、なにを表しているのでしょう? なくなると終わってしまうようですが、減っても怪我をしたり動きのにぶる様子がないということは――」

 帆影は実に帆影らしい質問を続けている。

 そんな時だ。

 最近の定番になりつつある、部外者の乱入が起こったのは。


「まったく、馬鹿馬鹿しいったらないね!」

 部員でもないのにノックもなしに堂々とドアを開けるだけなら伊井坂もしているが、その伊井坂から借りた本に文句を垂れながらずかずかと入ってくるようなこつものは、僕の周りには一人しかいない。

 不機嫌な歩みに、シュシュでくくったポニーテールがぴょこぴょこ跳ねる。おでこを出したヘアースタイルは、前髪が目に入るのがうっとうしいからだと言っていたが、実のところ自分の美少女ぶりを自覚して見せびらかしているのではないかとも思う。

 そう――悔しいが兄の目からしても見た目だけは可愛い我が妹、新巻あらまきはゆの御入来である。

 この妹は、ライトノベル作家としてデビューが決まっている親友とケンカして以来、仲直りするため文芸部室を訪れては伊井坂――自他共に認めるラノベ読みだ――からライトノベルの実態を学んでいる。

 学んでいる、と言っても、元よりオタク的なアイテムに偏見を持つ「優等生」の妹は、ライトノベルのおかしな点、お約束だとして流されている不合理で都合の良すぎる展開などを見ては悪態をいているのだが。

 それでも親友との仲直りには成功したというのだから、それこそ奇跡か御都合主義か、はたまた友情の勝利か。

 そして、目的を果たした今でも、映は週に何度か文芸部室へ顔を出す。親友の活動を助けるため、さらにライトノベルの理解を深めたいというのが表向きの理由だが……

 部屋に入るなり帆影へ向けた鋭い視線からすると、ぼく彼女ほかげが二人で居るのが気に食わず、なにか間違いが起こらないよう、監視に来ているようにも思える。

 とはいえ、今日不機嫌なのは、またライトノベルに関することが原因らしかった。

「……またか映。その本に、なにか不満があるのか?」

 溜息交じりに僕が見やったのは、映が手に持っている文庫本だ。何日か前に伊井坂が映に貸した物で、タイトルは『ゴブナガの野望 ~ゴブリンに転生した俺、戦国覇王になります』。

 僕は読んだことがないけど、ファンタジー世界のゴブリン集落に転生したサラリーマン織田おだ五分ごぶながが、現代の化学知識を駆使して鉄砲部隊を作り上げ、戦国の風雲児に成り上がるというストーリーらしい。

 元は、映の友達がデビューまでこぎ着けたのと同じネット小説サイトに投稿されていた作品で、だから映も興味を持ったのだろう。

 帆影や伊井坂からの視線も受けて、映は文庫本をデスクに置き、憤懣ふんまんに高ぶった声を出した。

「これ……ファンタジー世界の話だと思って読んでたのに、キャラクターのレベルが10だとか20だとか、スキルを習得したから能力が使えるようになりましたとか、普通に劇中のセリフで言ってるんですけど……

 これじゃ、まるでゲームじゃないですか」

 ………………ああ。

 僕と伊井坂は顔を見合わせて、声にならないうめきを交わした。言われてみれば、いかにも映が引っかかりそうな部分だ。うちの妹は根が真面目すぎると言うか、考え方に融通の利かないところがある。

「なんですか? 実はゲームの世界ってことなんですか?」

 重ねて問う映に、伊井坂はパソコンの中のゲームを終わらせつつ、とりあえず事実だけを伝えた。

「そういう設定の作品もあるけど、『ゴブナガ』は連載分ではいまのところ普通に異世界の設定だね」

 映は映で、直球に聞き返してくる。

「じゃあなんで、ゲームみたいにレベルだとかスキルだとか言うんですか? 作者の人、ゲームの言葉しか知らないんですか?」

 直球のデッドボール、見事なまでの暴言だ。伊井坂はいやいやいやと手を振った。

「えっと……そういうことじゃなくてさ、ゲーム世代の読者に伝わりやすい設定にしてるってことじゃないかね。ゲームの表現で世界を描いてる、のではなくて、作品の中では、ゲームみたいなルールの世界がんだヨ」

 作品世界の神様の流儀が現実世界とは違ったというだけのこと、と割り切ってスルーしてしまうのがスマートな楽しみ方というものだろう。物によってはゲームみたいな世界設定に意味がある作品もあるだろうけど。

「むぅ……なんか、せっかく別世界なのにロマンがなくなるって言うか……」

 ぶちぶちと文句を口に含んで、納得がいったようにも見えなかったが、反論の言葉も浮かばなかったのか、映は別のことを訊いてくる。

「あと、ちょっと解らなかったところがあるんですけど……ゴブリンってなんであんなに馬鹿にされてるんですか?

