33 キミらしい姿で

 竜の巣は四季を問わず草木が生い茂る森ではあるが、季節に応じて芽吹く植物もあるにはある。竜の巣らしく、独自に変化を遂げており、同じ花でも大きさや色合いが異なる。

 色が違うのは単純に、土壌の問題ではないかとゆかりは推測する。

 アジサイは、土のPHによって色が決定するのは知られた話だ。酸性であれば青く、中性からアルカリ性であれば、赤へ寄る。アルミニウムを吸収させることで色を変化させられるということで、根元に一円玉を埋めるというもったいない話があるが、ゆかりは実行したことはない。

 青と紫が混じって群生する名も知れぬ花を見つめていると「それ、食べられるのか?」と声がした。

 自分が見ている=食用であるという考えは、失礼じゃないだろうか。

 ゆかりは振り返って、文句を言う。

「私だって花を愛でる心はあるんですよ、アドレーさん」

「そうか?」

「食べられる球根もあるんだけど、毒もあるんだよね、たしか」

「あ、やっぱり食べ物だ」

「だから、それだけじゃないんだってば。誤解はしないでもらいたいな、サーロインくん」

 アドレーに続いた幼い声に、ゆかりは不服を申し立てる。

 木漏れ日に光る白い髪。春が近づき、萌ゆる様々な緑の中に立つリグ・ロースは、まるで妖精だ。絵本の表紙に採用できそうなぐらい幻想的だが、中身は二十歳を超えた立派な青年男子である。

 生まれた年は判然とせず、二十から二十五の間ぐらいと推測されたロースのことを、結局ゆかりは「くん」づけで呼ぶことにした。同年代だし、見た目がこれだし、なによりも当人が望んだことだ。当然だが、ロース以外の部位で呼ぶことは許可されていない。

 そもそも、リグ・ロースとは「白き人」の意だ。

 白く生まれた彼に付けられた名称であり、「名前」と言えるものではないため、名を改めることが提案される。

 改名案として、「ローズ」にするのはどうかという話が出た。

 これは、ゆかりが知る言葉と同じく「薔薇」という意味らしく「リグ・ローズ」で「薔薇の人」となる。

 二人合わせて、紫の薔薇の人だよ! というゆかりの発言は、いつもの調子で流され、本人の「男で薔薇は、ちょっと……」という引き気味の意見が採用され、検討を重ねたあげく「もう面倒だから、今のままでいいや」になったという経緯である。

 季節が変化する今の時分、ロースがここにいる理由は、彼がそれを望んだからだった。

 故郷に対する未練は持っていない。

 望郷を覚えるほどの思い出は、彼の地には存在しなかった。

 遺伝子上の両親がいるかもしれない。

 ただ、それだけの場所。

 腹を貸したという産みの母たる女性とも、会ったことはないのだから、拠り所となるものはなにひとつない。

 ヴィンセンテは「では、我が領へ」と即決。すかさずグラハムが手続きを開始し、翌朝一番に彼は晴れてライセム領民となったのである。

 眩しい太陽光はお肌に悪い、吸血鬼のようなロースは、城内でも森に近い部屋――ようするに、陽当たりが悪いせいで住まいには適していなかった部屋を割り当てられ、そこで暮らしている。

 ひんやりじめっと薄暗く「これ、いじめじゃね?」とゆかりがひそかに思ったぐらい、居心地の悪そうな部屋ではあったが、窓から緑が見える景色をロースは気に入っているのだという。

 キノコが生えるかもしれないので、原木を置いてみるべきかもしれない。


「それで、なにか用事ですか?」

「主催者のおまえがいないと、始まらないだろ」

「そうですね、すみません」

 ゆかりは立ち上がって、詰所近くの広場へ足を向ける。

 今日はガーデンパーティーなのだ。

 具体的に言うと、肉パーティーなのである。

 最高級のブランド牛、豚を作って、ライセム特産品にしよう計画は、イグナティウスの協力もあって開始されている。ベクレル・イグナティウスは、ゆかりの予想通り、この遺伝子配合に燃えに燃えているらしく、様々な品種の肉を取り寄せている。

 今日はその肉の試食であり、批評の会でもある。

 肉をどう品評するべきかと悩んでいたヴィンセンテに、ゆかりは即座に「焼肉」を提案した。

 野菜もつけて、バーベキューだ。

 アドレーの白い目が気になったが、それよりも肉のほうが大事だろう。だって、肉だ。

 人の声がざわめく広場には、大勢の人が集まっている。

 竜騎士団だけではなく、御三家からも来賓が招かれているのだ。一応「ライセム特産を作るための試食会」と銘打ってある以上、やむを得ない。

 早速ゆかりを見出したアーロン・モルゼディアスが「落ち武者様」と喜色の声をあげた時、ゆかりと彼の動線上にすっとアドレーが割り入った。

「おまえはあっち。ヴィンの隣だ」

「アドレーさんは?」

「俺も呼ばれてる。警護も兼ねてな」

「ここで殿下を襲う人、いますかね?」

 ずらりと竜が囲むこの場所で、そんな命知らずはいないだろうにと首をかしげるゆかりに、アドレーは「誰の警護だと思ってるんだ」と独りごちる。並ぶ二人のうしろから日傘装備で歩くロースは、なんだ、全然付け入る隙はあるんじゃないかと考えた。

