エピローグ②

「高校生になってから、ハーレーと小学生以来に同じクラスになってさ……」

 千梨に心情を吐露する明。千梨も人がよく、話に耳を傾けていた。

「嬉しかったの?」

「そりゃあな……」

「そりゃあなって、……あなたもはれくんを思ってるの?」

「ガキの頃、将来を約束した仲だった。でも中学生になって、同じクラスになることもなくて、ハーレーとアタシの距離感は離れていった。だから同じクラスになれて、もうワンチャンあるかなって思ってたんだけどな」

 恋敵が二人もいた。晴太が明に対しての思いは淡くなっていたようだが、明にはめげる様子もない。

「だから、あいつには散々悪口言ってやったんだ。咎められるのはアタシの方かもしれねえが……」

 明は一瞬声を詰まらせた。言いにくい事柄だったのは千梨にもわかったようで、

「それでもはれくんに怒りをぶちまけたかったのね?」

 明はこくりと頷き、しばらく黙っていた。

〈しょうらいをやくそくしたなか〉だったのは千梨にも打ち明けており、面と向かってではないが、里音にも知らせていた。二人にも明の心境を察してあげたい気持ちはあったかもしれない。

 明は前で背を見せる晴太へ、密かに視線を注いだ。

「本人の気持ち的に、今は恋どころじゃねえって知って、ちょっと残念だなって思った……。でも……」

 明は千梨の顔を一瞥し、

「こうして、ハーレーの実家に来て、あいつの励みになれたみたいでよかったと思ってる。アタシ自身も、元気付けられた」

「でも私が思うに……」

 途中で言うのを止めた千梨に顔を覗き込ませる明。

「きっと彼の選択は、今は一つだけしかないと思うの」

「一つって?」

 と尋ねた矢先、前から里音がぶつかってきた。


「何やってんだよ!」

 明が声を張り上げた。

 晴太の気功で飛ばされていった里音は、背後にいた千梨と明に衝突してしまった。

 誤魔化し笑いをする里音と、文句を垂れる明、肩を竦める千梨の一連の所作のあと、気を取り直して、四人はまた歩きだした。

 夕陽に頬を赤くする里音の横顔を晴太はそっと見やった。

 端整な顔立ちだが、以前彼女に付き合うことを迫られたことがあったのを思い出す。

 思いが通じることなんてありはしない。しかしこのとき、里音は心を読んだかのように晴太と再び顔を見合せたのだった。

「無理な状況なのは知ってる。事件の被害者でもあるから、こんなこというのもおかしいかもしれないと思ったんだけど……」

 告白でもしようというのか。里音の言う無理な状況というのも、しばらくは学業に復帰することが不可能であることと、日常生活で精神的に苦痛を感じることがあることを言っているのだろう。

「さっきの話聞いて、今の玉ちゃんなら大丈夫そうだから、悔いのないよう、正直に言っておく」

 それでも里音は微笑みを絶やさない。どのような自信を持って何を語ろうというのか。

 里音は静かに言った。

「あたしたちのこと、どう思ってる?」

 やはりその話が来たか、と考えつつ、

「どう思ってるって?」

「あたしたち三人の中で誰が好き?」

 返答に迷う質問だった。現段階では、誰とも付き合うことは難しく、仮に一人を選んだとしても、それがベストな選択かはわからない。

 彼女たちは心を開いてくれているが、病を患っている中、成人を迎えていない未成熟な自分が、働いてもおらず、学校にすら行っていない。それが相手を幸せに導くとは到底思えなかった。

 里音の目が光った気がした。何だろう、また突拍子もないことを言いそうだ。

「あたしたち全員と付き合う?」

 いやー、と後頭部に手を添えながら、晴太は大いに困惑した。

 ――どうしたもんか……。これ冗談だよな?

 体が硬直したまま動かない。

 だが、会いにきてくれた、友達以上恋人未満でもある彼女らに、何も返答がないのも申し訳ない。

 晴太は思い切ってこう返答した。

「よし、じゃあ、全員と付き合うぞ!」

 自信満々に両方の肘を腹の辺りで曲げ、握り拳を作る晴太。

 ええー⁉ と驚愕する女子三人。特に明は顔を真っ赤にして、瞳を潤ませている。

 晴太は満足のいく反応を見られたなと、片頬に笑みを刻みながら、

「冗談だよ、冗談!」

 それを聞いてさらに驚愕する三人の女子。明がなぜか舌打ちする。

「冗談には冗談で返す。これが優しさってやつ?」

 目を丸くしたまま、里音が言った。

「結論が出せないのね……。ま、無理もないわ」

 肩をすくめる千梨。彼女としては晴太の現状を踏まえてくれているようだ。


「今の僕にとって幸せっていうのが何か、わからないんです……」

 約二ヶ月前。静岡の父の実家に移ってから通いだした心療内科で、カウンセリングの最中、医師に尋ねてみた。

「何でしょうね……」

 返答に迷う医師。哲学的で難しい問いかけだったような気もするし、少々自分勝手が過ぎる内容だった気もした。

 晴太がしばらく考えていると、医師はこう返した。

「四六時中、家でなにもせずにいると、色々と考えてしまうんです。人間てそんなものなんですが……。学校に通ったり事件の最中にあったときと比べて今はどうです?」

「だいぶ、気は楽ですね……」

「安心感とか、安らぎみたいなものを感じてますか?」

 晴太は安心感と安らぎという言葉に、何か気づかされたような思いだった。

「安心、安らぎ……」そう反復すると、

「そうですね。僕は今それが欲しくて、今その中にいると思います」

「安心感や安らぎ……。今はそれでいいとして、あなたの中で将来こうなりたいとか、目指していることとかは?」

「それは昔からありませんでした。何が自分に適しているか、夢を叶えるといっても、なかなかイメージができませんでした。でも今思うと、夢を叶えたその先に安らぎがあるかどうかでもあるように思えます」