 異世界に行ったばかりでなにも知らない主人公からして、『なんでよりにもよって一番弱いモンスターになっちゃったんだ~』とか言うし」

「ああ、それはほら、ゴブリンは二足歩行のモンスターの中じゃ最弱、って扱いのゲームが大半だからじゃないかなー。

 15作以上もナンバリングが出てる超有名RPGで、ゴブリンが一番弱い敵になってるのが大きいと思うよ。新作に加えて旧作のリメイクも発売されてる長寿コンテンツだから、幅広い年代が遊んで『常識』になってるわけさ」

 その有名RPGに影響を受けた別のゲームがゴブリンを最弱の敵として設定して、それで強化されたイメージを受けた小説やアニメがゴブリンを最弱のモンスターとして語る――そうやって、ゴブリン最弱説は確固たる地位を築いてきたのだろう。

 それこそ、伊井坂がついさっきまで遊んでいた『モングレ』でもゴブリンは最下級のザコ敵だ。

「やっぱりゲームの常識がそのまま使われてるんですね……」

 映はやっぱりそこが気になるようだった。察してか、伊井坂がフォローを入れる。

「ま、メジャーなモンスターを一般的でない解釈で描いたり、全く新しいモンスターを出したりすると、読者が入り込みにくくなっちゃうかもしれんしね」

 生き馬の目を抜くレーベル乱立時代においては、そういう解りやすさが重要なのだろう。マンガやアニメでもそんな感じだし、僕には納得できる話ではあった。しかし、伊井坂の話している相手は僕の頑固な妹だった。

「要するに、想像力のない読者にも書いてあることが解るように、ゲーム用語やゲームに出てくるモンスターばかり使ってるってわけですか。

 はぁっ……所詮ライトノベルを読んでる人なんて、その程度の薄っぺらい人たちなんですね」

 最近の若いモンは……とでも言いたげに嘆いて見せる女子高生だが、いつもながら乱暴すぎる断定だ。

 これも一種の慣習とか文化のようなもので、そうバカにしてかかるものでもない……などと、僕は妹の歪んだ偏見を正す説明を組み立てようとした。

 しかし、それを言葉にする前に、それまで黙って聞いていた彼女が口を開いたのだ。


「それはどうでしょうか?」


 言うまでもなく、帆影歩だ。

 映は、一瞬顔をしかめてから帆影へ向き直った。肉付きの薄い胸を精一杯に張っている。映は帆影のことを苦手にしているくせに、妙に対抗心が強い。

「……なんですか? ファンタジーなのにゲームみたいな世界観なことに、なんか特別な意味でもあるって言うんですか?」

 受けて立ったわけでもないだろうが、帆影も映の方へ体を向けた。帆影が胸を張ると、ただでさえ余裕のない制服のが苦しそうに突っ張った。

 僕が思わず目をそらしたことには気付かず、帆影はいつも通り抑揚の薄い声で続ける。

「それは、リンガ・フランカなのかもしれません」

 ……………………

 帆影の言葉に、しばらく返事がなかった。そこはかとなく魔法少女めいたその単語を、誰も知らなかったからだ。

 三人を代表して、僕が訊き返した。

「りんが・ふらんか?」

「はい。『フランク人の言語』を意味するイタリア語です。でも実際には、いろいろな国の言葉が混ざった混成言語でした」

 なんかややこしいことを言い出した。フランク語なのかイタリア語なのか。だが、趣旨はそこではないらしかった。

「現代では主に、『通商語』や『共通語』の意味で使われています。別の言語を使う人同士が、どちらの母国語でもない第三の言語で話すことです。

 たとえば、17世紀から19世紀頃、フランス語はヨーロッパの外交語として使われ、外交の場ではイギリス人もドイツ人もフランス語で話しました。

 あるいは、アフリカ東岸部で広く使われているスワヒリ語は、アラブ系商人とバントゥー系の諸民族が交易する内に生まれた通商用の言語で、アラビア語を始めとして色々な国の言葉が混ざり合った、特定の国柄くにがらに属さない言葉です」

