解答編
宿舎の自室へ着いた頃にはすっかり草臥れており、靴を揃えることも脱いだ服をハンガーに掛けることも億劫で、流れる様に敷布団だけ床に敷きそのまま身を任せた。
意識が遠のく頭が辛うじて先輩警官の言葉を覚えていた。午後六時三〇分。
ここから公民館までは自転車で三〇分程だという事も考慮し、眠い目でスマホのアラームを起動し時間を設定したところで力尽きた。
ピ ピピ ピピピ
と、少しずつ軽い電子音が増えていく。最終的には止めどなく音が鳴り続け、アラームを止めるまで電子音が止むことはない。
やがてそれがけたたましい音に変わった頃、布団の上にうつ伏せで寝ていた腕が手探りでスマホを掴んだ。それから薄目を開いてアラームを止め、寝転んだまま全身を伸ばす。小さく何処かしらの骨が音を上げる。少しずつ動かす部位が外側に広がっていき、それに伴い段々と目が冴えていく。
寝る前には思いつかなかった数々、視界に写っていたが否定したものたち。あの時紡がれた言葉全てをもう一度整頓し、一つの答えとして構築する。しかし、布団の上での解決は叶わなかった。
起き上がり、寝起きの酷い顔を整える為に洗面台へ向かう。しっかりとした泡で洗顔し、綺麗さっぱり洗い流す。それから清潔なタオルで軽く拭き、台所へ向かう。
時刻は午後五時四〇分。
集合時間にはまだ余裕がある。それまで思考を続けようと、小さな冷蔵庫から缶コーヒーを取り出す。
仄かな苦みのあるコーヒーを早いペースで飲みつつ、スマホの通知等を確認した。緊急の連絡があればそちらが優先であるからだ。しかし、届いていた中に急ぎの連絡は一つもなく、この後公民館へ行く事が決定した。
缶が空になるまでSNSを見ていたが、ふとスマホの時刻がある方に目をやる。そしてそれがこの難問を解く鍵となっている事に気づくのに数分と掛からなかった。何でも答えが分かってしまえばすぐに答え合わせがしたくなるのは当然で、今回の事も例外ではない。
空になった缶に水を入れて軽く濯いでシンクに置き、足早に布団を畳み片付け、床に置いたままの服もハンガーに掛け、そのまま別の服へと着替えた。
これから自転車で向かうことも考え、動きやすく通気性の良いものを選んだ。
それから洗面台へと向かい、目の下の隈や血色の悪さを隠すために薄く化粧をした。若き警官の前にある鏡には平凡な顔立ちの女性が映っている。
最低限の手荷物を腰のポーチに入れ、戸締りを確認して自室を後にした。
外はまだ明るいものの、空の奥が闇を引き連れようとじわじわ迫ってきている。駐輪場へ駆け足で向かって自分の自転車を出し、そのままの勢いでペダルに足を掛け漕ぎ出した。予定より数分早い出発だ。
数時間前に通った筈の道でも、難問を解いた今では全てが澄んで見える。何の変哲もない店の看板も、ガラス戸に貼られたチラシも、道端で毛繕いする野良猫も、その全てが輝かしい。
しかし、そうして自転車を漕いでる間にも、空が段々と暗くなっていく。
公民館まであと半分の距離になった頃には、追い越していく人々に目も向ける暇もなく足を動かしていた。当然ながら、交通法を順守した爽快な走りをしている。
公民館が遠目で見えてきた頃、人々がそこへ集っているのが見えてきた。そこには大人と子供といるが、子供の方が明らかに多い。
若き警官は駐輪場の手前で自転車を降り、手で押しながら歩いた。鍵を掛けた頃、後方から声を掛けられる。
「おぉ、お疲れさま。ちゃんと来たね」
そう言ったのは愉快な恰好をした先輩警官だった。
愉快、と言うのも、数時間前に見た制服姿とは一変していたのだ。暗色の作業着と厚底の丈夫そうな靴、そして顔にはホッケーマスクを装着している。
彼が大柄な体系な為、この恰好に抜擢されたのだろうが、とても様になっていて若き警官は思わず笑ってしまった。
それを聞いて少し不満気な声で目の前のジェイソンはこう告げる。
「ちょっと、笑う事ないでしょう……」
「いえ、悪い意味ではないんです!凄く似合ってらっしゃるので、つい―――」
「そういう君にも準備されてるんだから、更衣室で着替えてきなさい!」
「えぇ!?」
と、驚く彼女に渡されたのは黒い衣装と帽子と木製の杖だった。勿論、魔法使いの衣装だ。
「今日来る予定だった人が来れなくなってね、丁度君が首を突っ込んでくれてよかったよ」
そう言われ、少し複雑な顔をして答える。
「余計な事しなきゃよかったですね……」
しかし、渡された衣装はしっかりと受け取った。
「それに着替えたら駐車場に集合だからね、可愛らしいお化けたちにお菓子を配らなきゃ」
そう言いつつ、ホッケーマスクの下で微笑ましく思っているのだろうが、その厚いマスクのせいでそれは定かではない。
特に断る理由もない上、ジェイソンが言う可愛らしいお化けたちにはぜひお目に掛かりたいものだと考えた若き警官は、黒い衣装を纏う為に公民館へ入っていった。
若き警官改め若き魔法使いに渡された衣装は簡単な造りのものだったが、立て襟マントに合わせスカートの裾が
更衣室から出た時、大きなカボチャ頭と遭遇した。そのカボチャ頭は上品な白いブラウスの上に黒い燕尾服を着ており、手には黒いステッキともう片方にお菓子の入った籠を二つ持った紳士だ。若き魔法使いはどうすればいいのか分からず、そのまま硬直してしまった。
ここで先に話し掛けたのはカボチャ頭の方だった。
「あの、昨日はお騒がせしてすみません……」
と、カボチャ頭からくぐもった聞き覚えのある声がする。程なくして魔法使いは気づく。
「あぁ!あの時の電話の方!―――が、今日はジャック・オ・ランタンですか?」
「はい、あれだけお騒がせしておきながらお恥ずかしい……」
と、言いながらお菓子の入った籠を魔法使いに手渡す。そこにはあの指が詰められていた。
しかし、二人はもう驚くことはなかった。寧ろお互い笑い合っている。
ジャック・オ・ランタンからお菓子を受け取った魔法使いは、揃って外へ向かって弾んだ足取りで歩き出した。
夕暮れの赤も薄らいだ頃、駐車場に魔法使いが現れた。彼女の登場に気づいた小さな幽霊や魔女、スケルトンまでもが歓声を上げて駆け寄っていく。
キラキラと瞳を輝かせた幼き者らに魔法使いは高らかに宣言する。
「ハッピーハロウィン!!」
箱の中身は 柊 撫子 @nadsiko
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