第7話

***



「そういえば、大丈夫か? あれから、何も変わったことはないか?」

「はい。……ご心配、おかけしました」


 あかりは秋津と並ぶと自宅へと向かう。事件のあった日からずっと美和の家にお世話になっていたあかりがこの道を通るのはあの日以来初めてだった。


「でも、遠藤が元気そうで安心したよ。何かあったら相談に乗るから、いつでも言うんだよ」

「ありがとうございます」


 微笑む秋津にあかりはお礼を言うと頭を下げた。あの事件以降、秋津は以前にも増してあかりのことを気に掛けてくれていた。ちゃんとご飯を食べているか、眠れているか。学校で嫌な目にあっていないかなど、細やかなことまでたくさん。何かあればいつでも送っていってやるとまで言ってくれていた。

 そのたびに、ありがたい以上に申し訳なくなる。秋津だけではない。美和や美和の両親、それに榊もあかりのことをずっと心配してくれていた。


「申し訳ないなんて思わないでくれよ」

「え……?」


 そのとき、まるであかりの心の中を読んだかのように秋津が言った。


「先生は遠藤のことが大切だから心配しているだけなんだ。だから、遠藤が気にすることなんてないんだよ」

「先生……。ありがとうございます」

「……遠藤」


 秋津があかりになにかを言いかけたそのとき、秋津の声を遮るようにして秋津のスマホが鳴った。モニターを確認すると、秋津は苦々しい表情を浮かべた。


「悪い、ちょっと待っていてくれるか」

「わかりました」


 仕事の電話だろうか。秋津はあかりから離れると、小声で何かを話し始めた。何か揉めている様子に、学校の先生というのも大変だな、なんて思いながらあかりはポケットの中からスマホを取りだした。


「あれ? 美和ちゃん?」


 スマホの画面には美和からのメッセージや着信を示すポップアップがいくつも出ていた。何かあったのだろうか、とメッセージアプリを開くと、そこには『今どこにいるの!?』という美和からのメッセージがあった。

 秋津と帰っていることを知っているはずなのにどうしたのだろう。あかりは『公園のあたりだよ』とメッセージを送る。

 メッセージにはすぐに既読を示すマークがついた。そして……。


「わ、電話だ! はいはーい、美和ちゃんどうしたの?」

『あかり!? 無事!?』

「え、なになに? どうしたの?」

『気をつけて! あの日、あんたの家のチャイムを押したのは……!』


「っ……!」


 その瞬間、言いようのない気持ち悪さを感じた。だからだろうか、美和の話している内容をあかりは上手く飲み込むことができない。

 耳には入ってきているはずなのに、何を言われているのかがわからない。


(誰か、来る……)


『あかり! ねえ、あかり!? 聞こえてるの!?』


 あかりの背後から、誰かの足音が聞こえる。土を踏みしめるようなこの足音を、知っている。この言いようのない気持ち悪さを知っている。これは……。


「遠藤」

「っ……!」


 ガシャンという音がして、あかりは手の中のスマホが地面に落ちたことに気付く。そのスマホを拾うと、秋津はあかりに手渡した。

 落とした拍子に割れてしまったのか、画面には大きくひびが入り、真っ暗になっている。


「悪いな、待たせて。……どうした? そんな驚いた顔をして」

「せん、せ……?」

「ん?」


 心臓がドクドクと脈打つ音が聞こえる。そばにいるのは担任である秋津のはずなのに、どうしてこんなにもこの場所から逃げ出したいと思ってしまうのか、あかりにはわからなかった。


「どうした? 遠藤、変だぞ?」

「い、いえ……」

「そうか。……じゃあ、行くか」


 秋津が歩く少し後ろをあかりは歩く。

 あの事件はもう解決したはずだ。全て、倉科がしたことだった。秋津はいつだってあかりを心配してくれていた。今だってそうだ。それを気持ち悪いと思うなんて失礼だ。

 ……そう思うけれど、一度浮かび上がった違和感はなかなか拭うことが出来ない。


(あ……)


 しばらく無言のまま歩き続けると、あの分かれ道へとたどり着いた。

 きっと、秋津は『ここはどっちに行けばいいんだ?』と聞いてくれる。

 そう信じたかった。けれど、秋津はあかりに尋ねることなくどんどんと歩いて行く。


(先生、早く聞いて……)


 まるで、分かれ道なんてないように。


(先生、お願いだから……)


 まるでその道が、正解だと知っているかのように……。


「せ、先生!」


 そんな言い知れぬ違和感を払拭するためにも、あかりは声を掛けた。


「なんだ?」

「……こっちです」

「…………」

「私の家、こっちです」


 あかりの言葉に、秋津は振り返った。


「こっち?」

「はい……」

「そう。……間違えてしまったよ」


 秋津はニッコリと笑うと、あかりの方へと歩いてくる。

 まるでヒタヒタと言う足音が聞こえてきそうな秋津の姿を見ているうちに、あかりは先ほどの電話で美和に言われた言葉を、ようやく思い出した。

 そうだ、美和はたしかに言っていた。


『あの日、あんたの家のチャイムを押したのは倉科じゃなかったの! あの日、倉科は榊の家にいたの!』


 と――。

 じゃあ、あの日あかりの家のチャイムを押したのはいったい誰なのか。倉科ではないというのなら、いったい誰とモニター越しに目が合ったというのか――。


「遠藤」


 その瞬間――あかりは、秋津と目が合った。

 秋津の目は、あかりを見つめる秋津の目は……あの日見た、誰かと同じ目をしていた。


「遠藤?」

「いやっ!」

「……ああ! ようやく気付いてくれたのか」

「やめて! 来ないで!」

「遠藤……」

「先生! やめて!!」


 必死に叫ぶあかりの腕を掴むと、秋津はニッコリと微笑んだ。



「今度は逃がさないよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

うしろの正面だあれ? 望月くらげ @kurage0827

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