「それが……さっきの話となんの関係があるんですか?」

 映は真正直に訊き返したが、僕にはなんとなく、帆影の言いたいことが解る気がした。

「本屋さんに並ぶ本、特に小説の読者は、実に多様です。年齢、性別、知識常識――なにもかもが違うたくさんの人が、本を選んで買っていきます。

 そんな不特定多数の読者を想定して、少しでも多くの人に読んでもらえるよう、作者や編集者、その他製作に関わる人たちは体裁を整えなければいけません」

 ライトノベルなどは特に、想定している読者層のレンジが広いだろう。10代から20代、もしくは30代、あるいは40代、ひょっとすると50代――

 それぞれ別の時代に別の文化を経験をしてきた「彼ら」に語り聞かせるには、彼らのを使わなければならない。

 もちろん、「読みやすい日本語」が基本だろうけど、ファンタジーなど架空の世界を描こうと思ったら、読者の予備知識を活用しないと説明文がだらだらと長くなってしまう。

 たとえば、ドラゴンというモンスターを知っている相手には「ドラゴン」の一言で済むところが、知らない相手には「巨大な爬虫類で形はトカゲに似ているが頭はワニに近く、魁偉かいいな角が生えた怪生物。その存在には独特な威厳があり、鱗族の王といった趣を持つ」などと書かなければ伝わらなくなる。実際にが持っているドラゴンのイメージを伝えるには、まだ言葉が足りないかもしれない。

 しかし冗長な描写は、娯楽作品に求められる軽便さを大きく損なう。

 そんなことを考えている内にも、帆影の説は淡々と続く。

「伊井坂さんが言うように大人気で、世代を超えるくらい長期に渡って続編の出ているゲームの仕様や慣例は、多くの読者に通じる『言語』になる可能性があります」

 レベル、ジョブ、スキル、勇者、魔王、ドラゴン、ゴブリン……単語を通して一つのイメージを共有できるデータベースというわけだ。

 そういう役割をになえる物としては、たしかに長寿ゲームは有力な候補だろう。人気があるから長持ちしているわけで、ライトノベルを読む多くの人は、直接ゲームを遊ばなくてもメディアミックスなどで派生した作品のいずれかに触れている可能性が高い。

 アニメやゲームの多様化とともに拡大しすぎたライトノベルの読者層。その広すぎる世代間を貫通して「共通語」となれる体系は、他には有名な童話、おとぎ話くらいの物かもしれない。

「リンガ・フランカの特徴は、その場の全員が理解して、だから疎外される者を出さないことです。それを使って書かれた作品は、読者を最大限平等に楽しませることができるのです」

 帆影の説明にピンときてない風の映に、伊井坂が言葉を添える。

「たとえば、海外の映画とか見てると、キリスト教や聖書の知識がないと何が言いたいのか、本来の意味が理解できない作品とか結構あるんだよ。向こうの人にとっては当たり前の教養だからだろうね。でも、多くの日本人は自然と触れるもんじゃないから困ったことになる。

 これが人気ゲームの用語や有名なモンスターなら、おおむね困らない。流行り物を遊んだり見聞きしてる内に勝手に覚えるから、およそ平均的な予備知識になるわけだね」

 映はおとがいに手を当ててちょっと考えた後、自分なりにまとめた答えを口に出した。

「……つまり、ゲームの言葉を使うことで、作者の人の表現したいことを、いろんなタイプの読者が正しく受け取れるようになるってこと?」

 帆影はこくりとうなずいた。ふわりと、軽やかに前髪が揺れて、それが帆影にしては力を込めた動作なのだと語っていた。

「はい。出身地や国籍に関わりなく、その場にいる人みんなに等しく正しく意味を伝えられる言葉、それがリンガ・フランカです。

 小説にゲームの言葉が使われるのは、それを一種の共通言語として見れば、なにも不合理なことではありません。言葉の一番大切な機能は、『伝わること』ですから」

 それが帆影の結論のようだった。

 ゲームライクな小説の書き方を、日本語から世代間共通語への『翻訳』という風に解釈してしまった。いつもながらに思考の曲芸だ。

 しかし、それが帆影の読書なのだろう。一見つまらないような要素から、全く別の知恵を読み取るたのしみ。

 たぶん即興であろう自説を披露して、心なし満足げに息をつく帆影。その微かに上気した顔を見ていると、僕の頬はだらしなく緩みそうになる。

「……そう言われるとそんな気もしますけど、そこまで深読みすることかなぁ……?」

 映は、納得もできないけれど言っていること自体は正しそうなので反論もできない、といった風だった。45度近く首を傾げながら、先ほど思うさま難癖付けた『ゴブナガの野望』に目を落とす。