 考えたついでに、告げておく。

「アドレーさんは、ユカリのことが好きなんですか?」

「は!?」

「ぼくは好きですよ」

「わー、ありがとう、上級カルビさん」

「あるといいね、それ」

「薬味いっぱい欲しいなー」

 頼んでこようと、料理人の集団へと駆けていくうしろ姿を見送り、ロースは再度アドレーに問う。

「で、どうなんですか?」

「――嫌いではない」

「なにその子どもみたいな言い訳」

「子どものおまえに言われたくはない」

「ぼく、見た目ほど子どもじゃないんだって」

「それは聞いている」

 己の半分ぐらいの年齢にしか見えないが、実はほぼ同年代と聞いて、アドレーは目を剥いたものである。

「だから、ユカリとだって釣り合うと思うんだよね、年齢的に」

「見た目を気にしろよ」

「外見は関係ないよ。ぼくは作られた白だけど、彼女は尊厳の黒。あの純粋な黒を怖いとも思わないし、特別尊敬もしない。線を引いてるあなたと違って」

「誰が線引きしてるって?」

「黒毛って、外界からやって来た『黒髪の女神』のことでしょ? ユカリはユカリで、女神じゃないよ」

 澄ました顔で言われ、アドレーは口ごもる。

 幼い頃にヴィンセンテと読んだ、御伽噺。

 空から舞い降りた美しい黒髪の娘と若者の悲恋物語だ。

 王宮の図書室にあった絵本に描かれたそれを見て、二人はまだ見ぬ「落ち武者様」に思いを馳せた。

 現実の落ち武者様は、物語のように気高くも優しくもなかったけれど、憧れた「黒毛」であることには変わりない。

 皆が気安く名前を呼んで親しげにする姿を、どこかモヤモヤしながら眺めていたアドレーはようするに、名前を呼ぶタイミングを見失ってしまっただけなのである。

「さらっと呼べばいいのに、大人は大変だねー」

「おまえ今、自分で子どもじゃないとか言ってたくせに」

「アドレーさんよりはぼくの方が年下だし」

「言ってろ」

 こっちは領主自らが選んだ相手だぞ――と、むっとした後に、己の考えたことに動揺する。

 いや待て。俺は今、なにを考えた?

「アドレーさん!」

「な、なんだよっ」

「そんなに怒らなくてもいいじゃないですか。ノエルが呼んでますよ?」

 ロースの、なんとも言えない視線を背中に受けながら、アドレーは戻ってきたゆかりを伴って、今度は竜たちの下へ向かう。

 彼らの足元には、騎士団の面々。それぞれが、それぞれの相棒に話しかけては、竜が唸り、あるいは頷き首を振る。

 ほんの半年前までは、ありえなかった光景を作り出したのは、ライセムに来た落ち武者だ。

 その功労者はといえば、アドレーの隣で鼻をひくつかせている。

 ジュージューと肉の焼ける音と、タレの香り。

 そういえば、彼女がやたらと肉に執着するのを知ったのも、パーティーだったと思い出す。

 ヴィンセンテが企画したそれは、ゆかりに相手を見つけるというよりは、若者たち全員に対する婚活パーティーだったわけだが、アドレー自身もその対象になっているとは夢にも思わなかった。まして、その相手とやらが、黒髪の落ち武者だとは。

 自分がその事実を知らなかったように、おそらく彼女もそんなことは知らないだろう。互いに、そういう認識はないのだ。

 白石ゆかりの興味は食事に向いており、次がドラゴン。そこに色恋が介入するとは、あまり思えない。今は、まだ。


「ドラゴンさんも肉って食べますかね?」

「ドラゴン肉、じゃなくてか?」

「しつこいですね。もうドラゴンステーキの話はいいじゃないですか。――あ、でも、それいいですね」

「まさか、喰うのかっ」

「ちがいますよ。ドラゴンっぽい要素を取り入れた肉料理を考えて、ドラゴンステーキという名前にするんですよ」

「ドラゴンフルーツみたいにか?」

「そうですそうです。竜の巣に、なにかいいヒントはありませんかね?」

 問いかけるゆかりに、アドレーは答える。

「訊いてみればいいだろ。おまえはそれができるんだから」

「でも、初代ドラゴンマスターは、アドレーさんじゃないですか。ライセムの竜のことは、アドレーさんのほうがくわしいと思うし」

 竜に拾われて竜の世界で過ごし、戻ってきたことを、ゆかりは特別視していない。

 それなのに、自分は未だに彼女を「落ち武者様」として扱っている。

 アドレーは改めてそのことに気づき、嘆息した。

 ロースのことも含め、人とのあいだに垣根を作りすぎている。それを遠慮なく乗り越えてくるのがゆかりであり、彼女は人と竜だけではなく、アドレーと他者との距離も縮めてくれたのだ。

「……じゃあ、手伝ってやるよ」

「アドレーさんも、ドラゴンフルーツ普及委員会に入ってくれるんですか?」

「フルーツをつける必要はもうないだろう」

「じゃあ、名前なんにしましょうかね?」

「いっそおまえの名前でいいんじゃないか、ユカリ」

「えー、それ、ふりかけの名前ですよ」

「なんだそれ」

「白いご飯にかけるんです。あ、おにぎり食べたいなぁ」



 アドレー・グリーブスが、ちょっと勇気を出して口にした「ユカリ」という名前を華麗にスルーした白石ゆかりは、緑のアーチで作られた、装飾用のトンネルをくぐる。

 その先には、ゆかりを迎えるドラゴンが数体と、騎士団の人々。

 彼らに手を振り返しながら、ゆかりはそのトンネルを抜けた。






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トンネルを抜けるとそこは異世界でした 彩瀬あいり @ayase24

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