 一端区切り、晴太はこの刹那に思い浮かんだことを述べた。

「でも、永遠の安らかさなんてないんじゃないかなとも思います。誇張した言い方になるかもしれませんが、死に安らぎを見いだす人もいないとは言いきれないんじゃないかと。でも、死ぬことは苦しく痛いことでもあるので……怖いことでもありますし……。かといって戦い続けるのも、体や心に負荷がかかるかと思うので……」

 大人の、しかも知識のある医者の前で小賢しい言い方をしたかもしれない。晴太がそこで再び言葉を区切ったのも突然気恥ずかしさを覚えたからだった。そして専門家に対する高校生の一意見としても、未熟な自分がそう述べたことに恐縮せざるを得なかった。

 そしてすぐに思いを改めた。

「戦いも安らかさも永遠ではないと思います。どこかで戦い、どこかで休む。それが生きていくことなのかなあと……」

 医師は黙ったままだった。晴太は医師の顔を見ず、俯いたままこう結論付けた。

「だから、今は休むときなんだと思います……。自分や他人、環境と戦い暮らしていくための、一時的な休息……」

 顔を上げ医師に視線を向けると、医師は微笑んでいた。それを肯定と捉えていいのか、一瞬判断に迷ったが、晴太は静かに言い切った。

「だから今は休むことが、僕のやりたいことです。病や気疲れがある程度回復するまで……。それが今の僕の幸福であって課題でもあると思うので」

 医師は微笑を保ったまま、カルテに何か書き込んでいた。


 そんなことを思い出しながら、晴太は視界を遠くの方へ広げた。

 足下に伸びる四人の影法師。

 晴太の住むこの閑静な場所と、遠くに見えるなごやかな町並みは、何もなく静かで、四人をその大きな懐に抱くかのようだった。


「あんたが言ってた一択って、そういうことだったんだな」

「一択?」明の言に、里音が疑問を呈した。

「恋とか勉強よりも、休むことを選んだんだよ」

「ま、再会できたってことでまずは及第点としましょう」

 想い人である晴太を無事、元気付けられるかどうか。

 千梨たち三人が今日、晴太のところへ来たのも自分たちの振る舞いによって、どう晴太を満足させられるかを意識していた。

 千梨がそう言うと、里音と明は順にこう言った。

「また来ようよ。あたしこの町好きになれそう……玉ちゃんと同じくらいに……」

「アタシとしても、もっとハーレーに色んな曲を教えてやりてえ。ビリー・ジョエルもいいけど、もっといい曲はたくさんある……」

「はれくんはきっと真面目なんだわ。自分の持つ優しさを恋人を作るだとか、自分の利のために使ってないんだもの……」

 千梨が言うと、明も持論を述べた。

「それでも時期に化けの皮がはがれちまうんじゃね?」

「玉ちゃんはそんなことにならないよ、きっと」

 明と里音の意見が分かれるも、千梨はこう結論付けた。

「自分の利より、他人への利を大切にしてるんだと思うわ。それは結果的に自分への利でもあるのだけど」

「じゃあ、今のハーレーには何の利があるってんだよ?」

「私たち三人という存在に、支えられている……。それは誰が特別とかいうのではなく……」

 千梨の台詞に、里音がこう応じる。

「共有かな? あたし以外の皆だって少なからず感じてるはず」

「共有?」明が首を傾げると、千梨はこう言い切った。

「互いに持ち寄ってるじゃない。私たちの優しさとはれくんの優しさ……。誰かと付き合うっていう限定的なものよりは、大きくて広がりのあるようなものに思えるのよね」

「逃げって捉え方もできるぜ?」

 明の言葉に、千梨はかぶりを振り、

「確かに恋においては逃げかもしれないけど、恋路から目を背けても、今のはれくんにはもっと大変な戦いが待ち受けているじゃない」

 それが晴太の持病との戦いであり、学校や対人関係という戦いでもあった。

 里音が最後にこう述べる。

「だからあえて恋路を選ばなかったんだね……。そんな玉ちゃんにあたしたちができることと言ったら、選ばなかったことを責めるよりも、優しく見守ることくらいだと思う。きっと……」

 晴太の後方でひそひそと話す三人。

晴太の背中を見て三人の少女たちは思い思いの言葉を口にした。

 それは、さえずりあう小鳥たちが一日の始まりを告げるかのように。

 そう、これは始まりだ。晴太にとっても、三人の少女たちにとっても。

 これから遠方のこの場所へ何度も足を運ぶことになるかもしれない。それは、三人の少女たちにとって長い道のりになるかもしれなかった。

 今日、その一歩を踏み出した。

 それが苦難の道行きであっても、地平線の向こうで陽光は明るく照らす。

 四人のこれからの道筋を。



                              了

 最後まで読んでくださりありがとうございました!

 今後も作者の作品をよろしくお願いいたします!

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コズミックリリーフ ポンコツ・サイシン @nikushio

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