「……でもまぁ、たしかに、読んでて意味の伝わってこないシーンっていうのはなかったかな」

 呟く声は、ほんの少しだけ柔らかくなっていたかもしれない。

 帆影の奇論は、数学の解のようにたった一つの正解を示すものではない。逆に、唯一だと思われる解答に対して、他にもこんな答があると枠組みを壊す行為だ。

 だから、たとえ帆影の説自体に賛同できなかったとしても、映のように思い込みの激しい人間が陥った偏見を取り払う効果があるのかもしれない。

「それにしても――」

 しかし、文庫本から帆影へ向けられた映の視線と声は、呆れに満ちたものだった。

「帆影先輩のぶっ飛んだ講釈は、相変わらずのハズレスキルですね」

 その言葉は帆影にとって共通語ではなかったらしく、彼女はきょとんと一度、まばたきした。



 しばらくして、伊井坂は隣の漫研に戻り、妹も「ドラッグストアのクーポン今日までだった」とか言って急いで帰ってしまった。

 必然、文芸部室には本来の部員である僕と帆影が残された。

 部室は普通の教室の半分もない部屋で、決して広くはないが、二人きりになってみると物寂しくも感じる。僕と帆影は並びあって座っているので、その外側に並んだ座り手のないパイプ椅子が空虚を主張しているのかもしれなかった。

 帆影は口数が少なくて、部活の時間中はいつも黙々と本を読んでいる。僕もおしゃべりな方じゃない。沈黙の中、読書という少ない運動量なりの微かな吐息だけが、古紙くさい空気中にうっすらと綾を織る。

 僕は僕で、手元のノートにアイデアを書き付けていた。二年生になってから書き始めた作品で、ついこの間、途中まで書き上げた物を帆影に読んでもらったところだ。

 今は、その続きに行き詰まって足踏みしている最中だった。特に締め切りがあるわけでもないというのが、作業への切実さを与えてくれない。

 目の前のことがはかどらないと、自然、視線はさまようことになる。

 すぐ隣に座っている、帆影の横顔を盗み見る。窓から差し込む夕日にくっきりと縁取られて、昼の光の中で見るよりもどこか大人びた姿を見せている。

 三ページほど繰るたびに小さく鼻を動かすのに気付くと、もう、ダメだ。小動物の観察。小さな心臓が一生懸命に動いている。目が離せない。

 一度本を開けば、帆影は抜群の集中力を見せる。しばらくは僕の視線にも気付かなかったが、目にかかった髪をかき上げた拍子になにか感じるものがあったらしい。

 まばたきして、顔を上げて、こちらを見る。目と目が交差して、帆影は小さく唇を開いた。その仕草は、さっきと打って変わって、高校生とは思えないほど幼く見える。

 ちくりと、罪悪感に似た動悸が僕を謝らせた。

「あ……ごめん、邪魔した」

「いえ」

 帆影はいつも通り淡々と言って、やっぱりいつも通り、粉砂糖のように薄甘く耳に溶けるような声で続けた。

「新巻くんは休憩ですか?」

「あー…………そんなとこかな」

 正確には、構想に難儀して現実逃避中なのだが、ここのところ暑い日が続いて思考がまとまらないということなのかもしれない。

 帆影はちょっと手元に視線を落として、こっちを見ないままぽそりとつぶやいた。

「ヒットポイントが減ってしまったんですね」

 ……………………

 虚を突かれた心地で――少し考える。

 覚えたての言葉を使ってみたかったのだろうか。そういうはしゃぎ方をするイメージはなかった。そもそもはゲームをテーマにした小説を読みたくて伊井坂に話を聞いていたはずだけど。

 ……そういえば、帆影の目的をいた時、伊井坂はなにか言いたげな顔をしていた。

 まさかとは思うけど。

 僕と伊井坂が、自分の解らないゲームの話をしているのを聞いて、疎外感だとか寂しさだとかを感じて、それでゲームのことを学んでみようと思ったのだろうか。

 さっき彼女は言っていた。

『リンガ・フランカの特徴は、その場の全員が理解して、だから疎外される者を出さないことです』

 今日僕は、リンガ・フランカという言葉や概念を知って、少しだけ多く、帆影の世界とつながることができるようになった。と思う。

 同じように、帆影もゲームの言葉を知って、僕との共通語リンガ・フランカを広げてくれたのなら。そういうことを望んでくれたというのなら。

 だとしたら、

「クリティカルヒットだ……」

「? クリティカル…………決定的な打撃ですか?」

 その用語は伊井坂から聞いていなかったらしい。僕のカノジョは、ころりと首を傾げて聞き返してきた。


 初夏の夕日と二人分の体温に汗ばみながら。

 僕らはつっかえつっかえやり取りして、お互いの言葉を混ぜ合わせていった。




The Hokage's L/RightNovel

Episode #6.1

Lingua Giocatore

Fin.

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好きって言えない彼女じゃダメですか? 帆影さんはライトノベルを合理的に読みすぎる ショートtips 玩具堂 @hisao_gangdo

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