第7話 午後の学校

「………は?」


 教師の声も、板書をする声も、黒板にチョークで数式を書く音も、何もかもが聞こえなくなる。彼女は今何と言ったのだろうか。そんな疑問が浮かんでくる。────いや、何と言ったのかは分かっている。


『一緒に帰りませんか?』



 彼女の真意がつかめない。俺と、帰る? まだ会って3日しか経ってないのに? 

 ひと言。たったそのひと言で純の思考はオーバーヒート、そしてフリーズしてしまった。



「えっ……、あ、嫌なら無理しなくていい……です………」


 少し悲しそうに、それでいて、それを隠そうと取り繕うように笑ってみせる空。その言葉に、その表情によって純の頭は思考することを再開する。そもそも、そんな言い方をされて、そんな顔をされて断れる男なんてごく少数だろう。理由は後で分かればいい。今はおなしくこの提案を受けるべきだ。純は自らが導き出した結論に基づいた行動を取ることにした。


「いや、いいよ。今日はちょうど暇だったし。雨嶺さんは自分なんかでいいの?」


「ほ、ほら!メロンパン分けないとだし、それに……他にもお礼したいし………」


「え? 最後なんて言った?」



 最後だけぼそぼそという空。おかげで純は、最後だけ聞き取ることができなかった。空は再び顔を赤くし、早口でまくし立てた。


「な、なんでもない! 放課後、先に帰らないでね!」


「お、おう」



 それしか声が出なかった。


 このやり取りは小声で行われていたため、教科担の高田はもちろん、周りの生徒にも気が付かれずに済んだ。しかし、その中に1人だけ最初から2人のことをずっと見ていた者がいる。はふと笑みを浮かべ、ぽつりと言葉を零す。


「いつになったら気が付くかなぁ……。まあ、すぐに気が付かなかった俺が言うのもなんだけどな」



 それだけ言って、彼は手元のノートへと目線を落とした。



   □   □   □   □



 今日の掃除どこだっけ、なんて声が聞こえてくると、その日の学校が終わりを迎えようとしていることを実感する。朝よりも昼よりもテンションが上がっているためか、一日で一番騒がしい、ような気がする。

 そして、純の心臓の音も今日一番に騒がしい。女の子と一緒に帰るのなんていつ振りだろうか。小学生か、はたまた中学生か。少なくとも高校生、そして中学生の2、3年生の頃にはなかったような気がする。それこそ中学生の最初の頃に一回か二回程度あったかどうかというレベルだ。純が緊張するのも無理はない。その緊張は顔にも出てしまってたようで、いつものごとく奴がやってくる。



「どうしたんだ純。顔が引き吊ってるぞ?」


「そ、そんなことないだろ」


「いやいや、引き吊ってるって。なあ、匹野。純の顔引き吊ってるよな?」


「おう、もうがっつりだぜ。見なくてもわかるぜ」


 そこまでひどいのかと若干焦る。顔に出ていては後に支障が出てしまうだろう。

ただ、自分では引き吊ってないと思っている手前どうしても彼らの発言を怪しんでしまう。特に海斗はよくからかってくる。そろそろ簡単には信用できないレベルに。

 最終確認としてもう一度だけ聞いてみることにした。


「……まじで?」


「まじだぜ」


 即答された。つまり、信じがたいが本当のことということだ。

 彼、匹野 正人ひきの まさとは嘘をつかない。いや、正確には嘘をついているところを見たことがない。高校入学の時から関りがあるが、本当にまっすぐな性格だと思う。その性格のお陰というか、その性格のせいというか、彼は嘘をつけないのだろう。損をしてないわけがないとは思うが、彼はその性格故に同じ学年の生徒やよく関りのある先生はもちろん、他学年の生徒や普段ほとんど関わることのない先生にまでも信頼されている。その上、サッカー部エースの超イケメンで後輩にもとてもやさしいとくる。マネージャーが逆に気を使われるほどらしく、今年のサッカー部のマネージャー希望人数は100人を軽く超えたとか。

 噂では一種のファンクラブ(女子による)までもができているそうだ。


 つまり正人は、生粋の陽キャである。

 

まあ、正人が陽キャであることは置いておいて、だ。そんな正人に即答されるほど、今の俺は緊張が顔に出ているらしい。

 今日俺は掃除がなく、雨嶺さんは掃除がある。よって、帰るまでにはまだ少し時間がある。それが唯一の救いだろう。雨嶺さんの掃除が終わるまでに、多少でも緊張をほぐしておきたい。


「まあ、なんでそんななのかは聞かないでおいてやるよ。ただ、純らしくないぜ。もっと楽にしろよ」



 こういう時、こんな風に気遣いをしてくれるところが海斗のいいところなのだ。本人には口が裂けても言わないが。


ちなみに、こういうところと彼の容姿が相まって女子から結構な人気を集めている。ただし当の本人は気がついていない。



「ありがとう。おかげで気が楽になったよ。》》」


 照れ隠しに、多少の皮肉を込めた言い方で言ってやった。




 準備は整った。見計らったように、掃除から帰ってきた空が教室に入ってくる。転校生との、雨嶺 空と2人っきりで帰る時がすぐそこまで近づいてきていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あたりまえの日々は退屈でした。 ゆる @yuru3616

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