エピローグ①

 高田馬場駅前広場にて、快晴の下、沢尻と随伴の刑事、高橋が、設置された献花台に花を添え、腰を下ろしつつ合掌していた。

 山積するほどに置かれた花の前で、静かに祈りを捧げる沢尻。心の外では、町の息づく音色が、騒音にも似た色合いで彼女の五感を刺激していく。

「地下鉄の事件から二十年経っても、こうした不幸は起きるものなんですね……」

 沢尻よりも早く祈り終えた高橋がそう染々と言った。

 二十年以上前に起きた、カルト教団の無差別テロ事件のことを高橋は想起させているようだった。沢尻にも、高校生くらいに各局が報道をし続けていたのを覚えている。

 各地での災害が続く昨今、コズミックリリーフという宗教団体のテロは、その地下鉄の事件以来となるだろう。

「献花する理由は様々あるかとは思いますが……何も沢尻さんまで……」

 熱心に手を合わせ続ける沢尻に、高橋は疑問を呈するような言い方をした。

 沢尻の活躍ぶりは、警察内部でも一部の者しか知らない。高橋がそれに不満を持っていることを沢尻も聞かされていたが、彼女が大々的に称賛されないことと、当の本人が自分の偉業ともいえる仕事ぶりを鼻にかけず、花を捧げていることに不自然さを抱いていたようだ。

 沢尻は目を閉じたまま、高橋に言った。

「決まっているでしょう? 私が亡き人への復讐を遂げても、被害者は多く出たんですから……。私は結局、一人も救えなかったような気がしてならないんです」

「私は認めてますよ。あなたがいなければ、被害はもっと拡大していたと思います」

 沢尻は合わせていた手をほどき、立ち上がると、

「でも私には救えない人もいました。私の持ち場ではなかったからといって、花を捧げない理由なんてありませんよ……」

 高橋は自分の冷徹な部分を鋭く突かれたように思ったのか、唇を曲げて見せた。後ろめたさを誤魔化しているようでもあった。

 高橋はそれを隠すように、夏に近づく東京の空を仰ぎ見た。

 一方の沢尻は、周囲に視線を配る。

 町を行く多くの人々。働く人もいれば、友人たちと楽しげに話す人たちもいる。一人アスファルトの上を歩く人もいれば、そのそばで大小様々な車輌が、都心の血管のような道を行き交い仕事を運ぶ。

 あんな凄惨な事件が起きても、人は、町は以前と同じような景色でそこにあった。


 武の運転する車に乗っていた晴太は、寄り道せず帰宅した。車を家の脇のガレージに停めると、車から出、家の戸を開ける。

 古めかしい造りの二階建てが、叔父の家だった。

 二階の一室で寝泊まりしている。暮らし始めて約二ヶ月くらいだが、叔父も祖母も、鬱陶しがらず快適に過ごさせてくれる。無論、掃除や洗濯を手伝うことも厭わない。叔父も祖母も晴太のそういうところをよく見てくれていた。

 玄関に置かれた靴の数がいつもより多い気がした。今日は土曜日で親戚の集まりか、叔父か祖母の友人でも来ているのか考えたが、気にせず居間の戸を開けると――

 クラッカーの破裂音と共に、おかえりー! との大声が叔父の家に響いた。

 そこにいたのは、里音、千梨、明だった。祖母も一緒になって、クラッカーの緒を引いている。

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした晴太を見て、今度は部屋中が笑顔に包まれた。

「ビックリした、玉ちゃん?」

 里音が楽しげに顔を綻ばす。

「突然お邪魔しちゃって悪いわね……」

 千梨が少し心配そうに顔色を曇らす。

「お前を驚かせたかったんだ」

 明は得意気な表情だった。

「三人とはちょっと前から打ち合わせしててね」祖母が言った。

「この子たちは東京から引っ越す時に、団地の家を訪れてくれたの。そこで初めて私と会ったんだよ。その時にこっちの住所と連絡先を教えておいたんだ」

 祖母は白髪のセミロングに額の上には黒いカチューシャがしてある。いつも目を細めている祖母だが、今も変わらず笑みをたたえた顔をして、里音たち三人の横に立つ。

「まあ、晴太の驚いた顔を見れてよかったよ。これで作戦成功だね、あんたたち」

 親指を立てる祖母に、里音たち三人も笑って同じ所作をした。

 昼を少し回ったくらいか。昼食のカレーが用意され、里音たちと囲んで食べた。

「玉ちゃんが病院行ってる間に、料理を手伝ったりしたんだ」

 里音はちゃぶ台の中央に置かれた大盛りのサラダを、取り皿に少量箸で運んだ。

 次いで、千梨も同じ仕草をして野菜を頬張る。

「これを切ったのは私と明。里音はジャガイモやニンジンを切ったわ」

「おかわりいただいてもいいっすか?」

 明が祖母に催促する。

「どんどん食べてね」祖母の優しい笑みに、ありがとうございます、と明は礼を述べた。

「そんな食いしん坊だったっけ、明?」

 晴太の問いかけは、明の心を浅く傷つけたようだ。

「く、食いしん坊じゃねえ!」

 赤面する明。祖母が晴太に注意する。

「女の子にそんなこと言っちゃあだめだよ……」

 そう、そうそう、と強調するように何度も頷く女子一同。

「でも、カレー二杯は確かにちょっと多いかしら?」

 千梨が言うと、明はぎくりと体を強ばらせた。

「三杯目じゃなかったっけ?」

 里音が宙を見つつ、明を追い詰める。

「いや、どうだったかなあ……ははは……」誤魔化し笑いをする明。

「忘れるくらいの量食ったってか?」

 武の冗談に、羞恥が極限にまで達したのか、明は顔を両手で覆い、

「お許しください、お許しください……」と言うばかりだった。

 しばしののち、里音、明が叔父たちと談笑する側で、晴太は千梨と話した。

 各自、空腹は満たされたようで、空いた皿は重ねられている。

「そうそう。もし嫌じゃなかったら、幸美の話してもいい?」

 久しぶりに耳にする名前だった。晴太は好奇心から、

「今、あいつどうしてんの?」

「ひたすら恋路に夢中になってるわね。リハビリするようになって、意中の看護師と接近する機会が増えたらしいわ」

 リハビリと聞いて、晴太は目を丸くした。

「経過は順調みたいだな」

「そうね。でも恋路に関してはあの子悩んでるみたいだった。看護師が三十越えたか越えないかくらいの年齢で、幸美が十六だから、叶わぬ恋だって嘆いていたわ……」

 そっか……。と晴太は腕を組み、虚を見つめた。

 何にせよ、幸美は自分が大怪我を負ったことに関しては、暗い感情を抱いてなさそうである。復帰を目指すにしても、一朝一夕で済む話ではないので、アイドルの追っかけのように、恋という潤いが治療のモチベーションを保てているのなら、晴太としても安心できた。

「朝の掃除も学校が休校になるまで、毎朝やっていたわ。わたしたち三人でね」

「それを手伝えなかったのは残念だが。休校のまま夏休みに入るのか?」

「夏休みの後半を削って授業するみたいね。ま、その方がわたしとしても助かるんだけど……」

「学校、休みの方がよくね?」

「休みが長いからといって楽しいとは限らないわ。わたしは皆と会える機会が多い方がいいから、あまり長い休みは好きではないの」

「へえ……。まあ、確かにそうか……」

 晴太は自身の現状と思い重ねた。

 長期的な療養で学校を休んでいるにしても、四六時中楽しいわけではない。

 今住んでいる町に知り合いの一人か二人くらいいれば暇潰しの相手くらいはしてくれそうだが、武の家で暮らし始めてから、二ヶ月ほど。武と祖母との会話は楽しいものの、同年代の友達を増やそうなどという思いはなかった。

「まあ、またあなたと掃除できる日を待ってるわ……。えっと、その……」

 千梨は少し言い澱んだ。何か告げようとしているのだろうか。

 次の瞬間、千梨は少し声を大きくして、

「は、はれくん……!」

「はれくん?」

 千梨は赤面しつつ、

「わ、わたしだけあだ名で呼ばないのは変だと思って……。その……こ、これからはそう呼ばせてもらうわ……」

 ははは……、と晴太は照れ笑いし、

「呼び方なんて気にすんなって」


 夕方に近づき、晴太は里音たちと外へ出た。

 何となくというか、気晴らしにというか。三人の少女たちに、いつまでもあの部屋にいてもらうのも窮屈に思われるだろうと、晴太は思ったからだ。

 山の中なので、坂道が多い。そして緑樹の繁りも、住んでいた東京の町に比べ視界を覆うことが多くあるくらい、そこら中に生えていた。

 後方で千梨と明が雑談に興じている。

 晴太の隣には里音がいた。

「ほら、ここの景色とかいいもんだろ?」

 里音に、山であるからにはどこか見晴らしのいい場所はあるのかと聞かれ、散歩を時折することもあった晴太は、事前に見つけていた場所まで案内した。

 急勾配の上方で立ち止まり、振り返ると、夕刻間際のぼんやりとした日当たりの下、眼下に広がる町並みを眺望できる。

「いい場所だね」

「探せばもっといい場所あるかもしれないな。ここより高い位置もあるから、ここはほんの一部かもしれない」

「また来たときにでも、是非案内してほしいな……」

「わかった。探しとく」

 じっと晴太を見つめる里音。晴太は視線が気になり、横目で見ると里音は微笑んでいた。

「ここでの暮らしどう?」

「ビクビクしながら暮らしてる。時々晴れたみたいに、いいこともあるけど。マスコミか誰かが追いかけてくるんじゃないかと心配になるときもある……。だから――」

 晴太は里音と向き合った。

「こうして尋ねてくれたことには元気付けられた……。ほんとにありがとな……」

「いやいや。あたしもこうして、玉ちゃんに会えて嬉しいよ……」

「気持ちとしては、不安定って訳じゃないんだけどな。幻聴も幻聴として捉えられる自分がいて、叔父さんとばあちゃんがいるけど、ほとんど一人で過ごしてる分、寂しいと思うときもあるんだ。それでもおおむね順調かな」

「それならよかった……」

 これまでの里音の態度とは一変しているように感じた。

 晴太はザクーっと言いながら、手刀で里音の腕を斬る真似をした。

「ぐうふぉおおお……」

 とわざとらしく里音が痛がる素振りはこれまでと同じだが、感情がどこか籠っていない気がした。

「どうしたんだ? ちょっとしんみりしてる?」

「そりゃ、再会できたとは言え、玉ちゃんの状況があまりよくないみたいだから、あまりふざけてもいられないかなって思って」

「そっか、悪い……」

「別にいいんだよ。いくらでもあたしに攻撃して……」

 頬を赤くさせ、体をよじる里音に晴太は苦笑いしつつ、

「いくらでもって……それはちょっと気が引けるけどな。でも、変に気を使わなくてもいいぜ? 元気っちゃ元気だから……」

「かかってこいやー」

 里音の態度が一変した。晴太はそれに合わせようと、遠慮なく両手を突きだし、はーっ! と波動を食らわせる仕草をした。

「ぐはああああああああ!」

 腕を前にだらんと垂らして、後ろへ吹き飛ばされるような動きをする里音。

 

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